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間話

 志穂は箱馬車の上に座って、普通の人々よりも少し高い位置から周囲を眺めていた。

 罪人を連行中の王子と騎士団の一隊と言えども、生きた人間である限り、休まず進み続けることはできない。現在、彼らは道の途中で休息を取っていた。

 広い空き地に大勢の人間や馬、馬車がたむろしている様子は、ちょっとしたキャンプ地のようだ。

 とはいえ、ラダが乗せられているこの馬車の周囲は、相変わらず騎士には見えない風貌の騎士団員たちによって取り囲まれ、交替に厳しく見張られている。

 志穂は先程からずっと観察しているが、誰か一人は必ず馬車の近くに貼り付いていて、調子の悪いラダを連れて逃げられるような隙は一度たりとも見つけられない。いや、ラダの体調が良くても困難だろう。それは今回のような休憩時に限らず、夜間でも同様だった。 

 ため息をつきながら、志穂は別の方に視線を転じた。 

 一行が休んでいる空き地の隣には、石造りの教会が建っている。規模自体はごく小さく、城の礼拝堂とさほど変わらないくらいだが、古びた砂色の石壁には風情があった。

 馬車の上からは、教会の裏手にある墓地らしき一帯もよく見える。

 そして空き地から、その墓地へ移動しようとしている人間がいた。

 護衛の兵士を引き連れた少年の頭髪は、中天の太陽に照らされてきらきらと輝いている。それを横目に、志穂はまた別の箇所へ視線を移そうとしたが、 

「シホ!」

 その前に響いた、自分を呼ぶ声にぴたりと動きを止めた。

「ねえ、こっちにおいでよ」

 そう言って手招く王子の視線の先を、幾人かの騎士が追う素振りを見せる。

 無論彼らと、馬車の上にいる少女の目が合うことはなく、騎士たちはまたかと慣れた様子で各々の仕事に戻った。

 当のリステスはにこにこと微笑んで、志穂が来るのを待っている。

 志穂は仕方なく馬車の上から降り、彼の傍へ近付いた。馬車の中にいる青年から離れるのは気が引けたが、どの道、志穂は杖から遠くへは行けない。

「ここの教会には面白いものがあるんだよ。来て、見せてあげる」

 美しい少年は相変わらず周りの目を気にしない様子で、教会の裏手の墓地へと足を向けた。

 墓地に居並ぶ墓石のほとんどは、簡素な一文が刻まれた薄い石板で、中には加工されていない岩石をそのまま置いただけの墓標もある。いくつかは木製の墓標も見られたが、ほとんどは朽ちかけて草に埋もれていた。

 リステスは草を踏みしめながら、墓地の奥へ進む。志穂は黙ってそれに続いた。

 奥には、随分と立派な石碑が鎮座していた。

 巨大な一枚岩から削りだして形を整えたのだろうか、高さはおそらく成人男性の身長ほどもある。平らにされた表面はいささか砂に塗れ、足元は草地に覆われて歳月にくたびれているようではあったが、それでも黒く艶やかな石の輝きをまだ残している。簡素な墓標ばかりの墓地の中で、この石碑だけが異質だった。

「これ、アーフェルの建国期に作られた石碑なんだよ。もう何百年も前からずっとここにあるんだって。ヴィルフォート城の建物や城壁より古いんだ」

 リステスの言葉を聞きながら、石碑を見上げる。

 黒い表面に碑文らしきものが丁寧に彫られていたが、志穂にはそれを読むことは叶わない。

「……この石碑には、なんて書いてあるの?」

「ええとね……『悪しき竜に立ち向かった五百人の勇敢なる戦士たちと、篤実なる一人の騎士に捧げる。神の御許にて、彼らが安らかに眠らんことを』」

 志穂は思わずリステスを見た。

 彼は非の打ち所のない微笑みを浮かべて、秘密を語るように人差し指を立てる。

「これは、墓碑なんだよ。竜との最初の戦いの時、聖ユオルと共に戦ったっていう、五百人の戦士たちと──青き瞳の姫リラの兄弟であり、竜との戦いで戦死した騎士、ヴィルフォートを称えるためのね」


 風が足元の草を揺らし、音を立てながら吹き抜けていった。

 少女の中で、言葉になりきれない様々な思いが、あちこちに吹き散らされて消えていく。思いを形にするために何か言おうと口を開き、結局何も言えないまま、虚構に満ちた石碑をただ見上げた。

「もちろん、彼らはここじゃなくて今はヴィルフォート城が建ってるあの丘で死んだはずで、骨も城の地下に埋まってるはずだよ。あんまり知られてないけどね」

 リステスは明るく言葉を続ける。

「どうして丘じゃなくて、こんなところに石碑を建てたんだと思う?」 

 分からない、と志穂は首を振った。

 しかし真実とはかけ離れた石碑とはいえ、彼らが死んだその場所ではなく、城のある丘から二日も離れた距離に建てるというのは確かに奇妙な話だ。

「竜との戦い以前、あの丘には騎士ヴィルフォートの居城があったんだけど。竜との戦いの余波で城は全壊。そのとき竜の吐いた毒が撒き散らされて、聖ユオルが竜を倒した後も、あの丘には人が近付けなかった。それで、人々はこんな離れたところに石碑と教会を建てた──ってことになってるよ」

「……実際には、どうなの?」

「城はギイ・ユオルの息子の、ユリウス一世の代になって打ち壊されたんだったかな。わざわざ離れたところに教会と石碑をこしらえたのも彼だって。でも、その時代、しばらくずっと丘に人が寄りつかなかったのは本当みたいだよ」

 その頃の人々がギイ・ユオルの所業を覚えていたかどうかは分からないが、五百人の死人が出た丘ともなれば、近寄りがたくなるのも無理はない。

「丘がまた城として使われはじめた頃には、石碑を移したらどうかとか、新しい石碑を丘に建てたらどうかとか、言われたらしいけど。当時の騎士団長が、城は戦いのための場所だから、記念碑など無用って反対したんだって」

「……詳しいね」

 リステスは得意げに微笑んだ。

「僕はね、昔から竜に興味があったんだ」

 竜。

 何気なく言われたその言葉に、志穂はぎくりとした。

 彼女がこの世界に呼ばれた原因であり、ラダが探し求める存在。青年が竜に抱く思いのことは既に知った。だが、この王子が何を考えているのか、志穂には未だに分からない。

「だからご先祖様のことも色々調べたよ。王宮には、王家の人間しか見ることを許されない秘密の資料もたくさんあるから」

「秘密……?」

 志穂は眉をひそめた。

 騎士が物語った真実と、今に伝わる竜退治の英雄王の伝説との食い違いを思えば、数百年の間にねじ曲げられた事実は他にも、それこそ山のようにあるに違いない。事実をねじ曲げたのが時間ではなく、誰かが──それこそギイ・ユオル本人や、その子孫である王家が──意図的に隠蔽したのなら、隠された資料が残っていても不思議ではないかもしれない。

「じゃあ……知ってるの? この石碑の記述が……その……」

「嘘っぱちだってことだろう? うん、知ってるよ。おかしいよねえ」

 リステスはにこにこと笑いながら、

「五百人や千人殺したくらいで、どうしてわざわざ英雄伝説をこしらえてまで隠さなきゃいけないのか、僕にはよく分からないけど」

 そう、平然と言い切った。



 もう少し詳しい話を聞きたかったが、リステスは従者に呼ばれて来た道を戻っていった。そろそろ出発の時間らしい。

 志穂はラダの馬車に戻る前に、もう一度石碑を見上げた。

 もしこの石碑があの丘に建てられていたら、まだ自我を残していた五百人の人々は、碑文を読んでどう思っただろう。自分たちの死が歪められたと、恨みを深くしただろうか。それとも、ねじ曲がった形であっても自分たちに対して安らかな眠りを祈る人々がいることを知って、何か別の思いを抱いただろうか。

 城で出会った青い目の騎士は、礼拝堂に描かれていた壁画を見上げながら、何を思っていたのだろう。

 あの城の誰よりも騎士らしかった彼の姿を、志穂はあれから見ていない。蛇が消え、事態が収束した後の城のどこにも、騎士の姿は見つからなかった。

 ラダが蛇を消したあの時、沖つ国へ船出していった影たちの中に、騎士の魂はあったのだろうか。

 いや。きっと、あったのだろう。

 盗賊の青年の魂も、侍女の魂も、殺された五百人の魂、長い年月の中で蛇に喰われた幾人もの魂も。

 彼らの記憶や思い、憎しみも執着も何もかもばらばらになって浄化されて、その魂の欠片にはもう、彼らの自我などほとんど残っていないのだとしても。

 それでも彼らは今はきっと、海のかなた、沖つ国で安らいでいる。

 ──きっとそうだ、と願うことしか、志穂にはできない。

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