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青葉ヶ丘青春リレー  作者: 芦名 雅


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13/45

第13話 誰のためでもない花にも、咲く理由はある

 花を育てることは、誰にでもできると思われている。


 水をやる。


 日に当てる。


 枯れた葉を取る。


 土が乾けば、また水をやる。


 それだけ。


 けれど実際には、同じ鉢に同じ量の水をやっても、花は同じようには咲かない。


 日当たり。


 風。


 湿度。


 根の張り方。


 昨日まで元気だった花が、朝には急に首を垂れていることもある。


 反対に、もう駄目だと思っていた茎から、小さな芽が出ることもある。


 だから水城花音は、花を育てることを簡単だとは思わなかった。


 ただ、人に説明するのが面倒だった。


「水をあげてるだけでしょう?」


 そう言われれば、


「まあね」


 と答える。


「花が好きなんだね」


 そう言われれば、


「普通」


 と答える。


 本当は普通ではない。


 朝、教室へ入る前に鉢の土を触る。


 昼休みに葉の裏を見る。


 放課後、花壇の隅へ落ちた枯れ葉を拾う。


 休日も天気予報を確認する。


 雨が強ければ、軒下へ移した鉢が倒れていないか気になる。


 気になったところで、学校は閉まっている。


 だから月曜日の朝、誰より早く登校する。


 花音にとっては、それが普通だった。


 けれど他人から見れば、たぶん少し変わっている。


 だから言わない。


 好きだと言えば、理由を聞かれる。


 理由を話せば、重いと思われる。


 花音は、花について話すと長くなる。


 パンジーは寒さに強いが、蒸れには弱い。


 サルビアは花がらを摘めば次が咲きやすい。


 ペチュニアは雨に弱く、濡れた花びらが葉へ張りつくと傷みやすい。


 マリーゴールドは丈夫だが、丈夫だからと放っておけば当然枯れる。


 誰かが軽い気持ちで、


「花、好きなんだ」


 と言ったとき、それらを全部話したくなる。


 でも、話さない。


「まあね」


 それだけ。


 花音は、自分の話が長くなることを知っていた。


 相手が花に興味がないことも知っていた。


 だから、花壇の世話は一人でする。


 誰にも頼まれず。


 誰にも気づかれず。


 誰のためでもないような顔をして。


     ◇


 五月二十四日。


 朝。


 青葉ヶ丘高校二年三組。


 花音は、教室後方の窓際に置かれた植木鉢を持ち上げた。


 白い陶器。


 小さな欠け。


 中には、薄紫のビオラ。


 四月には、もう少し多く咲いていた。


 最近は気温が上がり、花数が減っている。


 季節の終わりが近い。


「それ、まだ咲くの?」


 クラスメイトの女子が尋ねた。


 名前は西野由佳。


 体育祭実行委員。


 朝からプリントを配っている。


「少しは」


 花音が答える。


「もう夏の花に替えた方がよくない?」


「六月までは咲くから」


「そうなんだ」


 由佳は、それ以上興味を示さなかった。


 予想通り。


「花音って、花係だったっけ?」


「違うよ」


「じゃあ何で世話してるの?」


 花音は鉢の底を見る。


 穴から細い根が出ている。


「枯れそうだったから」


「先生に頼まれた?」


「頼まれてない」


「偉いね」


 そう言い、由佳は次の席へプリントを配りに行った。


 偉い。


 花音は、その言葉が苦手だった。


 偉いから世話をしているわけではない。


 誰かに褒められるためでもない。


 ただ、枯れると分かっていて放っておけない。


 でも、それを説明すれば長くなる。


 だから黙る。


 鉢を窓際から廊下側へ移す。


 今日は日差しが強い。


 午後まで窓際へ置けば、土が乾きすぎるかもしれない。


「移動させるの?」


 今度は男子が聞いた。


「うん」


「花って日なたの方がいいんじゃないの?」


「ずっとは良くないから」


「へえ」


 そこで会話は終わる。


 花音は鉢を抱え、教室を出た。


 廊下の突き当たり。


 直射日光の当たらない窓辺。


 しばらくここへ置く。


 水は、まだやらない。


 表面は乾いているように見えるが、指を一節入れれば中は湿っている。


 毎日水をやればいいわけではない。


 水をやりすぎれば、根が腐る。


 何かをしてあげることが、いつも正しいとは限らない。


 そのことを、花は分かりやすく教えてくれる。


 花音は鉢を置いた。


 そのとき。


 足元に、黄色い花が落ちていることへ気づいた。


 一輪。


 茎は短い。


 切られたというより、折れたように見える。


 小さなガーベラ。


 花びらの先が少し傷んでいる。


 花音は拾い上げた。


 廊下に花を持っている生徒はいない。


 近くに花瓶もない。


 誰かが落としたのだろう。


 どこから持ってきたのか。


 誰へ渡すつもりだったのか。


 花音は周囲を見る。


 誰も戻ってこない。


「水城さん」


 後ろから声をかけられた。


 振り返る。


 二年一組の桐生乃々花。


 文芸部部長。


 直接話したことはほとんどない。


 同じ学年なので顔と名前は知っている。


 乃々花は、花音の手元を見る。


「花、落とした?」


「違う」


「拾った?」


「うん」


「きれい」


「少し傷んでる」


「そうなんだ」


 乃々花は近くで見る。


「私には分からない」


「花びらの端が茶色いから」


「言われたら分かる」


「これくらいなら、水に挿せばまだ持つよ」


「誰の?」


「分からない」


「落とし物?」


「たぶん」


 乃々花が、少し笑う。


「最近、みんな『たぶん』って言うね」


「そう?」


「流行ってるみたい」


 花音は黄色いガーベラを見る。


「職員室へ持っていく?」


 乃々花が聞く。


「花一本を?」


「落とし物なら」


「名前もないし」


「じゃあ、どうするの?」


「水に挿す」


「誰かが探しに来るまで?」


「うん」


「探しに来なかったら?」


 花音は少し考える。


「咲けるだけ咲かせる」


 乃々花は、その言葉を聞いて黙った。


「何?」


「今の、少し小説っぽい」


「普通のことだけど」


「普通のことを、普通じゃないみたいに言うのが小説」


「褒めてる?」


「たぶん」


 乃々花は文芸部室の方へ歩いていく。


「その花」


 数歩進んだあと、振り返る。


「もし持ち主が来なかったら、文芸部に飾ってもいい?」


「どうして」


「部室、紙ばっかりだから」


「水替えできる?」


「忘れるかも」


「じゃあ駄目」


「厳しい」


「花は水替えないと傷むから」


「なら、水城さんが替えに来て」


「何で私が」


「花が好きだから」


 花音は答えなかった。


 乃々花は笑って去っていった。


     ◇


 花音は、理科準備室から小さなガラス瓶を借りた。


 空き瓶。


 教師へ確認すると、


「戻すなら使っていい」


 と言われた。


 水を少しだけ入れる。


 黄色いガーベラの茎を斜めに切る。


 水へ挿す。


 水が多すぎると茎が傷みやすい。


 少なめでいい。


 花音は瓶を、教室後方の棚へ置いた。


 すぐに誰かが気づいた。


「何それ?」


 由佳が尋ねる。


「落とし物」


「花の?」


「うん」


「誰かに貰ったんじゃないの?」


「違う」


「本当に?」


「何で嘘つくの」


「いや、花音に花って、似合うから」


 由佳は笑った。


 悪意はない。


「誰かからだったら、いいのにね」


 その一言が、花音の胸へ少し引っかかった。


「別に」


 短く答える。


「好きな人から花とか、嬉しくない?」


「人による」


「好きな人なら?」


「花の種類による」


「そこ?」


「手入れが難しい花なら困る」


「花音らしい」


 由佳は楽しそうに笑い、自分の席へ戻った。


 誰かからだったら、いいのにね。


 花音は、もう一度ガーベラを見る。


 誰かが自分へ置いてくれた花。


 そう考えたことはなかった。


 落とし物。


 それだけ。


 でも、ほんの一瞬。


 もし自分のためだったら。


 そう思った。


 教室後方。


 花音の席の近く。


 偶然、花が落ちていた。


 誰かが花音へ渡そうとした。


 声をかけられず、落とした。


 そんなことはない。


 自分でも分かっている。


 誰が、花音へ花を渡す。


 クラスで特別仲のいい人はいない。


 話せば返事はする。


 頼まれれば手伝う。


 花壇の世話をしていることは、何人か知っている。


 けれど、誕生日でもない。


 何かを頑張った日でもない。


 黄色いガーベラの花言葉を、花音は知っていた。


 究極の愛。


 親しみやすさ。


 優しさ。


 花言葉は、同じ花でも国や本によって違う。


 だから、あまり信じていない。


 それでも知っている。


「違う」


 花音は小さく言った。


 自分のためではない。


 分かっている。


 だからこそ。


 今日一日だけ、自分のためだと思ってもいいのではないか。


 誰かに言わなければ。


 誰にも迷惑をかけなければ。


 一日だけ。


 自分が祝われたことにする。


 花音は、ガーベラの瓶を自分の机へ移した。


     ◇


 一時間目。


 現代文。


 藤崎先生が教科書を読み上げる。


 花音の机の端には、黄色い花。


 授業中に置く必要はない。


 邪魔になる。


 普段の花音なら、棚へ戻す。


 でも、今日は置いたままにした。


「水城」


 教師に名前を呼ばれ、花音は顔を上げる。


「そこ、読んで」


「はい」


 教科書を読む。


 短い随筆。


 庭に咲く花について。


 作者は、毎年同じ花が咲くことを喜んでいる。


 けれど本当は、去年の花と今年の花は別の花だ。


 同じ場所。


 同じ色。


 それでも一つずつ違う。


 花音は最後まで読んだ。


「作者が言いたいのは?」


 藤崎先生が尋ねる。


「同じように見えるものも、同じではないということだと思います」


「例えば?」


「花は毎年咲いても、去年咲いた花が戻ってくるわけではない」


「うん」


「だから、同じに見えることを安心だと思う気持ちと、違うものだと受け入れることの両方が書いてあります」


 教室が少し静かになる。


 長く話した。


 花音は気づく。


 教師は頷いた。


「よく読んでる」


「ありがとうございます」


 席へ座る。


 隣の男子が、小声で言う。


「花の話だから詳しいな」


「そうかも」


「その花も、去年の花とは違う?」


「ガーベラは多年草だから、株が同じなら去年と同じ株から咲くこともある」


「急に難しい」


「聞いたから」


「聞いたけど」


 男子は少し笑った。


 花音も、ほんの少し笑う。


 机の端の花が、教室の空気を少し変えている。


 誰かが話しかける。


 花音が答える。


 花の話なら、言葉が出る。


 いつもは長くならないよう止める。


 今日は少しだけ話す。


 自分のための花だと思う一日。


 そのくらいの変化があってもいい。


     ◇


 昼休み。


 花音は、いつものように中庭の花壇へ向かった。


 弁当は教室で早めに食べた。


 昼休みの後半。


 花壇の土を確認する。


 マリーゴールドの苗。


 まだ植えたばかり。


 根が十分張っていない。


 風で少し傾いている。


 花音は土を寄せる。


「やっぱり、ここにいた」


 声がした。


 桐生乃々花。


 手には小さなメモ帳。


「何?」


「朝の花」


「まだ持ち主来てない」


「水に挿した?」


「うん」


「元気?」


「朝よりは」


「見たい」


「教室にある」


「そう」


 乃々花は花壇の横へしゃがんだ。


 制服の膝が土につきそうになる。


「汚れるよ」


「少しくらい」


「落ちにくいよ」


「じゃあ、しゃがまない」


 乃々花は立ち上がる。


「何しに来たの?」


「詩を書こうと思って」


「花の?」


「たぶん」


「また、たぶん」


「流行ってるから」


 乃々花はメモ帳を開く。


「花音は、誰のために花を育ててるの?」


 急な質問。


「誰のためでもない」


「学校の人のためじゃない?」


「頼まれてないから」


「でも、みんな見る」


「見る人もいる」


「きれいだと思う人も」


「いるかも」


「じゃあ、その人のためじゃない?」


「違う」


 花音は即答した。


「見てもらうために育ててない」


「じゃあ、何のため?」


「枯れそうなら、水をやる」


「それだけ?」


「それだけ」


「花が好きだから?」


「たぶん」


「分からないの?」


「好きって言うと、楽しいだけみたいだから」


 乃々花は黙る。


 花音はマリーゴールドの土を押さえる。


「面倒だよ」


 花音が言う。


「花を育てるの」


「うん」


「虫も来る。病気にもなる。水をやりすぎても駄目。少なくても駄目。毎日同じことをしても、急に枯れる」


「それでもやる」


「放っておく方が嫌だから」


「それが好きなんじゃない?」


「そうかも」


「好きって、楽しいだけじゃないよ」


 乃々花はメモ帳へ何か書く。


「小説も面倒。書けないし、破るし、読まれたくないし」


「なのに書く」


「書かない方が嫌だから」


「同じ?」


「たぶん」


 花音は少し笑った。


「何を書いたの?」


「見せない」


「聞いたのに」


「まだ途中」


 乃々花はメモ帳を閉じる。


「朝の花、本当に花音のじゃないの?」


「違う」


「でも机に置いてた」


「今日だけ」


「どうして」


「何となく」


「何となくで、落とし物を自分の机に?」


 乃々花の視線が鋭い。


 花音は目をそらす。


「自分のためだと思った?」


 当てられた。


「違う」


「今、答え早かった」


「持ち主が来るまで置いてるだけ」


「ふうん」


「何」


「別に」


 乃々花は、それ以上聞かなかった。


「文芸部」


 歩き出す前に言う。


「今日、扉に返事を貼るから」


「何の?」


「名前のない詩」


 花音の手が止まる。


「詩?」


「昨日、部室に届いた」


「どんな」


 乃々花は少し考える。


「本人かもしれないから、内容は言わない」


「そう」


「気になる?」


「別に」


「答え早い」


「花壇の世話あるから」


「そう」


 乃々花は去っていった。


 花音は、土についた指を見つめた。


 昨日。


 放課後。


 文芸部室の扉の下へ、一枚の紙を入れた。


 短い詩。


『朝、靴箱に花があった。


 私のためではないと分かっていた。


 それでも一日だけ、


 自分が祝われたことにした。』


 本当は、靴箱ではない。


 廊下。


 今日のことでもない。


 去年のこと。


 中学三年生の頃。


 卒業式の前日。


 靴箱の上に、小さな花束が置かれていた。


 花音の名前はない。


 隣のクラスの生徒が、先生へ渡すために置いたものだった。


 花音は知っていた。


 それでも、誰もいない朝の数分だけ、自分のためだと思った。


 その記憶を、昨日急に思い出した。


 文芸部室の前を通ったとき。


 扉の向こうから、ペンの音が聞こえた。


 誰かが書いている。


 花音も書いてみた。


 名前は書かなかった。


 自分が書いたと知られたくなかった。


 ただ、捨てたくなかった。


 だから部室へ入れた。


 そして今朝。


 本当に花を拾った。


 自分のためではない花。


 昨日書いた詩が、そのまま現実になったようだった。


     ◇


 午後。


 花の持ち主は現れなかった。


 放課後。


 花音はガーベラの水を替えた。


 茎を少し切り戻す。


 花びらは朝より開いている。


「まだ元気だね」


 由佳が声をかける。


「うん」


「持ち主、来なかった?」


「来てない」


「じゃあ貰っちゃえば?」


「落とし物だから」


「花一本でしょ」


「誰かに渡すつもりだったかもしれない」


「なら、その人もう新しいの買ってるんじゃない?」


「分からない」


「花音って真面目だね」


 また、その言葉。


「由佳」


「何?」


「体育祭のプリント、落としても誰かが新しいのくれるから、拾った人が持って帰っていい?」


「駄目でしょう」


「同じ」


「花とプリントは違うよ」


「持ち主がいるのは同じ」


 由佳は少し考えた。


「ごめん」


「何が」


「軽く言った」


「別に怒ってない」


「怒ってるように見えた」


「少しだけ」


「正直」


「最近、そういうの流行ってるから」


「何が?」


「本当のこと言うの」


「それは、ずっと流行ってていいんじゃない?」


 由佳は笑った。


「でもさ」


「うん」


「もし持ち主が来なかったら、花音が持って帰っていいと思う」


「どうして」


「一番大事にしてるから」


 由佳は鞄を持つ。


「それに、朝より元気になってる。花音のところに落ちてよかったんじゃない?」


「花は選んでないよ」


「そうだけど」


「落とした人も、私を選んでない」


「でも、拾ったのは花音」


 由佳は教室を出た。


 花音は瓶を持つ。


 拾ったのは自分。


 水を替えたのも自分。


 茎を切ったのも自分。


 花が誰のためだったかと、今誰が世話をしているかは別のこと。


 花音はガーベラを見つめる。


 持ち主が来なければ、どうする。


 家へ持って帰る。


 文芸部へ飾る。


 放送室へ持っていく。


 それとも、教室で枯れるまで置く。


 決められない。


 自分のためだと思った一日が、もうすぐ終わる。


     ◇


 文芸部室。


 扉には、乃々花が書いた返事が貼られていた。


『文章を預かりました。


 すぐには部誌へ載せられません。


 書いた人、または拾った人へ。


 話せる範囲で、もう少し教えてください。』


 花音は、その紙の前に立っていた。


 中から、ペンの音。


 今日は、美月もいるらしい。


 話し声が少し聞こえる。


「誰かいる?」


 乃々花の声。


 花音は逃げようとした。


 扉が開く。


「あ」


 乃々花が花音を見る。


「水城さん」


「通っただけ」


「紙、見てた」


「目に入ったから」


「朝の花は?」


 花音は瓶を見せる。


「まだ元気」


「持ち主は?」


「来てない」


「部室に飾る?」


「水替えできないでしょう」


「美月がするかも」


 部室の中から、美月が顔を出す。


「私?」


「花、好き?」


 乃々花が尋ねる。


「普通」


「最近、みんな普通って言う」


「悪い?」


「流行ってるのかな」


 花音は帰ろうとする。


「水城さん」


 乃々花が呼ぶ。


「詩を書いたの、水城さん?」


 足が止まった。


 否定すればいい。


 違う。


 知らない。


 それだけ。


「どうして」


「植木鉢を持って、昨日ここから走っていったから」


「見てたの?」


「少し」


 また、その言葉。


「それだけで決めつけるの?」


「決めつけてない。聞いた」


「違うって言ったら?」


「謝る」


「誰にも言わない?」


「本人がいいと言うまでは」


 花音は瓶を握る。


 美月が、乃々花の隣に立つ。


「私も」


 小さな声で言う。


「名前を出さないで、手紙を書いたことがある」


 花音は美月を見る。


「放送室に?」


「うん」


「どうして分かったの」


「玲奈が返事を書いてくれたから、自分で名乗った」


「名乗らなくてもよかった?」


「よかったと思う」


「じゃあ、何で名乗ったの」


「話したくなったから」


 花音は返事の紙を見る。


 話せる範囲で、もう少し教えてください。


 全部ではなくていい。


「詩」


 花音が言う。


「私が書いた」


 乃々花は頷く。


「そう」


「それだけ?」


「何て言えばいい?」


「分からない」


「じゃあ、今はそれだけ」


 あっさりしている。


 もっと驚かれると思った。


 なぜ書いたのか聞かれる。


 花が誰のためだったのか。


 何があったのか。


「載せたいの?」


 乃々花が尋ねる。


「分からない」


「誰かに読んでほしい?」


「分からない」


「捨てたくなかった?」


「うん」


「じゃあ、今は預かる」


「部誌に載せない?」


「許可がないから」


「私が書いたって言った」


「載せていいとは言ってない」


 花音は少し驚いた。


「書いた人が分かれば載せるんじゃないの?」


「載せたいなら」


「分からない」


「なら待つ」


「いつまで?」


「花音が決めるまで」


「枯れない?」


 花音は、無意識に聞いていた。


 乃々花が少し笑う。


「文章は、花より長く待てる」


「でも、忘れる」


「忘れたら、また読む」


 美月が言う。


「途中の小説も、置いておけたから」


「途中?」


「私の話」


 花音は、部室の机を見る。


 原稿用紙。


 ノート。


 破られた紙。


 書き終わらない話。


 誰かへ見せるか決めていない文章。


 ここは、完成したものだけを置く場所ではないらしい。


「入る?」


 乃々花が尋ねる。


「文芸部に?」


「部室に」


「紛らわしい」


「花、飾る?」


 花音は瓶を見る。


「今日だけ」


「誰のための花?」


 乃々花が尋ねる。


「分からない」


「落とした人のため?」


「違うと思う」


「花音のため?」


 朝から何度も考えた。


 自分のためではない。


 分かっている。


 それでも一日だけ、自分のためだと思った。


「今日だけは」


 花音は答えた。


「私のためだったことにする」


 乃々花は笑わなかった。


 美月も。


「いいと思う」


 美月が言った。


「嘘なのに?」


「小説も、嘘を書く」


「でも、本当のことも入る」


 乃々花が続ける。


「花音が嬉しかったなら、その気持ちは嘘じゃない」


「でも、持ち主が」


「花を自分のものにするのと、嬉しかったことにするのは別」


「そうかな」


「たぶん」


「また、たぶん」


「流行ってるから」


 三人で部室へ入った。


 黄色いガーベラは、窓際の机へ置かれた。


 紙ばかりの部屋に、一輪だけ色が増えた。


     ◇


「花音は、花のこと書かないの?」


 乃々花が尋ねた。


「書かない」


「詩を書いた」


「あれだけ」


「もう一つ書けば?」


「何を」


「今日の花」


「同じになる」


「昨日の花と、今日の花は違う」


 現代文の授業。


 毎年同じ場所へ咲く花も、同じ花ではない。


「花音の詩は、去年のこと?」


 乃々花が尋ねる。


 花音は迷う。


「うん」


「今日も似たことが起きた」


「似てるけど違う」


「なら、違う詩になる」


 美月がノートを花音へ差し出す。


「紙」


「書くとは言ってない」


「置くだけ」


「返事まで同じ」


「最近、みんな似る」


 花音はノートを受け取った。


 白いページ。


 書くことはない。


 ガーベラを見る。


 昨日の詩。


『朝、靴箱に花があった。


 私のためではないと分かっていた。


 それでも一日だけ、


 自分が祝われたことにした。』


 今日。


 廊下で花を拾った。


 自分のためではないと分かっている。


 水に挿した。


 何人かが話しかけた。


 授業中、机へ置いた。


 一日だけ、自分のためだと思った。


 けれど、昨日の詩とは少し違う。


 去年の花は、何もしないまま通り過ぎた。


 今日の花は、花音が拾った。


 水を替えた。


 茎を切った。


 生きられる時間を少し延ばした。


 花音はペンを持つ。


『朝、廊下に花が落ちていた。


 私のためではないと分かっていた。


 それでも水を替えた。


 花は、誰のためだったかを答えなかった。


 だから今日だけ、


 私が拾った理由で咲いてもらった。』


 書き終える。


 乃々花が覗こうとする。


 花音はノートを閉じた。


「見せない」


「書いた?」


「書いてない」


「嘘」


「まだ決めてない」


「見せるか?」


「うん」


「なら待つ」


 花音はノートを抱える。


 文章は、花より長く待てる。


 なら、今日見せなくてもいい。


     ◇


 午後五時。


 完全下校までは、まだ時間がある。


 花音は文芸部室を出た。


 ガーベラは置いていく。


「持って帰らないの?」


 美月が尋ねる。


「明日、持ち主が来るかもしれない」


「部室に来るかな」


「教室に置いても、誰も分からない」


「放送する?」


 乃々花が言う。


「落とし物の花を預かっています」


「花一本で?」


「相談箱に手紙が来る学校だから」


「それは関係ない」


「放送委員に聞けば?」


 花音は少し考える。


 持ち主を探すなら、それが一番いい。


 けれど放送したら、今日一日だけ自分の花だと思ったことが終わる。


 もともと終わる予定だった。


 自分のものではない。


「聞いてみる」


 花音は現在の放送室へ向かった。


     ◇


 放送室。


 神谷玲奈が、下校放送の原稿を確認していた。


 長谷川蒼太は、コードをまとめている。


「落とし物?」


 玲奈が花を見る。


「朝、二階の廊下」


「花一本」


「うん」


「放送する?」


「できる?」


「内容によるけど」


 玲奈は原稿へ書き加える。


「黄色い花を預かっています。心当たりのある人は」


「文芸部室」


「どうして文芸部?」


「今、飾ってるから」


「花音さんの教室じゃなくて?」


「二年三組の水城花音です」


 名乗っていなかった。


「ごめん」


「大丈夫」


 玲奈は一瞬止まる。


「本当に?」


「少し緊張してるけど、大丈夫」


「ならよかった」


 最近、この学校では『大丈夫』にも確認が入る。


「放送で言っていい?」


「うん」


「花の種類は?」


「黄色いガーベラ」


「特徴は?」


「花びらの端が少し傷んでる。茎は短い」


「そこまで言う?」


「同じ花があったら分からないから」


「学校で黄色いガーベラ持ってる人、そんなにいないと思う」


 蒼太が言う。


「でも、情報は多い方が」


「長谷川くんと花音さん、少し似てる」


 玲奈が笑う。


「どこが」


「細かいところを説明する」


「必要だから」


 二人の声が重なった。


 玲奈はさらに笑う。


「やっぱり似てる」


 花音も少し笑った。


 下校放送。


 玲奈の声が校内へ流れる。


「本日朝、二階廊下で黄色いガーベラの花が一輪拾われました。心当たりのある方は、文芸部室までお願いします」


 花音はブースの外で聞く。


 自分のためだった一日は、これで本当に終わる。


 持ち主が来れば、返す。


 来なければ。


 そのとき考える。


     ◇


 放送から十分後。


 文芸部室の扉が叩かれた。


 花音。


 乃々花。


 美月。


 三人が顔を上げる。


「どうぞ」


 扉が開く。


 一年生の男子生徒。


 胸元の名札は一年二組。


 手には、空の透明な袋。


「あの」


 男子は、窓際のガーベラを見つける。


「それ、俺が落としました」


 花音は立ち上がる。


「どこで?」


「二階廊下」


「何時頃?」


「朝、七時半くらい」


「何のために持ってた?」


 乃々花が小声で言う。


「確認が細かい」


「本人か分からないから」


 男子は少し困った顔をする。


「姉ちゃんに頼まれて、先生に渡す予定でした」


「先生?」


「保健室の先生。昨日、姉ちゃんが体調悪くなったとき助けてもらって」


「花束?」


「何本かあったうちの一本です。袋から落ちたみたいで」


 やはり、自分のためではなかった。


 保健室の先生へ渡す花。


「これです」


 花音は瓶ごと差し出す。


「花だけでいいです」


「水から出すと、また傷む」


「でも瓶」


「理科準備室から借りたものだから、返す」


 花音は花を水から出す。


 濡らしたティッシュを茎へ巻く。


 その上から、文芸部にあった小さなビニールを借りる。


「これなら少し持つ」


「ありがとうございます」


「先生へ渡すなら、早めに」


「はい」


 男子は花を受け取る。


「助かりました」


「うん」


「すみません。水替えとかしてくれたんですよね」


「少し」


「本当にありがとうございます」


 男子は何度も頭を下げた。


 そして部室を出た。


 扉が閉まる。


 窓際の机。


 空の瓶。


 黄色がなくなった。


 紙ばかりの部屋へ戻る。


「寂しい?」


 美月が尋ねる。


「少し」


 花音は正直に答えた。


「自分の花じゃなかった」


 乃々花が言う。


「最初から分かってた」


「でも、今日一日は?」


 花音は空の瓶を見る。


 自分のためだと思った。


 授業中に机へ置いた。


 何人かと話した。


 詩を書いた。


 文芸部室へ入った。


 放送室へ行った。


 花の持ち主が来た。


 全部、あの花がなければ起きなかった。


「私の一日だった」


 花音は答えた。


「花は違うけど」


「なら、よかった」


 美月が言う。


「持ち主へ返したのに?」


「返せたから」


「よく分からない」


「私も」


 美月は少し笑う。


「でも、自分のものにしなくても、嬉しかった時間は残る」


 手紙。


 小説。


 返事。


 この学校では、誰かのものを奪わずに、自分の気持ちだけ受け取る方法を探す人が多い。


「詩」


 乃々花が言う。


「見せる?」


「どっち」


「新しい方」


「見てないのに」


「書いたでしょう」


「たぶん」


「見せる気になったら」


「部誌に載せる?」


「花音が載せたいなら」


「名前は?」


「出しても、出さなくても」


「題名は?」


「今決める?」


 花音は考える。


 空の瓶。


 誰のためでもなかった花。


 でも、自分の一日を変えた花。


「『借りた花』」


 花音が言う。


「少し違う」


「じゃあ?」


「『誰のためでもない花』」


「本当は先生のためだった」


「なら違う」


 美月が言う。


「『私のためではない花』」


「そのまま」


「そのままでいいこともある」


 花音はノートを開く。


 詩の上へ題名を書く。


『私のためではない花』


 乃々花と美月へ見せる。


 二人は黙って読む。


 花音は、その沈黙が怖くなかった。


 すぐに返事をしなくていいと知っている。


「好き」


 美月が先に言う。


「どこが」


「『私が拾った理由で咲いてもらった』」


「勝手かな」


「でも、花を取ったわけじゃない」


 乃々花が続ける。


「最後、返したところまで書く?」


「書かない」


「どうして」


「詩の中では、まだ咲いてるから」


「嘘?」


「今日の途中までの本当」


「いいと思う」


 乃々花は、昨日届いた最初の詩を机へ置く。


「二つ並べて載せる?」


「まだ分からない」


「待つ」


「いつまで?」


「花音が決めるまで」


 同じ答え。


「文章は花より長く待てる」


 花音が言う。


「覚えた」


「私が言ったから」


「今日だけ借りる」


「言葉も借りるんだ」


「返す?」


「使ったら、もう同じ言葉じゃないかも」


 現代文の授業のように。


 同じ場所へ咲いても、同じ花ではない。


 誰かの言葉を受け取って、自分の場面で使えば、少し違う言葉になる。


     ◇


 翌朝。


 五月二十五日。


 花音は、いつもより少し早く登校した。


 二年三組。


 教室後方のビオラ。


 土を確認する。


 まだ湿っている。


 水はやらない。


 窓辺の鉢を、少しだけ内側へ移す。


「おはよう」


 由佳が教室へ入ってきた。


「早いね」


「花見るから」


「昨日の花、どうなった?」


「持ち主が来た」


「返した?」


「うん」


「残念だったね」


「少し」


「でもよかった?」


「うん」


「どっち?」


「両方」


「矛盾してる」


「気持ちは大体矛盾するらしい」


「誰が言ったの?」


「いろんな人」


 由佳は笑う。


「花音、最近よく喋るね」


「そう?」


「花の話だと」


「長い?」


「少し」


 中学時代から恐れていた言葉ではない。


 由佳は困った顔をしていない。


「嫌?」


 花音が尋ねる。


「別に。知らないこと多いし」


「つまらなかったら言って」


「分かった」


「長かったら」


「言う」


「じゃあ話していい?」


「何を?」


 花音はビオラの鉢を指さす。


「この花、もうすぐ季節が終わる」


「枯れるの?」


「暑くなると弱る。まだ咲くけど、少しずつ終わる」


「じゃあ捨てる?」


「すぐには」


「どうするの?」


 由佳が自分から質問した。


 花音は少し嬉しくなる。


「種を取れるか見る」


「種できるの?」


「花が終わったあと、さやができることがある」


「その種を植えたら、同じ花が咲く?」


「同じ色になるとは限らない」


「何で?」


 花音は説明を始めた。


 少し長くなった。


 由佳は途中で、


「待って、難しい」


 と言った。


 花音は止まった。


「ごめん」


「謝らなくていい。もう少し簡単に」


「同じ親から生まれても、同じ子にならないのと似てる」


「ああ」


「たぶん」


「その説明なら分かる」


 二人で笑う。


 誰かへ話す。


 長くなれば、相手が言う。


 難しければ、言い直す。


 それだけ。


 全部を黙る必要はなかった。


     ◇


 昼休み。


 花音は文芸部室へ向かった。


 ノートを持って。


 入部するつもりはない。


 少なくとも、まだ。


 扉をノックする。


「どうぞ」


 乃々花の声。


 中には美月もいる。


「来た」


 乃々花が言う。


「花の水替えじゃないよ」


 花音が答える。


「今日は花ない」


「だから言った」


「何しに来たの?」


「詩」


 花音はノートを机へ置く。


「載せる?」


「二つとも」


 乃々花が少し驚く。


「名前は?」


「水城花音」


「匿名じゃなくていい?」


「うん」


「どうして」


 花音は少し考える。


「花の世話してるの、私だから」


 誰かに頼まれたわけではない。


 誰かのためだけでもない。


 それでも、自分がやっている。


 書いたのも自分。


 嬉しかったのも自分。


「名前、出していい」


 乃々花は頷く。


「分かった」


「感想は?」


「部誌が出たあと、聞きたい?」


「少し」


「嫌な感想もあるかも」


「長かったら、言ってもらう」


「詩は短いよ」


「話の方」


 美月が笑う。


「花音、文芸部入る?」


「入らない」


「即答」


「花壇があるから」


「掛け持ちできる」


「文芸部は部員足りないんでしょう」


「あと一人」


 乃々花が言う。


「美月は入ったの?」


「まだ」


「じゃあ二人足りない」


「細かい」


「花音が入ったら一人減る」


「数え方が変」


「見学だけでも」


「考える」


「たぶん?」


「今は」


 花音はノートを渡した。


 そのとき。


 部室の扉が小さく叩かれた。


「どうぞ」


 入ってきたのは、一年生の男子。


 昨日、ガーベラを取りに来た生徒だった。


 手には、小さな透明の花瓶。


 中には、白いカーネーション。


「昨日はありがとうございました」


 男子は花音へ頭を下げた。


「保健室の先生にも、ちゃんと渡せました」


「そう」


「これ」


 白い花を差し出す。


「先生が、水城先輩へって」


「私に?」


「花を大事にしてくれた人へ、一輪返してって」


 花音は受け取れずにいた。


 昨日の花は、自分のためではなかった。


 今日は違う。


 はっきり、水城花音へ。


「受け取ってください」


 男子が言う。


「迷惑でした?」


「違う」


 花音は花瓶を受け取った。


「ありがとう」


 白いカーネーション。


 花言葉は、純粋な愛。


 尊敬。


 ただし、花言葉は本や国で違う。


 今はどうでもよかった。


 誰が、何のために渡したか分かっている。


 昨日の花を大事にした返事。


「水替え」


 乃々花が言う。


「今日はできる?」


「これは私がする」


「部室に飾る?」


 花音は少し考える。


「今日だけ」


「また?」


「今度は、本当に私の花だから」


 窓際の机へ置く。


 紙ばかりの部屋に、今度は白い花が咲く。


     ◇


 放課後。


 花音は、白いカーネーションを持って正門へ向かった。


 校長が門柱の上にいる。


「花、貰った」


 猫は花を見る。


「昨日の花を返したから」


 校長は目を細める。


「誰のためでもない花じゃなかった」


 昨日の黄色いガーベラ。


 保健室の先生のため。


 今日の白いカーネーション。


 花音のため。


 どちらも、咲いた理由は人間が決めたものではない。


 花はただ咲いた。


 人が意味をつける。


 誰かのため。


 自分のため。


 感謝。


 祝い。


 愛。


 勝手かもしれない。


 でも、意味をつけることで、誰かが少し嬉しくなるなら、それも悪くない。


「昨日、自分のためだと思ったのも」


 花音は校長へ言う。


「無駄じゃなかった」


 猫は答えない。


「今日、本当に貰えたからじゃないよ」


 誤解されたくない。


 猫相手なのに。


「昨日も嬉しかった。それでいい」


 花音は笑った。


 正門を出る。


 白い花を持って歩く。


 誰かが見れば、恋人から貰ったと思うかもしれない。


 先生から返された感謝の花だと説明すれば、長くなる。


 聞かれたら話す。


 聞かれなければ、自分だけが知っていればいい。


 誰のためでもない花にも、咲く理由はある。


 正確には。


 咲いたあとで、誰かが理由を見つける。


 花音は、そう思った。


     ◇


 翌朝。


 放送室。


 神谷玲奈は、机の上に置かれた白いカーネーションを見つけた。


 小さな紙が添えられている。


『昨日、落とし物の放送をしてくれたお礼です。


 放送室は機械ばかりなので、一日だけ置いてください。


              水城花音』


「花」


 玲奈が言う。


 蒼太が近づく。


「水は?」


「花瓶に入ってる」


「コードの近くに置くと危ないです」


「そこ?」


「水がこぼれたら」


「じゃあ窓際」


 玲奈は花瓶を移す。


「きれい」


「白いですね」


「見れば分かる」


「花の種類は?」


「カーネーション」


「どうして分かるんですか」


「普通に分かる」


「俺は分からなかった」


「機械以外にも興味持った方がいいよ」


「必要になったら調べます」


「花を置くのに必要」


「じゃあ調べます」


 蒼太はスマートフォンを開く。


 玲奈が笑う。


 下校放送ではなく、朝の連絡。


 マイクの横に、白い花。


 機械ばかりの部屋に、一日だけ咲く。


 その花を、放送委員の二年生・吉岡麻衣が見つめていた。


「白いカーネーション」


 麻衣が小さく呟く。


「どうしたんですか」


 玲奈が尋ねる。


「姉が好きだった花」


 麻衣は笑う。


 けれど、その目は少しだけ遠くを見ている。


「去年の今頃」


 麻衣は続ける。


「病室へ持っていこうとして、持っていけなかったんだ」


 玲奈は何も聞かなかった。


 蒼太も、検索する手を止めた。


 白い花は、誰かの思い出まで呼び戻す。


 それが悲しいものなのか。


 まだ話したいものなのか。


 今は分からない。


 麻衣は花へ触れず、放送原稿を持ち上げた。


「始めようか」


 マイクのランプが点灯する。


 玲奈が息を吸う。


 白いカーネーションの横で、新しい朝の放送が始まった。

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