運命
0
アースガルド。
県内最強のプレイヤー達を要するサードの聖地でありそれは全国でも五指に入るとも言われる。
地下一階から地上七階まであらゆるゲームが在る総合的なアミューズメント施設である。
その地下1階にあるアーケードゲームコーナーは嘗て無いほど震撼していた。
ストリートファイター3サードストライク。
一人の男の連勝をアースガルドのプレイヤーは誰一人止めることが出来ないでいた。
その男、ユン使い那由他の連勝を示す表示は既に87を示していた。
那由他は心底残念そうに言う。
「アースガルドってこんなものなの?」
那由他の後ろに立つもう一人の男、刹那は冷然と「所詮噂などこんなものだ」
「久遠って人も逃げ出してるみたいだし、こりゃ晃の見込み違いだね。刹那?」
と言う那由他に刹那は無言で頷く。
そんな屈辱を前にしても、もはや誰一人那由他に乱入するものは無かった―――そして…
理論の行き着く究極の帰結は真理ではなく不条理だ。
(改訂版サード概論の一節より)
1
去年の冬のある日。
桜はその日、友人の坂本千尋と福岡に買い物に行った。
天神の街中を歩いている途中、ゲームセンターを見つけた千尋はプリクラを撮りたい、と桜に言った。
桜は、極力ゲームセンターには足を向けなかったが、千尋が余りに催促するので仕方なく入ることにする。
そのゲームセンターは5、6階建ての可也大規模なものであった。
大きな看板にはなにやら英語で名前が書かれていたが、桜は特に気にも留めず店内に入った。
入り口のすぐ側にプリクラコーナーがあり、可也の人だかりが出来ており
以外にせっかちな千尋はその人だかりを見ると「並ぶのが面倒くさい」と言い出し
「こんなに大きいお店なら、他にもプリクラあるよね」と言うので二人で他の階を探すことにした。
下行きのエスカレータと上行きのエスカレータが並んであり、桜と千尋はどちらに行くか迷うが
取りあえず下から見てみようと千尋が言うので桜は従った。
地下はアーケードゲームコーナーになっており、様々なテーブル筐体が所狭しと並んでいた。
そこには主に格闘ゲームが置いてあり、多くのプレイヤーが一喜一憂しながら対戦を繰り広げている。
桜はそれを見ると少し暗い気持になる。居なくなった兄の事を思い出すからだ。
そんな桜の気持など知る由も無い千尋は、きょろきょろとプリクラの筐体を探しながら、周りを見回す。
そうして奥の方を指差し「あ!桜あったよ」と嬉しそうに言った。
そこには一台だけプリクラがあったが、客層が違うのか、誰も並んで折らずぽつねんと存在していた。
千尋は桜の腕を掴みプリクラの筐体の所へ引っ張っていったが、その途中桜は立ち止まる。
行き成り立ち止まられて戸惑うように千尋は桜の方を振り向くが、桜はまったく別の方向を見つめていた。
そこには「スーパーストリートファイターⅡX」があり、対戦が行われていたのだ。
桜は驚く。あんな昔のゲームがまだ稼動しており、しかも対戦が行われていることに。
千尋は不思議そうに桜を見つめると「あのゲームがどうかしたの?」と尋ねる。
その言葉に桜は我に返ると首を横にふりなんでもない、と答えた。千尋は別段気にする素振りも無く
「そう」と言うと再び桜の手を引き、プリクラの方へ向かうが
丁度その時別の二人組みの女性がプリクラの筐体の中に入っていった。
千尋は頬を膨らませ「もう、桜がもたもたするから」と残念そうに言ったが
「まあ一組位だからすぐ終わるよね」と直ぐに気をとし直し二人で筐体前で待つ事にする。
その間桜はスパ2が気になり、その方向を終始見ていたが、桜はそこに嫌な光景を見た。
スパ2の手前側にも格闘ゲームがあり、そのゲームを一人の中学生くらいの少年が楽しそうに遊んでいたのだが
数人の男が笑いながら見ており、やがてその中の一人が、少年に乱入したのだ。
少年は傍目から見ても明らかに初心者と分かるようなプレイだったが、その男は、容赦が無かった。
難しい連続技を、さも得意げに決めると、反対方向では乱痴気騒ぎのように盛り上がった。
それでも少年は諦めずに闘った。男は明らかにからかう様にダメージを受けてそのラウンドを少年にワザと取らせた。
最終ラウンドも、男はあからさまに手を抜き、ギリギリ体力を残した状態になり
そこから如何にも大仰に逆転したと言うような所謂「魅せプレイ」をして見せた。
桜の耳に届く不愉快な笑い声。悲しげに立つ少年はしかし健気に笑っていた。
その後のCPU戦も、男はこれ見よがしに華麗な連続技を決めていた。少年はその画面を見ながら一人佇んでいる。
それを見ているうちに、前の二人組みのプリクラ撮影が終わった。
千尋が撮ろうと言って桜を振り向いた時、桜は静かに「一寸待って」と言うとその少年がやっていたゲームの方へ向かった。
どうしたのよ、と戸惑い気味に叫ぶ千尋の声が遠くに聞こえた。
2
桜は、少年の前で立ち止まり「酷い人たちね」と言ったが、
その桜の顔を見た少年は怯えた様に顔を背けた。
桜は其れには別段気にすることも無く、
そのまま騒がしくゲームを続ける男達の前に進んでいった。
男達は全部で4人居り、全員高校生のようだった。
最初は桜のことを気にも留めないでガヤガヤとゲームを続けていたが、
桜が何か言いたげに見ているのに気づき、
ゲームをしているリーダー格の男の側らに居る仲間が訝しがるように桜を睨みつけて
「何か文句でもあるのか!」と凄んだ。
桜は凄んだ男の方を無感情な瞳で見つめた。
そして抑揚の無い無機質な声で言った。
「そんなに強いのなら、もっと強そうな人を選んで闘えば良いのに…」
桜に凄んだ男は苦笑いを浮かべながら答える。
「はあ?誰に乱入しようが関係ないだろう?
これは対戦台だ、どんな奴でも乱入できる。
相手の力量なんか関係ない。たとえ小学生だろうが、総理大臣だろうが
強かろうが弱かろうが、文句は言えない。負けた奴はさっさと諦めて帰るか
他のゲームをすればいいだろう?」
それを聞くと桜は悲しげに俯く。そして再び顔を上げると男に言った。
「それで、楽しいんですか…?」
男は気色ばみ「お前、うぜえよ!」と荒げた声で言った。
その声で他の客も、何事かという風に顔を向ける。
しかし桜は、何と言われても、引くことが出来なかった。
自分でも何故か分からないが、こと対戦格闘の事になると、我を忘れることがある。
そんな自分が桜は堪らなく嫌だった。
(こんな、高がゲームのことで)
桜は矢張りゲームセンターなんか来るんじゃなかったと後悔した。
意識的にゲームセンターを避けてきたのは、
こういうことになるのが分かっていたからだ。
ゲームをしている男も、桜の方を睨みつけ
「何時まで居るんだ!うぜえよ!」と叫ぶ。
しかし桜は一歩も引かなかった。男達と桜の間には緊迫した空気が流れた。
そこに桜は不意に後ろから誰かに肩を掴まれ、思わず振り向く。
千尋と思い振り向いた桜は、そこにある全く知らない顔に驚き戸惑う。
そこには見知らぬ女性が咎める様な顔つきで桜を見つめていた。
隣には千尋が居り、どうやら桜を心配して助けを呼んだらしい。
女は革ジャンに、ジーンズという格好で、
背は170センチくらいの短髪で年は24、5歳といった感じであった。
粗暴な感じのする風貌で、一見すると男に見えるが、
よくよく見ればそれは確かに女でしかも美人といってよかった。
「何をしてるんだ?」と粗野に言った女の声はしかし
不思議にも優しい響きに桜には聞こえた。
桜は戸惑いつつ「…私、…」と言葉を詰まらせ、
少年の方を見ながら「その子が折角楽しく遊んでいたのに…あの人たちが…」と沈みがちな声で呟く。
女は呆れるように首を横に振ると「それで、キミはあいつが悪いと言うんだな?」
と男達を顎でしゃくりながら聞く。
桜は自信なさげに頷く。すると女は腕を組み
「キミは正義の味方のつもりか?」と冷たく言った。
女にそう言われると、桜は分からなくなった。
あの少年が可愛そうに感じて義憤に駆られ我を忘れたのか
それとも、そんな事はそもそも関係なく、桜にとってあの男達は別の意味で許せなかったのか。
(お兄ちゃんが好きだった格闘ゲームが否定された様に感じたから?)
女は戸惑う桜に更に追い討ちを掛けるように言う。
「大体、格ゲーは、強いものが勝ち、弱いものは負けるんだ。これは不文律だ。
それともキミは負けた人の為に一々文句を言って回るのか?」
男達もその女に同調し口々に「弱者の論理は聞いていて虫唾が走るね!」
などと言い桜をねめつけながら嘲笑した。
嘲笑を浴びながら桜は思った。
誰が誰に乱入しようとそれは許されている。それは自分でも分かる。
しかし許されているからといって、許してもいいのか?
強者が弱者に対し少しの優しさを示すのは、偽善なのだろうか。
兄が昔こういう事を言ったのを桜は思い出した。
(勝ちに拘るのは素敵だ。でも勝ちを拾うのに拘るのは素敵ではない)
勝ちを拾う、兄はそう言った。幼い桜にはその意味が余り分からなかったが今なら分かる気がした。
(負けた相手が楽しいと言ってくれたら、僕は勝つ以上に嬉しい。
僕も負けたとき、楽しかったと相手を称えられるようなプレイヤーになりたいんだ)
そう言った兄の顔はいつも笑っていた。桜も笑う兄が大好きであった。
兄とだから、格闘ゲームが楽しめたんだ。勝っても負けてもやさしく微笑んでくれた兄とだから。
しかし今は兄は居ない。あの時以来…。
「楽しく遊ばないと、皆居なくなっちゃう…それは悲しいことでしょ…?」
それが桜の本心から出た言葉だった。
(お兄ちゃんみたいに、居なくなる…)
「悲しいことだ。だがあの男達の様な楽しみ方を否定する事も出来ないだろう?」と女は迷い無く言う。
女のその言葉は辛辣な現実そのもので、そこには理想も思いやりも無かった。
それを聞いた桜は女を睨み付けると
「だから私があの人たちをヒテイスルの」と低く淀んだ声で言った。
女はその桜の雰囲気の明らかな変化に気づいた様子で、僅かに眉根を寄せて言う。
「どうする積もりなんだ?」と言った女のその声の響きにはある緊張の色が在った。
「私もあの人と同じ事をスルんですよ…」
そう言って桜は男達を睨む。
男達はそれを聞くと愈々怒りは頂点に達したようで仲間の一人が
「いい加減にしやがれ、こっちが下手に出てりゃ言いたい放題いいやがって!
これ以上言うとただじゃ済まさないぞ!」と言って感情を露にした。
桜は嘲笑を浮かべると、「ドウユルサナイノ?」と冷たく言い放ち、男を睨みつけた。
その目を見ると男は脅えるように口をつぐむ。
千尋はそんな桜を心配そうに見ていたが、側らの女はその桜を見て畏怖を持ってこう呟いた。
「…ニノマエサクヤ…と同じだ…」と言うと怖気に襲われたように身を振るわせた。
その声を背に桜は男達に踝を返し、2P側の筐体に回り込むと
心配げに見つめている千尋と少年を背に、席に着いた。
女も腕を組み桜の後ろで事の成り行きを固唾を呑んで見つめていた。
「…まさか。あたしはそんなものは信じない」
女のその言葉は恰も自分に言い聞かせるような響きだった。
桜はインストカードをサッと見渡すと、自分に一番合っていそうなキャラクターを探した。
昇竜コマンド、波動コマンド、のあるキャラクターが目に入った。
ソル、とキャラクター名が書かれており、桜はそれを使おうと決めると、コインを投入した。
「ギルティギアイグゼクスアクセントコア」それがその格闘ゲームのタイトルであった。
桜はソルにカーソルを合わせると決定ボタンを押した。
やがて闘いは始まる。
3
ギルティギアを一度もプレイしたことが無いものが、
上級者を倒したと言って誰が信じられようか?
しかし事実は間違いなくある。だがそれは奇跡とは言わない。寧ろ必然と言えた。
格闘ゲームには、理論と、経験と、知識と、技術が必要で、
桜はギルティギアに置いては、全ての面で、相手に劣っていた。
ただ真に重要なのはそれらを支える大前提の基礎に他ならず、
その基礎は、全ての格闘ゲームに普遍の原理で無ければいけない。
桜は、基礎においてのみ、相手を上回っていた。
そうでなければ連続技も出来ず、反撃確定も知らず、
フォルトレスディフェンスを始め、各種システムを知る由も無い桜が勝利したことを説明できなかった。
そんなことは出鱈目か、相手が弱かったに過ぎない、と言う意見も概ね正しい。
相手の男は正に、コンボ性能だけは高かったが、それに至る立ち回りは、お粗末だった。
だからこの事実は、一面では、桜の起した奇跡、と言えたが
他方では、当たり前の技術がある者が、歪な技術のある者に勝った。ということに過ぎないかもしれない。
後ろで見ていた粗野な女も、一瞬でそれらの事を看破した。
桜にとってこの闘いはなんら印象に残る事は無かった。
むしろ桜は、その対戦そのものよりも、別のことが気になっていた。
闘いの最中、桜は、終始は在る不気味な視線を感じていた。
それは纏わり着くような粘着質の不愉快な感覚だった。
まるで家畜を値踏みしているような不愉快な視線。
それは対戦者から発される殺気というよりも、むしろ観戦者の中から感じられた。
桜には丁度革ジャンを着た粗野な女の居る辺りからその嫌な感覚が発せられているような感じがした。
あの女の人も、あの人たちの味方なんだ。と思うと桜は悲しくなった。
やがて桜の勝利で闘いが終わると、真っ先にうしろを振り返り革ジャンを着ている女の方を見たが、
粗野な女は桜に対して満面の笑顔でガッツポーズをしていて桜は拍子抜けした。
あんな顔をした人間が出せる殺気ではないと思ったからである。
それではあの視線は何処から来たのか?と考えている最中、負けた男達が数人取り巻くように桜を囲んだ。
桜は無言で立ち上がると、男達に冷たい視線を向ける。
負けた学生は、悔しさに打ち震え、歪んだ表情で桜に言った。
「ふざけるな!お前素人の癖に!クソ!油断した!それだけだ!認めない!素人と思って油断しただけだ!」
と、無様に取り乱している男に対して、桜は見下すような冷ややかな視線で一瞥する。
すると男は、何かに気おされした様に後じさったが、その瞳は桜ではなくその後ろを見ていた。
桜はその男の視線に釣られるように睨むように後方を省みた。
しかしそこには相変わらず、革ジャンを着た粗野な女と、千尋、そしてあの少年が居ただけだった。
少女の隣に居た千尋が振り返った桜の顔を見て
「桜、如何したの…。何だか怖いよ…?」
そう言った千尋の瞳は少し脅えるように泳いでいた。桜の表情はそれ程険しかった。
桜は千尋の脅えた顔とその一言で我に返ると、虚ろに周りを見渡した。
それはまるで心ここにあらずと言う風であった。
闘いに破れた学生が背を向ける桜の肩を掴み「もう一度やれ!今度は俺が勝つ!もう一度だ!」
と必死の形相で叫んだが、桜はそれに対して何が何だか分からず戸惑い驚いたように思わず男の腕を払った。
それに対して過剰に反応した男はいきり立ち殴り掛かるように拳を振り上げ、桜は思わず身を縮めた。
その拳が振り下ろされる寸前、粗野な女が男の振り上げられた手を後ろから掴むと
「キミ、男だろ?女に手を上げるな。見っとも無い」
と苛立たしげに言って掴んだ腕を無造作に放り投げるように放した。
粗野な女と男達の間に緊張が走った。他の客も何事かと集まってくる。
男は掴まれた腕を摩りながら女を睨みつけて叫んだ。
「こいつのプレイは腹が立つんだ!連続技も出来ないくせに、
矢鱈逃げてばっかり!しかも読み合い拒否のぶっぱばっかりだ!!」
と放心している桜を指差しながら言った。
粗野な女はそんな詰まらない愚痴をさもうんざりした様子で聞くと
「連続技もできない初心者に、逃げられて負けた事を良くみっともなく言い訳に出来るな」
とばっさりと言い放った。
男は粗野な女を睨みつけ憎憎しげに言った。
「あんた、いったいどっちの味方だ!?
その女の偽善に反対してたくせに!俺達が正しいと言っていたくせに!」
女々しく言い立てる男を見つめ女は瞳を閉じて頭をボリボリ掻きながら溜息をついた。
「確かに正しいよ。キミ達は。
対戦台である以上、誰に対しても乱入は許される。でもさ、美しくは無いね。
あたしもこの子と同じで対戦は楽しくやりたいんだ」
そう言うと女は笑みを浮かべ、引き寄せるように側らの桜の首に腕を絡めて
「だからあたしはこの子の味方に決まってるだろ!」
と言うと呆然としていた桜をヘッドロックする様な格好で腕の中で揺らしながら豪快に笑った。
桜は手足をバタつかせて苦しげに「止めてください」ともがいたが
粗野な女は笑いながら「キミは良い子だ!いい子良い子してやる!」
と言ってさも愉快そうに頭をぐしゃぐしゃと書き回した。
それを側らの千尋は心配そうに見ていた。
女は桜を離すと、憎憎しげに睨んでいる周りの男達を見回してどすを聞かせて言った。
「大体、大の男が5人がかりで女の子を囲むってのが気に食わない!
キミ達はそれでも男か!!キンタマ付いてんのか!!」
その叫びに男達は愚か周りの客達もギョッとして、何事かと言う風に振り返った。
女は構わず続ける。
「負けたからって数に物を言わせて脅すようなインポ野郎が格闘ゲームをする資格は無い!!
と叫ぶと再び誰もが振り向いた。桜や千尋や少年や男達は最早他人の振りをした。
そんな騒ぎに遠巻きに見ていた客も当級数的に増えてきており、
これ以上揉め事は不味いと思ったのか、それとも目の前の女を危ないと思ったのかは定かではないが
男達は申し合わせると逃げるように去っていった。
そしてその男達とすれ違うように
騒ぎを聞きつけたゲームセンターのスタッフらしき男がやってきて、
粗野な女を連衡すると遠くに連れて行った。
そして遠くで恐縮したように何度も頭を下げている女を桜は見つめながら
可笑しな人だなと思った。
4
桜がぼんやりとそれを見ていると、千尋が心配そうに桜に声をかけたので振り向いた。
桜は困ったような笑みを浮かべて「ごめんなさい。私、時々自分が分からなくなるの…」と自嘲気味に言った。
千尋は少し戸惑いながら「ごめんね、桜は来たくないって言ったのに私がプリクラ撮りたいって我侭言って」
と悲しげに謝った。
ああ、気を使わせてしまった。と桜は思った。
千尋は何も悪くないのに、ただ自分が異常なだけなのに。
と思うと、桜は悲しくて仕方が無かった。
「…私桜が心配で、男の人たち凄く怖そうで…だからあの人に助けてくださいって頼んだの」
と言って千尋はまだ遠くで怒られている粗野な女の方を目で促す。
桜も女の方を見て「あの人にも私の所為で迷惑かけてしまった…」と一人悲しげに呟く。
少年を可愛そうだと思って行った行為だったが、千尋を悲しませ、あの見知らぬ女性に迷惑をかけ、
もしかしたらあの少年もありがた迷惑では無いのかと思うと、桜はただ自分のこの激昂にも似た悪癖を憎まざるを得なかった。
少年は千尋の後ろに今も佇んでいた。
桜は少年の方を見て、「私余計な事しちゃったね…」と節目がちに言った。
少年は、薄っすらと笑みを浮かべ首を横に振った。そんな事は無いとでも言うように。
しかし桜はそこでえもいわれぬ違和感を感じ、目を瞬かせる。
なぜならば、そこにいたのは少年では無かったからだ。
変わりにそこに立っていたのは一人の可憐な少女であった。
桜は少年を探すように辺りを見回すが、あの時の少年は何処にも見当たらず、
まるで不思議なものでも見るように改めてそこに佇む少女の顔を見つめた。
そして翌翌見ると服装や髪型はあの時の少年と同じで、間違いなくその少女は少年と同じ人物であった。
少女は最初から最後までそこに居て桜の闘いを見ていたのである。
桜は最初どうして中学生の少年に見間違えたのだろうと、不思議に思った。
確かに少女の服装は男物のブラザーを着ており、長い髪を後ろに束ねている姿は少年にも見える。
いや寧ろあえて少年の振りをしているとさえ感じられた。
しかし改めて見ると、それを中学生の少年と見紛うには、少女は余りに幼くそして美しすぎた。
今の少女は、精精が10歳位にしか見えない。
桜は、少年の為に闘っていた積もりであった。
それが戦いを終えるといつの間にかその少年は煙の様に消え、少女に入れ替わった様な錯覚さえ感じた。
少女は戸惑う桜の姿を愉快そうに目を細めて見つめクスクス笑うと、
美しく透明な声で「お姉ちゃん強いんだ」と言った。
その声色は明らかに少女のものであり、あの時の脅えた少年の面影は少しも無かった。
桜は少し狼狽気味に「どうして?」と言って少女を見つめたが少女は微笑を浮かべただけだった。
千尋は不思議そうに桜に「如何したの?」と聞く。
桜は、まさかその少女を少年と勘違いしていたとは言えず、何でも無いと首を横に振った。
少女はまるで心の奥底を見透かすように、桜の瞳をジッと見つめると
「ありがとう、私悔しかったの、あいつらをやっつけてくれて有難う」と嬉しげに言った。
それはその少女の可憐な美しさにそぐわない様な嬉嬉とした響きがあった。
「清々したわ。どうも私は得意じゃなくて、あのギルティギアと言うゲームが」
異常なほど明るい声で言った。少なくとも桜にはその声がグロテスクな明るさだと感じた。
桜は何も答えられなかった。
「貴方は随分強いみたいだけど、凄いわね。このゲーム一度もやった事無いんでしょう?」
桜は口ごもる。少女には不相応な大人びた口調だが、それに違和感はなかった。
「その表情、図星みたいね。それに貴方のその能力、自分では可也嫌ってるみたいだけど
それは贅沢と言うものよ。そんな稀有な才能欲しくても手に入れられない人が殆どなんだから」
そう言って少女はクスクスと笑った。桜はあの絡みつくような視線の持ち主が誰か分かった。
この目の前の少女である。
「貴方お名前は?」
桜は無言の後、暫くして答える。抗う事は出来なかった。
「日野桜」
「いいお名前ね。私と一文字しか違わないわ。私達良いお友達になれるかもしれないわ」
その言葉の嫌に空虚な響きが桜の耳朶を打った。
「今度私と戦いましょう、約束よ」と言うと、少女は両手を自分の頭の後ろに回し髪を結ってあるリボンを解く。
束ねた髪が解け美しく舞った。その髪は少女の腰ほどまであり、恐ろしいほどに艶やかに輝いていた。
少年が少女になり、そして今度はその少女が天使となって舞い降りたかのごとき眩暈にも似た酩酊を桜は感じた。
周りの者達も驚きを持ってその光臨した天使を仰ぎ見た。
衆人の注目の中、少女は桜に手を差し出すように頼んだ。
到底桜には抗うこと出来ず言われるがままに右手を差し出すと、少女は微笑を浮かべ首を横に振る。
「こういう時は、左手を出すものよ?」と愉快そうに笑いながら言う彼女に従い桜は左手を出す。
少女は自分の髪を結んでいたリボンを桜の薬指に結びつけ、余った部分を歯で裂いて切る。
それは恰も少女が桜の掌にキスをしている様に見えた。
そして余ったリボンを自分の左手の薬指に巻きつけた。
「いつか闘う日のための約束の印よ。貴方と私のウェディングリング」
そう言うと少女は美しくクルクルと笑った。
少女は何かに気づいたように、遠くを振り向いた。そこにはあの粗野な女が漸く注意から免れて此方に向かって来ているところだった。
少女は桜に耳打ちするように小声で「嫌な女が来たわ、私あいつ嫌い。この事は二人だけの秘密よ?」
そう言うと少女は跳ねるようにくるっと周り桜にペコリとお辞儀をした。
「そういえば私の名前を言って無かったわ。御免なさい」そう言うと少女は続けて言った。
「三九八、一三九八よ。覚えていてね、桜」
そう言うと少女は踝を返しゲームセンターの奥のほうへ消えていった。
桜は一人取り残されたように佇み、無言で薬指に巻かれた赤いリボンを見つめていた。
5
桜はニノマエサクヤと言う少女にえも言われぬ不思議さを感じた。
美しい容姿、美しい声、美しい立ち居振る舞い、大人びた口調、その全てに得体の知れない不思議さを感じた。
良い友達になれる、と彼女は言った。しかしそれは嘘だと思った。
友達になるのなら、住んでるところや、携帯の電話番号などを聞くものだと思う。
しかし少女は何も聞かなかった。ただ「私と闘いましょう」と言っただけだ。
こんな約束に何の意味があるのだろう?もう二度と会わないかもしれないのに…。
そう思いながら桜は、ぼんやりとサクヤが結んだ薬指のの赤いリボンを見つめた。
そうしていると、遠くから粗野な女の声が近づいて来たので桜は其方を向くと、
女は桜達の方に向かって笑いながら話しかける。
「参った参った。危うく出禁食らう所だった」そう言うと桜と千尋の前で立ち止まり
「どうも、昔はあたしももう少しおしとやかだったんだけどね、
とても金た…(ごほん)なんて事人前で言える女じゃなかったんだけどな」
とにこやかに言ったがその言い方は粗野で、
桜はそれは嘘か単に無自覚なだけだろうと思った。
その桜の顔を女はじっと見て「嘘と思ってるな?」と図星を付かれた時は、動揺した。
「いやね、どうも職場に口の悪い人が居てね。あたしも影響受けたみたいだね」
というと女はきょろきょろと周りを見渡して
「あれ?あの男の子は?」と唐突い話題を変えて桜に聞いた。
桜が答える前に側らの千尋が
「あの子、男の子じゃなかったんですよ?とっても綺麗な女の子だったんです」
と、多少驚き混じりに女に説明した。
女は「ふうん」と興味なさげに答えると「まあ、あの年頃はそんな事もあるかもな」とそっけなく言った。
桜はそんな問題だろうか、と疑問に思い、その女が余り物事を深く考えない性質の人だと思った。
ともあれ、二人の会話を聞いて桜はあの少女を少年と勘違いしていたのは自分だけではなかったと思い少し安心した。
何故安心したのか、理由は自分でもあまりよく分からなかったが、
恐らく少女に騙されていたのが自分だけでは無かったと思ったからだ。
勿論少女に男装の趣味が有るのか無いのか、
そして桜達を騙す意図があったか無かったかは知る由も無いが、少なからず桜は騙されていたと感じたのだ。
桜はそんな事を考えて居たが、粗野な女はもう少女の事は気にしていないらしく、
「あんまり友達を心配させるよ。桜が変なんです。ってこの子に行き成り掴まれた時はびっくりしたよ」
と桜と千尋の方を見ながら全然別の話題に転じた。
千尋は畏まった様に頭を下げると
「御免なさい…その、見当たる人の中で一番(喧嘩が)強そうに見えたもので」
と結構失礼な事を言った。
桜も千尋に続き謝る。
「ごめんなさい…私が、後先考えず…それで貴方に迷惑をかけてしまって…」
女は気にするなと言う風に手首をプラプラさせて
「良いって良いって。こっちこそ良いもん見せてもらったから」と言うとニッコリ笑った。
「あんな初心者狩りあたしも大嫌いだからね。人間として」
そうして今思い出したと言う風に手を打つと
「何か決まりが悪いと思ってたら、自己紹介がまだだったね」と言った。
桜はそう言えばそうだと思った。
随分長い事いるがまだ目の前の女の名前を知らなかった事にいまさらながら気づく。
粗野な女は先ずは自分からと言う風に、左手を腰に当てながら、右手をだらりと伸ばした格好で
「あたしは泉田アヤコ、地元はkaratu。
そこでゲーセンの店員をしてる。
まあゲーセンと言ってもこんなには大きくなくて、単なるデパートのゲームコーナーだけどね」
と滔々と言う。
千尋は唐津と言う言葉に反応して微笑を浮かべ言った。
「へえ、私達と同じですね。私達も唐津から来たんですよ。
私は坂本千尋。高校一年です。こっちは」と千尋は桜の方をむいた。
桜は促されるようにアヤコにお辞儀をすると
「日野桜です」と短く自己紹介をした。
アヤコは桜の名前を聞くと何事か思うようにまじまじとその顔を見つめたが
やがて微笑を浮かべ桜と千尋の顔を見ながら「桜に千尋か。宜しく」と言って笑った。
そして桜に唐突に
「所でキミ、驚きだな。あたしの見たところキミこのゲーム数えるほどもやってないだろ?」
と、ギルティギアの筐体を軽く叩きながら言った。
桜は、頷く。
女の目は桜を射るように鋭くなった。
「でもキミの立ち回りを見ると、物凄く格ゲーをやり込んでる様に見えるんだ」
と自信ありげに言った。
桜は思わず「何で…分かるんですか?」と口走った。
アヤコは不敵な笑いを浮かべて「あたし位格ゲー暦が長いと分かるものさ」と得意げに言うと
「ずばり、あの動きはスパ2だろう?」と確信を持って指摘する。
桜は信じられなかった。高々数分の立ち回りを見ただけでそこまで分かるものなのだろうか?
アヤコはその桜の訝しげな表情を察して言った。
「しかも可也対戦相手に恵まれていた。違うかい?」
桜はアヤコの指摘に多少眉根を寄せて口をつぐんだ。
アヤコは微苦笑を浮かべ
「答えたくないなら無理に答えなくてもいいよ。キミあんまり格ゲー好きじゃないみたいだね…?」と残念そうに言った。
「昔は楽しめた気がする…でも今はもう」と悲しげに言った桜は俯いた。
それを聞いたアヤコははつらつとした声で言う。
「よし!桜、キミはあたしに迷惑をかけた。そう言ったね?」
俯いていた桜は行き成り唐突に話題を変えて喋りだしたアヤコの方を目を丸くして見つめると、不安げに頷いた。
「じゃあ、償ってもらう」
アヤコは益々元気に言うと桜の後ろを指差した。その指はスパ2Xの筐体を指していた。
「あれであたしと勝負だ。一度でいい」
そう言うとアヤコは、半ば強引に桜を引きづる様にスパツーの筐体の方へ連れて行った。
千尋は心配げに二人の後について来た。
6
アヤコはある予感があった。
目の前のこの少女は、格闘ゲームに対する資質がある。
これは勘ではない、確信だ。
それを確かめる。
どんなに汚い真似をしても引きずり込む。
…この世界に…。
7
スパツーXの筐体前に着くとアヤコは桜の手を離し
「さあ、勝負だ。言っとくけど手加減は無しだからね」と屈託無く言ったが桜は余り乗り気ではなかった。
「…私そんなに強くないですよ?それでもいいんですか?」
と弱気に言う桜にアヤコは「良いって良いって。そんなに緊張する必要ないって。楽しくやろう」
と微笑を浮かべ言う。
桜は観念したように「分かりました」と言った。
それを聞いたアヤコの目は怪しげに煌く。
「んじゃ、1Pと2Pどっちがいい、桜?」
とアヤコは尋ねる。
桜はどちらかと言うと2P側の方(右側)が好きだったのでそう答える。
「そうか、じゃああたしは1Pでいいよ。年上だしね」などとわけの分からないことを言いながら1P側に腰を下ろす。
桜も2P側に座るとレバーを握り、操作性を試すようにくるくると回す。
実のところ桜はゲームセンターで対戦をした事は殆ど無く、専ら兄とは家で遊ぶだけだったが
家で使っていたレバーと感覚は似ていて左程違和感は感じなかった。
ただ画面が少し近く、視野が狭いのが気になった。
そんな事を考えながら画面を見ていると、1P側のアヤコはコインを投入した。
それに後押しされるように桜もコインを投入しスタートボタンを押した。
キャラセレクト画面が現れる。桜はそれを懐かしく感じた。そう感じるほど桜は、スパ2をやっていなかった。
兄が居なくなってからは一度として遊んだ事は無かった。
桜は多分何も出来ないで負けるだろう。と思いながらリュウを選ぶ。
それに少し遅れて1P側のカーソルはなにやら怪しげな動きを見せた。
リュウ、ホーク、ガイル、キャミィ、そして最後にリュウを選んだ。
そして画面に現れたのは黒いシルエットの男、豪鬼であった。
いつの間にか二人の周りには野次馬が出来ており、その中からは「きたねー」と言う声が漏れた。
しかし桜はそうは思わなかった。桜はアヤコの勝ちへの拘りを恐ろしいまでに感じた。
そして桜はただ勝つことだけを考えていた。
薬指に巻かれた赤いリボンが炎のように燦然と煌いていた。
桜の顔は笑っていた。
8
豪鬼。
スーパーストリートファイター2Xにおいて最強のキャラクターであり、
他のキャラクターとの相性はプレイヤーの技術だけでは到底翻せないようなバランスの上に君臨している。
対戦で使用するのは禁じ手であり、大会などでも使用が禁止される事が殆どである。
アヤコは野次馬の「汚い」というざわめきに自嘲気味に笑う。
「確かに汚い」とアヤコは呟く。そして画面の向こうの桜に対して思う。
しかし桜、キミはそんな事は思わないだろうね。
野試合には、レギュレーションもルールも無く、どのキャラクターを使うかはプレイヤーの采配に任されている。
より強いキャラクターを選ぶと言うのも、駆け引きの内である。
最も、豪鬼の場合はよほど厚顔無恥でなければ選ばないであろうが。
「あたしがただ勝ちたいために豪鬼を選んだとは思わないことだ」と呟きアヤコは笑みを浮かべる。
たとえ桜が、アヤコの理不尽さに腹を立て、今すぐ席を立ったとしても文句を言うつもりはなかった。
その時はあたしの見込み違いという事だ。そう思いながら、画面を注視した。
桜からは闘いを引く気配は微塵も感じられなかった。
「そう来なくちゃな。キミの力を見せてくれ桜。その上で、成すすべなく負けてくれ」
あたしは理不尽に勝つ。そうする事が必要なのだ。
それでこそキミをこの世界に引き込む事が出来る。
そう思うとアヤコは闘いに集中した。
ラウンドが始まる。
桜のリュウは、一瞬様子を見て直ぐに豪鬼に対して前に歩くが、豪鬼は豪波動拳を放つ。
リュウはそれを昇竜拳で空かすとバックジャンプして降り際に空中竜巻旋風脚をだしゲージをためる。
豪鬼はリュウの着地点に波動拳を重ねたが、
リュウは直ぐに昇竜拳を出しそれを再び空かし画面端を嫌うように前に出た。
アヤコは既にそこに強さを感じ「豪鬼相手に冷静にゲージためとは恐れ入るよ」と嘆息した。
リュウは間合いを詰めるために歩き豪鬼に対して中間距離を維持する。
その中間距離はいい間合いだな。とアヤコは思った。豪斬空を迂闊に撃っても潜られそうだ。
豪鬼はしかしそこから前に跳んだ。桜はそれに反応して大昇竜拳を出したが、
トップスピン気味に出した大竜巻斬空脚に対して昇竜拳は空を切り豪鬼に対して多大な隙を生んだ。
アヤコはその隙に対し灼熱波動拳を撃ち、当たると同時に飛び込み、起き上がるリュウに残空波動拳を重ね飛び込んだ。
そして着地からしゃがみ中キックキャンセル灼熱波動拳を入れ込んだが、桜はガードした。
周りの野次馬達からは呆れるような感心の声が上がる。
そしてその気持はアヤコも同じであった。
並みのプレイヤーならばあの飛込みに対しては、当然立ちガードするだろう。
しかしそれではそのラウンドは敗れる事になる。
豪斬空を立ちガードすれば、次のしゃがみ中足がガード不能になり
灼熱波動拳まで食らい気絶していたからだ。
感嘆の声を上げた観客達はそれを知っていたからであり、桜のスキルと度胸に対しての敬意であった。
桜は豪鬼の飛込みに対して、しゃがみガードしていたのだ!
分かっていても立ちガードしたくなるものだけどね、と驚きを隠せなかった。
しかも、安全飛び込みのタイミングまで読んでいたからリバサ昇竜を出さなかったとでも言うのかい?
と自答して苦笑いを浮かべた。
「キミはどれだけやり込んでいるんだよ、桜」しかも豪鬼なんか本気で対策立てるようなキャラじゃないだろう。
その思いとは裏腹に、アヤコの心は躍っていた。
そして観客達も、二人の闘いに釘付けになっていた。
9
桜がどんなに旨く立ち回ろうとも、アヤコの豪鬼の攻撃の全てを返す事は不可能だった。
豪鬼は上りで斬空波動拳を出し、それを盾に攻める。
地上に釘付けにされたリュウに対し更に灼熱波動拳で固めつつ画面端へと追い詰める為のプレッシャーをかける。
リュウはジャンプで脱出を試みるが、アヤコは冷静に昇竜拳で迎撃した。
リュウは画面端でダウンした。
観客からは失望の溜息が漏れる。
「ああなっちゃ終わりだ。あのリュウ使いがどんなに上手かろうと脱出不可能だ灼熱ハメが来る」
そんな声がアヤコの耳に聞こえた。
アヤコは「その通り」と呟くと、
弱技を空振りさせて強灼熱波動拳をダウンしているリュウに重ねた。
しかしリュウはリバーサル昇竜拳を繰り出し、灼熱波動拳の重ねを透かした。
そして逆に灼熱波動拳の硬直に対して大足払いで逆襲し、ダウンした豪鬼に対し
鎖骨割、中足払いキャンセル真空波動拳を決めた。
アヤコは心の中で喝采を叫ばずには居られなかった。
そして周りの観客達からも喝采が沸き起こった。
アヤコはその雰囲気に苦笑いしつつ
「あたしは完全にヒールだな」と愉快そうに呟いた。
アヤコは一ラウンド目を落とした。
「こりゃ本気出さないとやばいかもね」とその口調にはしかしまだ余裕が含まれていた。
第二ラウンド、アヤコは闘い方を変えた。
豪鬼の持ち味は生かさず、単純に波動昇竜スタイルで闘う。
豪鬼の波動拳はリュウよりも僅かに出が速い。単純に跳ばせて落とすだけのスタイルも強い。
桜は斬空波動拳や、竜巻斬空脚を警戒しつつ、高速で飛んでくる波動拳に対応しなければならなかった。
当然波動拳の打ち合いは豪鬼に分がある。
しかもアヤコの反応は恐ろしいほどに正確で素早かった。
「やっぱりあたしはこの闘い方が合ってるな」とアヤコは思う。
本来リュウ使いのアヤコは、どうしても豪鬼を使い勝つ必要があった。
桜は2ラウンド目を落とした。
アヤコと戦いながら桜は兄の言葉を思い出す。
「豪鬼戦で大切な事は、転ばされない事。
簡単に言うと、大足払いを食らわない、投げられない、昇竜拳を食らわない、竜巻斬空脚を食らわない
灼熱波動拳を食らわない、大と中の波動拳を食らわない。空中で斬空波動拳を食らわない。難しいかな?」
そう言って兄は微笑んだ。幼い桜は神妙に頷く。
「そしてもう一つは、画面端に追い詰められない事」
転ばされない事、それを避けつつ画面はしに追い詰められない事。
これは到底無茶な要求である。
「もし追い詰められた場合は…」
そこで記憶は途切れた。
桜はアヤコの強さを身をもって感じていた。
この人は、豪鬼を使わなくても強い。そう感じた。
最初のラウンドは、アヤコは単純に豪鬼の性能だけで戦っていたように思う。
だから攻めが単調になり、桜が勝機を掴みラウンドを先取した。
しかし第二ラウンドのアヤコはそのスタイルをガラリと変え、地に足を付け、どっしりと構えて闘った。
その闘いに桜は付け入る隙を見出せずラウンドを取り返された。
そして最終ラウンド。
10
キミは強い。しかし君をそこまで育てた者はもっと強い。
あたしはそれを知りたいんだ。桜。キミの強さは君が思う以上に凄い事なんだ。
その立ち回りはスパ2だけに通じるものではない。
キミがギルティギアを初めてやって勝った事は偶然ではない事を確信したよ。
それは全てに通じる動きだ。
「しかし」とアヤコは呟く。
スパ2は既に極まったゲームだ。言い換えれば終わっている。過去のゲーム過ぎない!
アヤコの豪鬼は桜のリュウを画面端へと投げた。今度は冷静に相手の起き上がりを見る。
リュウはリバーサル昇竜拳を放つが、豪鬼はそれを冷静に空かして大足払いを差し込む。
ダウンするリュウ。そして起き上がりに再びリバーサルの昇竜拳。
しかしそれも豪鬼は冷静に空かした。そして中足払いキャンセル大灼熱波動拳で再びダウンを奪う。
周りの観客からは溜息が漏れる。
「リュウは画面端で兎に角ガードしたくないんだ。だから分かっていても昇竜拳をぶっ放すしかないんだ。
でもあのリュウ使いは凄いよ。リバーサルをミスらない」
そういう解説じみた声が聞こえる。
ダウンしたリュウは三度昇竜拳をリバーサルで放つ。
アヤコは桜が勝負を捨てたと確信した。そして同時に勝利を確信した。そこに慢心があった。
それは僅かな気の緩みであったが、アヤコの操作を一瞬遅れさせた。
リュウの昇竜拳の隙に中足払いを放ったがそれは僅かに遅れ、
リュウは着地に昇竜拳を再び放ち豪鬼の中足払いを刈り取った。ダウンする豪鬼。
しかしアヤコは動じなかった。
桜は画面の端から脱する為に豪鬼を飛び越えトップスピンで竜巻旋風脚を繰り出す。
「しぶとくタフだな。桜。キミは相当の負けず嫌いだ。あたしには分かる」
そういってアヤコは微笑を浮かべた。
リュウは昇竜を空振りで出す。リュウのスーパーコンボのゲージが溜まった。
そこでアヤコは確信した。
ゲージが欲しかったのか。
だから読まれていても構わず遮二無二昇竜拳を撃っていたんだな。
しかし体力を六割奪われたのは大きな代償だったな。
アヤコはそう思いながらしかし僅かな不安が心によぎる。
豪鬼は迂闊に波動拳を撃てなくなった。真空波動拳で相殺される可能性があるからだ。
もちろんそれは神経質すぎるほど弱気な考えといってよかった。
いまやアヤコの方が圧倒的に優位で、よほど油断しなければ真空波動拳は食らう事はないだろう。
しかし桜の反応速度と、コマンドの正確性、そして得体の知れない恐ろしさはアヤコに必要以上に警戒心を喚起させた。
アヤコは得意とした波動昇竜のスタイルを捨てて再び一ラウンドで見せた斬空波動拳を主体とする攻めに変わった。
「あの昇竜拳の隙を逃したのが大きな仇になったかな」と言ったアヤコの声には既に余裕が消えていた。
桜はアヤコの迷いを見逃してはくれなかった。
フェイントを交え波動拳を撃つリュウにアヤコはガード勝ちになる。
波動拳。
波動拳。
波動拳。
僅かに前に歩く。
それに反応して豪鬼は飛んだ。
昇竜拳。
リュウは冷静に昇竜拳で対空を取るとジャンプで飛び込んだ。
桜の動きは鬼気迫るものがあったがアヤコも尋常ではないほど肝が据わっていた。
リバーサルで豪昇竜拳を出す。リュウは地上で昇竜拳を食らう。
ダウンしたリュウに斬空波動拳を重ねる。しゃがみでガードしたリュウに対してそのまま中足払いキャンセル波動で固める。
再び画面端を背負うリュウ。
豪鬼は灼熱波動拳のコマンドを弱Kをスライドしながら入力した。リュウは其れをガードした。
いつの間にか大人数になっていた見物客からは一斉に溜息が漏れた。
豪鬼はすかさず次の灼熱波動拳を放つ。リュウは再びガードする。
灼熱ハメはここに完成した。
リュウはガードをし続ける。ガードを解くことは出来ない。強制的にガードし続ける。
体力を削られていく。
しかしアヤコの表情は暗い。
この状況を造るのが如何に困難だったか。信じがたいほどに桜は強固に抵抗した。
桜キミは強い。しかしこうなったら終わりだ。
ガードキャンセルもガードブロッキングもないこのゲームではこうなったら終わりなんだ。
死ぬまでガードし続けるしかない。ガードを解くことも出来ない。
これは格闘ゲームの不条理。あたしを卑怯とののしる権利はキミにはある。
しかし嘆く事はないよ。
キミには次のゲームがある。
この古いゲームには別れを告げ、新たなゲームを楽しむんだ。
キミをそこまで育てた人もきっと其れを望んでいる。あたしには分かる。
「キミはサードをやるべきだ!!」
11
後は作業を続けるだけだと、アヤコは思った。ただ一定の間隔で灼熱波動拳をリュウに打ち込むだけだ。
アヤコの灼熱ハメは完璧だった。ミスする素振りも無い。
観客からも急激に熱が引いていくのが分かった。
灼熱波動拳を撃ちこまれる度にリュウの体力は数ドット削られていった。
元々少なかったリュウの体力は今や風前の灯火であった。最早リュウにはなす術は無い。
誰もがそう思っていた。アヤコでさえも勝利を疑わなかった。
桜は画面を見つめ、何事か呟いていた。
それは数字だった。桜は数字を呟いていた。
一
二
三
一
二
三
と言う度にリュウの体力は削られていった。
兄の言葉を思い出す。
「何故豪鬼が隠されているか分かるかい桜?強すぎるからだ。
誰に対して?相手に対してではないんだ、使う者自身に対して強すぎるんだよ。
持て余すんだ。その性能を。
そして自分に備わっている本来の基本を曲げて、豪鬼を使う事に拘りすぎるようになる。
その結果、豪鬼に使われるんだ。自由な闘いから縛られてしまうんだ。
僕は思う。豪鬼使いは存在しない。
誰も、誰一人として豪鬼をメインに使うものは存在しない。
それでも使う人が居る場合、それは豪鬼の力を借りているに過ぎない。
借りた力が本物か偽者か、それは言うまでも無い事だ。
桜のリュウは、そんなものには負けはしない」
それは刹那にして桜の脳裏を走り抜けていった。
リュウの体力は数ドット。
桜は無機質に呟く。
「一」
「二」
「三」
豪鬼は止めの灼熱波動拳を繰り出す。
桜の手は素早く波動拳のコマンドを二回いれ、パンチボタンを押した。
真空波動拳。
灼熱波動拳はリュウをすり抜け、逆に真空波動拳が豪鬼に命中した。
画面がフラッシュした。
勝利したのは桜だった。
辺りは静まり返った。誰もが信じられない表情だった。
ただ桜だけはまるでこうなる事が分かっていたように画面を見つめていた。
12
暫くして、歓声が沸いた。信じられないような歓声だった。
高々野試合のしかも今や過去になりつつある格闘ゲームに皆惜しみない拍手を送る。
桜は戸惑うように席を立つ。
アヤコが1P側から顔を出すと、桜の顔をまじまじと見て笑みを浮かべ言う。
「キミの勝ちだ」
それに呼応するように観客達は歓声を上げた。
「リュウ使いの人良かったよ!」
「豪鬼使いの卑怯なねーちゃんも弱くは無かったぜ!」
「俺もスパ2やろうかな」
そんな声が聞こえた。桜は少し顔を赤らめ小声で「…まぐれです…」と呟くだけだった。
アヤコは桜の前に立つと姿勢を正して言う。
「信じられないね。あたしの灼熱ハメは完璧だったと思ったんだけど。
重ねが甘かったか?」その言葉には少しの戸惑いがあった。
桜はアヤコを見つめ返し、まじめな顔で答える。
「多分貴方の重ねは問題なかったと思う…。連続ガードでも灼熱波動拳の繋ぎの時は
リバーサル必殺技だけは出す事が出来るんです」
それは兄に教わった事であった。
アヤコは敬服したような溜息をつくと
「あたしの完敗だね…あたしはそんな事も知らずに豪鬼を使った。全く恥ずかしいくらい完敗だ」
と自嘲気味に言ったが満更でもない表情だった。
桜は少し俯くと何やら考えたように黙る。そうして暫くしてアヤコの顔を再び見つめ言った。
「貴方は、豪鬼よりもリュウの方が強いと思います。多分貴方がリュウを使っていたら
私は勝てなかったかもしれません…」
それを聞いたアヤコは意外そうに目を丸め、やがて感服するように目を閉じると頭を掻く。
「ばればれだね…。あたしはキミにこのゲームが過去のものと認識して欲しかったんだ。
ハメがあることは、即ち未完成のゲームであると認識して欲しかった。
でもそれは間違いだった。何も過去のゲームではない。
あたしは傲慢にもこのゲームの全てを知っているとおもってた。
その驕りがこの結果を生んだんだ。礼を逸するような事をして申し訳なかった」
アヤコのその言葉に兄の言葉が重なる。
(僕は豪鬼を使わない。使いたくは無い。それはこのゲームを否定することになるかもしれないからね)
多分アヤコの言葉はあながち間違いではないのだろう。
兄もその事は既に認識していたような気がする。
無言の桜にアヤコは言葉を続けた。
「キミには新しい(とは言いがたいが)ゲームを是非やってもらいたかった。
しかしそれは今は言うまい。敗者のあたしには今は何も言う資格はなさそうだからね」
アヤコのその表情は非常に真面目であり桜はアヤコが只の粗野な人物ではないと感じた。
アヤコはやがて真面目な顔を崩し悪戯っぽい笑みを浮かべ桜と後ろの千尋を見回しながら言った。
「二人とも腹減らないか?キミの勝利とあたし達の出会いを祝して飯でも奢るよ」
桜と千尋が遠慮がちに断ろうとしたらアヤコの携帯が鳴った。
「失礼」と言うとアヤコは革ジャンの内ポケットから携帯を取り出し、
着信を見ると、憎憎しげに舌打ちをして「ガニョか」と呟き電話に出る。
周りはゲームセンター独特の喧騒であったがアヤコには気にならないのか構わず話す。
「あたしだ。何!うん、計算が合わない?良いかい?漢字の十見たいな数字は足すという意味だ。
一という字は引くという事だ。そこまでは良いな?馬鹿にするな?手伝え?冗談だろう?
あたしは今福岡にいるんだ。それに今忙しい。頼むなら古賀さんに頼め。え?殺される?
知らん。殺されろ。兎に角あたしは忙しいんだ。泣いても無駄だ…。煩い…。ああ…。
待て、うん…今回だけだぞ…ああ」
と最初は勢いよく罵声を浴びせていたが最後は元気なく話すとアヤコは電話を切る。
そうして桜たちに向き直ると「すまないけど飯は今度にしよう。仕事が入った…。
どうしようもない奴が手伝わないと死ぬとか言い出した。失礼私事だ…」
と言うと桜と千尋を見て「良かったら携帯番号教えてくれないか…まあ、不躾だが
後日飯でも食いにいこう…あたしは強い奴が好きなんだ」
桜と千尋は頷いた。
桜は携帯番号を交換する時アヤコの名前が気になったので聞く。
「泉田さん、アヤコって漢字如何書くんですか?」
それを聞いたアヤコは無頓着に「カタカナで良いよ」と言ったが桜は頑なに教えてくれとせがむ。
「拘るね」というアヤコに千尋が
「桜は変なとこに拘りがあるんですよ。何でもきっちりして置かないと気がすまないんです。
携帯の名前は全員フルネーム。自分の両親も苗字から打つほど。部屋は汚いのに」と要らぬ説明をした。
アヤコは「きっちりか…あいつもきっちりしてたな」と一人ごちると。
「答案の案にマウンテンの山、それに良くある子供の子。で案山子」
桜は言われるがままに携帯に入力する。
泉田案山子
ズミダアヤコ
桜はそれを見ると何かを発見したように楽しげな笑みを浮かべたが、
失礼と思いアヤコに悟られまいと俯いたがアヤコはそれを見逃してはくれなかった。
「あー。いいよいいよ。そうさカカシさ。カカシ。
親が立っているだけでも役に立つような人間になれと言う思いを込めて付けたんだ。良い名前だろ。
そのお陰か何かは知らないが背だけは伸びたよ…」と憮然と言った。
そうして「じゃあ、今日は楽しかったよ。じゃあ唐津に戻ってもあたしの店に顔を出してくれよ。
スパ2もあるしサードもある。強いプレイヤーも居る。それに今日の勝負の借りもあるしね。
ティーガーてデパートの二階にどきどきランドというゲームコーナーがある。
そこにあたしはたいてい居るから」
そう言うと案山子は桜と千尋に踝を返し「ガニョめ」などとぶつぶつ呟きながら二人を後にした。
桜はその後ろ姿を見つめながら兄の事を思うのだった。
これが桜と案山子の初めての出会いであった。
この4ヵ月後、桜は香湖と亜弓に合う事になるのである。




