下層への備え
三十層を踏破した翌日、私たちは三人で協会へと向かった。
「下層からは、本格的に装備を揃えないとね」
鏡花の言葉に頷きながら、私は受付カウンターへと歩み寄る。
まず手に取ったのは、配信機材だった。一人三個で一セット、価格は十二万円。三人分で三十六万円になる計算だ。
「結構な値段するね」
「下層からは命がかかってるし、仕方ないよ」
紫苑が肩をすくめながら言う。三セット分の機材を受け取り、私たちは次に地図コーナーへと向かった。
「下層――三十一層から六十層までの地図と、生態系の資料をいただけますか。紙媒体を三部ずつと、電子媒体を三セット」
「かしこまりました。……下層以降は危険度が跳ね上がりますので、価格もそれに応じた設定になっております」
差し出された金額は、三十万円。中層の資料が三千円だったことを思えば、その差は歴然としていた。
続けて、ポーションコーナーへ。
「各耐性ポーションを、下級でそれぞれ十二本ずつお願いします」
六属性――炎、水、風、土、光、闇。そして八つの異常状態――気絶、睡魔、恐怖、凍傷、出血、毒、腐蝕、裂傷。合わせて十四種類のポーションを、それぞれ十二本。一本千円という値段を聞いて、私は固有スキル【鑑定】を使ってみた。
『下級耐性ポーション――該当する状態異常または属性ダメージの効果を約三十パーセント軽減する。環境ダメージには約七十パーセントの軽減効果がある』
「……なるほど、完全無効化ってわけじゃないんだ」
「それでも、ないよりずっとマシだよ」
鏡花の言葉に頷きながら、私は中級ポーションも二十四本追加で購入した。それとは別に、個人用として中級を十二本、自分の分だけ確保しておく。
買い物の最後に、私は少し言いにくそうに切り出した。
「配信機材を動かすのに、三十一層と三十二層にいるエレメントから採れる、上位の魔石が必要なんだけど……全属性、各四個ずつ」
「お金で買えるの?」
紫苑が尋ねる。
「買えるけど……結構な額になりそうで」
正直なところ、鏡花と紫苑の資金に頼りたくはなかった。二人が貯めてきたお金の重みを、私は知っている。
「自分たちで採りに行こうよ。どうせ、これから潜るんだし」
私がそう言うと、二人は顔を見合わせてから頷いた。
道具一式を受け取りながら、私はふと気づいたことを口にした。
「そういえば、二人ってマジックバッグとかマジックポーチ、どれくらい持ってるの?」
「私はマジックバッグ(大)が二個、マジックポーチ(大)が三個かな」
「私も同じくらい」
その答えに、私は少し肩を落とした。私が持っているのは、マジックバッグ(中)が三個だけだ。
すると、二人が顔を見合わせて、何やら目配せをし始めた。
「ねえ、凜。中層突破のお祝い、まだしてなかったよね」
「え?」
鏡花がマジックバッグから取り出したのは、艶やかな布地のポーチが三つ。
「はい、これ。マジックポーチ(大)。私たちから、お祝い」
「ちょっと、そんな……」
「いいから受け取って。これからポーション類は、このポーチに入れるといいよ」
押し切られる形で、私はそのプレゼントを受け取った。これで、ポーション類はマジックポーチへ、素材類は今まで通りマジックバッグへ収納する体制が整った。
荷物を整理していると、ふと視界の端に、見慣れない表示が浮かんだ。
――唯一スキル【亜空間庫】 Lv.5
――固有スキル【アイテムボックス】 Lv.5
「……あれ」
思わず声が漏れる。三十層のボスを討伐した際に、二つのスキルが一気に成長していたらしい。固有スキル【鑑定】を重ねてみる。
『亜空間庫――時間停止効果・大きさ無制限。(Lv.5)最大積載量五十トン。各種五スタックまで収納可能(一スタック=百個)』
『アイテムボックス――五メートル四方の物体を収納可能。酸化・腐蝕等の進行速度が通常の五十分の一。アイテムの収納数は無制限』
とんでもない容量だった。これなら――。
「ねえ、ちょっと試したいことがあるんだけど」
私は二人に断りを入れて、協会の職員のもとへ向かった。
「あの、すみません。食材の在庫処分とかって、していたりしますか」
「食材の在庫処分、ですか?」
怪訝そうな顔をした職員に、私は唯一スキル【亜空間庫】の説明をした。時間停止効果があり、大量に保存できること。
話を聞いた職員は、少し考え込んでから、奥へと引っ込んでいった。しばらくして戻ってくると、思いもよらない話を聞かせてくれた。
「実は……協会では、年間でおよそ一千万人分もの食材を廃棄しているんです」
「そんなに?」
「ダンジョンの出現以降、食料の過剰供給が常態化していまして。ですが、スタンピード以前はそうではなかった。むしろ、食料不足で餓死者が出るほどだったんです。その反省から、大量の備蓄体制を敷くようになったのですが……結果として、今度は過剰供給になってしまって」
なるほど、と私は納得した。
「それでしたら、賞味期限が近いものを、正規価格の千分の一程度でお譲りできますが、いかがでしょう」
「ぜひお願いします」
即答した私に、職員は嬉しそうに微笑んだ。
――実を言うと、この時の職員たちの対応には、もう一つ理由があったらしい。あとになって小耳に挟んだ話では、協会の裏では「あの手に負えなかった鏡花と紫苑の手綱を握ってくれる人が、ついに現れた」と、密かに喜ばれていたのだという。二人は、私とパーティーを組む前、ギルドでかなり暴れていた部類だったらしい。その割引の裏には、そんな事情も含まれていたようだ。
そうとは知らず、私は次々と運び込まれてくる食材を、亜空間庫の中へと収めていった。米、野菜、肉、調味料、乾物――種類も量も、驚くほど豊富だった。亜空間庫の時間停止効果のおかげで、これらは腐ることなく、いつまでも新鮮なまま保存できる。
倉庫一つ分はあろうかという食材を、ひたすら収納し続ける。亜空間庫の容量は、まだまだ余裕を感じさせた。
「……凜、すごい量だね」
「これだけあれば、しばらく食事には困らなそう」
鏡花と紫苑の言葉に、私は満足げに頷いた。
荷物の準備をすべて終えた頃には、すでに日が傾き始めていた。
「よし、明日からいよいよ下層だね」
私たちは協会を後にし、明日に備えて帰路についた。




