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第50話 世界有数の大富豪が、金貨一枚の価値を思い出した


その日の夕方。

俺は村の小さな宿に泊まっていた。

窓の外には、夕焼けに染まる畑が広がっている。

ミリアが紅茶を運んできた。

「オリバさん」

「ありがとう」

俺は椅子に座った。

机の上には、一枚の古い契約書が置かれている。

最初のごみ山を買い取ったときの契約書だ。

金貨一枚。

俺はそれを見つめた。

「……懐かしいな」

ミリアが笑った。

「また見ているんですか?」

「ああ」

「何度も見ていますね」

俺は頷いた。

「これが、すべての始まりだからな」

異世界に転生したばかりの頃。

俺には、何もなかった。

金もない。

家もない。

知り合いもいない。

あるのは、素材の価値が分かる能力だけ。

そして誰も欲しがらない、ごみ山。

俺はそれを金貨一枚で買った。

周囲の人間は笑った。

馬鹿だと言われた。

金を捨てたと言われた。

だがごみ山の中には、使える資源が眠っていた。

壊れた魔道具。

使い終わった魔石。

鉱山の廃石。

魔物の骨。

それらを再利用して、少しずつ金を稼いだ。


やがて、商会を作った。

従業員が増えた。

工房が増えた。

取引先が増えた。

そして気づけば、世界有数の大富豪と呼ばれるようになっていた。

翌朝、宿の主人が俺を呼び止めた。

「会長さん、ひとつ頼みがあるんです」

彼は古い木箱を差し出した。

中には割れた魔石灯と、使い古された小さな硬貨が入っていた。

「この灯り、直せませんか。妻が病気のとき、夜通しつけていた物で」

俺は魔石灯を手に取った。

部品の値打ちは安い。

新品を買った方が早いくらいだ。

それでも主人は箱を抱える手を震わせていた。

「修理工房に頼めばできます。ただ、部品代がかかります」

「いくらでしょう」

俺が金額を伝えると、主人の顔が曇った。

宿の売上では簡単に出せない額だった。

ミリアが小声で言った。

「オリバさんなら、無料にできますよね」

「ああ。でも、それでいいのかな」

俺は窓の外の工房を見た。

あそこには修理で暮らす青年たちがいる。

俺が気前よく無料で直してしまえば、彼らの仕事の値段を自分で壊すことになる。

俺は主人に提案した。

「工房の修理代は正規に払ってください。その代わり、この宿の古い食器と壊れた金具を、商会が適正価格で買い取ります。使える資源があるはずです」

主人は驚いた。

「こんな物が金になるんですか」

「金になるかは調べてからです。値打ちのない物を高く買うことはできません」

その日の昼、俺たちは宿の裏庭で仕分けを始めた。

ミリアは帳簿を開き、主人は一つずつ品物の来歴を話した。

曲がった鍋、欠けた釘、壊れた蝶番。

俺の目には、まだ使える鉄や銅が見えた。

だが、木箱の底から出てきた小さな銀の留め金だけは違った。

珍しい加工が施されている。

価値を告げると主人は目を丸くした。

「それは妻が大事にしていた物です。売りません」

「それがいいと思います」

俺は留め金を返した。

高く売れるからといって、売るべき物とは限らない。

工房に修理を頼むと、若い職人が魔石灯を見て顔をしかめた。

「この型はもう部品がありません」

「代わりは作れないか」

「作れます。でも古い回路に合うか分からない」

俺は主人に危険と費用を説明した。

主人は少し考え、修理を選んだ。

「妻が使った形のまま、もう一度灯してみたいんです」

試作した部品は一度目の試験で熱を持った。

職人は悔しそうに唇を噛んだ。

俺は失敗した部品を机に置き、熱が集まった場所を一緒に調べた。

「無理に明るくする必要はない。あの頃と同じくらいの光でいい」

主人の言葉で、職人の手が止まった。

俺たちは出力を下げ、冷却用の小さな金具を追加した。

二度目の試験では、柔らかな橙色の光が灯った。

主人は何も言わず、灯りを見つめていた。


やがて

「ありがとう」

と一言だけ言った。

修理代は、買い取った廃材の代金でほぼ賄えた。

残りは主人が自分で払った。

職人は初めての難しい修理を成し遂げ、胸を張って工房へ戻っていった。

夕方、ミリアが尋ねた。

「金貨一枚の価値を思い出したんですか」

「いや、まだ覚え直しているところだ」

俺は答えた。

大金を持てば何でも解決できると思いかけていた。

でも、一枚の硬貨が誰の手から誰の手へ渡るかで、救えるものは変わる。

俺は古い契約書を畳んだ。

最初のごみ山を買ったとき、俺は価値のある物を見つけたつもりだった。

本当は、価値を見落としている人たちと出会ったのかもしれない。

夜、宿の廊下には修理された灯りがともっていた。

主人は客の荷物を運びながら、ときどきその光を見上げた。

俺はその横を静かに通り過ぎた。

宿の主人は、修理した灯りを客室ではなく廊下に置くことにした。

俺が理由を尋ねると、

「妻は暗い廊下を嫌がっていましたから」

と照れくさそうに言った。

俺はその気持ちを値札に書くことはできないと思った。

夜遅く、若い旅人が宿へ入ってきた。

道に迷って不安そうだったが、灯りを見るとほっとした顔をした。

主人は温かい湯を渡し、濡れた外套を預かった。

俺はその光景を見て、商売の本当の難しさを考えた。

利益を出すだけなら数字を追えばいい。

だが、数字が示さない価値を守るには、相手の話を聞かなければならない。


翌朝、俺は工房に修理代の明細を確認しに行った。

若い職人は胸を張って作業時間を説明してくれた。

俺は値切らず、次の難しい修理にも挑戦してほしいと伝えた。

金貨一枚の使い道は、昔より増えた。

それでも一枚を軽く扱わないことだけは、忘れたくなかった。

宿の主人は、俺の商会が修理部品の注文を減らしたと知っていた。

「壊れなくなったら、うちの息子の仕事はどうなる」

俺は答えられず、息子が直した古いランプを見せてもらった。

新品を売らない日にも、灯りを守る仕事はある。

だが、その仕事で暮らせる仕組みはまだなかった。

翌朝、俺は商会の役員会へ修理職人の収入保障を議題として送った。

「……ミリア」

「はい?」

「最初に雇ったとき、給料いくらだったっけ?」

ミリアは笑った。

「銀貨五枚です」

「……安かったな」

「安かったです!」

俺は苦笑した。

「悪かった」

「でも、ちゃんと払ってくれました」

ミリアは微笑んだ。

「それに、初めて給料をもらったとき、本当に嬉しかったんです」

俺は頷いた。

「そうか」

ミリアは続けた。

「オリバさんは、最初から変わっていません」

「そうか?」

「はい」

「今は世界有数の大富豪だぞ?」

「それでも、ごみを見ると目を輝かせるでしょう?」

俺は笑った。

「……確かにな」

ミリアも笑った。

「だから、私はずっと一緒に働いているんです」

俺は窓の外を見た。

夕焼けの向こう。

村の工房から、明かりが漏れていた。

「……ありがとうな」

ミリアは少し驚いた顔をした。

そして、嬉しそうに笑った。

「こちらこそ」

食堂で最初に聞こえたのは売上の報告ではなく、修理工の

「今日は部品が足りない」

という声だった。

俺は数字を確かめ、手配だけして席を譲った。

世界一の商会でも、現場の仕事は現場の人が進めている。

ミリアが古い帳簿を開くと、最初の給金の横に自分で描いた小さな星があった。

「あの日、家にパンを持って帰れたんです」

俺は世界の売上を並べた帳簿を閉じた。

明日の修理工房の食堂では、数字より先に働く人の顔を見ようと思った。

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