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第29話 帝国の貴族がごみ山を取り上げようとしたので、契約書を見せた

「この廃棄物処分場は、我が一族の土地だ!」

皇帝の許可を得て一週間後。

境界台帳を取り寄せた翌日、土地の権利確認が終わる前に侯爵本人が押しかけてきた。

豪華な服を着た男が、俺の事務所で叫んでいた。

帝国の有力貴族。

ローデン侯爵。

鉱山地帯に広大な領地を持つ男だ。

「勝手に資源を持ち出すな!」

俺は契約書を取り出した。

「こちらをご覧ください」

「何だ?」

「帝国政府との試験事業契約書です。土地の搬出権は、まだ確認中です」

侯爵は紙を見た。

そして、顔をしかめた。

「……金貨一万枚?」

「はい。これは調査と廃材回収の試験事業費です」

「土地まで、この値段で売ったのか!」

「そうですね」

「無効だ!」

俺は首を傾げた。

「なぜです?」

「価値を知らなかったからだ!」

俺はため息をついた。

またか。

王国でも同じことがあった。

「侯爵様」

「何だ!」

「政府との試験契約は成立しています。ただし搬出は、地権者との合意が必要です」

「だから何だ!」

「契約で取得したのは政府が管理する廃材の引取権です。土地の所有権は移っていません。搬出には侯爵様との合意が要ります」

侯爵の顔が赤くなった。

「貴様、私に逆らうのか!」

俺は笑った。

「搬出の前に、誰が何を負担するか確認したいだけです」

貴族の代理人は契約書を一瞥し、

「帝国の慣例が優先する」

と言い放った。

俺は反論する代わりに、鉱山管理官と立会人を呼んだ。

引き取り範囲、搬出期限、事故時の責任。

三者の署名が揃っているのは、境界確定まで作業を始めない仮の調査合意書だった。

「調査の合意まで無効にするなら、まず管理官の署名が無効である理由を説明してください」

代理人の顔色が変わった。

だが勝ち誇る気にはなれなかった。

作業員たちは、貴族の怒りが自分たちに向くことを恐れていた。

俺は彼らの雇用継続も文書に残した。

紙一枚を守るためには、その紙の外にいる人間も守らなければならない。


翌朝、俺が調査のため鉱山へ向かうと、搬出口の門が鎖で閉ざされていた。

鎖の向こうには、昨日まで一緒に働いていた運搬夫が十人ほど立っている。

「オリバさん、すみません。侯爵の家令が、ここを通した者は次の冬まで仕事を与えないと」

男の声は震えていた。

俺は鎖を引っ張るのをやめた。

門をこじ開ければ、困るのは俺ではなく彼らだ。

「分かった。今日は誰も運ばなくていい。賃金は予定どおり払う」

「でも、働いていないのに」

「働けない理由を作ったのは君たちじゃない」

ミリアは俺の隣で帳簿を開いた。

「搬出が一週間止まると、契約した製錬所への納入が遅れます」

「違約金は?」

「金貨三千枚です」

俺は思わず息を呑んだ。

侯爵の狙いは、裁判に負けても俺たちを資金繰りで追い詰めることなのかもしれない。


その日の午後、製錬所の親方が事務所へ怒鳴り込んできた。

「約束した鉱石が来なけりゃ、炉を止めるしかねえぞ!」

俺は言い訳をせず、納入できない数量と日付を紙に書いた。

「代わりの原料を探します。見つからなければ違約金を払います」

親方は紙を受け取ったが、すぐには帰らなかった。

「若いの。お前のせいだけじゃないと分かってる。だが、うちの職人も飯を食わなきゃならん」

その言葉が胸に残った。

契約書が正しくても、止まった炉は動かない。

俺はミリアと一緒に、帝国政府へ提出する書類を作り直した。

土地の権利を争うのではなく、廃棄物の所有権と搬出妨害による損失を別々に記録する。

門の封鎖日時、現場にいた作業員、出荷できなかった重量、製錬所の操業予定。

どれも俺が現場で確かめた事実だけを記した。


三日後、役所から監査官が来た。

「侯爵家は、通行路の管理権を主張しています」

「管理権は争いません。ですが、政府が売った廃棄物を運び出す道がなければ、売買契約が実行できません」

監査官は黙って地図を見た。

俺は地図の端を指さした。

「別の搬出路を設けることは可能です。ただし、川を渡る橋が必要です」

「橋を造る金は誰が出す?」

「俺が先に出します。侯爵家が妨害をやめるなら、工事費の負担は求めません」

ミリアが小さく咳払いした。

俺だって損をしたくない。

だが、争いを長引かせるより安いと判断した。

監査官が帰った翌日、侯爵の家令が事務所に現れた。

「ご主人様は、橋など造っても無駄だと仰っている」

「それなら、なぜわざわざ伝えに来たんです?」

家令は答えず、俺の机に一通の手紙を置いた。

そこには、侯爵家の鉱山で廃石が崩れ、排水路が塞がったと書かれていた。

「……助けを求めているんですか」

「違う。技術的な意見を聞きたいだけだ」

俺は笑いそうになったが、こらえた。

現場に行くと、濁った水が坑道へ流れ込み、鉱夫たちが土嚢を積んでいた。

俺は廃石を鑑定し、崩れた山の内側に水が溜まっていることを確かめた。

「ここを掘れば、また崩れます。先に横へ水を逃がしましょう」

侯爵は不満そうだった。

「貴様に命令される筋合いはない」

「命令ではありません。ここにいる人たちを生きて帰すための提案です」

一瞬、周囲が静かになった。

侯爵は鉱夫たちを見て、ようやく頷いた。

俺たちは古い鉄管をつなぎ、排水路を迂回させた。

水位が下がったとき、坑道の奥から歓声が上がった。


その夜、侯爵は俺を食堂へ呼んだ。

「門の鎖は外させる」

「ありがとうございます」

「ただし、廃石処理の利益は分けろ」

俺は首を振った。

「利益の分配ではなく、処理費用と回収資源の買い取り価格を別々に契約しましょう。数字が見える方が、後で揉めません」

侯爵はしばらく俺を睨み、それから大きく息を吐いた。

「……紙切れ一枚で私に勝ったと思うなよ」

「思っていません。今日、坑道の水を止めたのは、現場の鉱夫たちです」

帰り道、ミリアが言った。

「侯爵様、最後は怒っていませんでしたね」

「どうかな。明日になれば、また怒るかもしれない」

俺は封鎖されていた門を振り返った。

契約書は権利を守る。

でも、そこで働く人の暮らしまで守るには、俺が現場に足を運ばなければならない。

営業に向かう前、坑道で水を止めた鉱夫の代表が訪ねてきた。

「侯爵を負かした褒美なら要らない。排水路の修理費を先に払ってくれ」

俺は返す言葉を失った。

俺にとっては痛快な勝利でも、彼らにとっては翌日の仕事場がまだ危険なのだ。

俺は契約の取り分を計算し直し、先に修理費を出した。

侯爵に勝つより、鉱夫が無事に帰る夜を増やす方が難しい。

ようやくそう分かった。

雨の予報を聞いた鉱夫の代表は、修理した排水路の上流に目印を立てた。

水位がその印を越えたら、作業を止めて全員を退避させる。

俺は見張りの交代表を作り、夜番にも手当を付けた。

契約の争いは終わっていない。

それでも、今夜の坑道を守る手順だけは決められた。

次の交渉で侯爵は、鉱夫の代表を部屋から追い出そうとした。

代表は黙って、封鎖された日の出勤簿と未払い額を机に置いた。

「ここにいるのは金をねだるためじゃない。働いた日の証人だからだ」

俺は契約の搬出停止条項を指し、侯爵側の指示で停止した日付を照合した。

侯爵はその場で全面的には認めなかったが、代表の同席を条件に補償額を再計算する書面へ署名した。


翌朝、侯爵の使いがやってきた。

封鎖の解除には応じるが、鉱山の廃石を処理するなら別途交渉したいという。

使いは

「侯爵はまだあなたを信用していません」

と念を押した。

「俺も、鉱山の排水が安全だとは思っていません」

俺は修理費の見積書と水質の検査道具を荷車に積んだ。

侯爵に勝つためではない。

鉱夫たちが明日も働ける契約を結ぶためだ。

見積書の最後には、侯爵家の名前ではなく村の井戸の水質を調べる費用を書いた。

侯爵がその一行をどう読むかは分からない。

だが、一か月後に廃石の処理を相談するとき、俺はこの数字を最初に見せるつもりだった。

侯爵の出した古い権利証には、境界の印が一つ欠けていた。

皇帝の許可だけでは解決しない。

鉱夫代表と土地の測量士を同席させ、未払い賃金と搬出権を分けて審査することにした。

侯爵との争いで止まった搬出の代金を、鉱夫たちへ誰が払うか決まっていなかった。

俺は自分の商会が負担すると申し出たが、鉱夫の代表は首を振った。

「施しじゃない。止めた責任を、侯爵にも認めさせてくれ」

俺は彼の言葉をそのまま交渉書に書いた。

次の話し合いで、境界標の欠けた測量図を侯爵が突きつけた。

鉱夫代表は、昔の坑道の位置を記した父の作業日誌を差し出した。

測量士が日誌と現地の石標を照合すると、侯爵が主張した境界は十歩ずれていた。

搬出権と未払い賃金の負担を書面にし、代表が金額を照合するまで事業は再開しない。

金を出すだけでは、働く人の尊厳まで守れないと知った。

代表は書面を読み、初めて俺の目を見た。

「侯爵が拒んだら、一緒に門の前に立ってくれるか」

俺は署名した。

勝利の言葉より、その一筆の方が重かった。

境界の照合が終わったあと、鉱夫の代表は村の集会所に住民を集めた。

地図を読めない老人には、若い鉱夫が現地の杭と井戸の位置を絵に描いて示した。

侯爵は

「皇帝の許可があるなら従え」

と迫った。

俺は許可証を机に置いた。

「これは調査の許可です。あなたの土地を勝手に買う許可ではありません」

鉱夫の代表は未払い賃金の一覧を示した。

侯爵は視線を落とす。

「払えば、あの者たちは戻るのか」

代表は首を振った。

「戻るかは俺たちが決める。でも子どもの冬支度は待てない」

侯爵は自領の負担額を署名し、俺も回収事業の補償額を書き込んだ。

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