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青葉ヶ丘青春リレー  作者: 芦名 雅


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18/45

第18話 撮れなかった最後の一枚にも、残したい今がある



 奈央の席は空いていた。


 卒業証書は担任が受け取った。


 沙耶と千尋は、二人で式へ出た。


 教室で写真を撮った。


 千尋のスマートフォンで。


 笑って。


 と言われた。


 沙耶は笑えなかった。


 式が終わったあと、千尋が使い捨てカメラを持ってきた。


「最後、どうする?」


「奈央がいない」


「あとで会ったときでもいい」


「いつ?」


「連絡がついたら」


「つかなかったら?」


「つくよ」


 千尋は言った。


 けれど、その日の夕方。


 担任から連絡が来た。


 奈央は母親と一緒に県外へ引っ越した。


 家庭の事情。


 詳しいことは説明できない。


 本人から連絡できる状態になれば、学校を通して伝える。


 それだけ。


 奈央は、何も言わずにいなくなった。


 その後、一度だけメッセージが届いた。


『ごめん。今は話せない。卒業おめでとう』


 沙耶は返した。


『カメラ、どうする?』


 返事はなかった。


 千尋は別の高校へ進学した。


 沙耶は青葉ヶ丘高校。


 最初の頃は連絡を取っていた。


 奈央から返事が来るかもしれない。


 三人で会えるかもしれない。


 カメラの最後を撮れるかもしれない。


 けれど、月が過ぎた。


 高校の生活が始まった。


 新しいクラス。


 部活。


 試験。


 千尋との連絡も少なくなった。


 奈央のアカウントは消えた。


 電話番号も変わった。


 使い捨てカメラだけが残った。


     ◇


 沙耶は、何度も現像しようとした。


 最後の一枚を残したままでも、店へ持っていける。


 全部撮り切る必要はない。


 店員に聞けば、そう言われた。


 それでも持っていけなかった。


 現像すれば、奈央がいなくなる前の写真を見ることになる。


 三人だった時間。


 まだ何も知らなかった顔。


 奈央が笑っている写真。


 それを見るのが怖かった。


 楽しかったと思えるのか。


 置いていかれたと思うのか。


 そして、もし写真がほとんど失敗していたら。


 指が写っている。


 暗い。


 ぶれている。


 何も残っていなかったら。


 約束して撮った時間まで、失敗だったように思うかもしれない。


 だから最後の一枚を理由にした。


 まだ終わっていない。


 まだ現像できない。


 最後を決めてから。


 三人で決めてから。


 そうして二年以上、鞄へ入れ続けた。


 高校三年になった。


 進路を決める時期。


 卒業アルバムの個人写真も撮った。


 写真館の人に、


「もう少し笑って」


 と言われた。


 沙耶は、自分の中に中学の卒業式が残っていることへ気づいた。


 笑えないのは、カメラが苦手だからだけではない。


 最後の一枚が終わっていないから。


 卒業式が、まだ終わっていない。


 それで、カメラを置いた。


 知らない誰かが何かを撮れば、約束は終わる。


 自分のせいではなく。


 何が写っていても、受け入れられる。


 そう思った。


 けれど放送では、


『中の写真を確認することはできません』


 と言われた。


 誰も勝手に撮らなかった。


 沙耶が避けた決定を、知らない誰かも引き受けなかった。


     ◇


 放課後。


 沙耶は職員室前まで来ていた。


 扉の近く。


 落とし物の棚。


 透明な袋に入ったカメラが見える。


 白いテープ。


『あと一枚』


 取りに行けばいい。


 名前を書く。


 持ち主だと説明する。


 それだけ。


 けれど足が動かない。


「落とし物?」


 後ろから声。


 振り返る。


 桐生乃々花と水城花音が立っていた。


 カメラを拾った二人。


「違う」


 沙耶は答えた。


 乃々花が棚を見る。


「カメラ」


「見てただけ」


「持ち主?」


「違う」


 また答える。


 花音は沙耶の鞄を見る。


 持ち手に、小さなフィルムケースの飾りがついている。


 中学時代、奈央が三人へ渡したもの。


 奈央は赤。


 千尋は青。


 沙耶は黄色。


「写真、好き?」


 花音が尋ねる。


「別に」


「その飾り」


「貰ったもの」


「誰に?」


「関係ないでしょう」


「うん」


 花音はそれ以上聞かなかった。


 乃々花が言う。


「放送室へ、持ち主から返事が来てない」


「返事?」


「紙に、知らない人が撮ってって書いてあった」


 沙耶の喉が詰まる。


「でも、撮らなかった」


「どうして」


「誰かの最後を、勝手に決めたくなかったから」


「頼まれたのに?」


「頼んだ人が、本当にそれでいいか分からなかった」


 沙耶は乃々花を見る。


「面倒ですね」


「よく言われる」


「撮ってくれたらよかったのに」


 口から出た。


 乃々花と花音が黙る。


 沙耶は逃げられなくなった。


「持ち主?」


 乃々花が尋ねる。


 もう否定できない。


「はい」


「なら、職員室へ」


「いりません」


「どうして」


「置いたから」


「落としたんじゃない?」


「誰かに撮ってほしくて置いた」


「じゃあ、今もそう思ってる?」


 花音が聞く。


 沙耶は答えられない。


「分からない」


「なら、分からないまま持って帰れば」


「また二年持つかもしれない」


「二年持ってたの?」


 乃々花が反応する。


「もっと」


「現像してない?」


「最後が残ってるから」


「残ってても現像できるでしょう」


「知ってる」


「じゃあ、最後の一枚が理由じゃない」


 乃々花ははっきり言う。


 沙耶は腹が立った。


「知らないくせに」


「知らない」


「だったら」


「だから聞いてる」


 乃々花は引かなかった。


「話したくないなら、話さなくていい。でも、知らない人に撮らせたいのか、自分で終わらせたいのかは、持ち主しか決められない」


「決められないから置いたんです」


「置いたら、誰かが決めると思った?」


「そうです」


「私たちは決めなかった」


「迷惑でした?」


「少し」


 正直。


 花音が付け加える。


「でも、カメラは戻った」


「戻ってません」


「職員室にある」


「私のところじゃない」


「取りに来たでしょう」


 沙耶は黙る。


 たしかに来た。


 放送を聞き。


 授業が終わるのを待ち。


 職員室前へ立った。


「最後に何を撮るか、決められない」


 沙耶は言った。


「何を撮っても、違う気がする」


「前の写真は?」


 乃々花が聞く。


「中学の友達と撮った」


「最後も、その友達と?」


「一人、いなくなった」


「亡くなった?」


「違う」


 沙耶はすぐに否定した。


「引っ越した。連絡が取れなくなった」


「なら、三人では撮れない」


「分かってます」


「二人で撮る?」


「もう一人とも、ほとんど会ってない」


「連絡は?」


「取ろうと思えば」


「なら取れば」


「簡単に言わないで」


「簡単とは言ってない」


 乃々花の言葉が強くなる。


 花音が二人の間へ入る。


「カメラ、受け取ろう」


「今?」


「持ってないと、決められない」


 沙耶は職員室を見る。


 落とし物の棚。


 自分で置いたものを、自分で受け取る。


 ばかみたいだと思う。


 でも、花音の言う通りだった。


 持っていないものの最後は決められない。


 沙耶は職員室へ入った。


     ◇


 受取簿へ名前を書く。


『三年一組 相原沙耶』


 教員がカメラを渡す。


「大事なものなら、今度は落とさないように」


「落としたんじゃ」


 言いかけて、止めた。


「はい」


 透明な袋の中。


 何年も触れてきた形。


 手へ戻る。


 重さはほとんどない。


 それでも、持った瞬間に中学時代の鞄まで思い出した。


 職員室を出る。


 乃々花と花音が待っていた。


「返ってきた」


 花音が言う。


「見れば分かります」


「これからどうする?」


「帰ります」


「一人で決める?」


 乃々花が尋ねる。


「それが普通でしょう」


「誰かに撮ってほしいって置いたのに?」


「さっきから、言い方が」


「悪い?」


「かなり」


「ごめん」


 乃々花はすぐに謝った。


 沙耶の方が戸惑う。


「でも、放っておくのも違う気がする」


「知らない人なのに」


「カメラを拾ったから」


「それだけ?」


「話の続きを知りたい」


「小説じゃないですよ」


「知ってる」


 乃々花は少し考える。


「でも、途中で終わってるものを見ると、最後まで知りたくなる」


「私は、花が折れてたら水へ挿す」


 花音が言う。


「同じにしないで」


「同じじゃない。でも、見つけたから」


 二人とも面倒だった。


 知らない人。


 別の学年。


 関係がない。


 それなのに、沙耶の決められない場所へ立っている。


「写真を撮るなら」


 花音が言う。


「今の学校にあるもの」


「どうして」


「前の学校の続きを、ここで撮るから」


「続きじゃない」


「じゃあ、今の一枚」


 昨日の花と今日の花は違う。


 そんな話を、どこかで聞いた気がする。


 校内放送。


 返事を急がない手紙。


 学校の音。


 最近の青葉ヶ丘高校には、途中のものを勝手に終わらせず、別の場所へ置き直す人が多い。


「何を撮ればいいと思いますか」


 沙耶は、初めて尋ねた。


 乃々花が答える。


「それを私たちに決めさせる?」


「意見です」


「空欄」


「何も写らない」


「空欄がある場所」


「例えば?」


「誰かが座っていない席」


「嫌です」


「じゃあ、校長」


 花音が言う。


「猫?」


「正門にいる」


「最後の一枚が猫?」


「嫌?」


「嫌じゃないけど」


 沙耶はカメラを見る。


 猫を撮れば終わる。


 簡単。


 けれど、それではまた誰かが決めたものになる。


「その前に」


 乃々花が言う。


「もう一人の友達へ連絡したら」


「藤原千尋」


「名前、言えた」


「言えます」


「会いたい?」


 沙耶は迷う。


 会いたくないわけではない。


 会えば、奈央の話になる。


 カメラの話。


 二年以上連絡しなかった理由。


 面倒。


 怖い。


「分からない」


「なら、連絡だけ」


「返事が来なかったら」


「来ないこともある」


「最近そればっかりですね」


「何が」


「返事を急がないとか、届いた時間は残るとか」


 乃々花が笑う。


「学校中がそうなってるらしい」


     ◇


 沙耶は、渡り廊下のベンチへ座った。


 カメラを置いた場所。


 隣に乃々花と花音。


 スマートフォンを出す。


 千尋との最後のメッセージは、八か月前。


『進路どうする?』


『まだ迷ってる』


 それだけ。


 文章を入力する。


『久しぶり。使い捨てカメラのこと覚えてる?』


 消す。


『カメラ、まだ持ってる』


 消す。


『最後の一枚、どうする?』


 消す。


「長い」


 花音が言う。


「見ないで」


「見えてない。時間」


「考えてる」


「最初に言いたいことは?」


 乃々花が尋ねる。


「カメラを現像したい」


「書けば」


『カメラを現像しようと思う。最後の一枚が残ってる。千尋は、何を撮りたい?』


 指が止まる。


「送る?」


 乃々花。


「急かさないで」


「ごめん」


「二人とも、帰らないんですか」


「返事を見るまではいない」


 花音が言う。


「来なかったら遅くなる」


「送るところまで」


 沙耶は送信した。


 既読はつかない。


 一分。


 二分。


「帰ります」


 沙耶が立つ。


 その瞬間、スマートフォンが震えた。


『覚えてる。まだ現像してなかったんだ』


 千尋。


 沙耶は画面を見る。


『してない。最後が決められなかった』


 返事。


『私も、聞けなかった』


『何を?』


『カメラどうしたか。沙耶が持ってると思ってたから』


 沙耶は息を吐く。


 自分だけが抱えていたのではない。


 千尋も聞けなかった。


『何撮る?』


 千尋から。


『三人の写真は無理』


 送る。


 少しして。


『二人で撮る?』


 沙耶は画面から目を上げた。


 乃々花と花音は何も聞かない。


『奈央がいないのに?』


『奈央がいないから撮らないままなのも、違う気がする』


『会える?』


『日曜なら』


 会う時間。


 場所。


 中学の最寄り駅。


 簡単に決まった。


 二年以上決められなかった最後が、五分で動き出した。


「会うことになりました」


 沙耶が言う。


「よかった」


 花音。


「まだ、何を撮るか決まってない」


「会ってから決めれば」


 乃々花。


「それでいいんですか」


「決めるために会うんでしょう」


 沙耶はカメラを鞄へ入れた。


 今度は、自分の意思で。


     ◇


 日曜日。


 中学時代の最寄り駅。


 千尋は、青い傘を持って立っていた。


 雨は降っていない。


「久しぶり」


「久しぶり」


 高校の制服ではない。


 私服。


 髪が少し長くなった。


 靴を見る癖は変わっていなかった。


「沙耶の靴、黒」


「見れば分かる」


「高校でも真面目そう」


「靴で決めないで」


 二人とも笑った。


 最初の数分は、奈央の話をしなかった。


 高校。


 進路。


 先生。


 部活。


 千尋は写真部へ入っていた。


「写真、続けてたの?」


「スマホだけど」


「カメラは?」


「フィルムも少し」


「言ってよ」


「沙耶もカメラのこと言わなかった」


「そうだけど」


 二人は中学校まで歩いた。


 休日。


 校門は閉まっている。


 外から校舎を見る。


「最後、ここ撮る?」


 千尋が尋ねる。


「学校?」


「三人でいた場所」


「奈央が写らない」


「最初から、全部の写真に三人写ってるわけじゃないでしょう」


 沙耶が撮った手。


 千尋が撮った道。


 奈央が撮った顔。


「最後だけ、三人である必要ない?」


「約束は、三人で決めるだった」


「奈央に聞けない」


「うん」


「勝手に決めていい?」


 千尋はしばらく校舎を見る。


「二人で決めるのは、勝手じゃなくて、今できることだと思う」


「奈央が戻ってきたら?」


「二十八枚目はない」


「そう」


「でも、別のカメラで撮れる」


 当たり前のこと。


 このカメラの続きは一枚しかない。


 けれど、写真を撮ること自体が終わるわけではない。


「何を撮る?」


 沙耶が尋ねる。


 千尋は周囲を見る。


 校門。


 通学路。


 横断歩道。


 コンビニ。


「二人で撮ろう」


「誰が撮るの」


「通った人に頼む」


「知らない人?」


「嫌?」


「笑ってって言われる」


「笑わなくていい」


「写真で困った顔になる」


「それも今の顔」


 中学二年の夏。


『今の顔は今しかない』


 千尋が言った。


 同じ言葉。


「覚えてた?」


「何を」


「別に」


 二人は、中学校の校門が入る場所へ立った。


 通りかかった女性へ頼む。


「すみません。写真を一枚、お願いできますか」


 使い捨てカメラを渡す。


 女性が構える。


「もう少し近づいて」


 二人の肩が触れる。


「笑って」


 やはり言われた。


 沙耶の顔が固くなる。


 千尋が横で小声を出す。


「奈央なら、今、遅いって怒る」


「何が」


「二年以上」


「千尋もでしょう」


「沙耶が持ってたから」


「人のせい」


「半分ずつ」


 沙耶は笑った。


 その瞬間。


 シャッター。


 最後の一枚。


 乾いた音。


 巻き上げレバーはもう動かない。


「撮れました」


 女性がカメラを返す。


「ありがとうございます」


 二人で頭を下げた。


 沙耶は、カメラを見る。


 終わった。


 何年も残っていた一枚。


 奈央はいない。


 三人ではない。


 それでも、約束を忘れた写真ではない。


 奈央の名前を話しながら撮った。


「現像しよう」


 千尋が言う。


「今日?」


「今」


「怖い」


「私も」


「失敗してたら?」


「失敗も残る」


 奈央の言葉。


 二人は駅前の写真店へ向かった。


     ◇


 一週間後。


 現像された写真を、沙耶と千尋は青葉ヶ丘高校近くの喫茶店で開いた。


 二十七枚。


 最初の一枚。


 千尋が撮った沙耶。


 中学二年。


 不意打ち。


 笑っていないと思っていた。


 けれど、少し笑っていた。


 奈央の方を見て。


「えくぼ」


 千尋が言う。


「見ないで」


「写真だから見る」


 二枚目。


 奈央の横顔。


 三枚目。


 濡れた通学路。


 四枚目。


 アイスを持つ手。


 何枚かはぶれている。


 暗い。


 指が写っている。


 何を撮ったか分からないものもある。


「失敗、多い」


 沙耶が言う。


「九枚ずつだから」


「奈央の、人物近すぎ」


「顔見る人だから」


 写真の奈央は笑っている。


 元気。


 何も言わずにいなくなる人には見えない。


 けれど、それも奈央だった。


 いなくなる前の奈央。


 あとで家庭に何が起きていたのか、沙耶たちは知らない。


 写真だけでは分からない。


 笑っているから大丈夫だったとは言えない。


 沙耶は写真へ指を触れなかった。


「怒ってる?」


 千尋が尋ねる。


「少し」


「奈央に?」


「うん」


「私も」


「心配もしてる」


「うん」


「会いたい」


「うん」


 全部同時にあっていい。


 きれいな思い出だけにしなくていい。


 二十七枚目。


 中学校の校門。


 沙耶と千尋。


 肩が触れている。


 二人とも笑っている。


 沙耶は、カメラへ向けて完璧に笑ってはいない。


 千尋の声に笑った途中。


 口が少し開いている。


 目も細い。


 自然にしようとしていない顔。


「変」


 沙耶が言う。


「いい写真」


「千尋も変」


「知ってる」


 最後の一枚に、奈央はいない。


 それでも、奈央の話をしている二人が写っている。


 いない人を消していない。


 今いる二人も消していない。


「一枚、奈央へ送れるかな」


 沙耶が言う。


「住所ない」


「中学の先生に預ける」


「届くか分からない」


「それでも」


 千尋が頷く。


「どれを?」


「最後」


「二人だけの写真?」


「裏に書く」


『最後の一枚、二人で撮りました。


 怒ってます。


 心配してます。


 会いたいです。


 返事は急がなくていいです。』


「長い」


 千尋が言う。


「必要」


「青葉ヶ丘っぽい」


「何それ」


「沙耶の学校、そういうの多いんでしょう」


 沙耶は笑った。


     ◇


 月曜日。


 放課後。


 沙耶は放送室を訪れた。


 麻衣、玲奈、蒼太。


 乃々花と花音も来ていた。


「カメラの人」


 乃々花が言う。


「相原沙耶です」


「知ってる」


「前も誰かが言ってましたね、それ」


「最近、名前を名乗る人が多いから」


 沙耶は封筒を出した。


 現像した写真のうち、一枚。


 最後の写真ではない。


 使い捨てカメラ本体を、渡り廊下のベンチへ置いた日の写真でもない。


 中学の通学路。


 三人の足元だけが写っている。


 赤い靴。


 青い靴。


 黄色い靴紐の沙耶。


「これ」


 沙耶は写真を渡す。


「放送室へ?」


「拾ってくれたお礼」


 麻衣が写真を見る。


「顔、写ってない」


「私が撮ったから」


「三人?」


「はい」


「最後は撮れた?」


 玲奈が尋ねる。


「撮りました」


「何を?」


「今いる二人」


 それだけ答える。


 詳しい話はしない。


 誰かの写真を、本人の許可なく全部見せない。


「現像、怖くなかった?」


 花音が聞く。


「怖かった」


「でも見た」


「はい」


「どうだった?」


「失敗してました」


 皆が少し驚く。


「かなり」


 沙耶は笑う。


「でも、残ってました」


 ぶれた写真。


 暗い写真。


 指。


 笑顔。


 全部。


「この写真、飾っていい?」


 麻衣が尋ねる。


「放送室に?」


「嫌なら、返す」


「名前を出さないなら」


「分かった」


「いつまで?」


「しばらく」


「花と同じですね」


「花より長く残る」


「写真も色褪せます」


 花音が言う。


「でも、見た時間は残る?」


 乃々花が続ける。


「最近、何でもその言い方にしますね」


 沙耶は呆れながら笑った。


「校内放送で、落とし物が戻ったことを言ってもいい?」


 玲奈が確認する。


「カメラとは言わないでください」


「どうして」


「写真を撮り切ったから、もう落とし物のカメラはない」


 沙耶は考える。


「『最後を決められなかったものが、持ち主へ戻りました』くらいなら」


「抽象的」


 蒼太が言う。


「放送で伝わりますか」


「伝わる人だけでいいです」


「分かりました」


 玲奈が原稿へ書く。


『以前お知らせした、最後を決められずに置かれていた落とし物は、無事に持ち主へ戻りました。』


 そのあとに一文。


『誰かへ決めてもらいたいと思ったことでも、持ち主自身が選び直せる場合があります。』


「説教っぽい」


 沙耶が言う。


「では、消します」


「消すんですか」


「嫌と言ったので」


「そこまで嫌じゃない」


「なら残す?」


「少し短く」


 皆で文章を考える。


 最後は、


『決められないまま置いたものも、持ち帰ってから考え直すことができます。』


 になった。


 すぐに決めなくていい。


 誰かへ渡してもいい。


 でも、戻ってきたときに選び直してもいい。


 沙耶は、放送室の窓際を見る。


 花はない。


 代わりに、三人の足元だけの写真が置かれた。


 赤。


 青。


 黄色。


 誰の顔も写っていない。


 けれど沙耶には、三人がどんな顔で歩いていたか分かる。


     ◇


 翌朝。


 写真の下に、小さな付箋が置かれていた。


『この道は、どこへ続いていますか。』


 名前はない。


 誰が書いたか分からない。


 放送室へ来た蒼太が首を傾げる。


「質問?」


 玲奈が写真を見る。


「写真の道」


「中学校の通学路」


 沙耶から聞いた麻衣が答える。


「返事しますか」


「誰に?」


「書いた人」


 麻衣は付箋を裏返す。


 何もない。


「写真の横へ置こう」


 新しい付箋。


『三人が別々の高校へ進むところまで。


 その先は、まだ写っていません。』


 麻衣が書く。


「勝手に答えていいんですか」


 蒼太が尋ねる。


「沙耶さんから聞いた範囲」


「本人へ確認は?」


「写真を飾る許可はある。でも説明を書く許可はない」


 麻衣は止まる。


「じゃあ、置かない」


「写真を見た人が、自分で考えればいい」


 玲奈が言う。


 付箋は外した。


 質問だけが残る。


『この道は、どこへ続いていますか。』


 答えはない。


 それでも、写真の道は途中で切れていない。


 画面の外へ続いている。


 放送室の扉が開く。


 青いリボンをつけた一年生、朝霧紬が立っていた。


「その写真」


 紬は、三人の足元を見ている。


「見たことがある道です」


 麻衣が振り返る。


「どこで?」


「昔、住んでいた町に似ています」


「同じ場所?」


「たぶん違います」


 紬は写真へ近づいた。


「でも、帰り道みたい」


 写真には写っていない場所を、誰かが自分の記憶と重ねる。


 沙耶たち三人の道が、別の誰かの道になる。


「この付箋、紬さん?」


 玲奈が尋ねる。


「違います」


「じゃあ、誰だろう」


 正門の方から、朝の予鈴が聞こえた。


 写真の外へ続く道。


 まだ写っていない先。


 青いリボンを揺らしながら、紬は静かに言った。


「帰る場所が、二つある人もいるんでしょうか」


 誰に尋ねたのか分からなかった。


 放送室には、すぐに答える人はいなかった。


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