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青葉ヶ丘青春リレー  作者: 芦名 雅


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第43話 小さく見える目標にも、届く先はある


早川直人には、ずっと一つだけの目標があった。


学校に戻ること。


入院していた二か月半、それだけを考えて過ごしてきた。


六月、少しずつ通学できるようになり、七月に入った今では、ほぼ毎日教室で授業を受けられるようになっていた。


目標は、叶った。


それなのに、直人は最近、朝起きるたびに、少しだけ胸の奥が重かった。



七月三日。


一年五組の教室。


中間試験の範囲表が配られた。


「早川、テスト、大丈夫か」


隣の席の男子が声をかける。


「分からない」


「入院してた分、範囲多いもんな」


「うん」


直人は、範囲表を見つめた。


数学、英語、国語、理科、社会。


どれも、教科書の半分近くを、まだ自分の力だけでは追いつけていなかった。


担任からは、


「無理のない範囲で、平均点を目指せばいい」


と言われていた。


平均点。


それが、今の自分の目標だった。


けれど、その言葉を聞くたびに、直人は少しだけ寂しくなった。



放課後、直人は保健室へ寄った。


体調確認のため、週に一度、養護教諭と話す時間を作ってもらっていた。


「最近、どう?」


「普通です」


「普通って?」


「学校には来られてます」


「うん」


「でも」


直人は言葉を探した。


「目標が、前より小さくなった気がします」


養護教諭は、優しく聞いていた。


「入院してたときは、学校に戻ることだけ考えてました。それが叶って、今は、平均点を取ることが目標です」


「それは、悪いことかな」


「悪くはないです。でも、前の目標より、大事に思えなくて」


「未練があるのかな。入院してたときの方が、目標が分かりやすかったから」


直人は、その言葉に少し考え込んだ。



教室に戻ると、クラスメイトの女子、高野千夏が声をかけてきた。


「早川くん、放送室行かない?」


「今日?」


「昔、放送で音を届けてもらったんでしょ。神谷さんたちに、お礼言いに行こうよ」


直人は少し驚いた。


「まだ言えてなかったな、ちゃんとは」


「じゃあ、行こう」


二人は放送室へ向かった。



放送室には、神谷玲奈と長谷川蒼太がいた。


「早川くん」


玲奈が顔を上げる。


「あのときの録音、まだ聞き返すことあります」


「本当?」


「学校の音、あれで初めて知ったので」


蒼太が、少し照れくさそうに言った。


「録音、役に立ちましたか」


「役に立った。本当にありがとう」


直人は頭を下げた。


玲奈が、少し嬉しそうな顔をした。


「今、学校生活はどうですか」


「毎日来られてる。でも」


「でも?」


「テストの目標が、平均点になって」


直人は、保健室で話したことを、また少し話した。


玲奈は、静かに聞いていた。


「私も、似たようなことがあった」


「玲奈先輩も?」


「放送で止まって、それから小さな目標ばかり立てるようになった。教室で一言話す、とか」


「それ、小さいですか」


「小さいと思ってた。でも、今は違う気がする」


「どう違うんですか」


「大きいか小さいかじゃなくて、届くかどうかが大事なんだと思う」


直人は、その言葉を頭の中で繰り返した。



放課後、直人は一人で図書室へ寄った。


まだ足を運んだことのない場所だった。


入口の木箱を見る。


『答えのない質問を入れてください』


掲示板には、いくつもの問いが貼られている。


その中の一枚に、目が留まった。


『新しい目標を立てたのに、前の目標ほど本気になれません。前のものより小さく見えてしまいます。これは、前の目標に未練があるということですか』


直人は、その紙の前で立ち止まった。


「気になりますか」


カウンターにいた白石悠が声をかけた。


「これ、俺のことみたいだ」


直人は、自分のことを話した。


学校に戻ることを目標にしてきたこと。

今は、平均点を取ることが目標であること。

それが、前より小さく見えて、本気になれないこと。


悠は最後まで聞いた。


「早川さんにとって、学校に戻ることは、何のための目標でしたか」


「分かりません。ただ、戻りたかった」


「戻って、何がしたかったんですか」


直人は少し考えた。


「授業を受けたかった。友達と話したかった。普通に、一日を過ごしたかった」


「今、それはできていますか」


「できてます」


「では、目標は、まだ続いているのかもしれません」


直人は、その言葉に少し戸惑った。


「平均点を取ることも、その続きですか」


「授業を受け続けるために、必要なことではありませんか」


直人は、頷いた。


「大きい目標が終わって、小さい目標に変わったんじゃなくて」


「一つの目標が、形を変えて続いているのかもしれません」


直人は、その考え方を、初めて持てた気がした。



正門で、校長が門柱の上に座っていた。


「校長」


直人は近づいた。


猫は目を開けた。


「あなたに会うのも、久しぶりだ」


入院中に聞いた録音の中で、初めて鳴き声を聞いた猫だった。


「あのとき、あなたの声、録音で聞いたよ」


尻尾が動く。


「今日は、直接聞けた」


校長は、直人の足元へ近づき、靴の匂いを嗅いだ。


「俺の目標、小さくなったのかなって思ってた」


猫はあくびをした。


「でも、今日、そうじゃないかもって言われた」


校長は、直人の足に頭をこすりつけた。


温かい重みが、足首に伝わった。



その夜、直人は自室の机で、数学の問題集を開いた。


平均点。


小さな目標だと思っていた。


けれど、今は少し違う気がした。


入院中、教科書を開くことすらできなかった日々があった。


あの頃の自分から見れば、今、問題集に向かえていること自体が、続きの一歩だった。


直人は、一問ずつ、丁寧に解いていった。



翌日の放課後、直人はもう一度図書室へ寄った。


付箋を一枚取る。


『学校に戻ることが目標だったとき、その先に、授業を受けること、友達と話すこと、普通の一日を過ごすことがありました。今の小さな目標は、その続きなんだと気づきました。大きさが変わったんじゃなくて、形が変わっただけかもしれません』


書いて、質問の下へ貼る。


「答え、見つかりましたか」


「見つかったっていうより、思い出した」


「何をですか」


「なんで戻りたかったのか」


悠は頷いた。



その隣に、また新しい問いが貼られていた。


『前を向いて頑張っている人を見ると、自分だけ止まっている気がします。同じ時間を過ごしているはずなのに、差が開いていくのが怖いです』


直人はその紙を見て、少し考えた。


入院していた間、周りが前へ進んでいく感覚を、何度も味わった。


「これ、書きますか」


悠が尋ねる。


「書ける気がする」


「今、ですか」


「今しか書けない気がする」


直人は付箋を取った。


『差が開いていくのが怖い気持ち、分かります。でも、止まっていた時間も、無駄じゃなかったです。戻ってきてから、前より小さなことを、前より大事に思えるようになりました』


書いて、質問の下へ貼る。


「早いですね」


「これは、自分が答えられることだったから」


直人は図書室を出た。


正門では、校長がまだ門柱の上にいた。


「また来る」


猫は答えなかった。


それでも、直人には、聞いてもらえた気がした。



教室に戻ると、千夏が待っていた。


「放送室、行ってきたね」


「うん。ありがとうって言えた」


「よかった」


「千夏、俺、目標のこと、少し分かった気がする」


「何それ、急に」


「大きい目標が終わったんじゃなくて、形が変わって続いてるだけなんだって」


「難しいこと言うね」


「自分でも、まだ全部は分かってない」


「でも、良い顔してる」


直人は、少し照れくさくなった。


「テスト、一緒に勉強する?」


「うん」


二人は、放課後の教室に残り、問題集を開いた。


窓の外では、夏の始まりを告げる蝉の声が、少しずつ大きくなっていた。



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