Ep.3-35 残された疑問
**********
神域の中心部からの帰り道。
そこからの演習は、最早ただのハイキングだった。
奏や夏希を含め、みんなまだつい先ほどまで目の前で繰り広げられていた王獣たちの激闘の余韻から抜け切れていない。
だが、それでも足を動かし始めれば止まることなく歩き続けることができている。
行きとのペースの差を考えると、三日目を待たずして今日中に林の外へとたどり着けるかもしれない。
「エルリアさん、だ、大丈夫ですか……?」
「ええ、何とかね。桜花こそ、疲れたらすぐに言うのよ?」
「は、はい。ありがとうございます」
「(……エルリアちゃんも復活したし、ホントに今日着いちゃいそうだネ)」
桜花とエルリアが、和やかな会話をしているのが聞こえる。
ショック療法とでも言うべきか、エルリアもある程度元気を取り戻しているようで、本当によかったなー、と思う。
もちろんのこと突然終わったという訳ではなく、余りの衝撃に体調不良を忘れているだけだろうが、それでもあと半日ほど歩いて帰るだけだ。このまま何とか、演習を終えることができるだろう。
「それにしても……、あの結界、すーごかったねー」
演習に際した心配事が一通り無くなっていることに安堵した夏希は、ふと思い出す。
それは、自分たちを守ってくれた、あの光輝く結界のこと。
王獣たちの激闘の余波すら防ぎきる、階梯にして『皇帝級』に値するであろう超絶の魔術についてであった。
「ホーントっスね~。確か、あの猿の王獣さんが張ってくれたって、流斗さんが言ってた気がするっスけど」
夏希の近くを歩いていた唯依が、そう返事を返してくれる。
よく考えれば、普段は決して見ることのできない最高ランクの魔術だったはずだったのだが、自分も彼女もイマイチ印象が深くないのは、きっとあの王獣同士の圧倒的な戦闘ばかりが目に浮かぶからだろうか。
人智を超えた魔術たる、不朽の結界。戦闘中の流斗の言によれば、自分たちを守るために張られたものだという。
普通に考えれば、『猿猴王』というらしい磁猿たちの王がわざわざ張ってくれたようだ。
模擬戦と言う形でこの演習に協力してくれたこと、ハイエナの魔獣の出現に際し部下を向かわせてくれたことも併せて、本当に人間に対して優しい神様らしい。
「(……優しい、神様、かぁ)」
不意に頭をよぎるのは、演習の途中で奏にも告げた感傷。
神託が為されてから、特にこの林に来てずっと思っていたことだった。
――神。それは、人智を超えた存在。そして、世界を統べる存在。
それ故、人間に対する態度は、それこそ彼らの気分次第である。
自らの支配する領域に住まうモノに手を差し伸べる存在もいれば、圧倒的な力によって支配する存在もいる。
そのどちらでもない、完全な無関心を貫く存在もいる。
そんな中で、自分の領域に住まう訳でもない自分たちイッシュヴァルト王国立高等学校第二学年の生徒たちに対し、これだけの施しをしてくれた彼の王獣は、紛うことなく人間に非常に優しい神様であったと言えるだろう。
思い返せば先に出会っていた王獣『涙狼王』も、自分たちを含めた人間に非常に寛容な態度を見せていた。
――……どうして…………
だからこそ、より一層思う。
どうして、よりにもよって……と、答えのない問いが頭の中を駆け巡る。
彼女の力だけではどうしようもない理不尽さに、心が荒んだ気持ちになっていくのを感じる。
「(っ……。止め止め。今は考えたって仕方ないんだから……。――そー言えば、流斗くんが前に使ってた魔術。あの結界に似てたような気もするけど……まさかね?)」
一つため息をつき、思考を切り替える。何もできない今、考えたって仕方がない、と。
そして、頭にふと浮かんだあり得ない可能性を、しかし首を振ってすぐに否定する。
かつて迷子の幼女が持つ壊れた人形を修復した、流斗の……なんだっけか、『ナントカの船』、と言っていたような気がする、修復魔術。
あれも結界のような、不思議な光ではあったが、しかしあれと今回の結界とは色も形も違うし、もたらされる効力も全くもって違う。
そもそも幾ら彼が優秀であるとは言え、王獣同士の攻撃に耐え続けられるだけの結界なんて張れるはずがない、と苦笑いを一つ零す。
一発や二発ならともかく、戦闘中ずっと耐え続けていたのだから、どう考えても人間の限界を超えている。
「(うし、あと少し、頑張ろ!!)」
心中そう迷いを振り切り、また一歩足を踏み出していく。
――全く違う方向から、しかし偶然にも正解に辿り着きかけていることには、皆目気付かずに。
**********
他のグループに到着した証を渡さんと去っていった王獣と総隊長。
かつてない衝撃の景色の連続に、何とか足を動かして帰路についたクラスメイト達。
そんな二組を見送った神域の中央部に、しかし未だ一人の少年が佇んでいた。
「……えーっと、俺はどーすっかなー、これ」
呆けたような、何とも間の抜けた声が、誰もいない草原に溶けて消える。
そう、役目を終え、完全に行く当てを失った流斗の姿が、そこにはあった。
思い返せば元々、異変が起こっている可能性がある林の見回り、というのが、学園長から彼にお願いされていたことだった。
途中から異変というものが即ちこの域を奪わんとやって来たハイエナたちの仕業であることが分かり、流斗はその状況を正確に各グループへ伝え、そして無事に彼らの掃討に成功していた。
詰まるところ、彼がこの林で為すべきことは全て完了した、と言っても過言ではなかった。
「うーむ……」
そう言えば、と思う。
この林に起こっている可能性があった異変とは、まず一つは学園長の訪問に際し彼の王獣が顔を見せなかったこと。
それは、ハイエナの魔獣たちの襲撃に起因していた、と本人(本人でいいのか? 本獣、いや、本神とでも言うべきだろうか)が直々に言っていたので、そちらは解決済みと言っていいだろう。
「んで、もういっこ……」
そして、もう一つの可能性。
それは先日、巫女の国で為されたという、神託。
――王無き玉座に、鉄槌は下る
というその神託の対象が、この林であるという可能性だった。
「王無き……は当てはまらねえし、鉄槌とやらも思い当たる節はねえよなぁ」
静謐を取り戻した草原に吹く爽やかな風を頬に受けつつ、そう独り言つ。
この域の主たる王『磁猿魔』は、この演習中一度もこの林を離れてはいないらしい。その意味で、演習に関する神託だったという線は既に消えたことになる。
もし可能性があるとするならば、この演習の前、ハイエナたちが現れたときは、所用で林を外していた、というようなことは言っていた。
“鉄槌”を何かしらの制裁と読み替えるならば、何か王がいないことでよからぬことが起こったと見るべきだが、ハイエナたちが現れたことによる彼らの被害は、『磁猿魔』の部下、代わりを頼まれるほどの古参の磁猿が一匹斃されたことくらいである。
「言っちゃああれだがそれだけじゃ……弱い」
巫女の国の神託。
なぜこの小さい国によってなされる予言が重要視されているのかと言えば、その予言が正確で、かつ必ず歴史上の転回点となるような大きな栄枯を予言するからである。
言い方は悪いかもしれないが、人間の関わらない、王獣ですらない部下一匹の生死が、神託の対象になり得るとは到底思えなかった。
で、あるならば、だ。
「他に、あるんだろーな。まだ見ぬ、神託の予言した栄枯とやらがな」
それが何なのか、何処で起こるのか、そんなことは分からない。
ただ、歴史の転回点たるほどの何か巨大な出来事がこの世界に待ち構えていることを知り、漠々と世界の理不尽さへと思いを馳せるのだった。




