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青葉ヶ丘青春リレー  作者: 芦名 雅


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第26話 言えなかった「助けて」にも、受け取る人はいる

 篠原真琴は、「大丈夫」という言葉を便利だと思っていた。


 体調を聞かれたとき。

 困っていることはないかと尋ねられたとき。

 手伝おうかと言われたとき。


「大丈夫」


 そう答えれば、会話はそこで終わる。


 相手を困らせない。

 余計な説明をしなくていい。

 自分の事情を、どこまで話すべきか考えなくて済む。


 だから真琴は、よくその言葉を使った。


 大丈夫ではないときほど、使った。


     *


「今日、弟のところ寄って帰るの?」


 朝、玄関で靴を履いていると、母が尋ねた。


「うん。検査の結果が出る日だから」


「お母さんも仕事が終わったら行くけど、先に着いたら連絡して」

「分かった」


 母は台所へ戻りかけ、振り返った。


「真琴は大丈夫?」

「何が?」

「最近、学校から帰ってもすぐ病院へ行ってるでしょう。疲れてない?」


 真琴は靴紐を結びながら答えた。


「大丈夫」


 いつもの言葉だった。


 母は少しだけ真琴を見つめたが、それ以上は聞かなかった。


「無理しないでね」

「うん」


 玄関の扉を閉める。


 朝の空気は冷たかった。


 文化祭が終わってから、制服の上にカーディガンを着る生徒が増えた。


 真琴も今日から着ている。


 袖口へ指先を隠しながら、駅へ向かった。


 眠かった。


 昨日は弟から連絡が来たのが、日付が変わる少し前だった。


『眠れない』


 それだけのメッセージだった。


 真琴は電話をかけた。


 病室では長く話せないから、短い言葉をつないだ。


 学校のこと。

 給食に出た変な味のゼリー。

 英語のプリントを二度忘れたこと。

 隣の席の宮下蓮に笑われたこと。


 弟は途中で眠った。


 通話が切れたあと、真琴はしばらく暗い画面を見ていた。


 自分も眠ればよかった。


 けれど、また連絡が来るかもしれないと思うと、スマートフォンを枕元から離せなかった。


 朝まで何度も目が覚めた。


 それでも、大丈夫だった。


 学校へ行ける。

 歩ける。

 授業も受けられる。


 大丈夫というのは、そういう意味だと思っていた。


     *


「顔、眠そう」


 教室へ入ると、蓮が言った。


「普通」

「目が半分しか開いてない」

「元からこういう目」

「昨日、弟と話してた?」


 真琴は鞄を机へ置いた。


「うん」

「遅くまで?」

「少し」


 蓮はそれ以上を決めつけず、尋ねた。


「今、話す?」

「何を?」

「疲れてることとか」


 真琴は一瞬、返事に迷った。


 この前の朝にも、蓮は同じことを聞いた。


 話すか。

 今は話さないか。


 自分で選べる聞き方だった。


「今はいい」

「分かった」


 蓮は自分の席へ戻った。


 それだけだった。


 以前なら、話しかけられなかったことに寂しさを感じたかもしれない。


 今は、自分が「今はいい」と言ったことを、そのまま受け取ってもらえた安心があった。


 けれど、安心と同時に、少しだけ困った。


 昼休みに話すと言ったのは自分だ。


 何を話せばいいのだろう。


     *


 午前中の授業は、ほとんど頭に入らなかった。


 黒板の文字を書き写す。


 先生の話を聞く。


 教科書をめくる。


 身体は動いているのに、考える部分だけが少し遅れている。


 四時間目の数学で、先生に当てられた。


「篠原。この式の続き、分かるか」


 真琴は立ち上がった。


 黒板を見る。


 式は読める。

 問題の意味も分かる。


 けれど答えが出てこない。


「……すみません。分かりません」


 教室のどこかで椅子が鳴った。


 先生は特に責めなかった。


「じゃあ、宮下」


 蓮が答えた。


 真琴は席へ座った。


 恥ずかしいというより、驚いていた。


 分からないと言えた。


 以前なら、黙ったまま立ち続けていたかもしれない。


 答えを探し、先生が諦めるまで待っていた。


 たった一言なのに、言ったあとは少し楽だった。


     *


 昼休み。


 蓮は自分の弁当を持って、真琴の机の横へ来た。


「ここで食べていい?」

「友達は?」

「購買」

「一緒に行かなくていいの?」

「俺がどうしたいか聞いてる?」

「そう」

「ここで食べたい」


 真琴は少し笑った。


「いいよ」


 二人で弁当を広げた。


 蓮はすぐには、朝の話を持ち出さなかった。


 卵焼きを食べる。

 昨日のテレビの話をする。

 数学の先生が同じ説明を三回したことを笑う。


 普通の昼休みだった。


 だから真琴は、自分から言えた。


「弟、夜眠れないみたい」


 蓮は箸を止めた。


「病院で?」

「うん。検査が続いてるから、不安なんだと思う」

「真琴が電話してる?」

「昨日はした」


「毎日?」

「毎日じゃない」


 嘘ではない。

 でも、ほとんど毎日だった。


 蓮は真琴の顔を見た。


 けれど、表情だけで続きを決めずに待った。


「私が話してると、少し落ち着くらしい」

「そっか」

「だから、電話が来たら出たい」


「うん」


「でも、眠い」


 口に出した瞬間、真琴は自分で驚いた。


 眠い。


 それだけの言葉だった。


 助けて、ではない。

 つらい、でもない。


 けれど、自分が大丈夫ではないことを初めて誰かへ見せた気がした。


 蓮は大げさに心配しなかった。


「午後、保健室行く?」

「そこまでじゃない」

「じゃあ、掃除代わる?」

「今日は私の当番じゃない」

「それはよかった」


 蓮は少し考えた。


「何なら楽になる?」

「分からない」

「分からないか」


「うん」


 蓮は頷いた。


「じゃあ、分かったら言って」

「言えなかったら?」

「聞く」


「毎回?」

「毎回はうるさいって言われそうだから、時々」


 真琴は笑った。


「それくらいでいい」


     *


 放課後、病院へ向かった。


 弟の検査結果は、すぐに命へ関わるものではなかった。


 ただ、退院したあともしばらく通院が必要だと説明された。


 母は医師の話を聞きながら、何度も頷いた。


 弟は窓の外を見ていた。


 診察室を出たあと、真琴は弟の隣へ座った。


「退院できるって」

「うん」

「よかったじゃん」

「学校戻るの嫌だ」


 真琴は返事に詰まった。


 病院を出られるのだから、喜ぶと思っていた。


「何で?」

「休みすぎたから。何聞かれるか分かんないし」


「みんな心配してるだけだよ」

「心配されるのも嫌」


 弟は俯いた。


「大丈夫って言わないと、ずっと聞かれるから」


 真琴は何も言えなかった。


 自分と同じだった。


 弟にとっても、「大丈夫」は会話を終わらせるための言葉だった。


「本当は大丈夫じゃないの?」


 真琴が聞くと、弟は少し怒ったような顔をした。


「姉ちゃんだって、いつも大丈夫って言うじゃん」


 その言葉は、思ったより深く刺さった。


 弟は真琴の顔を見なかった。


「姉ちゃんが大丈夫なら、俺も大丈夫でいいでしょ」


 違う、と言いかけた。


 でも、何が違うのか説明できなかった。


 自分は弟を安心させるために言っている。

 弟もきっと、家族を安心させるために言っている。


 同じだった。


     *


 帰宅すると、母が夕食を作っていた。


 包丁の音が台所から聞こえる。


「真琴、先にお風呂入る?」

「うん」


 階段へ向かいかけて、止まった。


 母の背中を見る。


 今朝、大丈夫かと聞かれた。


 自分は大丈夫と答えた。


 訂正するなら、今かもしれない。


「お母さん」


「何?」


 母が振り返る。


 真琴は言葉を探した。


 疲れた。

 眠い。

 弟が心配。

 自分まで弱音を吐いたら、母の負担になる。


 いくつもの考えが重なった。


 結局、口から出たのは、


「今日、ちょっと疲れた」


 だった。


 母は驚かなかった。


「そう」


 包丁を置き、冷蔵庫を開けた。


「夕飯、食べられそう?」

「食べる」

「じゃあ、お風呂に入ってる間に作っておく。弟のことは、今日はお母さんに任せて」


「でも」

「お母さんも家族でしょう」


 以前、紗良が家族から受け取ったという言葉に、少し似ていた。


 真琴は、母が何か特別なことをしてくれるのだと思っていた。


 励ます。

 抱きしめる。

 詳しく聞く。


 けれど母は、ただ夕食を作り、弟への連絡を引き受けただけだった。


 それで十分だった。


「ありがとう」


 真琴が言うと、母は笑った。


「言ってくれた方が安心する」


 朝とは違う言葉が返ってきた。


     *


 翌日の放課後。


 真琴は図書室へ向かった。


 借りたい本があったわけではない。


 質問箱の前に立つ。


『答えのない質問を入れてください』


 箱の横に置かれた紙を一枚取った。


『助けてと言えない人は、どうしたらいいですか』


 書いてから、少し違うと思った。


 真琴はまだ、「助けて」と言えるようになりたいわけではなかった。


 助けてという言葉は大きすぎる。


 困っています。

 つらいです。

 一人では無理です。


 全部を含んでいるように感じる。


 もっと小さな言葉から始めたかった。


 新しい紙を取る。


『「助けて」と言うほどではないけれど、大丈夫でもないときは、何と言えばいいですか』


 今度は、自分の質問に近かった。


 紙を折り、箱へ入れた。


 カウンターには白石悠がいた。


 悠は箱を見たが、誰が紙を入れたか尋ねなかった。


「白石さん」


「はい」


「質問って、書いた人が答えを見つけたら終わりですか」


 悠は少し考えた。


「終わりにしてもいいですし、残してもいいと思います」

「残す?」

「同じことを考えている人が、あとから読むかもしれません」


「じゃあ、答えが出なくても?」

「出ないままの質問もあります」


「それでいいの?」

「答えがないことと、誰にも聞いてもらえないことは、同じではないので」


 真琴は質問箱を見た。


 紙を入れた時点で、少なくとも悠は受け取っている。


 それだけでも、書く前とは少し違った。


     *


 数日後、真琴の質問が掲示板に貼られた。


『「助けて」と言うほどではないけれど、大丈夫でもないときは、何と言えばいいですか』


 周りには、色も形も違う付箋が並んでいた。


『ちょっと疲れた、でいいと思う』


『今日は無理、と言う』


『手伝ってほしいことだけ伝える』


『聞いてほしい、と先に言う』


『うまく言えない、と言ってもいい』


『自分でも分からない、と正直に言う』


『「大丈夫じゃないけど、まだ説明できない」でも伝わります』


 真琴は一枚ずつ読んだ。


 どれも、「助けて」ではなかった。


 けれど、どれも助けを求める言葉だった。


 助けを求めるというのは、すべてを説明することではない。


 相手へ自分の問題を丸ごと渡すことでもない。


 今、自分が言えるところまで言う。


 それでいいのかもしれない。


「嫌な答え、ありましたか」


 悠が尋ねた。


「宮下君にも同じこと聞いた?」

「聞きました」

「嫌な答えを探すと、自分の答えが分かるんだよね」


 真琴は付箋を見た。


「これ」


『手伝ってほしいことだけ伝える』


「どうして嫌なんですか」

「そんなに簡単に、何を手伝ってほしいか分からないから」


「では、今は分からないと伝えるのは?」

「それならできるかも」


 真琴は別の付箋を指した。


『自分でも分からない、と正直に言う』


「これが一番近い」

「答えが見つかりましたか」

「言葉が見つかっただけ」


「十分だと思います」


 悠はそう言った。


 大きな答えを出さないところが、悠らしかった。


     *


 翌朝、弟からメッセージが届いた。


『学校に何て言えばいい』


 真琴はすぐには返さなかった。


 自分が答えを決めてはいけないと思った。


『何を聞かれるのが嫌?』


 送る。


 少しして返事が来た。


『病気のこと』


『じゃあ、言いたくないって言っていいと思う』


『感じ悪くない?』


『大丈夫って嘘をつくよりいい』


 送ってから、自分にも向けた言葉だと思った。


 弟から、しばらく返事はなかった。


 電車が駅へ着く頃、短いメッセージが届いた。


『姉ちゃんもな』


 真琴は画面を見て笑った。


     *


 学校では、英語の小テストが返された。


 真琴の点数は、いつもよりかなり低かった。


「珍しいな」


 蓮が答案を覗く。


「見ないで」

「ごめん」


 答案を隠したあと、真琴は思った。


 本当は、見られたことより点数が低いことの方が気になっている。


 寝不足で勉強できなかった。

 授業も頭に入らなかった。


 でも、それを言うと言い訳に聞こえる気がした。


「今回、勉強できなかった」


 真琴が言うと、蓮は頷いた。


「弟のこと?」

「それもある。眠くて」

「次のテスト、一緒にやる?」

「教えてくれるの?」

「俺も満点じゃないけど」


 答案を見ると、蓮も二問間違えていた。


「それで教えるの?」

「一緒に間違えたところ探す」


 真琴は少し考えた。


「お願いしていい?」

「もちろん」


 頼ることは、自分より優れた人へすべて任せることではない。


 一緒にやることも、助けてもらうことだった。


     *


 放課後、二人で図書室の隅に座った。


 英語の問題を解く。


 蓮は文法を説明しながら、途中で自分も分からなくなった。


「待って。今の説明、絶対違う」

「教えるって言ったのに」

「一緒に探すって言った」


 二人で参考書を開く。


 しばらくして、悠が机の横を通った。


「ここ、分かりますか」


 真琴が尋ねると、悠は問題を見た。


「英語は得意ではありません」

「そうなんだ」

「でも、似た例文が載っている本なら探せます」


 悠は棚から文法書を持ってきた。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 蓮が真琴を見る。


「今、普通に頼んだね」

「本を探してもらっただけ」

「それが頼るってことでしょ」


 真琴は文法書を開いた。


 確かに、助けてとは言っていない。


 でも、自分に必要なことを言った。


 それで人の手が動いた。


     *


 勉強を終え、蓮が先に帰ったあと、真琴は掲示板へ戻った。


 自分の質問の下へ、一枚の付箋を貼る。


『「疲れた」「分からない」「少し手伝って」と言うことにしました。それも助けを求める言葉だと思います』


 書き終えたとき、掲示板の端に新しい質問が貼られていることに気づいた。


『頼られるとうれしいと思うのは、相手が困っていることを喜んでいるみたいで変ですか』


 真琴は長くその紙を見た。


 助けてと言えない人がいる。


 そして、助けてと言われるのを待っている人もいる。


 蓮のように、何かしたいと思っていても、どこまで踏み込めばいいか迷う人。


 母のように、言ってくれた方が安心すると感じる人。


 頼られることを、負担ではなく信頼として受け取る人。


 真琴は付箋を一枚取った。


『変ではないと思います。私も、言ってよかったと思えたから』


 質問の下へ貼る。


「もう答えるんですね」


 悠が言った。


「今なら書けるから」

「この質問を書いた人も、読んでくれると思います」

「誰が書いたか分かる?」

「分からないことにしています」


 真琴は笑った。


「それ、便利な言葉だね」

「宮下君にも言われました」


 どうやら蓮も同じことを言ったらしい。


     *


 翌日。


 朝のホームルーム前、クラス委員の男子が提出物を集めていた。


「篠原、進路希望調査まだ?」


 真琴は鞄の中を探した。


 昨夜、記入して机の上へ置いた。

 そのまま忘れた。


「ごめん。家に忘れた」

「今日締め切りなんだけど」

「昼休みに家へ取りに戻る」


 反射的に言ってから、無理だと思った。


 家まで往復すれば、午後の授業に間に合わない。


 母へ連絡しても仕事中だ。


「先生に明日でいいか聞いてみたら?」


 蓮が言った。


「でも、締め切り」

「忘れたって言えばいい」


「迷惑かける」

「黙って取りに帰って授業遅れる方が迷惑じゃない?」


 正論だった。


 真琴は担任のところへ行った。


「先生」


「どうした?」


「進路希望調査を家に忘れました」


 そこまでは言えた。


「今日、持って来られるか」


「……今日は無理です。明日でもいいですか」


 担任は出席簿を閉じた。


「明日の朝までなら大丈夫だ」

「すみません」

「次は忘れないようにな」


「はい」


 それだけだった。


 怒られなかった。

 大きな迷惑にもならなかった。


 席へ戻ると、蓮が尋ねた。


「どうだった?」

「明日でいいって」

「よかったね」

「うん」


 真琴は椅子へ座った。


 大丈夫ではないと言っても、世界は止まらない。


 分からないと言っても、誰かがすぐに失望するわけではない。


 無理だと言えば、別の方法を一緒に探せることもある。


     *


 昼休み。


 弟から、学校へ戻る日が決まったと連絡が来た。


『来週の月曜』


『怖い?』


 真琴は送った。


『少し』


 以前の弟なら、「大丈夫」と返したかもしれない。


 真琴はすぐに答えた。


『私も最近、少し疲れてる』


『知ってる』


『何で』


『電話で途中から返事なくなってた』


 眠ってしまった夜のことだ。


 真琴は恥ずかしくなった。


『ごめん』


『別に。俺も寝たし』


 少し間が空いて、もう一通届く。


『月曜の朝、電話していい?』


 真琴は画面を見つめた。


 頼られた。


 弟が困っていることを、うれしいと思ってはいけない気がした。


 でも、弟が自分へ言ってくれたことは、確かにうれしかった。


『いいよ。でも私も眠かったら、眠いって言う』


 送る。


『分かった』


 真琴は図書室の新しい質問を思い出した。


 頼られるとうれしいのは、相手の苦しみを喜んでいるからではない。


 自分を選んでくれたこと。

 言っても大丈夫だと思ってくれたこと。


 その信頼を受け取れたからだ。


     *


 放課後、真琴は蓮へ声をかけた。


「宮下君」


「何?」

「今日、英語やらない?」

「やる」

「それと、図書室まで一緒に行ってほしい」


 蓮は少し驚いた。


「理由聞いていい?」

「一人でも行けるけど、今日は一緒の方がいいから」


「分かった」


 二人で廊下を歩く。


 理由を全部説明しなくてもいい。


 助けてという大きな言葉を使わなくてもいい。


 一緒に来て。

 少し聞いて。

 今日は無理。

 分からない。

 疲れた。


 どれも、自分と相手の間へ小さな橋を架ける言葉だった。


 図書室の入口で、蓮が扉を押さえた。


「どうぞ」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 真琴は中へ入った。


 掲示板には、昨日の質問がまだ残っていた。


『頼られるとうれしいと思うのは、相手が困っていることを喜んでいるみたいで変ですか』


 その下には、真琴の付箋以外にも返事が増えていた。


『困っていることではなく、話してくれたことがうれしいのだと思います』


『頼ってもらえたら、自分にもできることがあると思える』


『うれしいと言われると、頼る側も少し安心します』


 そして、一番下に新しい付箋が貼られていた。


『では、誰かに頼られたいのに、いつも頼られない人はどうすればいいですか』


 真琴は、その問いを読んだ。


 今度の質問は、助けを求める側ではない。


 手を差し出したいのに、差し出し方が分からない人の問いだった。


 誰が書いたのかは分からない。


 けれど、その人はきっと、誰かの役に立ちたいと思っている。


 真琴は隣の蓮を見た。


「何?」

「何でもない」


 答えを急いで書くのはやめた。


 この問いには、この問いを持つ人の物語がある。


 次に答えるのは、自分ではないかもしれない。


 質問箱の前には、まだ誰も知らない次の主人公へ続く言葉が置かれていた。


 真琴は、その問いを勝手に決めつけず、静かに受け取った。


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