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青葉ヶ丘青春リレー  作者: 芦名 雅


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第37話 足を引っ張る自分にも、外せない場所はある

二階堂ひかるは、バトンを落とすたびに、自分がチームにいる意味を疑った。


落としたのは、いつも同じ場面ではない。


受け取るとき。

渡すとき。

焦って手を伸ばしすぎたとき。


理由はそのたびに違う。


けれど、落とすという結果だけは、いつも同じだった。



六月十二日。


朝練のグラウンド。


「二階堂、今の見えてなかったろ」


新田先生の声が飛ぶ。


「すみません」


「見て、それから伸ばせ。見ないで伸ばすから間に合わない」


「はい」


ひかるはバトンを拾いに走った。


少し離れた場所で、松岡亮と田所陸が水を飲んでいる。


「二階堂、大丈夫かな」


亮が言う。


「今日、四回目だぞ、落としたの」


「昨日も三回だった」


「調子悪いのかな」


陸は少し考えた。


「調子っていうより、ここ最近、ずっとあんな感じだ」


ひかるには、その会話は聞こえていなかった。


けれど、周りの視線が自分に向いていることは、感じていた。



朝練が終わったあと、新田がひかるを呼んだ。


「二階堂、少しいいか」


「はい」


「最近、落とすことが多いな」


「すみません」


「謝罪はいらない。原因を知りたいだけだ」


ひかるは黙った。


原因は分かっていた。


でも、言葉にするのが怖かった。


「もし合わないなら、走順を変えることもできる」


新田の言葉は、責めるようには聞こえなかった。


それでも、ひかるには「外される」と同じ意味に聞こえた。


「自分から辞めます」


口から出た。


「何を、だ」


「リレー」


新田は少し驚いた顔をした。


「まだ、走順を変えるかどうかの話しかしていない」


「でも、私がいるとチームが遅くなります」


「今のタイムを、誰かのせいだけにする必要はない」


「でも、私が落とすから」


「落とすのは、渡す側にも原因がある。お前だけの責任じゃない」


ひかるは、それでも納得できなかった。



昼休み。


ひかるは一人で教室にいた。


弁当を開ける気になれず、机に伏せていた。


「二階堂さん」


声をかけてきたのは、同じクラスの女子だった。


「大丈夫?」


「大丈夫」


いつもの返事だった。


相手はそれ以上聞かず、離れていった。


ひかるは、その反応にほっとすると同時に、少し寂しかった。



放課後、練習が始まる前。


ひかるは図書室へ向かった。


目的があったわけではない。


ただ、グラウンドへ行く足が重かった。


図書室の入口には、いつもの木箱があった。


『答えのない質問を入れてください』


掲示板には、いくつもの問いが貼られている。


その中に、見覚えのある文字があった。


『チームの中で、自分だけが足を引っ張っている気がします。頑張っているのに、周りに合わせられません。辞めた方が、みんなのためになりますか』


ひかるは、その紙をじっと見た。


自分が書いたわけではない。


でも、まるで自分の心を読まれたようだった。


「これ、誰が書いたんですか」


カウンターにいた白石悠へ、思わず聞いた。


「分からないことにしています」


「便利な決まりですね」


「必要な決まりです」


ひかるは少し笑った。


真剣に返されると、逆に力が抜けた。


「私も、これと同じことを思ってます」


「詳しく聞いてもいいですか」


ひかるは、陸上部のことを話した。


バトンを何度も落とすこと。

新田先生から走順を変えると言われたこと。

自分から辞めると言ったこと。


悠は最後まで聞いた。


「二階堂さんは、辞めたいんですか」


「分からない」


「走ること自体は、好きですか」


ひかるは少し考えた。


「好き。でも、迷惑をかけてまで続けるものじゃない気がする」


「迷惑だと、誰かに言われましたか」


「言われてない。でも、みんなそう思ってると思う」


「思っていると、二階堂さんが決めたのですか」


その言葉は、以前にも誰かが聞いたような言い回しだった。


「決めつけてるのかな、私」


「かもしれません」


「でも、実際に落としてるのは事実だから」


「事実と、迷惑だと思われているという想像は、別のものです」


ひかるは黙った。



悠はカウンターの奥から、一枚のメモを出した。


「これ、少し前に別の人が書いた返事です」


『大きな記録更新だけが努力の証拠ではないと思います』

『気づいてほしい相手を、全員にしなくてもいいと思います』


「これ、松岡くんの話ですか」


「知っていますか」


「同じ陸上部です」


「では、近い立場の人が、近い答えを見つけていたことになります」


ひかるは掲示板の文字を、もう一度読んだ。


辞めた方が、みんなのためになりますか。


「私、これに答えを書きたい」


「書いてください」


ひかるは紙を取った。


『辞めた方がいいかどうか、周りに聞いていませんでした。私が勝手に決めていました』


書いて、質問の下へ貼る。


「決めつけていたと、気づいたんですね」


「気づいただけで、答えにはなってない」


「今日は、そこまでで十分だと思います」



正門の脇で、校長が丸くなっていた。


「校長」


ひかるが近づく。


猫は片目を開けた。


「私、辞めるって言っちゃった」


尻尾が動く。


「新田先生は、まだ辞めろって言ってないのに」


猫は伸びをした。


「勝手に決めるの、よくないよね」


校長は答えない。


ひかるは少ししゃがみ込んだ。


「もう一回、先生と話してみる」


猫は歩き出し、植え込みの奥へ消えていった。



その日の練習で、ひかるは新田のもとへ向かった。


「先生」


「何だ」


「さっき、勝手に辞めるって言いました。すみません」


「謝らなくていい。理由を聞いてもいいか」


「私がチームの足を引っ張ってると思ってました」


「それは、今もか」


「今も、少しはそう思ってます」


「でも?」


「でも、それを迷惑だと思ってるかどうか、みんなに聞いたことなかったです」


新田は少し頷いた。


「聞いてみるか」


「今からですか」


「今からだ」


新田はチーム全員を集めた。


「二階堂が、自分がチームの負担になっていると感じている。正直な意見が欲しい」


部員たちは顔を見合わせた。


田所陸が先に口を開いた。


「負担とは思ってない」


「でも、私、よく落とすし」


「落とすのは、俺の渡し方が悪いときもある」


松岡亮も続けた。


「俺なんて、記録自体が誰にも注目されてない。二階堂の方が、まだ悔しがってもらえる分マシだと思ってた」


「そんなこと」


「本当だって」


別の一年生部員も言った。


「二階堂、最近フォーム変わっただろ。落とす回数は減ってきてるよ」


ひかるは、それを知らなかった。


自分の失敗ばかり数えていて、変化には気づいていなかった。


「本当に?」


「本当」


新田が言う。


「チームというのは、全員が完璧にできる集まりじゃない。それぞれの苦手を、それぞれが補い合う場所だ」


「補い合うって」


「お前が落とす分、渡し方を工夫する練習が増えた。それは、チーム全体の技術になってる」


ひかるは、その言葉をすぐには飲み込めなかった。


けれど、少しずつ胸の奥が軽くなっていった。



放課後、練習が終わったあと。


ひかるはもう一度、松岡亮と話した。


「さっきの、記録が注目されないって話」


「うん」


「本当にそう思ってたの?」


「思ってた。でも、この前、質問箱で少し楽になった」


「私も、さっき書いてきた」


「同じ質問?」


「たぶん」


二人で笑った。


「田所も、三上も、みんな同じようなこと考えてたんだな」


亮が言う。


「チームにいると、比べちゃうのかな」


「比べるのは、たぶん悪いことじゃないと思う」


「そうなの?」


「比べた結果、辞めるって決めつけなければ」


ひかるは、その言葉を頭の中で繰り返した。



夕方、ひかるはもう一度図書室へ寄った。


自分の付箋の下に、新しい返事が増えていた。


『チームは、全員が同じようにできる場所ではなく、それぞれの苦手を補い合う場所だと思います』


『辞める前に、周りへ実際に聞いてみると、想像と違う答えが返ってくることがあります』


「聞いてよかったです」


ひかるが言う。


「聞くのは、怖かったですか」


「怖かった。迷惑だって言われたらどうしようって」


「言われましたか」


「言われなかった」


「では、今の気持ちは?」


ひかるは少し考えた。


「まだ、落とすのが怖くないわけじゃない。でも、辞める理由にはならないと思った」


「それで十分だと思います」


ひかるは新しい付箋を取った。


『実際にチームへ聞いてみたら、迷惑だとは思われていませんでした。落とすことへの怖さは残っていますが、それを理由に辞める必要はないと分かりました』


書いて、質問の下へ貼る。



その隣に、また新しい問いが貼られていた。


『チームの誰かをかばって、自分が代わりに怒られました。かばったことを後悔していませんが、次からも同じようにしていいのか分かりません』


ひかるはその紙を見て、少し考えた。


自分をかばってくれる人がいたら、どう思うだろう。


ありがたいと思う。


同時に、申し訳なくも思うかもしれない。


「これ、書きますか」


悠が尋ねる。


「今は、まだ」


「なぜですか」


「かばわれたことはあるけど、かばったことはないから」


「いつか、書けそうですか」


「分からない。でも、いつかそういう場面が来たら、思い出すと思う」


ひかるは図書室を出た。


グラウンドの方から、まだ誰かが練習している足音が聞こえていた。


誰が誰をかばい、誰が誰に助けられているのか、外からは分からない。


それでも、この学校のどこかで、今日もそういう小さなやり取りが積み重なっていた。



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