13.悪天10
レイトリバーは荒れ始めていた。
長い時間降り続いた雨は非常に広い川の水量を増やし、水面を荒立たせるのに十分だった。前後左右上下に激しく揺れ動く船内は、惨憺たる雰囲気である。
汗と血と湿った布の匂いが充満する船室の中は、獣の匂いの方がマシなのではないかと思うほどに息がしづらい。いつもならこの匂いと揺れとで胃の内容物を吐き出してもおかしくない自分だが、今回は全く気にする余裕が無かった。
考えてみたら自分にとって敗戦というのは初めての経験だった。
死んでもおかしくない場面、負けてもおかしくない場面は何度も経験している…が、実際に生き残り、敗北した事は無かった。マジックアローのお陰というのもあるだろうが、自分は豪運だとも言って良かったのだろう。この初めての経験は個人の争いとは違う、戦争の敗北というものの惨めさを思い知らせてきた。
確かに今回の戦いは無謀であっただろう。
帝国との戦争という急ぐ必要のない戦いに、オロール王国は焦っていたのだ。それは大陸の東半分の戦に全勝した王国の慢心と、油断であった。
それにマジックアローに対する全幅の信頼が招いたものだろう。今回の敗戦の一番大きな理由はここに帰結すると思う。
マジックアローは戦場において、剣と魔法の完全な範囲外から攻撃できる手段である。
一方的に敵の指揮官を狙い撃てば前線の敵は後ろから崩れるし、前線に大きな打撃を与えたならば敵に混乱と恐怖を齎すことが出来る。寡兵を覆す事の出来る非常に大きな力…これを有効に活用することでオロール王国はベルディグリ大陸の東半分で勝ち続けた。
ならば帝国はその情報を入手し、何らかの対策を講じて来ることは予想するべきだった。それだけの情報を各地の戦場でバラ撒いたし、それを精査する時間もあったのだ。
敗戦の理由とこれからの動きについての話が頭の中を回り続ける。
人としてどうかと思うが、予想以上に残して来た近衛軍の心配をしていなかった…自らの身の安全が取れた事によって、関心が薄くなったからかも分からない。これに気づいたのはオロール王国側のレイトリバー東岸に着岸した時だった。
「あぁ、着いた」
流れがいつもより少し早く、水は濁り、荒れているレイトリバーに愛馬と共に足を付けながら上陸した時に出た言葉だ。船の中でも感じていた疲れが、一気に体の内から表出してきたようだった。
「団長、大丈夫ですか?」
「ん?あぁセッターか。大丈夫だ…王陛下を探しに行こう。無事を確認しなければ」
重い体を再び陸に下ろした馬に引き上げながら、エメリヒ王を探しに向かう。左翼側から脱出したので、下流側にいるはずだ。徐々に雨が弱まり始めているが、それでも悪天には変わりない。恐らく暫く続きそうな空気を感じる。
馬の背に乗ってゆったりと歩いている分、体は少し休めることが出来ていた。今、必死の形相で陸地に転がり込んで来た近衛軍の兵士達よりも、自分は幾分かマシなのだと思える。
「団長、あの旗」
次々と着岸しては対岸へと出発する川船を眺めていると、いつの間にか隣に並んでいたフレディが指さしていた。
「うーん…オロール王国旗だな、王陛下がいらっしゃいそうだ」
速歩で歩いていた馬の腹をひと蹴りし、駈足になるように促す。
オロール王国旗へと近づくと、見た事のある顔が周囲を固めていた。近衛騎士団の連中だった…彼らの顔にも疲労の色が濃く出ているが、その表情と陣形を見る限りエメリヒ王を無事に王国領まで運んでくることが出来た様子だった。
「ご苦労様です。総副団長」
自分達が下りた馬を近くにいた近衛騎士達が預かってくれる。
「王陛下、只今戻りました」
「うむ……」
自分が言葉を繋げるのを待つように、エメリヒ王はこちらを鋭い目つきで見たままだ。彼は負傷した腕を治療するために上半身の鎧を脱ぎ、火魔導士と医師に体を任せていた。
「残りの近衛騎士団もこちらに向かって来ています。それとボウデン総団長ですが…殿軍を行うと仰られ、対岸にて戦っております」
「……そうか。ボウデンはそう言うような気がしていた」
「一度近くの城に退きましょう」
「それはならん」
エメリヒ王は自分の提案を即座に却下した。
「ならんぞ…今回はこちらの惨敗だ。奴らが王国の地に渡って来る大きな隙が出来てしまっている。こちらも水際で防ぐことが出来なければ、深く攻め入らせることになる。それに城に籠ってどこから援軍を期待するんだ?王国は全軍を以てスプルース帝国と戦っているんだぞ」
「出過ぎた真似を致しました」
疲労と負傷が重なる近衛軍にとって悪天の中での野宿は更に心の余裕をなくす気がしたのだ。だが、エメリヒ王の言う事も正しい。我々はこれ以上帝国軍に付け入らせる隙を与えてはならないのだ。
「陣を張れ、天幕も展開して構わんと伝えろ…とにかく近衛軍の統制を取り戻さなければならん。我々は敗北に慣れていないからな」
それを言ったと同時にエメリヒ王が苦虫を嚙み潰したような顔になったのは、言葉の痛みか治療の痛みかは分からなかった。
はじめまして。都津 稜太郎と申します!
再訪の方々、また来てくださり感謝です!
今後とも拙著を、どうぞよろしくお願い致します。




