第59話 世界有数の大富豪が、最後に買ったごみ山
ある日。
俺の店に、一人の老人がやってきた。
「……オリバさん」
「いらっしゃい」
老人は小さな地図を差し出した。
「相談があるんじゃ」
「何でしょう?」
老人は言った。
「村の外れに、古いごみ山がある」
俺は目を細めた。
「……ごみ山?」
「そうじゃ」
老人は頷いた。
「何十年も前から、誰も使っておらん」
俺は笑った。
「なるほど」
「処分するにも金がかかる」
老人は困った顔をした。
「買い取ってもらえんか?」
俺は地図を見た。
小さな村。
山の麓。
古い廃棄物処分場。
俺は少し考えた。
そして尋ねた。
「いくらです?」
老人は申し訳なさそうに言った。
「……金貨一枚で、どうじゃろう」
俺は固まった。
「……金貨一枚?」
「高いかの?」
俺は笑った。
「いや」
そして、頷いた。
「買います」
村へ向かう前、俺は老人から一つだけ聞き出した。
「どうして今まで処分しなかったんです?」
老人は帽子を握りしめた。
「処分を頼むたび、金貨を何十枚も請求された。村の井戸を直す金さえないのに、そんな金は出せん」
俺は地図の端に記された小さな印を見つけた。
井戸と畑が、ごみ山のすぐ下にある。
「雨が降ると、何か流れ出しますか」
「春先には黒い水が出る。子供を近づけるなと、ずっと言ってきた」
ただの資源探しでは済まない。
俺はミリアに水質を調べる道具と、封じ込め用の布を頼んだ。
「商会の人を呼びますか?」
「まず俺たちで見る。危険なら専門の班に任せる。昔みたいに勢いで掘り返すのは、もうやめだ」
ミリアは少し驚いてから、嬉しそうに笑った。
現場へ着くと、俺の予想よりごみ山は深かった。
木の根が金属片に絡み、足元には割れた魔石の粉が薄く積もっている。
鑑定は修復できる品を教えてくれるが、地面が安全かどうかまでは保証してくれない。
「この斜面は触らないでください」
俺は同行した村の若者たちを止めた。
直後、足元の土が崩れ、錆びた樽が半分姿を現した。
「うわっ!」
若者が後ずさる。
俺も肝を冷やした。
金貨一枚の買い物が、村の命を脅かすものになっては意味がない。
樽の周りを測ると、雨水が流れ込む細い溝があった。
まず溝を迂回させ、樽の周囲に柵を設ける。
中身の確認は防護具を持った職人に頼むことにした。
「買ったのに、すぐ儲けないんですか」
若者の問いに、俺は首を振った。
「先に村の井戸を守る。儲け話はそのあとだ」
その晩、村の集会所に人が集まった。
俺がごみ山を買ったと聞き、安心した者もいれば、商会が資源を持ち去るだけだと疑う者もいた。
「昔、別の商人も同じことを言った!」
年配の女性が立ち上がった。
「金になる金属だけ拾って、危ないものを残していったんだよ」
俺は言い返しかけて、口を閉じた。
彼女が怒るのは当然だった。
帳簿を開き、今回の費用の見込みを皆の前に置く。
「回収できる金属の売上から、まず危険物の処理費と井戸の検査費を引きます。残りが出たら、村と分ける。赤字になっても、危険物は置いていかない」
「口約束じゃ信用できん」
「では契約書に書きましょう。村の代表にも控えを渡します」
ミリアがその場で文面を書き、老人と女性に読み上げてもらった。
読めない人のため、俺は一項目ずつ説明した。
大富豪になってから忘れかけていた、最初の取引の緊張が戻ってきた。
三日後、専門班が樽を回収した。
中に残っていたのは、古い加工薬液だった。
水路に漏れ出す前に運び出せたが、処理費は見積もりを超えた。
「利益がなくなりますね」
ミリアが帳簿を見ながら言う。
「それなら、それでいい」
ところが、斜面の下から別のものが見つかった。
壊れた照明魔道具が数十個、木箱に丁寧に収められていたのだ。
村の古い学校で使っていたらしい。
俺は一つを修理して、集会所の天井に取り付けた。
夜になり、白い光が部屋を満たす。
「こんな明るさ、久しぶりだ」
老人が目を細めた。
子供たちは影絵を作って遊び始めた。
売れば金貨になる。
だが俺は、最初の数個を村に残すことにした。
村の人たちが修理の方法を覚えれば、次からは自分たちで直せる。
「俺がいなくなっても、使えるようにしたいんです」
女性はしばらく黙っていたが、やがて俺に手を差し出した。
「今度は、最後まで片づけてくれるんだね」
俺はその手を握った。
「約束します」
作業を終えた夜、ミリアが古い契約書を俺に見せた。
金貨一枚という文字が、夕灯りの中で小さく揺れている。
「最初のころなら、きっと全部売っていましたね」
「そうかもしれない」
「でも今のオリバさんは、違います」
俺は返事に迷った。
富を得て、できることは増えた。
けれど、目の前の一人を安心させるのに必要なのは、金額の大きさではなかった。
「俺はまだ、商売が下手なのかもな」
「どうしてです?」
「儲からない買い物ほど、忘れられない」
ミリアは声を上げて笑った。
「それなら、ずっと下手でいてください」
俺も笑った。
明日になれば、また資材の運搬や契約の確認が待っている。
けれど今夜だけは、金貨一枚の紙切れがどんな宝石より眩しく見えた。
片づけを終えた夕方、村の子供たちが集会所から飛び出してきた。
「おじさん、明日もあの灯り、つけていい?」
「もちろん。使い方は覚えたか?」
一番小さな子が、修理した照明の点検表を誇らしげに見せた。
字の読めない祖父のために、異常があれば印をつける絵も描いてある。
俺はそれを見て笑った。
昔の俺なら、山の中にどれほど高価な金属が埋まっているかを考えていた。
今は、あの灯りが消えたとき、誰が直せるかの方が気になる。
老人は村の人たちと井戸の検査日を相談していた。
疑っていた女性もその輪に入っている。
俺が間に入る必要はなかった。
「これで本当に、最後のごみ山ですね」
とミリアが言った。
「最後にしては、儲からなかったな」
「そうですね。でも、村の人たちはもう、私たちを待たなくていい」
その言葉が、なぜか胸に残った。
村の灯りがついたあと、俺は次の訪問日を手帳に書こうとしてやめた。
約束は守る。
でも、ミリアと過ごす日まで仕事の予定で埋めるつもりはない。
二人で選ぶ時間を、今度こそ残しておきたかった。
帰り道、俺たちは丘の向こうの湖に寄った。
夕焼けの色が水面に長く伸びていた。
ミリアは岸辺の石に腰掛け、靴についた土を落とした。
俺も隣に座る。
二人とも、しばらく何も話さなかった。
「オリバさん」
「何だ?」
「初めて一緒にごみを拾った日、こんなふうに座る時間はありませんでしたね」
「値段をつけるのに必死だったからな」
ミリアは笑った。
「今は?」
俺は鞄から手帳を出しかけ、やめた。
明日の予定も、来月の契約も、後継者たちがもう決められる。
「来年、あの灯りを直した子たちの仕事を見に来よう」
「修理の点検ですか?」
「違う。村の人たちが自分で直せるようになったか、客として見に来たい」
ミリアは目を丸くしたあと、少し俯いた。
「その次の年は?」
「その次も。俺たちが来たいと思う限り、ずっと」
彼女は黙って俺の手を握った。
遠くの村で、修理した灯りが一つ、また一つとともった。
金貨一枚で買ったごみ山は、もう暗い影ではなかった。
俺は手帳を開かずに、隣の手を握り返した。
最後に買ったごみ山では、俺が値札を付ける前に村の人々が選別を始めていた。
古い鉄は鍛冶屋へ、使える木材は学校へ、危険な薬品は封じた箱へ。
村長は買い取り価格ではなく、作業に参加した人の賃金表を見せた。
「次からは、うちで決めます」
俺はその紙に署名しなかった。
もう俺の許可は必要ない。
帰り道、誰も見送らなかった。
皆、自分の仕事に戻っていたからだ。




