第3章 第31話 帝国のごみを集めたら、王国より儲かってしまった
帝国進出から二年。
俺の机に届いた決算書には、金貨三百万枚という数字が並んでいた。
帝国内の回収拠点は八十か所、工房は二十五か所。
従業員は三千人を超え、王国側を合わせれば一万人以上になる。
「王国の売上を超えました!」
ミリアが嬉しそうに報告した。
俺も笑おうとしたが、決算書の下に挟まれた薄い紙が気になった。
北部工房の事故報告書だった。
先月だけで作業中の負傷者が七人。
新人の離職率は、ほかの拠点の三倍。
「これ、誰が確認した?」
「工房長です。事故は軽微だと書いてあります」
「軽微なら、なぜ七人も怪我をしている?」
ミリアは答えなかった。
俺は出張の予定を変更し、北部工房へ向かった。
翌朝。
工房の入口には、出荷を待つ再生金属が山積みになっていた。
ところが、奥の作業台では一人の若い職人が左手だけで工具を握っている。
右手には厚い包帯が巻かれていた。
「その手で作業していいのか?」
俺が尋ねると、彼は工具を置いた。
「納期があるんで。休めば同僚に押しつけることになります」
「名前は?」
「レオンです。会長には関係ないでしょう」
胸に冷たいものが落ちた。
工房長は慌てて説明した。
「事故は本人の不注意でして……」
「装置を止めてくれ」
俺が言うと、工房長は顔色を変えた。
「今日の出荷が遅れます!」
「それでも止める」
作業場が静かになった。
俺はレオンの作業台に近づいた。
金属の切れ端が足元に散らばり、安全覆いは片方の留め具が外れている。
素材鑑定で装置の摩耗を調べると、回転軸の歪みが基準値を超えていた。
「いつからこうなっている?」
「二週間前からです」
レオンは答えた。
「修理申請は出しました。でも生産を止めるなと」
俺は工房長を見た。
工房長は唇を噛んだ。
「本部から増産命令が来ていたんです。目標を達成しなければ予算が減ると……」
その命令に署名したのは俺だった。
昼過ぎ。
俺は作業員全員を食堂に集めた。
「今日から増産命令を撤回する。設備点検が終わるまで危険な工程は止める」
歓声は上がらなかった。
年配の職人が手を挙げた。
「止めるのは結構だが、俺たちの賃金はどうなる?」
「休業中も払う」
「じゃあ、納品が遅れた取引先は?」
「俺が説明して補償する」
「その金はどこから出すんだ?」
俺は答えに詰まった。
商会の利益から出すつもりだった。
だが彼らは、その決定がまた現場の予算削減につながることを恐れている。
「今ここで約束しても、信用できないよな」
俺はミリアに頼み、休業補償と設備更新の費用を独立した予算にする文書を作らせた。
工房長の判断だけで削れないよう、現場代表の署名も必要にした。
レオンは文書を読んでから言った。
「俺たちが危険だと思ったら、装置を止めていいんですか」
「ああ。納期より先に命を守ってくれ」
「会長がいなくなっても?」
「そのための規則にする」
彼は初めて俺の顔を正面から見た。
三日後。
帝国の大口取引先から、契約違反を理由に違約金を請求する通知が届いた。
本部の役員たちは怒った。
「今止めれば競合に市場を奪われます!」
「工房長を更迭すれば済む話です!」
俺は事故報告書と、摩耗した回転軸を机に並べた。
「工房長一人の責任にはできない。出荷数だけで評価する仕組みを作ったのは俺だ」
「ですが、金貨三百万枚の売上が!」
「売上を守るために職人を失えば、来年の三百万枚はない」
俺は契約先に出向き、遅延の理由と再開条件を説明した。
相手の商人は机を叩いた。
「安全対策ができていない工房の商品を買わされていたのか!」
「そのとおりです。申し訳ありません」
俺は頭を下げた。
「遅れた分は補償します。品質検査の結果も公開します」
「それで信用が戻ると思うな」
「思いません。次の納品で判断してください」
契約は半分に減った。
俺は王国側の余剰在庫を確認し、輸送費を商会の利益から負担して、残る注文の納期を守ることにした。
負傷した職人を早く復帰させる案だけは、絶対に認めなかった。
帰りの馬車で、ミリアは一度も売上の話をしなかった。
二週間後。
北部工房では、熟練職人と新人が一組になって装置を点検していた。
レオンはまだ右手を十分に動かせない。
それでも左手で図面を押さえ、危険な場所を赤く塗っていた。
「ここ、材料が詰まったときに手を入れないと取れないんです」
「なら、手を入れずに外せる構造にしよう」
俺は素材鑑定で摩耗の起きやすい部分を確認した。
職人たちが交換式の部品を設計し、ボルグ工房の親方にも試作品を見てもらった。
最初の試験では、交換部品が熱で膨張して動かなくなった。
二度目は振動が大きすぎた。
三度目でようやく、材料が詰まっても装置を止めて安全に取り出せるようになった。
「これなら新人でも手を挟まない」
レオンが呟いた。
俺は頷いた。
「でも新人だけに任せない。確認する人間も置こう」
「人件費が増えますよ」
「増やす。削る場所を間違えていたんだ」
三か月後。
帝国事業の売上は前年より減った。
しかし北部工房の事故件数は減り、再検査による返品も少なくなった。
取引先の商人が再び工房を訪れたとき、俺は装置の説明をレオンに任せた。
彼は包帯の取れた右手で交換部品を慎重に取り付け、停止手順を実演した。
実演が終わると、後輩に向かって
「今度は俺が危ない作業を止める」
と告げた。
商人はしばらく黙って見ていた。
「以前より納期は長いな」
「はい」
「だが、故障の理由まで説明できるなら、こちらも予定を立てられる」
注文書には、以前の半分より少し多い数量が記された。
ミリアが俺を見た。
「売上の回復には時間がかかりますね」
「そうだな」
「それでも、帝国進出は成功ですか?」
俺は工房の奥を見た。
職人たちが、自分たちで決めた手順を確認している。
「今日からようやく、成功に向かっていると言える」
そのとき、北部工房から小包が届いた。
中には新人が考案した指挟み防止の木製治具と、職人たちの署名があった。
納期を延ばした分、試作と検査に時間を使えたらしい。
「これ、ほかの工房でも使わせてもらおう」
ミリアが笑った。
「帝国で一番の成果は、売上じゃなかったんですね」
俺は治具を手に取り、最初に署名した新人の名を読み上げた。
その日の午後。
海洋国家セレスタの商人から面会の申し込みが届いた。
新しい国、新しい港、新しい資源。
以前の俺なら、すぐに地図を広げていただろう。
だが今回は、北部工房の点検記録を最後まで読み終えてから返事を書いた。
『面会は受けます。
ただし、現地の職人と輸送業者にも同席してもらいたい』
ミリアが笑った。
「会長、少し変わりましたね」
「そうか?」
「前はごみの値段から聞いていました」
俺は窓の外を見た。
積み上がった廃材の向こうで、職人たちが無事に仕事を終えて帰っていく。
「次は、あの新人職人の話から聞くよ。発明の名前だけじゃなく、誰と試したのかもな」
海洋国家への出航計画をレオンに見せると、彼は危険な水路を赤く囲んだ。
「海では故障しても陸へ逃げられない」
俺は就航を十日延期し、船主と荷主に費用を説明した。
貨物の振替費は商会が負担することになり、初航海の利益はほぼ消えた。
出航を延期した港では、船員の家族を集めて説明会を開いた。
「海では工場のように機械を止めて帰れません」
船長が潮流図を広げると、一人の妻が手を上げた。
「危険だと分かったとき、船を戻すのは誰が決めるんですか」
俺は船長の顔を見た。
彼は静かに答えた。
「俺だ。荷主が急がせても、船員が危険だと言えば戻る」
妻は帰港予定日に丸を付け、隣に
「無事に帰る」
と書いた。
レオンが帝国の工場で教えてくれたことを、ようやく海へ持ち込める。
出航前夜、セレスタの船長が一枚の海図を広げた。
港の沖には、沈没船の位置を示す黒い印が幾つもあった。
「ここにあるのは宝じゃない。網を破り、船底を傷つける鉄の残骸だ」
と船長は言った。
「漁師は毎年、誰かが片づけてくれるのを待っている」
俺は地図を見つめた。
帝国では捨てた石を拾い、工房の仕事を作った。
海では、捨てられた鉄が誰かの仕事を奪っている。
「最初の取引相手は漁師にしてください。沈没船の持ち主じゃなくて、今その海を使っている人たちです」
船長は俺を見て笑った。
「なら明日、漁港から案内しよう」
翌朝、船は港を離れた。
遠ざかる岸を見ながら、俺は初めて、海の底にある『ごみ』の重さを想像した。




