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第56話 世界最大の商会を部下に任せたら、全員が泣き始めた

オリバ資源商会、本社。

巨大な会議室には、各地の幹部たちが集まっていた。

俺は退任を伝えるため、幹部たちの前に立った。

「皆、今までありがとう」

会議室が静かになった。

「金貨一枚から始めた小さな商売が、ここまで大きくなった」

俺は笑った。

「正直、自分でも驚いている」

幹部たちが笑った。

「でも、ここまで来られたのは、皆のおかげだ」

俺は頭を下げた。

「本当にありがとう」

すると。

一人の幹部が立ち上がった。

「会長!」

「何だ?」

「私は、最初の工房で働いていました!」

「……そうだったな」

「当時、仕事がなくて困っていたんです!」

俺は頷いた。

「覚えている」

幹部は涙を浮かべていた。

「会長が雇ってくれなければ、今の私はありません!」

別の幹部も立ち上がった。

「私もです!」

「うちの町にも、仕事を作ってくれました!」

「家族を養えるようになりました!」

「ありがとうございました!」

会議室のあちこちから声が上がった。

俺は少し困った。

「……おいおい」

ミリアが隣で笑った。

「オリバさん」

「ん?」

「皆、感謝しているんですよ」

俺は頷いた。

「……そうか」

そして、もう一度頭を下げた。

「こちらこそ、ありがとう」

挨拶が一段落すると、若い支店長が尋ねた。

「会長がいなくなったら、誰が失敗の責任を取るんですか」

俺は答えた。

「決めた人間が取る。だが、一人に押しつけない仕組みを残す」

事故報告を隠さず共有すること、現場の停止権を守ること、損失より人命を優先すること。

最後の議事録には、売上目標ではなくその三つを書いた。

ただ、涙の会議だけで引き継ぎが終わるほど、商会は小さくなかった。


翌日から俺は、各部門の責任者と順番に面談した。

最初に来たのは輸送部門の長だった。

「会長の退任後、古い船の更新を延期したいのです」

理由を聞くと、新体制の利益をよく見せたいらしい。

「それは駄目だ」

思わず強く言ってしまった。

彼は肩をすくめた。

「やはり会長が決めるのですね」

俺は口を閉じた。

これでは、昨日言ったことと矛盾する。

「判断は任せる。でも、延期で危険が増えるなら、その根拠を現場に説明してくれ」

彼は渋い顔で帰っていった。


数日後、輸送部門から事故寸前の報告が届いた。

古い船の魔力導線が航行中に熱を持ち、船員が気づいて港へ戻したという。

責任者は自分の判断を撤回し、更新費用を要求してきた。

「会長、私の間違いでした」

俺は書類を返した。

「俺に謝る必要はない。船員に話してきてくれ」

彼は現場へ向かい、作業員の前で延期を決めた理由を説明した。

その後、全員で新しい点検手順を作った。

戻ってきた彼は言った。

「今まで会長が怒るから安全を守っていた気がします。これからは自分たちが守ります」

俺はそれを聞いて、やっと安心できた。

別の工房では、長年勤めた職人が辞表を出していた。

「会長が辞めるなら、俺も潮時です」

俺は彼を食堂へ誘った。

昔、金属くずから初めてまともな部品を作った夜のことを話した。

彼は笑いながらも、目を伏せた。

「若い連中は、新しい機械のほうが得意です。俺の技術なんて」

俺は首を振った。

「新しい機械が止まったとき、何が壊れたか耳で分かるのはあなただ」


翌日、彼を新人教育の担当に推薦した。

本人は

「教えるのは苦手だ」

と渋ったが、最初の授業で道具の持ち方を説明し始めると、誰よりも熱心だった。

退任式に先立ち、俺は経営権の移譲を記した最終書類に署名していた。

後任の幹部たちの署名も揃い、式が終われば新体制へ正式に切り替わる。

会議室の壁には、商会が最初から掲げてきた言葉が残った。

使えるものを、無駄にしない。

その理念をこれからどう実行するかは、新しい会長と現場で働く人々が決める。

引退式の準備が進む中、俺は一つだけ頼み事をした。

「花束は少なくていい。その代わり、各地の工房で働く人の声を聞かせてくれ」

当日、会議室には分厚い冊子が届いた。

砂漠の井戸を直す技師、港で廃船を解体する職人、北方で暖房装置を組み立てる若者。

誰もが自分の仕事と、まだ困っていることを書いていた。

俺は一枚ずつ読んだ。

感謝の言葉より、

「次はこの道具を改善したい」

という声が嬉しかった。

商会はまだ先へ進もうとしている。

式の途中、最初の工房で一緒に働いた職人が古い手袋を持ってきた。

穴だらけで、指先には何度も縫い直した跡がある。

「会長、これを覚えていますか」

「もちろん」

最初のごみ山で拾った金属片に手を切り、ミリアに叱られたときのものだ。

「今は誰も、こんな手袋で作業しません」

職人は笑った。

「安全な手袋を作る工房ができたからです」

俺は受け取り、喉の奥が熱くなった。

世界最大の商会になったことより、その一言が胸に響いた。

最後に俺は壇上から降り、後継者に席を譲った。

新しい会長は緊張した声で言った。

「前会長のようにはできません」

会場が静かになった。

「だから、私たちのやり方で、困っている人の声を聞きます」

拍手が起きた。

俺も両手を叩いた。

ミリアが横で小声で言う。

「少し寂しいですか」

「ああ。でも、それ以上に嬉しい」

自分の席に別の誰かが座っている光景を、俺はしばらく眺めていた。

ようやく、商会を任せられた気がした。

会場を出る前、古い工房の親方が後継者に声をかけた。

「新人の手袋が足りない。来月まで待てない」

後継者は壇上の花束を脇に置き、その場で調達担当と必要数を確かめ始めた。

俺は口を挟まなかった。

式が終わるころ、受付の若い職員が一枚の寄せ書きを渡してくれた。

そこには祝辞ではなく、各支店が今年中に実現したい仕事が並んでいた。

港の廃材を学校の机に変えること。

冬の村へ修理道具を届けること。

見習いの試験を有給にすること。

俺の名を記した行はない。

「これを、あなたへの贈り物にしたかったんです」

と職員は言った。

俺はその紙を持ち帰らず、次の会議室の壁に貼ってもらった。

明日から彼らが見るべき約束だからだ。

退任式が終わった直後、港の工房から新会長のもとへ急ぎの知らせが届いた。

修理用の部品が足りず、荷主との約束を守れないという。

後継者は現場の職人と荷主を同じ通信卓につなぎ、運航を止める理由と代替輸送の日程を自分の言葉で説明した。

荷主の一人は怒って席を立ったが、残った者は新しい納期を受け入れた。

俺は退出しかけた廊下でその説明を聞き、引き返さず玄関へ向かった。

新しい会長が負うのは、正しい判断だけではない。

その結果を相手に伝える役目もある。

玄関でミリアを待つ間、古い受付係が帳面を閉じていた。

「今日から肩書きは何と書きましょう」

と尋ねられ、俺は返事に迷った。

受付係は笑って、訪問者の欄に『オリバ』とだけ書いた。

商会を始めたころ、俺の名前を知る者はほとんどいなかった。

今は逆に、名前の前に肩書きがないことが新鮮だった。

ミリアが階段を下りてくる。

俺は彼女に書類を渡す代わりに、玄関の扉を開けた。


翌週、港の工房から新しい手袋が届いた。

調達担当の若者は、サイズが合わない分をそのまま配らず、現場の職人に試着してもらったという。

後継者から俺に報告は来なかった。

ミリアが掲示板の写真を見せてくれた。

「もう、あなたの承認はいらないんですね」

俺は頷いた。

寂しさより、安心の方が大きかった。

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