第6話 暴発寸前と安全装置
1月の終わりに弟子入りしてから、季節はあっという間に巡っていった。
ブラントさんの店に通い始めた最初の数か月は、作業台に触ることすら許されなかった。毎日の仕事は、工房の掃き掃除と、道具の手入れだけだ。土間に散らばった金属くずを掃き、油の染みた布で金床を磨き、砥石に水を垂らして鏨の刃を研ぐ。刃こぼれひとつないように研ぎ上げるまで、親指の腹で刃先を確かめる作業を延々と繰り返した。
約束の「質問は1日1つ」も、最初のうちは散々だった。ある日、“ブラントさんは、どうしていつもそんなに怒ったような顔をしているんですか?”と聞いてしまったことがある。ブラントさんは眉のあいだに深いしわを寄せ、“生まれつきだ。貴重な1回を無駄にしたな、小僧”と鼻を鳴らした。それ以来、質問の使い道は真剣に考えるようになった。
春を過ぎたころ、ようやく線を描く許可が出た。ただし、渡されたのは修理で出た廃品の回路板の裏側だ。炭の棒で基本の図形を描いては布で消し、また描く。魔力の揺れを落ち着かせる輪、ならし輪。魔力を熱や冷気に変える渦巻き、転じ紋。特に熱の転じ紋は、何百回描いたか分からない。線の太さ、曲がる角度、渦の深さ。ほんのわずかでも線がゆがめば、熱の出方にむらができる。
作業に夢中になっていると、決まって“日が暮れたぞ、さっさと帰れ”と声が飛んできた。どんなに切りの悪いところでも、窓の外が薄暗くなれば追い出される。夜に回路をいじるな、という約束は一度も破らせてもらえなかった。
10月、俺は11歳になった。誕生日の夜は、母さんが焼いてくれた木の実の焼き菓子を家族で囲んだ。父さんからは革の作業手袋をもらい、リリからは“テオ兄、あげる!”と川原で拾ったきれいな小石をもらった。騎士学校の寮にいるエマ姉さんからは、手紙が届いた。
◇
11月の初め、朝晩の冷え込みが厳しくなってきたころ、俺はあることに気がついた。
ブラントさんの店には、この時期になると熱の魔術具がよく持ち込まれる。お湯を沸かす温水器、衣服のしわを伸ばす火のし、冷えた手を温める手あぶり。中を開けてみると、どれにも同じような熱の転じ紋が刻まれている。工房ごとに線の太さや渦の巻き方に癖はあるものの、ひとつの器具の中に、同じ渦巻きが2つも3つも並んでいるのはどこも共通していた。
例えば手あぶりだ。手のひらほどの箱形で、両手で挟んで温まれるように、表側と裏側にそれぞれ1つずつ、同じ転じ紋が彫り込まれている。
これ、無駄なんじゃないか?
転じ紋は、動かすたびに「立ち上げ」のための魔力を使う。表と裏で別々に立ち上げれば、そのぶん魔石の減りは早くなる。なら、何百回も描いて手が覚えた転じ紋を真ん中に1つだけ丁寧に作り、そこから生まれた熱を表と裏へ配ればいいはずだ。前世の言葉で言えば、よくできた「部品」を1つ作って使い回す考え方だ。
魔石台から伸びる太い線、根線から魔力を引き込み、流す量を決める三角形の量り紋を通す。ならし輪は1回。1つの転じ紋を立ち上げたら、線が分かれる枝分けで両面へ熱を届ける。
ちょうど、隣の鍛冶屋の娘のフィーネから頼まれていたところだった。冒険者を目指しているあいつは、冬でも毎朝早くから走り込みをしている。手が凍えちゃうから手あぶりがほしい、と泣きつかれていたのだ。
俺が紙に引いた図を差し出すと、ブラントさんは作業用の眼鏡を押し上げ、長いあいだ眺めていた。
「……転じ紋を1つにして、枝分けで熱を配る気か」
「はい。立ち上げが1回で済むので、小さな魔石でもずっと長もちするはずです」
「廃品置き場に、手あぶりの箱が転がってる。練習板でなら、やってみろ。ただし、俺の前で組め」
ぶっきらぼうな許可をもらい、俺は工房の隅で作業に取りかかった。板に鏨を当て、小槌で均一な溝を彫っていく。溝には、熱に弱い魔導銀の細い棒を当て、先を赤くした銀ごてで溶かして流し込む。少しでも熱を当てすぎると周りの溝まで崩れてしまうから、息を詰めての作業だ。
数日かけて組み上がった手あぶりは、親指の先ほどの小さな魔石を入れると、すぐに両面がじんわりと温かくなった。熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうどいい温もりだった。
◇
八柱暦4097年11月15日、風の日。冷たい風が砂ぼこりを巻き上げる放課後、工房の引き戸が勢いよく開いた。
「お邪魔しまーす! テオ、できたって本当!?」
飛び込んできたフィーネに、作業台の向こうで古い温水器をばらしていたブラントさんが、あからさまに顔をしかめた。
「おい小僧、うるさいのが増えたぞ」
「すみません、すぐ済みますから。……フィーネ、これだよ」
手あぶりを渡すと、フィーネは両手で大切そうに包み込み、ぱっと顔を輝かせた。
「わあ、あったかい! すごいじゃん、テオ! 表も裏もちゃんとあったかいよ!」
「小さな魔石で動くようにしてあるから、毎日使ってもひと月はもつよ」
「……でもさ、もうちょっと熱くてもいいかも。真冬の朝って、指がちぎれそうなくらい冷えるんだよね」
「あんまり熱くすると、やけどするよ。手あぶりはこれくらいがいちばん安全なんだ」
「そうかなあ」
言うが早いか、フィーネは上着のポケットに手を突っ込み、石をひとつ取り出した。
その石を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。赤黒くぎらぎらと光る、鶏の卵ほどもある魔石だった。
「これ、うちの鍛冶場の炉で火を強くする石なんだ。お父ちゃんの仕事場からちょっと借りてきちゃった。強い石なら、もっとあったかくなるでしょ?」
「待て、フィーネ!」
俺が手を伸ばすより、鍛冶屋の娘の手先のほうが無駄に素早かった。裏ぶたを親指で跳ね上げ、小さな魔石をつまみ出すと、あっという間にあの大きな魔石を魔石台に押し込んでしまう。
カチリ、と硬い音が鳴った。
直後、箱の奥から、耳を刺すような鋭いうなりが響いた。すき間からのぞく回路の線が、穏やかな銀色から深い赤へと一瞬で色を変える。鼻を突く、金属の焼けるにおい。箱の表面から、白い煙が細く立ち上り始めた。
「あつっ!?」
フィーネが短い悲鳴を上げて、手あぶりを作業台の上に取り落とした。
俺の頭の中に、回路を駆け回る魔力の流れがありありと見えた。根線から、滝のような魔力がなだれ込んでいる。量り紋は、小さな魔石を前提にした形だ。何倍もの力を持つ炉の石の前では、まるで抑えになっていない。
そして、そのすべてが、俺が真ん中に1つだけ作った転じ紋へ、まっすぐに注ぎ込まれていた。立ち上げを1回で済ませるために、全部の力を1か所に集める形にしたのは、俺だ。
このままでは、転じ紋がはじける。分かっているのに、体が固まって指一本動かなかった。
目の前を、黒い影が遮った。
ブラントさんだった。左手でフィーネの襟首をつかんで後ろへ引き戻すと同時に、右手のやっとこを、火花を散らす箱のすき間へ迷いなく突き入れる。ガキン、と音がして、炉の魔石がはじき飛ばされ、土間に転がった。ブラントさんは息も乱さず、煙を噴く手あぶりをやっとこで挟み上げ、足元の水桶へ沈めた。
じゅうっと白い湯気が吹き上がり、天井へと渦を巻いて広がっていった。焦げた木と溶けた金属のにおいが、工房に満ちる。フィーネは土間にへたり込んだまま、真っ青な顔で両手で口を押さえていた。
水桶から引き上げられた手あぶりは、黒くすすけていた。ブラントさんがやっとこの先でふたをこじ開け、中の回路板を作業台に放り出す。板の真ん中は黒く焼け焦げていた。魔導銀の線がどろどろに溶けて周りの溝を埋め、丁寧に刻んだはずの転じ紋は形を失って、隣の線とべったりくっついていた。
「……あと少し遅れてたら、転じ紋がはじけてたぞ」
低く押し殺した声だった。
「魔導銀は熱に弱え。これだけの力を一気に流せば、溶けた銀が沸き立って飛び散る。お前らの顔にかかってたら、やけどじゃ済まなかった」
「ごめんなさい……ごめんなさい! 私、強い石のほうがあったかくなると思って……お父ちゃんに黙って持ってきちゃったの……!」
ぽろぽろと涙をこぼすフィーネを、ブラントさんはちらりと見た。
「石を黙って持ち出したのは、親父さんにたっぷり怒られてこい。……だがな」
鋭い目が、俺に向いた。
「小僧。こいつが悪いと思うか?」
「え……」
言葉に詰まった。フィーネが想定外の使い方をしたからだ。炉に使うような魔石を突っ込んだから、回路が耐えきれなくなった。そう言ってしまえば、それで済むのかもしれない。だが、喉の奥が引きつれて、どうしても口に出せなかった。
「使う奴はな、作った奴の考えたとおりになんざ使いやしねえんだよ。もっと強くしたけりゃ強い石を入れる。落とすし、濡らすし、ぶつける。だから、作る奴はな、おかしな使われ方をしたときに、どう止まるかまで考えとけ」
頭の奥で、前世の記憶が苦くよみがえった。利用者が思いもよらない入力をして、止まる手立てのないシステムが一晩じゅう間違いを積み上げ続けたことがある。翌朝の会議では“そんな使い方は想定していない”で片付けられ、その後始末は、何日も家に帰れない俺たちの仕事になった。
あのシステムには、おかしくなったときに安全に止まる仕組み、前世で言う「フェイルセーフ」がなかった。
俺はこぶしを握りしめ、顔を上げた。
「……ブラントさん。今日の質問を、使ってもいいですか?」
「言ってみろ」
「どうせ壊れるなら……どこから壊れるのが、いちばんましですか?」
ふざけるなと怒鳴られるかと思った。だが、ブラントさんは口をへの字に結んだまま、焼け焦げた板を見つめた。少しの沈黙のあと、重い声が返ってきた。
「……人に怪我させねえ所からだ。ほかにあるか」
人に怪我をさせない所。
どんな魔術具も、絶対に壊れないなんてことはない。だったら、壊れる場所をこちらで選んでおけばいいんじゃないか?
魔導銀は熱に弱い。そして、細い線ほど早く熱を持つ。根線の途中の1か所だけを、わざと細くしておいたらどうなるだろう。普通の魔石の力なら、何事もなく通り抜ける。だが、今日のように強すぎる力が流れ込めば、その細い線が真っ先に熱を持ち、溶けて切れる。線が切れれば、魔力はそこで止まり、転じ紋まで届かない。直すときも、切れた線を1本、銀ごてで引き直せばいい。
「……これなら、いける」
「小僧、何をぶつぶつ言ってる」
「ブラントさん。根線の途中に、わざと切れやすい細い線を1本入れておくんです。強すぎる力が来たら、そこが先に切れて止まります」
言いながら、名前が自然に浮かんだ。
「持ち主と魔術具の身代わりになって切れるから……身代わり線です」
ブラントさんは目を見張り、じっと俺の顔を見つめた。それからあごの無精ひげを親指でさすり、深く息を吐いた。
「わざと壊れる場所を作っとくってのか。……王都の大工房にいたころも、そんな線を引く奴はいなかったぞ。壊れねえように作れ、としか言われねえからな」
その目の奥に、職人の鋭い光が灯った。
「理屈は通る。線の太さと長さの加減しだいだが、試す値打ちはあるな」
そこまで言ったところで、ブラントさんはふと窓の外へ目を向けた。いつの間にか、空は濃い藍色に染まっていた。
「……小僧、日が暮れたぞ。道具をしまって帰れ」
「えっ、でも、線の太さだけでも――」
「帰れと言ったら帰れ。日が暮れたら回路をいじるなと言ったはずだ」
俺は慌てて道具を片付けた。フィーネも涙をぬぐい、“お邪魔しました……”と頭を下げて飛び出していく。
その夜、寝床に入った俺は、暗い天井を見つめながら身代わり線の太さを考え続けた。机の上の紙に手を伸ばしたくなるのをこらえて目を閉じると、いつの間にか朝になっていた。
◇
4097年11月18日、闇の日。学校の休みの日の昼過ぎ、俺とフィーネはブラントさんの工房に集まっていた。
作業台の上には、組み直した手あぶりが置かれている。開けた箱の中の回路板には、真ん中に熱の転じ紋。そして根線の途中に、髪の毛のように細い銀色の線が1本だけ渡されていた。俺の考えた、身代わり線だ。
「……お父ちゃんに、すっごく怒られた。でも正直に話したら、ブラントさんの前で使うならって貸してくれた」
フィーネがおずおずと差し出したのは、あの日と同じ炉の魔石だった。作業台の脇には、ブラントさんが用意した水桶と、やっとこが置かれている。
「小僧、本当にいいんだな」
「はい。お願いします」
フィーネがつばを飲み込み、震える指で大きな魔石を魔石台へ押し込んだ。
カチリ。
あの日と同じ音が工房に響き、手あぶりが低いうなりを上げ始めた。箱が細かく震える。
根線の途中の身代わり線が、一瞬だけ鮮やかな赤に光った。
ぷつり、と糸が切れるような小さな音がした。
うなりが、ふっと途絶えた。煙は上がらない。金属の焼けるにおいもしない。手あぶりは、何事もなかったかのように静かに動きを止めていた。
「……あれ?」
フィーネがおそるおそる手を伸ばし、箱に触れる。
「熱く……ない。冷たいまんまだよ?」
ブラントさんが箱を引き寄せ、ふたを開けた。俺とフィーネも、息を詰めてのぞき込む。
真ん中の転じ紋は、銀色に光ったまま、傷ひとつついていなかった。ならし輪も量り紋も無事だ。ただ1か所、身代わり線の真ん中だけが、1ミリほどのすき間を開けて、きれいに溶けて途切れていた。
「止まった……止まったよ! ちゃんと止まったじゃん、テオ!」
「うん……止まった」
全身の力が抜けるような気がした。壊れたのは、俺が狙った身代わり線だけだ。
熱した銀ごてを取り、細い魔導銀の棒を少しだけ溶かして、切れた所にすっと線を足す。ものの数分で直った。手あぶり用の小さな魔石をはめ込むと、箱は両面から、じんわりと温もりを放ち始めた。
「ほら、元どおり」
「すごい、すごいよテオ! これなら朝の走り込みに持っていける!」
フィーネが手あぶりを胸に抱きしめて跳びはねる。ブラントさんは腕を組み、回路板を長いあいだ見つめていた。それから、どこか苦々しそうに鼻を鳴らした。
「……壊れ方まで考えた回路なんざ、初めて見たぞ。生意気な小僧だ」
口調は相変わらずぶっきらぼうだった。けれど、めったに人をほめないこの人にとって、これが精いっぱいなのだと分かった。
やがて窓から差し込む光が長くなり、ブラントさんが作業台を布で払った。
「おい、日が暮れるぞ。さっさと帰れ」
通りに出ると、冷たい夕暮れの風が吹き抜けていった。フィーネは、両手で手あぶりを握りしめている。
「ねえテオ、次はどんなの作るの? また私に試させてよ!」
「もう、あんな石は入れないでくれよ? 寿命が縮むかと思ったんだから」
「あはは、もう絶対しないってば!」
並んで歩きながら、俺はふと後ろを振り返った。夕闇の中に、ブラントさんの工房の煙突が細い煙を上げている。
日が暮れたら帰れ。あの口うるさい言いつけも、人のための身代わり線みたいなものなのかもしれない。前世の俺には、そういうものがひとつもなかった。
「テオ? どうしたの、ぼーっとして」
「なんでもない。……寒くなってきたし、急いで帰ろう」
「じゃあ、競争ね!」
言うなり駆け出したフィーネの背中を、俺は慌てて追いかけた。




