第61話 未来のエピローグ 世界有数の大富豪の遺産
本編最終話から数か月後。
これは結婚前の出来事である。
ミリアが学校帰りに、一枚の原稿を持ってきた。
「先生に頼まれたんです。何十年も先の町で、私たちのごみ屋がどうなっているか、子供たちに想像してもらいたいそうです」
「俺たちの店が未来に残っているか、誰にも分からないぞ」
「だから物語にするんですよ」
ミリアは少し得意そうに笑った。
表紙には、子供の字で『未来のごみ屋』と書かれている。
俺は湯気の立つ茶を脇に寄せ、最初のページをめくった。
――『未来のごみ屋』より。
王国の片田舎。
かつて、オリバが営んでいた小さなごみ屋。
その店は、今でも残っていた。
店の前には、一枚の古い看板。
オリバのごみ屋
そして、その下には、小さな文字が刻まれている。
『まだ使えるものを、捨てるなんてもったいない』
店の中では、若い職人たちが働いていた。
壊れた魔道具を修理する。
使い終わった魔石を再生する。
古い金属を、新しい道具に作り変える。
そして、店の奥には。
一枚の古い契約書が飾られていた。
金貨一枚。
最初のごみ山を買い取ったときの契約書。
その横には、小さな説明文があった。
『世界有数の大富豪は、金貨一枚のごみ山から生まれた』
ある日。
小さな男の子が、店を訪れた。
手には、壊れた魔道具を持っている。
「……あの」
店員が笑った。
「いらっしゃい」
男の子は尋ねた。
「これ、買ってくれますか?」
店員は魔道具を受け取った。
そして、微笑んだ。
「もちろん」
男の子は目を輝かせた。
「本当!?」
店員は頷いた。
「だって――」
そして、店に代々伝わる言葉を口にした。
「まだ使えるじゃないか」
小さな店に、明るい笑い声が響いた。
世界は、今日も少しずつ変わっていく。
誰かが捨てたものが、誰かの宝物になる。
壊れたものが、再び使えるようになる。
そしてその小さな積み重ねが、世界を豊かにしていく。
かつて、一人の商人がそうしたように。
『異世界でごみを買い取ったら、世界有数の大富豪になった』
――未来を想像した物語は、ここで終わっていた。
「この未来の物語、誰が書いたんだ?」
俺が尋ねると、ミリアは町の学校の子どもたちが班で書き、教師が一冊にまとめたのだと教えてくれた。
昔の暮らしと今の暮らしの違いを考える授業で生まれた物語らしい。
「でも、ずいぶん俺を立派な人間にしているな」
「本人が読んだら照れると思って、名前を伏せていたそうですよ」
「名前を伏せても、金貨一枚のごみ山でばれるだろう」
俺たちは笑った。
ただ、俺には一つ気になることがあった。
紙の中の未来では、誰も迷わず壊れたものを直している。
そんな世界になればいいと思う。
だが、実際の仕事はもっと厄介だ。
「子供たちには、失敗した話も伝えてほしい」
「失敗ですか?」
「修理した品が壊れたこともある。回収を急いで職人を危険にさらしたこともある。誰かが声を上げてくれなければ、俺は間違いに気づかなかった」
ミリアは真剣な顔で頷いた。
翌朝、俺たちは学校を訪ねた。
教師は古い作業場を教室に改装し、机の上には壊れた照明魔道具が並んでいた。
「本物のオリバさんが来るなんて!」
教師が慌てて礼をする。
俺はそれを止め、子供たちと同じ高さの椅子に腰掛けた。
「今日は偉い商人の話じゃなくて、修理の失敗談をしに来ました」
子供たちは顔を見合わせた。
俺は最初に修理した魔道具の話をした。
部品を取り違え、灯りがついた瞬間に煙を噴いたこと。
ミリアに叱られたこと。
安全確認を省いてはいけないと、ようやく理解したこと。
「じゃあ、鑑定できても間違えるの?」
一人の少女が手を挙げた。
「間違える。鑑定は材料のことを教えてくれる。でも、使う人の暮らしまで教えてはくれない」
俺は机の上の壊れた灯りを指した。
「これを直すなら、誰が使うかも考えないといけない。熱くなりすぎれば、子供が触って火傷するかもしれないからな」
授業の後半、教師が子供たちに問いかけた。
「未来のごみ屋さんには、何が必要でしょう」
「鑑定の魔法!」
「たくさんのお金!」
「強い馬車!」
いろいろな声が飛ぶ中、一番後ろの少年が小さく言った。
「直せないものを、直せないって言う勇気」
俺は思わず少年を見た。
「どうしてそう思った?」
「父さんが昔、壊れた道具を無理に使って怪我したから。新しいものを買うお金がなくて」
教室が静かになった。
俺はすぐに答えを出せなかった。
修理が正しいとは限らない。
使い続けることより、安全に捨てることが必要な場合もある。
「その通りだ」
俺は少年に言った。
「俺たちの仕事は、何でも直すことじゃない。人が安心して暮らせるようにすることだ」
ミリアが後ろで微笑んだ。
学校を出ると、教師が紙の原稿を差し出した。
「未来の話を、直した方がいいでしょうか」
俺は首を振った。
「夢は夢のままでいい。ただ、子どもたちに一つだけ質問を返してもらえませんか」
「何と?」
「未来の店で困ったことが起きたら、誰に相談すると思うか、と」
教師は少し考え、笑顔になった。
「英雄一人ではなく、みんなで続けた仕事だったんですね」
俺は頷いた。
あの古い店を守ってきたのは、俺一人ではない。
ミリアも、親方も、名も知らない職人たちも、怒ってくれた客もいた。
学校の門を出ようとすると、少年が追いかけてきた。
手には、直したいと言っていたランプがある。
「これ、危ないなら捨てた方がいい?」
俺はすぐに鑑定せず、少年に尋ねた。
「誰が使うんだ?」
「夜に仕事から帰る母さん。暗い階段で何度も転んでる」
俺は灯りを受け取った。
古い配線は傷んでいたが、外側の金具は使える。
「このまま火を入れるのは駄目だ。でも、全部を捨てる必要もない」
「じゃあ、直せる?」
「安全な部品に替えるならな。費用は先に見積もろう。勝手に高い部品を付けて請求したりはしない」
少年は安心したように頷いた。
俺は修理の予約を帳面に記し、作業の前に必ず母親にも確認すると約束した。
未来を語るより、目の前の一人と約束を守る方がずっと難しく、ずっと確かだった。
少年が持ってきたランプは、まだ修理待ちの棚に置かれていた。
未来の物語をどれだけ立派に書いても、この小さな明かりを安全に灯せなければ意味がない。
学校から届いた返事には、未来の物語よりも一つの質問が書かれていた。
「ミリアさんは、なぜ最初にオリバさんを信じたのですか」
俺は彼女に答えを聞こうとして、やめた。
いつも俺の仕事を手伝ってくれた理由を、仕事の言葉で片づけていた気がした。
次に二人で湖へ行くときは、今度こそ俺が彼女の話を聞こうと思った。
数日後、少年と母親が修理したランプを受け取りに来た。
新しい配線は安全な部品に替え、古い金具だけを磨いて残した。
少年が灯りをともすと、母親は眩しそうに目を細めた。
「夜の階段が怖かったんです」
と母親は言った。
「でも、これなら帰れます」
俺は約束した見積りどおりの代金を受け取った。
少年はランプを抱え、母親の歩幅に合わせて店を出ていく。
未来の立派な物語より、あの二人が今夜無事に家へ帰れることの方が、俺には大切だった。
少年が持っていたランプの修理伝票には、いつでも戻ってこられるよう店の住所を記した。
ランプを引き渡したその晩、俺はミリアと一緒に学校の原稿を読み直した。
未来の店に、俺たちの名前だけが大きく残っている。
ミリアは首をかしげた。
「これでは、店を続ける人がいなくなったみたいです」
俺は原稿の本文には手を入れず、別紙に感想を書いた。
修理したランプを受け取った少年が、何年も後に誰かの壊れた道具を持ち込む姿を想像したのだ。
ミリアはそれを読んで笑った。
「その人がまた誰かを助けたら、ずっと続きますね」
学校へ返す封筒を用意していると、彼女が原稿の余白に小さな文字を書いた。
『この二人は、その後どうなったのでしょう』
「まだ何も決めていないな」
と俺は言った。
ミリアは筆を置き、こちらを見た。
「それなら、明日の朝だけ空けてください。湖へ行った日に、あなたが言いかけてやめた話があります」
俺は予定表を開いた。
朝の欄には商会の報告会が入っている。
担当者に任せられる仕事だった。
予定を一つ消し、引き継ぎの手紙を机に置く。
「明日は、最後まで聞いてくださいね」
俺は予定表を閉じた。
「約束する」
封筒の表紙には、子どもたちが描いた何十年後の店の絵があった。
俺は
「これは未来の出来事だ」
と書き添える代わりに、その絵を大切に封筒へ戻した。
まだ起きていない年月を、俺の成功談で決めつける必要はない。
いつか彼ら自身の手で、この物語の続きを書いてほしかった。
ミリアはそれ以上何も聞かなかった。
ただ、封筒の宛名を書き終えるまで、俺の隣に座っていた。




