第17話「犯罪者は患者」
コール捜査官が二度目に来たのは、名刺を置いていってから、しばらく後だった。
今度は身分証も出さず、木箱へ腰を下ろした。眠っているミアを静かに見ている。
俺がここで何を守っているのかは、もう知っているらしい。
「今日は、お願いがあって来ました」
コールが言った。
「あなたを捕まえるためではありません。むしろ、生き延びていただきたいのです」
「話が見えない」
「この街で、大きな争いが起きます」
コールは窓の外を見た。
「モレッティの一派と、東から来た組織がぶつかります。そこへヴォスの一派も加わる。数日のうちに撃ち合いになるでしょう」
「何人だ」
「けが人だけで、百人を超えるかもしれません」
奥で、ミアの毛布が動いた。
「……また、撃ちに来るの?」
眠ってはいなかったらしい。
「ここを襲うという話ではありません」
コールがミアへ顔を向ける。
「ですが、街の中で大勢の人が撃たれるかもしれません」
「そんなの、止めてよ。捜査官なんでしょ?」
「止めるために動いています」
「起きるって分かってるのに?」
コールは一拍置いた。
「分かっていても、全部は止められません」
ミアは毛布を強く握った。
「大人は、いつも怖いことが終わってから来る」
「ミア」
俺が呼ぶ。
「でも!」
「話を聞く」
ミアは口を閉じた。
◇
俺は麻糸の束を数え直した。
二十七本。
刃にできる酒瓶は六本。
百人が来れば、足りない。
「表の病院へ行けば、警察にも話が通ります」
コールが続ける。
「それを嫌って、負傷者を病院へ運ばない組織が出るはずです。行き場を失った人間が、ここへ流れてくる可能性があります」
「それで、ここへ来た」
「はい」
「取引は」
「所属を見ずに治療していただきたいのです」
「俺は最初から分けない」
「承知しています」
俺は酒瓶を木箱へ置いた。
瓶の底を床の角へ打ちつける。
乾いた音に、ミアの肩が跳ねた。
「急に割らないでよ!」
「刃が要る」
「分かってるけど、怖いものは怖いの!」
「悪かった」
ミアが目を丸くした。
「……ちゃんと謝れるんだ」
コールが口元を押さえた。
「笑うな」
「失礼しました」
俺は割れた瓶から、使える薄片を選ぶ。
「支度だ。話は聞く」
◇
「一つ、確かめさせてください」
コールの顔から笑みが消えた。
「あなたが今夜治した男が、明日また誰かを撃つかもしれません。それでも治療するのですか」
「する」
俺はすぐに答えた。
「どうして?」
訊いたのはミアだった。
「悪い人なんでしょ?」
「傷には書いてない」
ミアは眉を寄せる。
「でも、助けたあとで悪いことをしたら?」
「そのときはコールが捕まえる」
コールが小さく息を吐いた。
「簡単に役目を渡しますね」
「あんたの仕事だ」
「では、あなたの仕事は?」
「今ある傷を治す」
そのとき、戸が蹴り開けられた。
◇
男が二人、二十歳ほどの若い男を担ぎ込んできた。
左の太ももから血が流れ、ズボンが黒く濡れている。
「頼む! 撃たれた! こいつ、モレッティの――」
「そこへ寝かせろ」
所属は要らない。
俺は傷の前へ膝をついた。
ズボンをガラスの刃で裂く。
弾は太ももの肉を貫き、外へ抜けていた。
太い血管には当たっていない。
だが、傷には砂と布のくずが入り込んでいる。
残せば腐る。
「ミア、奥へ行け」
「手伝う」
「血が多い」
「見たことある!」
ミアは震えていたが、それでも動かなかった。
「じゃあ、布を持て。言うまで近づくな」
「うん!」
ランプの油が減り、傷口まで光が届かない。
「コール」
「はい」
「灯りを持て。傷の真上だ」
コールはランプを取り、俺の隣へ膝をついた。
上等なズボンの膝が、床の血へ沈む。
「私は捜査官なのですが」
「今は灯りだ」
「承知しました」
俺は布で血を吸い、二本の指で傷口を開いた。
若い男が叫び、体を跳ねさせる。
「嫌だ! やめろ! 脚を切るな!」
「切らない。押さえろ」
仲間たちが肩と反対側の膝を押さえた。
「死にたくない! 頼む、俺はまだ――」
「息を吐け」
俺は傷んだ肉を少しだけ切り落とし、沸かして冷ました水で砂を洗い流した。
「痛い! ちくしょう、痛い!」
「分かってる」
男の背が反る。
ランプの光が揺れた。
「動かすな」
「申し訳ありません。手が震えて……」
「手は震えていい。灯りは動かすな」
「はい」
灯りの揺れが止まる。
「ミア、布」
「はい!」
差し出された布を受け取り、傷の奥へ当てた。
ミアは若い男の顔を見た。
「大丈夫。カラスは怖いけど、ちゃんと助けるから」
「怖いは要らない」
「だって怖いもん!」
若い男が、痛みの中で少しだけ笑った。
俺は針へ糸を通し、傷の奥から順に縫う。
一針。
二針。
砂が入っていた表面は閉じない。
四日ほど待ち、傷が腐っていないのを確かめてから閉じる。
若い男の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
最後の糸を切り、包帯を巻いた。
「終わりだ」
コールが傷を見たまま言う。
「この人が明日、誰かを撃つかもしれません」
「分からない」
「ええ」
「だが、このままなら傷は腐る。それは分かる」
俺は血のついた布を脇へ置いた。
「分かることからやる」
ミアが若い男へ顔を近づける。
「ねえ。助けてもらったんだから、もう人を撃たないで」
男は汗で濡れた顔をそむけた。
「……簡単に言うなよ」
「簡単じゃないよ!」
ミアは声を張った。
「撃たれるのも、撃つのも怖いんだよ。わたし、もう誰かが血を流すの見たくない!」
若い男は答えなかった。
運び出される直前、一度だけミアを見る。
「……考えとく」
「絶対だよ!」
仲間たちは若い男を担ぎ、夜へ出ていった。
◇
床には血と、破れた布が残った。
コールは、指の間まで血の入った自分の手を見ていた。
「洗え」
「……分かりました」
「何がだ」
「あなたは、罪を見逃しているのではない。傷を先に見ている」
「罪はあんたが見ろ」
コールは少し笑った。
「ええ。そうします」
コールは手を洗うと、戸口で足を止めた。
「争いが始まるまで、三日もありません」
「止められないの?」
ミアが訊く。
「止めるために、できることをします」
「終わったあとじゃなくて?」
「始まる前に」
コールはミアと目を合わせた。
「約束はできません。ですが、諦めません」
「……うん」
コールは俺を見る。
「どうか死なないでください、先生。あなたの手が必要です」
「あんたもな」
コールは少し驚いたあと、笑った。
「ありがとうございます」
そのまま夜の闇へ消えていった。
俺は刃を並べ、糸を数え直した。
ミアが隣で布を畳む。
「百人も来たら、カラスが倒れちゃう」
「倒れない」
「うそ。人は寝ないと倒れるの」
「知ってる」
「じゃあ寝てよ!」
「支度が先だ」
「もう!」
怒りながらも、ミアは布を畳み続けた。
あと三日。
糸も布も足りない。
眠る時間は、もっと足りない。




