蓮華
1
逢魔が時。
叢雲道元の妹、蓮華は、勝ち誇るように横柄に腕を組むと去り行くもの達を見つめていた。
彼女は道元とは少しも似ていず、柔和で人懐こく、華奢ではあったが、
その立ち振る舞いは時折年齢や容姿を思わせ無いほど落ち着いていており
やはり何処と無く道元を思わせる泰然とした雰囲気を持っていた。
蓮華の見つめる中、阿野寺の常連達は一人また一人去っていく。
その中で亜弓は成す術無く去る者達の背中を見つめていたが、
去りゆくもの達を焦る気持で横目で見ながら、悲しげに香湖に
「カコ…私嫌だよ!カコや百合夏や氷河と逢ったこの場所が無くなるのは!」と云った。
しかし香湖は何も云わない。ただじっと目を閉じているだけだ。
その顔は僅かに苦渋の色が見える。まるで己の無力さを歎いているようであった。
亜弓はそんな香湖の気持が痛いほどよく分かった。
香湖が何もいえないほど、蓮華の言葉は否定できないほどの正論であった。
蓮華の自由意志を無視してまで、阿野寺のゲームセンターを管理させる事は出来ないしそれを望む事も出来ない。
そういう吹けば跡形も無く消し飛ぶような脆弱な存在が今の阿野寺であり香湖であり亜弓なのだ。
亜弓はだからこそ、香湖の苦渋に満ちた表情を、明るい笑みに変えなければと思った。
そして其れは自分自身のためでもあった。阿野寺が消える事はあってはならないし我慢できなかった。
詰まり黙って蓮華の云う事に従うほど亜弓は大人しくなかった。大人ではなかった。
我侭だった。往生際が悪かった。すばしっこかった。猫みたいに気ままだった。
亜弓は悲しげな顔を決意の満ちた表情に変え、香湖や、蓮華、そして去りゆく常連達に向って叫んだ。
その声は既に30段ほど石段を降りていた相良(お忘れの読者も居るだろうが阿野寺の常連)達に聞こえるくらい大きな叫び声だった。
「ちょっと待って!皆!!本当にここがなくなっていいの!?私は嫌だよ!!
私は、ここが、好き!皆と、カコや百合夏や氷河や若御院や、皆と出会えたここが大好きなんだよ!」
其れを聞いた香湖は少し驚いた表情で亜弓を見た。亜弓は必死の表情で続けた。
「ねえ妹さん…。私達は、ここで、何時も過ごしてきたの…
確かに貴方の言うとおりゲームセンターは他にもいっぱいあるよ…
でも、私達の好きなゲームセンターはここにしかないんだよ…。ごめんなさい。
私は本当にお賽銭もあんまりいっぱい入れてなかった。
何時も…安く出来る事が当たり前と思ってた…だから其れは謝るよ…
フリープレイも無くなってもいい…だから、お願い、ここを、私達の居場所を取らないで…」
其れを聞いた蓮華はしかしその勝ち誇るような横柄な笑みをそのままに腕を組むと
「勝手ね。ホントに勝手だわ。そんな子供みたいな理屈。私はなんと云われても嫌」と頑なに云った。
「…私達も手伝うから…機械のメンテナンス…今は出来ないけど頑張って覚えるから、掃除だってする
蓮華ちゃんの負担にならないように…」
しかし蓮華は亜弓の言葉を遮る様に侮蔑に満ちた笑い声を上げると、
打って変わって眉を吊り上げ怒声に満ちた声を上げた。
「勝手だ!勝手だ!お前達は勝手だ!お前達が兄さんをここから追い出した癖に!」
亜弓は蓮華の豹変に驚きと戸惑いを見せまごついた様に香湖を見た。香湖は眉根を寄せじっと蓮華を見つめていた。
蓮華は香湖を指差して云った。「あんた!あんたは何時も兄さんを苛めていた!
あんたの好きな格闘ゲームがどれだけ人を傷つけるか知らないのよ!あんたが強いのは知ってるわ!
兄さんに良く聞かされたから!
兄さんはよく嬉しそうに電話であんたやあんた(香湖と亜弓を指差す)それに他に何とかという人達の事を話していたわ!
強いって。楽しいって。でも同時に勝てないってよく言ってた。
声は笑ってたけど私には分かったわ。兄さんが悔しがっているのが」
香湖と亜弓、そして他の常連達は蓮華の言葉を黙って聴いた。
「それがね。ある時、ついこの前。物凄く嬉しそうに私に言った事があるの。
スパ2Xで勝てたんだって、貴方に!いっぱい。本当に嬉しそうに話してくれた。…でも暫く経つとまた…」
蓮華の話はついこの前の香湖と道元のスパ2Xの闘いを云っているらしかった。
「あんたは良いわ。本当にお強くて!少し練習すればどんなゲームも強くなれるのね?
その時兄さんは云ったわ『…僕はもう何もかも満足した。才能と言うものに逢った』てね」
蓮華の口からはその後道元から格闘ゲーム引退と修行の事を告げられたと苦々しく語られた。
「…小学生、中学生と離れ離れに暮らしていたけど漸く高校になって一緒に暮らせると思ったのに…
帰ってきたら直ぐ兄さんは修行に出かけた…あんた達の所為だ!」
蓮華は叫んだ。…蓮華自身、其れが逆恨みと分かっていたのだろうが、しかしそう叫ばずには居られなかった。
香湖は終始無言で蓮華の話を聞いていた。
「…知らなかった」と後悔するような小さな声を亜弓は聞いた。
2
「カコ、それは違うよ」亜弓は微笑みながら香湖に云う。
「もし若御院が、カコの所為で出て行ったのなら、阿野寺神の称号なんてカコに渡さないよ」
そうして蓮華の方を見ると「貴方も、よく知ってるでしょ?お兄さんがそんな人じゃないということくらい」
蓮華は気の強そうな瞳で亜弓を無言で睨みながら聞いている。
「若御院云ってたよ。カコや私達がこのお寺で強くなってくれたことが嬉しいって…。
もちろん蓮華の云うとおり、負けて悔しいとか、悲しいとか云う気持はあると思う。
私だって悔しいもん、負けたら。でもさ。カコも若御院も、氷河も百合夏も、勿論私だって
手加減される方がずっと悔しいよ」
そんな事されたらハーゲーンダッツ1ダース半では済まさないくらい不機嫌になる。
いつの間にか、ここを去っていった者達も戻っており、亜弓たちを遠巻きに見ていた。
蓮華は亜弓を睨んでいたが、やがて愉快そうに目を細め、手に持ったお堂の鍵のストラップを指で楽しそうに回した。
「…ここで、強くなった?」そう言って蓮華は御堂の方を仰ぐように振り向く。
「誰が?貴方が?貴方達が?こんな、地上から300メートル位の、詰まり海抜333の山の上にある
気まぐれで立った様なお寺の、気まぐれで出来たようなゲームセンターで強くなった?」
そう言うと蓮華はクスクスと笑い相変わらず、鍵を指で回していたが、
何を思ったのかそのままお堂の方に歩いていくと、扉に掛かった南京錠に鍵をねじ込むと扉を開けた。
そして亜弓や香湖の方を振り返ると不適な笑みを浮かべ云う。
「その自信、私が粉々に砕いてあげる」
冷たい春の風が吹いた。
3
御堂の中が明るくなる。全ての筐体に火が灯るように、電源が入る。
サードの筐体にも同じように電源が入りデモが流れている。
その前で対峙する三人。香湖、亜弓、そして蓮華。
サードの筐体の前で蓮華は楽しげに云う。
「兄さんはよく言っていたわ。このゲームは最高だ。これが一番面白いって」
亜弓も同意するように蓮華の言葉に頷くと「私もそう思うよ」と微笑を浮かべ云った。
蓮華はそう云った亜弓に嘲笑的な視線を向けて
「貴方達、私と勝負しない?サードで」と云いながら香湖と亜弓の顔を交互に見回した。
亜弓は蓮華の言葉を察しかねるというように眉をひそめた。
蓮華はその亜弓の疑問の表情に答えるように言葉を続ける。
「貴方達自信があるのよね?サード?だから私と勝負しようと言っているの。
もし私に勝ったら、貴方達の望み通り、ここを開けていてあげる」蓮華は自信ありげに云う。
「貴方達が負けたらそれこそ本当にここは御しまい。まあ強い貴方達なら悪い条件じゃないでしょ?」
それを聞いた香湖はしかし無言である。ただ黙って何事か思うように蓮華の顔を見つめていた。
蓮華の言葉に最初に返事をしたのは亜弓のほうであった。
「…本当にそれで良いの?」亜弓は戸惑いながら問いかける。
「何よ?怖気づいたの?」と蓮華はつんと顎を突き上げて云った。
亜弓は首を横に振る。
亜弓は蓮華の言葉からは別の感情を感じた。蓮華の言葉には明らかにサードに対する自信と愛情が伺えた。
それは詰まり蓮華自身サードをプレイした事があることの証左である事が亜弓には分かった。
蓮華は格闘ゲームを否定するような口振りであったが、それは何かの感情を隠す為の建前のように亜弓には感じた。
「ねえ、蓮華。そんなに意地を張る事は無いんじゃないかな…」亜弓は恐る恐る蓮華に問いかける。
それを聞いた蓮華の表情は恐れるように微かに引きつるような震えがあった。
「何よ意地って?」
「だって蓮華だってサードとっても自信ある見たいじゃない。だったらそんな勝負とか云わずに一緒に楽しもうよ
その方が絶対に面白いよ。サードってさ。そんなに眉間に皺を寄せながらやっても面白くないよ」
優しく云った亜弓に戸惑うように蓮華は叫ぶ。
「何よお姉さん面して。そう言って只ここでゲームがしたいだけでしょ!?」それは完全に意地っパリな返事だった。
亜弓は全てを察するように微笑を浮かべると「いいよ。勝負しよう。それで納得いくのなら喜んで勝負するよ!」と優しく元気に言うと
香湖の方を振り返り「それでいいよねカコ?」と聞く。
香湖は微笑を浮かべ頷くと「阿野寺の凄さを教えてやれ」と云った。
周りで見ていた阿野寺の常連も頑張れよと言う言葉を口々に上げた。
亜弓は力強く頷くと筐体の席に座った。
画して闘いは始まる。
4
亜弓は1P側に座り、一度大きく深呼吸をした。
自分でも何時に無く緊張している事が分かり、それを意識すればするほど
手が震え、心臓の鼓動は明らかに高鳴って来る事に、亜弓は戸惑う。
抑えることの出来ない震えは恐怖によるものか期待によるものか自分でも判然としなかった。
目の前の対戦相手蓮華は亜弓にとって全く未知の存在だった。
亜弓はそういう対戦をまだ数える程しか経験したことがなく、それが自分自身に現れている。
しかも負ければ阿野寺のゲームコーナーは無くなってしまう。
今更ながらに、そういう重圧が全て亜弓自身に降りかかってきている。
亜弓は瞳を閉じ胸に手を当て、もう一度深く深呼吸した。
その時、香湖の手が肩に置かれた。しかし香湖は何も云わなかった。
落ち着けとも、頑張れとも、負けるなとも、云わず只黙って亜弓の肩に手を置いただけだった。
その手は亜弓に勇気を与えた。それで亜弓の緊張は無くなった。震えも動悸も消え、落ち着いた。
「いくよ!蓮華」小さくそう呟くと亜弓はスタートボタンを押しゲームをスタートさせ、ヤンを選択する。
蓮華もそれから少し遅れてスタートボタンを押し乱入し、キャラクターを選択する。
蓮華の選択したキャラはヒューゴーであり、スーパーアーツは迷う事無くギガスブリーカーを選択した。
兄道元と同じキャラクターを蓮華は選んだ。
亜弓には、そこには偶然性は一切無く、ただの決まりきった必然性だけが感じられた。
矢張り蓮華は、紛う事なき叢雲の血を引いていた。
亜弓はス-パーアーツを転身穿弓腿に決めるとボタンを押した。
灰色のヒューゴーと黒いヤンは対峙した。
「…色まで若御院と同じだね。段々分かってきたよ。何で蓮華がそんなに意地を張るのかが」
嬉しそうにそう呟くと、亜弓は気を引き締めるように口をつぐんだ。
5
ヒューゴー対ヤン。
ヒューゴーの戦略は常にシンプルである。相手の崩しを凌いで少ないチャンスを如何に掴むか。
一方のヤンは少ない体力を温存しつつ如何に相手の強力な投げを掻い潜ってダメージを与えるかにある。
320勝490敗。
これが亜弓の道元に対しての、詰まりヤンのヒューゴーに対しての大まかな通算成績のイメージである。
勿論正確に何戦して何勝して何敗したかは神のみぞ知る事柄で、
これは飽くまでも亜弓の脳内での大まかなイメージである。
その数値を信じた場合の大体の亜弓の勝率は40パーセント程度と言う事になるが、
490敗の内の250敗位は亜弓がサードを始めて1ヶ月ほどの初心者期間に集中していると考えた場合、
その分を大胆に除外した場合の勝率は57パーセント程度と言う事になる。
これを持ってして亜弓がヒューゴー戦を得意と言うわけにはいかないが、亜弓自身はヒューゴー戦が得意と思っていた。
しかし蓮華と立ち会ったとき、蓮華に対して大いなる違和感を感じた。
それと同時に自分の考えの甘さを思い知る事になる。
試合開始数十秒が経つ頃、亜弓の表情からは余裕の笑みが消えた。
目の前のヒューゴーが今まで戦ってきたどのヒューゴーとも違った。
亜弓の攻めの悉くが、凌がれた。ただの接近する事も阻まれ、アウトレンジから全ての行動が封殺された。
小さな蓮華の操るヒューゴーは、とてつもなく巨大に亜弓には感じられた。
ヤンの特徴的な技、ヤンをヤン足らしめる技に雷撃蹴がある。
ジャンプから急角度で跳び蹴りを繰り出す技で、相手に接近しつつ攻撃できる強力な技で、ヤンの重要な攻めの基点である。
垂直ジャンプ、前方ジャンプの上昇中から、下降中の何時でも出せ、弱中強で進入する角度を調整できる。
その多彩なジャンプ軌道と自在に変えられるタイミング、に加え通常飛び込み攻撃、ハイジャンプを組み合わせる事で
ヤンはジャンプから無限の攻めを展開する事を可能にする。
相手にして見れば、極めて見極めづらく、速い雷撃蹴、遅い雷撃蹴、当てに来るのか、空かすのか、
ブロッキングするべきか、対空をするべきか、と対応力をかき乱しガードさせ攻めの起点にする。
ガードすればヤンの出の速い通常技で固められ、
前方転身、旋風脚、リープアタック、等の多彩な崩し技で対応不可能な攻めを展開される。
詰まりヤンにとっての攻めの基点、生命線は雷撃蹴である。
しかし亜弓は焦っていた。その生命線である雷撃蹴が蓮華のヒューゴーには全く通らないのである。
雷撃蹴を封じられたヤンは、ただ闇雲に半ば自棄に飛び込んだ。
ヒューゴーはそれに対して冷静にバックブリーカーを合わせた。
成す術無く投げられるヤン。クイックスタンディングに合わせて更にヒューゴーはミートスカッシャーを重ねる。
再び投げられるとヤンは画面端に釘付けにされた。
こうなると勝負は決した。亜弓はヒューゴーの投げを恐れ、又画面端から逃れようと闇雲にレバーを上に入れるばかりである。
逃げ腰のヤンにヒューゴーの攻撃は面白いように当たる。
そして亜弓はあっさりと一ラウンドを先取された。
ヤンのゲージは半分も溜まっていなかった。一方のヒューゴーのギガスブリーカーのゲージはマックスであった。
亜弓はゲージ上の不利、そして動揺、相手の得体の知れなさによる恐怖を抱えたまま2ラウンドに突入しなければならなかった。
阿野寺の御堂は俄かにざわついていた。皆の期待は一心に祈るように亜弓に向けられていた。
その重圧が更に亜弓には重荷になった。
亜弓の後に居る香湖は、何も云わず黙って亜弓の戦いを見つめていた。
「…カコ…何か云ってよ…この子…強すぎるよ…」
亜弓の声は余りにか細く弱弱しく誰もその言葉は聞こえなかった。
6
亜弓は何の活路も見出せないまま2ラウンド目に突入した。
このラウンドを落とせば亜弓の負けが決まり、同時に阿野寺のゲームコーナーも消えることになる。
そんな重圧が亜弓を更に弱気にさせる。
ラウンド開始早々、攻めの起点、雷撃蹴を奪われたヤンはバックダッシュしヒューゴーから大きく間合いを離す。
それを見たヒューゴーは、悠然と前方に歩いて間合いを詰める。
亜弓には蓮華のヒューゴーが途轍もなく巨大に見えた。
どんな攻撃をしても凌がれて反撃をされるような気がし、更に間合いを離す為に下がりやがて画面端を背負う。
何も出来ず亜弓のヤンはただ脅えたようにガードして固まっている。
何とかしなければと思えば思うほど何も思いつかず、気ばかりが焦った。
しかし目の前のヒューゴーは勝負を急がなかった。確実にヤンの通常技を潰し戦意を殺いでいく。
亜弓はまるで詰め将棋のように一つ一つ手ごまを失い丸裸にされていく気分だった。
画面端に釘付けにされ、じわじわと体力を削られていく。
足を止め、機動力を失ったヤンは、ヒューゴーの敵ではない。
最早亜弓は追い詰められた猫といってよかった。
亜弓の額からは大粒の汗が流れ、絶望の色が表情に現れていた。
ヤンの体力は既に3割を切っていた。
「…いやだよ…負けたくない…ここを失うのは…いやだよ…」
しかし誰も助けてはくれない。誰も助ける事は出来ない。
たとえ香湖といえども、一度始まった対戦の僅かな時間に適切な助言を与える事など不可能であろう。
亜弓は真剣勝負と言うものの孤独さを身にしみて分かったような気がした。
孤独。
そう思った刹那、肩に力強い重みがくわわった。
しかし亜弓にはそこには誰の手も置かれていない事は分かっていた。
この戦いの前、香湖は落ち着けとも、頑張れとも、負けるなとも、云わず只黙って亜弓の肩に手を置いた。
その時の手の重みが今又亜弓の肩に蘇ったような気がしただけだったが、亜弓はその瞬間孤独ではない事を悟る。
香湖は亜弓を信じていた。だから何も云わず亜弓を戦いの場へと送ったのだ。
そう思うと勇気が沸いた。そして今の亜弓に足りない物は正にその勇気だった。
前に踏み出す勇気、それこそが必要だった。
「私のヤンは、まだ倒れていないよ…」そう呟いた亜弓は、勇気を振り絞り一歩前に出た。
その時ヤンは亜弓の勇気に答えるように力強く一歩前に歩き出したのだった。
7
ヒューゴー使いは常に不利な戦いを強いられる事を蓮華は知悉していた。
だから、如何なる対戦相手が来ても蓮華は奢らなかった。
蓮華は、ヒューゴーに得意とする相手など居ない事などとうに知っており、常に苦戦を念頭においている。
その一点において蓮華は亜弓とは違っていた。そしてその一点こそが蓮華の強さの全てだった。
蓮華は常に丁寧に、丁寧に立ち回り、確実に相手の攻撃を凌ぎ、ダメージを与えて行く。
そしてけして後ろに下がらなかった。けして後に引かなかった。
それはヒューゴー使いとしては理想的な闘い方である。
見た目は小柄な少女である蓮華の精神は、それとは裏腹に恐ろしいほど強靭で、
対戦する者は蓮華の操るヒューゴーを、難攻不落の要塞を相手にしている様な絶望的な気分に陥るであろう。
事実目の前のヤンは既に翼をもがれ、自身を打ち砕かれ、追い詰められた猫も同然の様だった。
「…貴方も兄さんの悔しさを分からせてあげる」と呟くとじわじわと間合いを詰める。
しかし蓮華はけして勝負を急ぐ事は無く、画面端から逃がさず、確実に相手の体力を削り取り一切の隙を見せなかった。
彼女は純粋なまでに美しい理想化されたヒューゴー使いだった。
ヤンの体力は既に三割を切っていた。最早勝負は決したと蓮華は確信する。
その時だった。
ヤンは勝負を諦めたのか、無防備に前に歩いてきた。
蓮華は追い払うように中Pを振ったがそれより先にヤンのしゃがみ大Kがヒューゴーの足を刈る。
ヒューゴーはダウンする。
ヤンはすかさずヒューゴーを跨ぐ様に大の雷撃蹴を放ち、画面端から脱出した。
その時蓮華は何故か笑みを浮かべた。
「…何か吹っ切れた見たいね…それでも勝つのは私だけど」
蓮華は嬉しそうに呟いていた。
8
画面端から脱したものの、未だに亜弓が不利な事は変わらない。
何故、雷撃蹴が蓮華に通らないのか?それが分からない限り、亜弓に勝機は無い。
亜弓は考える。道元には通る雷撃蹴が、蓮華には通らない。その理由を。
蓮華の反応速度が神懸り的に速い。一瞬そう考えた亜弓はその考えを否定する。
もしそうならば、亜弓に打つ手は無い。そこで思考は止まる。
何故なら、蓮華が神懸り的な反応速度の持ち主で雷撃蹴を全て見て返されているのなら、
それは既に自分の領域の問題ではなく相手が強すぎるということである。
しかしそうではない。人間の反応には限界がある。蓮華とて同じ人間だ。
反応速度も亜弓のそれとはそう変わるまい。相手が強いから負ける。
相手の反応が速いから見切られる。では何の答えも出ない。それはただ逃げの理由である。
「カコだって、氷河だって、百合夏だって、勿論若御院だって、私の雷撃蹴は通る。蓮華にだけ通らない事は無いはずだよ!」
そう思うと亜弓は心強く感じた。そして反応速度で返されていると言う考えを完全に無視した。
蓮華は、何らかの方法で、雷撃蹴の軌道を制限している。と考えるべきだった。
蓮華と道元のヒューゴーの違い、それが分かれば勝機は見える。
しかし悠長に考えている場合ではなかった。蓮華のヒューゴーは強気に前に出てきた。
その蓮華のヒューゴーの強気に前に出るスタイルが、亜弓にある閃きを与えた。
道元のヒューゴーは待ち気味のスタイル。蓮華とは余りに対照的であった。
それが、その二人の対照が亜弓に閃きを与えたのだ。
強靭な精神。固いガード。前に出る。強気。下がらない。理想的なヒューゴー。
短時間に立ち合った蓮華のヒューゴーに対する断片的なイメージが亜弓の脳裏に駆け巡る。
亜弓には最初、蓮華のヒューゴーが必要以上に大きく感じた。そしてその重圧が亜弓を下がらせた。
その重圧が何処から来たのか。今更ながらに気付いた。
負ければ阿野寺が無くなる、確かにその気負いはあった。しかし多くはその蓮華の行動にあった。
前に出て間合いを詰める。ただ其れだけである。蓮華のヒューゴーは前に出て、下がらなかった。
そうする事によって、ヤンの雷撃蹴の角度を殺した。
選択の幅を制限した。そして何よりジャンプそのものを牽制技で制限した。
角度が深い雷撃蹴(大)はヒューゴに深くめり込み、
ガード後投げを警戒しなければならずヤンの選択肢が大きく制限される。
逆に浅い雷撃蹴は、ヒューゴの攻撃の間合い内に落ちる事になり、
立ち中Pなどの打撃を食らう可能性がありその動きを制限される。
また間合いが近いと言う事は、ヤンが跳ぶ前に、
ヒューゴーの長い打撃牽制に叩き落される可能性がある。
そのような重圧に耐え切れず、亜弓は雷撃蹴を撃ちやすい間合いを得るために更に下がる。
そうしたらその分蓮華のヒューゴーは更に間合いを詰める。
やがてヤンは画面端を背負う事になり、なす術が無くなり固まる。
地上に釘付けにされたヤンは哀れな存在である。
前に出る勇気とは、精神論ではない!前に出ることで、見出せる勝機がある。
蓮華は、凄い。と亜弓は素直に思った。そして同時に、
亜弓の脳裏にいつか香湖の云っていた言葉が読みがえった。
「お前は、攻め過ぎだ。幾らヤンの雷撃蹴が速いとはいえ、
そう猪のように攻め立てたら見切られる。
お前のスタイルは、対空の乏しいキャラや、
暴れる相手には有効でも、ガードの固い相手には単調になり、
連携に割り込まれ致命的な一撃を貰う。ヤンは繊細なキャラなんだ。お前とは違って」
亜弓は苦笑した。いまあの時の香湖の云う事が分かったのだ。
しかし遅すぎるかもしれない。ヤンの体力は既に三割を切っている。
一方のヒューゴーの体力はまだ1割近くしか減っていない。
だが、亜弓の瞳には煌くような炎が宿っていた。
そしてその表情に諦めは微塵も見えなかった。
9
蓮華は亜弓のヤンの攻めが変わったと感じた。
雷撃蹴一辺倒だった攻めが、フェイントを交え、緩急を付けた立ち回りに変化した。
こうなると、如何に蓮華でも簡単にヤンを捕まえる事は出来なくなった。
しかし体力差から鑑みれば、蓮華の有利は明らかだった。
「…何か掴んだようだけど、すこし遅かったみたいね」と蓮華は皮肉な笑いを浮かべた。
そしてヒューゴーはヤンを深追いせず、間合いを中間距離で保ちながら、攻めて来るのを待った。
攻めを凌ぎ、単調になった連携に割り込み、止めを刺すために。
蓮華は既に勝ちを確信していた。亜弓のヤンの動きが変わろうと今更如何と言うことも無かった。
「…貴方の動きを見るかぎり、やっぱりここは大したレベルじゃないわ」と冷ややかに蓮華は呟く。
所詮九州の、しかもこんな小さな、決まった人間しか対戦しないような場所のプレイヤーなどこんな者なのだ。
「…兄さん、御免なさい、私はヤッパリこんな所、無くなっても少しも悲しくないわ…」
こんな所で切磋琢磨しても、所詮はこんなものなのだ。所詮目の前のヤン使いは、
仲間内で飯事みたいに対戦をしていただけなのだ。
蓮華は阿野寺というこの場所が只の無意味な寄り合い所としか思えなかった。
「…人があまり居ないのが問題じゃない。貴方達の向上心のなさが、其のまま私と貴方の差なのよ…」
蓮華の呟きはどこか切ない響きが含まれているようだった。
蓮華は小学生の頃の少しと、中学の頃の全部を東京で暮らしていた。
蓮華の住んでいた寮の近くに一つの小さなゲームセンターがあり、
道元に似て格闘ゲームの好きだった蓮華はそこでよく遊んだ。
蓮華にとって僥倖だったのはそこは一ゲーム20円と言う安心設定だった事と、
知識の深いサードプレイヤー達が居た事だ。
蓮華はそこで、サードの真剣勝負の面白さと深みを知った。
「…強くなった私と、闘って欲しかったのに…貴方達が…邪魔をしたんだ…」
蓮華はそれが悔しかった。許せなかった。だから、亜弓たちから、大事なこの場所を奪おうと思った。
目の前のヤンはしぶとく立ちまわり、中々隙を見せず、ヒューゴーの体力を少しずつ奪って行った。
蓮華は鬱陶しいとその時思った。
10
亜弓が開き直った事を後ろで見ていた香湖には分かった。
ヤンは危険な綱渡りをするようにヒューゴーの攻撃を凌ぎながらダメージを与えている。
吹けば飛ぶような体力のヤンはそこからしぶとく粘る。
ギリギリ紙一重で蓮華の読みの裏をとりながらダメージを与えて行く。
フェイントと緩急を付けた雷撃蹴、上下に振り分けた攻撃、
そしてバックジャンプ大Pなどを絡めた立ちまわりは、
如何に蓮華のヒューゴーが卓越しているとはいえ凌ぎきるのは困難だ。
蓮華の表情からは余裕が消え始めた。
捕まえられない。捕まらない。そして凌げない。攻撃が空を切り、投げがかわされる。
ヒューゴーの立ち回りが次第次第に雑になっていく。
あと少しで勝てると言う確信が、蓮華の立ち回りを雑にしのかもしれないし
蓮華もまた、蓮華なりの気負いがあったのかもしれない。
或いは、亜弓の強気の開き直りが、流れを読んだのかも知れない。
一つの行動、一つの同様、一つの油断が流れをガラリと変えてしまう。それがサードである。
蓮華は己の油断と慢心に搦めとられた。
雑とは、即ち暴れる事。
暴れる相手、香湖が云うとおり、亜弓は暴れる相手には滅法強かった。
「…亜弓、今からがお前の土俵だ」香湖は対戦を見守りながら静かに呟いた。
その時、御堂の扉が開いて誰かが入ってきたのに香湖は気付いた。
扉の方を見ると、香湖は己の瞳を疑い、そして少し驚いたように目を瞬かせる。
そこには、修行に出かけた筈の道元がおり、香湖と目が逢うと、
口元に笑みを浮かべ、人差し指を口に当てて静かにと言うようなゼスチュアをしながらこそこそと御堂に上がった。
皆亜弓と蓮華の試合に集中しており、香湖以外、道元が来たのを誰も気付いていなかった。
御堂が俄かにざわめいた。亜弓が2ラウンド目を取り返したのだ。
道元も見守る中、蓮華と亜弓の戦いの決着はファイナルラウンドに持ち越された。
11
ファイナルラウンドが始まった時、試合のイニシアチブは亜弓が掴んでいた。
蓮華の動きは、最初の丁寧な立ち回りとは打って変わって、精細を欠いた大味なものになった。
蓮華は自問する。
何で、こんなヤンに私が1ラウンド取られないといけないの…?
目の前のヤンは、何も分かってない。ただ雷撃蹴を押し付けて、勝手に攻めているだけ。
何のリスクも考えずに、自分のやりたい事を押し付けてるだけ。
「私より弱いくせに!…ただキャラが強いだけくせに!」蓮華は悔しそうに呟くと、レバーを一回転させる。
しかしヒューゴーは空しく宙を掴むだけだった。ヤンはジャンプでかわしていて、そこから雷撃蹴で攻める。
ブロッキングを入れる蓮華、しかし雷撃蹴を空かしたヤンは、そこから逆にヒューゴーを投げた。
クイックスタンディングでおき上がるヒューゴーに再び雷撃蹴で攻めると、ヒューゴーはガードする。
ガードしたヒューゴーに亜弓は前方転身するとしゃがみ中Kから、EX蟷螂斬を繰り出す。
再びダウンするヒューゴにヤンは快砲で追いかける。そして再び…。
奢りが綻びを生み、綻びが、動揺を生んだ。
闘いの途中、蓮華は目の前のヤンを、弱いと思った。そこに慢心があった。
阿野寺を仲間内だけで楽しむだけの無意味な寄り合い所と判断した。
亜弓を向上心の無いただのサードを楽しんでいるだけのプレイヤーと判断した。
その慢心が、油断を招く。
蓮華は奢らなかった。奢らない事が、強さだった。
しかし蓮華は今日、相手を憎んだ、いや、憎みたかった。
兄を去らせた亜弓を、香湖を、そして阿野寺のプレイヤーを。
そして憎しみが、軽視を呼び、軽視が、奢りを呼ぶ。
認めなければいけないのは、目の前のヤン使いが、好敵手であったと言う事を、
そして亜弓というプレイヤーは、強いと言う事をだ。
そう思った瞬間、蓮華はある言葉を思い出した。
負けても、勝っても満足すべき充足感がある相手、それは勇者である。
勇者を作るのは、勇者自身だけでは不可能だ。勇者を作るのは勇者だけだ。
詰まり、相手を思い、相手に思われる者達は全て勇者だ。
相手を弱い道化だと見下す事は、同時に自分も道化と見下す事になる。
そこには闘いは無く、只、空虚な諍いが在るだけだ。
「…晃さん、今分かった気がする…私の駄目なトコ…」蓮華は悲しげに呟くと、喫と画面を凝視し、叫んだ。
「勝負はこれからよ!亜弓さん!」
その言葉の響きからは、今まであった不機嫌な色が完全に消えて、清清しく御堂の中に木霊した。
しかし既にヒューゴーの体力は、残り後僅かだった。
12
「負けないよ…蓮華」と亜弓は蓮華の言葉に小さな声で返した。
蓮華の声から、亜弓は何かを察したようで、口元には自然と笑みが浮かんだ。
亜弓がこの闘いから、多くを学んでいるように、蓮華も又、何か得たものがあるらしいと思ったからだ。
「蓮華、一緒に楽しもう…意地を張らないで…」亜弓は知らず知らずそう呟いた。
そうして終わりに近づいた戦いに集中した。
ヒューゴーの体力は、最早風前の灯火であった。
恐らく蟷螂斬を一セット決めれば、勝てるだろう。
しかし亜弓は慎重に行動した。ヒューゴーのゲージは依然としてMAXであったからだ。
ギガスブリーカーだけは食らうわけには行かない。そういう思いが亜弓を慎重に立ちまわらせる。
蓮華のヒューゴーもその一点に賭けている様で、一定の間合いを保ちながら、様子を伺っている。
その様子からは、亜弓のどんな攻めも受けきってやるというような凄みが感じられた。
その重圧が亜弓を攻めあぐねさせた。その一瞬の躊躇いの時、蓮華は不意を付くように前方に飛んだ。
しかし亜弓は冷静だった。同時に勝利の二文字が頭によぎった。
素早く転身穿弓腿のコマンドを入力する。
どんなに慎重に立ちまわっても、
どんなに相手の行動を警戒していても、
どんなに圧倒的にリードしていても、
どんなに勝利が目の前でも、
ヒューゴーの前では、一つのミスが、命取りになる。
そして亜弓はミスを犯した。
転身穿弓腿は出なかった。変わりに出たのは只の穿弓腿だった。
ヒューゴは穿弓腿がとどくより速く着地し、ガードする。
そして蓮華は、その亜弓のミスを見逃すほど、甘くは無かった。
ヤンの着地に合わせ、電光石火の如く、レバーを二回転させた。
画面が暗転する。
ギガスブリーカーが発動する。
ヤンは掴まれる。
亜弓は目を瞑り、祈る様に呟く。
まだ倒れないで、と。
しかしその願いも空しく、
ヒューゴはー亜弓の願いを粉々に打ち砕いた。
勝利は蓮華の元に輝いた。
辺りは静寂に包まれた。
13
勝敗は時に残酷な形で幕が降りることもある。
どんなに丁寧に闘っても、どんなに有利に闘いを進めていても、一つのミスで全てが水泡に帰す。
亜弓はそんな現実を思い知ったように、呆然と画面を見つめていた。
その画面では「お?おわったか?なんだ、けっきょく自滅かよ!」とヒューゴーの皮肉めいた台詞が表示されていた。
阿野寺は静寂に包まれていて、誰一人声をあげる者は居ない。
香湖は亜弓の肩に静かに手を置いた。
「…亜弓、落ち込む必要は無い。いい試合だった」
香湖は優しく亜弓に云ったが亜弓は俯いたまま、何も返事しなかった。
亜弓の小さな肩は震えていて、香湖は泣いているのかと思ってそれ以上は何も声をかけなかった。
暫くして俯いたまま、小さく呟くように亜弓は云う。
「…どんなにいい試合でも…意味無いよ…勝たないと…ごめんね…カコ…」それは泣くのを必死に我慢しているような声だった。
「…そんな事は無い。少なくともお前にとっては意味がある試合だった筈だ」
「…カコらしくないよ…そんな見え透いた慰めなんて…」亜弓は香湖を振り向かないで云う。
香湖はそれを否定しようとしたが、行き成り亜弓は立ち上がると香湖を見つめて叫ぶように云う。
その瞳には涙がにじんでいた。
「もういいよ…!いくら云った所で、私の負けは変わらないんだから!…」
「じゃあ、ここが無くなっちゃってもいいんだ?」
不意にそう声をかけたものが居た。亜弓と香湖が振り向くと、
何時の間にか蓮華が側らに立っており、呆れるように腰に手を当てて亜弓の顔を見つめていた。
「…無くなるのは嫌だよ…でも…約束…でしょう?…」亜弓は悲しそうに云う。
「そんなにいい加減な物だったんですか?貴方の阿野寺に対する思いは?」
蓮華は怒りとも悲しみとも呼べない複雑な表情で云う。
亜弓は首を横に振る。それを見た蓮華は眉を吊り上げて云った。
「だったら!そんな顔しないで私に云ったらいいじゃないですか!
ここは絶対に無くさせないって!
殴ってでも、無くすのを止めさせるくらい云ったらどうですか。
たかが一試合負けたくらいでそんなに落ち込むんですか!?兄さんは言ってましたよ?
亜弓という子は負けても勝っても楽しそうにサードをするって!
だから僕は勝っても嬉しい、負けても楽しい気分になるって!」
亜弓は蓮華の言葉を黙って聞いた。蓮華は続けた。
「でも私は今、嬉しくも楽しくも無いです!
貴方にそんなにうじうじされたら折角勝っても全然楽しくありません。
無意味な試合とか言わないでください…香湖さんの云うとおり、
無意味なんかじゃないですよさっきの試合…。少なくとも私にとっては凄く意味の在るものでした…」
蓮華は、少し笑みを浮かべ、照れくさそうに先を続ける。亜弓、香湖、阿野寺の常連達、そして道元は黙って聞いている。
「…兄さんは、兄さんの口からは、あなた達のことを悪く云ったのを聞いたことは無いです…
でも、私は、最初、貴方達が許せなかった…折角兄さんと一緒に暮らせると思ったのに…私が戻ると直ぐに兄さんは修行に出かけた。
香湖さんにスパ2で負けた時に決めたと聞いて、逆恨みと分かっていても、私は、許せないと思った…
私も、貴方達から大事な場所を奪ってやろうって、そう思った。
それで亜弓さんと、戦ったとき、私は最初、物凄く憎んでいた。そして最初、弱いと決め付けていた。
そうやって相手を軽視して見下して、憎みたいと思っていた…でも闘っているうちに、亜弓さんのヤンの動きが変わった。
私にはヤンの動きが見えなくなった。わたしは戸惑ったわ。こんなに弱い、こんな憎らしい人に負けるのは嫌とおもった。
そう思えば思うほど、貴方のヤンの動きが分からなくなった。その時、私はある人の言葉を思い出したの」
ある人、それは蓮華が中学校の頃に行っていたゲームセンターの常連の一人の言葉であった。
蓮華は正確にその言葉を覚えてはいなかったが、概ねこんな感じの言葉だったと説明した。
『対戦相手に敬意を持てなかったら、対戦する意味は無い。
弱い、と見下すのは、己が弱いからに過ぎない。いま自分より劣る相手だからといって、将来も劣るとは限らない。
それは只単に、今の自分に一日の長があるだけで、それが相手より優れているとは限らない。
相手を未来のライバルと思えば、その闘いはすばらしい物になるし、相手に足りないことを教えてあげられる。
そういう対戦こそが、意味のある者だし、そういう関係を築く事こそ、価値のあるものだと思う。
偽善かもしれないが、僕は蓮華にもそういうことをわかって欲しい。そうしたら蓮華はもっと強くなる。
相手が勇者ならば、負けても自分の名誉になる。
逆に相手を道化と罵れば、その勝利は只の滑稽で無価値な物に成り下がってしまう』
「…私は気付いたの…その人が言っている意味が…
目の前のヤンが弱いなら、それに負けようとしている私は何なの?
そう思ったとき私の思いは氷解した…対戦は…憎しみとか、いがみ合う為にやるものじゃない…
相手を見下す為や、何かを認めさせるためにやるものじゃない…
こんな簡単なことが、私には分からなかった。それを亜弓さん、
貴方が…そして、貴方の育ったこのお寺が…教えてくれたの」
そう言うと蓮華は照れくさそうに頬を掻き、右手を亜弓の前に差し出した。
「…勝手だとは思うけど、御免なさい…私のこと嫌な人だと思ってますよね…」
亜弓は涙を見せまいと、目を瞑りグッと堪えると、首をぶんぶんと横に振ってそれから有りっ丈の笑顔を見せて蓮華の手をとった。
「…蓮華、私は全然そんな事思ってないよ…」
蓮華は始めて心のそこから楽しそうな笑顔を見せて「さっきの対戦楽しかった…でもまさか亜弓さんがあんなに強いなんて思わなかった!」
と屈託の無い声で言った。
「まあ私も、結構若御院や、カコ達に苛められたからね…
でもヤッパリ蓮華は凄い。穿弓腿の隙に立ちギガスを決めるられるなんて初めてだよ!」
「あれ実は自分でもビックリしちゃったんです。わ!ひかった!みたいな」
「でも、若御院と対戦したかったんでしょ…若御院もそんなにさっさと修行に行かなくてもいいのにね」
「別にいいです。もう二度と会えないわけじゃないですし…」
ゴホンとどこかで咳払いが聞こえた。
「カコ、下品な咳なんかしないでよ。行儀悪いな」亜弓が咎めるように云った。
「…いや、私は何もしていない」
ゴホンゴホンゴホホーーーン!再び何処かでワザとらしい咳払いが聞こえた。
亜弓と蓮華は咳のする方を見た。そこには道元が居た。
「にににににいにに兄さん!!!ななな何で!!?ももももしかしてさっきの話聞いてたの!!!?」
蓮華は心底驚きの声をあげた。可也動揺しているようだ。
道元はよく分からんような表情を浮かべ「うん、まあ僕を可也好いてる様な下りから聞いていた」
それを聞いた蓮華は顔を真っ赤にして沈没した。その側らの亜弓も驚きを隠せないように道元にたずねる。
「修行に行ったんじゃなかったの?」
それに対して道元は「少し思うところがあって戻ってきた。修行は又今度にする。イインダヨまだ僕は俗世で経験を積まなきゃいかん年だ」
と魔方陣グルグルの最終回のニケみたいな事を云った。(TVアニメ版)
「所で、じつはまだ相当話がよく見えて無いんだが、詳しく聞かせてくれるかなー蓮華ちゃん?」
と道元は何やらニヤニヤしながら蓮華に詰め寄る。
蓮華は亜弓と香湖の後ろに隠れると小声で「亜弓さん…香湖さん…助けてください」と脅えながら云った。
亜弓はニヤニヤしながら「うーん如何しようかな…
亜弓さんじゃなく亜弓先輩って言ったら考えないでもないよ。ねカコ?」
と意地悪く言った。香湖も微笑を浮かべこくりと頷く。
蓮華は涙を浮かべながら「香湖先輩、亜弓センパイ助けてくださーい!」と叫んだ。
亜弓の後ろに付けた先輩の響きはカタカナみたいな響きだった。
14
結局、阿野寺は続けて道元が管理する事になった。
蓮華はと道元は熱心に対戦しており、
亜弓と香湖は最早サードをプレイするのは諦めテーブルで談話していた。
長テーブルに差し向かいに香湖と亜弓は座ってお茶を啜っていたが、一息つくと香湖は亜弓に云った。
「…亜弓、有難う」
亜弓は香湖の突然のお礼にはとが豆鉄砲を食らったように素っ頓狂に目を丸めて
「え?何?行き成り?」と驚いた声をあげる。
「お前が、お寺を守ってくれた。…多分私では、何も出来なかった。お前が、お前の戦いが多分蓮華の気持を和らげたんだ」
香湖は淡々と云う。
亜弓は益々驚いたように香湖を見詰めて
「おかしいよカコ?別に私は何もしてないし。ただ勝つために闘っただけだよ」
香湖は微笑を浮かべ「そうだな」、と言うと。
「私は蓮華が最初、ここを閉めるといった時、直ぐに諦めてしまった。
仕方がないと思ってしまった。私には如何する事も出来ないと思った。
ただ、お前だけが、必死に抵抗した。…諦めないで蓮華に食い下がった」
「カコ…?」
「私は思った。私はここを失いたくなかった…だが、如何すれば良いか分からなかった。
失うのを恐れた…昔のホームみたいに…ヴァナヘイムみたいに、人が居なくなるのは嫌だった…
あの時も、私は何も出来なかった…」
亜弓は香湖の口から今までヴァナヘイムというゲームセンターの事は聞いたことが無かったが
あえて黙って香湖の話の先を聞いた。
「一つ失って、また同じように失う羽目になる…仕方ないと、そう思った…
だが、お前は私に分からせてくれた。仕方ないと言うのは体のいい言い訳だと…」
亜弓は微笑を浮かべ
「そんな大したことじゃないよ。私は只、カコや百合夏や氷河や皆と出合ったここがなくなるのが嫌だっただけ。
ただカコよりも、我侭だっただけだよ」
そう言うとエヘヘと笑った。
香湖は寂しげな表情を浮かべると
「すまない、おかしな事を言って。少し昔を思い出したんだ…亜弓…ありがとう」
そう言うと香湖は全てを振り切ったような明るい微笑を見せた。
亜弓はニッコリ笑うと「昔の事、いつか聞かせてね、カコ」と優しく行った。
香湖は静かに頷いた。
その日、二人は結局サードをプレイできなかった。




