第5話 町外れの偏屈な修理屋
八柱暦4097年1月21日、風の日の夜だった。夕食の片付けが済んだころ、台所でことりと小さな音がした。居間の長椅子から目をやると、壁際の冷蔵箱の奥で、淡く光っていた青白い明かりがふっと消えるのが見えた。魔石が役目を終えた合図だ。
食卓で茶を飲んでいた父さんが立ち上がり、冷蔵箱の扉を開けて、奥の受け皿から拳ほどの石を取り出した。表面の光はすっかり抜け、ただの白っぽい石に戻っている。
「……ちょうど、ひと月だな」
誰にともなく、父さんがつぶやいた。この魔石を替えたのは12月20日。冬場は20日もてばいいほうで、月の終わりを待たずに替えるのが、この家の決まりだった。それが、まるまるひと月もった。正月明けに俺が回路のならし輪を近道でつなぎ直して、板が熱を出さなくなった分だけ、魔石の持ちが伸びたのだ。
「ねえ、ハンス」
背後からかかった母さんの声に、父さんの肩がびくりと跳ねた。台所の入り口に立つ母さんの手には、四つ折りの紙が握られている。子供部屋の机に置いておいたはずの、俺の紙だ。あわてて魔石を背中に隠そうとした父さんだったが、もう遅い。
「これ、テオの机で見つけたんだけど。……うちの冷蔵箱のことよね?」
母さんが広げた紙には、俺が毎日書き留めてきた記録が、表になって並んでいた。12月20日からの日付の横に、石の光の強さ、朝と晩に箱の中がどれだけ冷えているか、板の熱さを5段階で。回路を直した日の欄には、赤インクで小さく『回路変更・ならし輪短縮』と書いてある。
「あー、いや、マルタ。それはだな……」
「とっくに替える時期なのに、どうしてまだ動いてるのか不思議だったの。ハンスは“たまたま石の質がよかった”なんて言ってたけど、そんな偶然あるわけないでしょ。毎月家計簿をつけてる私をごまかせると思った?」
母さんの目は笑っていなかった。数字のつじつまが合わないことには、誰よりも厳しい人なのだ。助けを求めるような父さんの視線が飛んできたが、俺にできるのは、そっと目を伏せることくらいだった。
「……すまん。正月明けに、テオが直した。冷蔵箱の板が熱くなってただろ。あいつが中の線をいじって、熱が出ねえようにしやがった。危ねえ真似すんなって、こっぴどく叱ったんだが……石が長持ちしてるのは、そのせいだ」
観念した父さんが白状した瞬間、母さんの眉がつり上がった。
「テオドール! それにヨハネス!」
鋭い声が居間に響いた。俺と父さんは並んで頭を下げる。居間の隅で積み木をしていたリリが、丸い目をぱちくりさせていた。
「テオ! いくら仕組みが気になったからって、大人の道具を勝手に使っちゃだめでしょ! 刃物で手を切ったらどうするの? 回路が火でも噴いたら、大けがしてたんだからね!」
「……ごめんなさい、母さん」
「それにハンス! 危ないことだって分かってたなら、どうしてすぐ私に言わなかったの! 2人して黙って……危ないことを隠すのがいちばんいけないって、いつも言ってるでしょ!」
「いや、その、悪かった……。ちゃんと叱ったし、二度と勝手にやるなって約束もさせたからよ……」
すっかり縮こまった父さんには、職人の威厳などかけらもない。母さんの正論の前に、男2人はひたすら頭を下げ続けるしかなかった。
お説教がひと通り終わると、母さんは大きく息を吐き、冷めたお茶をひと口飲んで、机の上の紙をもう一度手に取った。並んだ数字を追う母さんの横顔が、怒る母親の顔から、家計簿とにらめっこする顔へと変わっていく。
「……それで」
「ん?」
「魔石代は、どれだけ浮くの?」
ぽかんと口を開けた父さんの横で、俺は頭の中で計算して答えた。
「魔石は1個500ディルでしょ。20日ごとに替えてたら1年で18個、9,000ディル。ひと月もつなら12個で6,000ディル。1年で3,000ディル、銀貨30枚分浮くよ」
「3,000ディル……」
母さんは指を折り、紙と俺の顔を見比べた。
「……すごいじゃない。熱も出なくなって、石も長持ちして、1年で3,000ディルも浮くなんて」
「お、おう……まあ、そうだな」
「でも、危ないことをした罰は別だからね。テオは今度の休みに物置の掃除。ハンスは明日の朝、市場の買い出しに付き合って」
そう言いながらも、母さんは俺の頭にそっと手を置いて、ぽんと軽くたたいた。どうやら数字に強い母さんは、いちばん心強い味方になってくれそうだ。
その夜、リリが寝息を立て始めたころ、1階の作業場で工具の手入れをしていた父さんに呼び止められた。油の染みた布でやっとこをふきながら、父さんは少し険しい横顔で言った。
「テオ。お前がやったあの細工だがな。俺には、あれがなんでうまくいったのか、仕組みから説明できねえ」
低く、どこか悔しそうな声だった。町の修理職人は、親方から教わった形のとおりに線を刻み直すのが仕事だ。模様のひとつひとつがどんな意味を持つのか、理屈まで知っている職人はほとんどいない。父さんも、腕のいい職人ではあっても、設計する人ではなかった。
「動いたからいい、で済ませちゃいけねえ。理屈の分からねえ改造は、いつか事故を起こす。だからな……ちゃんと説明できる人のところへ、お前を連れていく」
「説明できる人?」
「ああ。3日後の闇の日に、町外れまで行くぞ」
◇
4097年1月24日、闇の日。6日ごとに巡ってくる、店も役所も休みになる日だ。
昼過ぎに家を出て、冬の冷たい空気の中を父さんと並んで歩いた。新市街の石畳は人通りが少なく、露店もきっちり幕を下ろしている。灰色の石造りの古い町並みを抜けると、石畳が途切れて固い土の道になり、冬枯れの畑が広がり始めた。
「父さん、どこまで行くの?」
「もうすぐだ。……会わせるのは、ゲオルグ・ブラントさんって人だ」
父さんは白い息を吐きながら言った。
「俺の親方の兄弟子にあたる人でな。俺も若いころ、道具の研ぎ方から線の彫り方まで、さんざん怒鳴られながらたたき込まれた。昔は王都の大工房にいた人だ。口は悪いし愛想もねえが、腕は本物だ。下手なごまかしは通じねえぞ」
あの頑固な父さんが、これほど一目置く相手なのだ。よほど気難しい人なのだろう。
畑のあぜ道の先に、ぽつんと建つ平屋が見えてきた。古びた木造の小さな店で、屋根の端から曲がった煙突が突き出し、細い煙を吐いている。軒先の看板は雨風に削られて色が落ち、『修理』の2文字だけがかろうじて読めた。
建て付けの悪い扉を押し開けると、ちょうつがいがきしんだ。とたんに、機械油と金属の削りかすの匂いが鼻をつく。薄暗い土間には四角い作業台がでんと据えられ、棚という棚に、ばらした魔術具や真鍮の歯車、曲がった銅の管、魔導銀の切れ端が山のように積まれていた。
「誰だ。今日は闇の日だぞ。急ぎの修理なら倍額取るぞ」
奥から、低くかすれた声がした。積まれた木箱の陰から現れたのは、白髪まじりの髪を短く刈り込んだ大柄な男だった。年は60歳の手前くらい。着古した革の前掛けを締め、まくり上げた腕は丸太のように太い。節くれだった指先には、古い傷あとがいくつも刻まれている。鋭い目が、父さんと俺を値踏みするように見た。
「……なんだ、ハンスか。息子を連れて冷やかしか? 子供の遊びに付き合う暇はねえぞ」
「ご無沙汰してます、ブラントさん。冷やかしじゃありません。今日は、こいつを見てほしくて連れてきました」
深く頭を下げる父さんに、老職人は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「子供の相手なんざまっぴらだ。家業を継がせたいなら、まず3年は雑巾がけでもさせとけ」
「そうじゃねえんです。……うちの冷蔵箱の回路を、こいつがいじりやがった。ならし輪を縮めて、熱が出ねえようにしちまったんです」
太い眉がわずかに動いた。だが、すぐに口の端が曲がる。
「素人が知った顔で線をつなぎ替えただけだろ。まぐれで動いたのを自慢しに来たなら、よそでやれ」
「テオ、描いてみせろ」
父さんは少しもひるまず、俺の背中を押した。作業台の端に、古い紙の裏紙と、削った炭の筆が転がっている。
「使わせてもらいます」
腕を組んだまま、ブラントさんは黙って冷ややかな目を向けてくる。俺は炭を指に挟み、目を閉じた。1月2日に見た家の冷蔵箱の回路が、頭の中にはっきりと浮かぶ。前世で毎日見てきた図面と同じで、一度見た形はいつでも正確に引き出せる。
迷わずに線を走らせた。左端の魔石台。そこからまっすぐ伸びる太い根線。4回巻きつけられたならし輪。流す量を決める三角形の量り紋。そこから3本に分かれる枝分けの線と、先に並ぶ3つの渦巻き――冷気を生む転じ紋。線の太さや間隔の比率まで写し取り、最後に、ならし輪の1周目から出口へ抜ける、俺が足した近道の線を濃く描き加えた。
店の中から、物音が消えた。
組んでいた腕がほどかれ、大きな体が音もなく作業台に歩み寄ってきた。紙に顔を近づけるその目から、さっきまでの面倒くさそうな色が消えている。
「……小僧。なぜ、4回だったと思う?」
「え?」
「この回路は、最初から4回巻かれてた。なぜそんなに回す必要があったのか、考えたか?」
試す問いだった。正解より、俺がどこまで考えて線をつなぎ替えたのかを測っている。俺は図面を指でなぞりながら答えた。
「昔の魔石は、今より力の揺れが大きかったから……だと思います。だから4回回して、勢いを落とす必要があった。でも今の魔石なら揺れが小さいので、1回で足ります。回るたびに熱が出るなら、1回で抜けたほうが、線も傷まないし魔石も無駄にならないと思いました」
図面を見つめたまま、その人はしばらく黙っていた。壁の古い時計が、こちこちと音を刻む。やがて、深いため息が漏れた。
「……俺も昔、王都の大工房で同じことを言った」
吐き捨てるような、ひどく苦い声だった。
「石の質が上がってるんだから、古い輪なんざ削っちまえ。無駄をなくせば熱も出ねえし、魔石も長持ちする。そう図面を引いて突きつけてやった。だが、工房のお偉いさんは揃って首を横に振りやがった。“前例がない”“昔からこれで動いているものを変えるな”ってな」
自分をあざけるように、口元がゆがんだ。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。前世でも、同じ光景を何度も見た。誰も中身を分かっていない古いシステムを、動いているから触るな、変えて責任を取りたくない、と放っておく。無駄な負荷はかかり続けて、最後は現場の人間が徹夜で後始末をする羽目になるのだ。
ブラントさんは黙って背を向け、作業台のいちばん奥の引き出しへ向かった。腰の真鍮の鍵で錠を開け、底から油紙で何重にも包んだ平たいものを取り出す。包みを解くと、大人の手のひらほどの回路板が現れた。
「見ろ」
作業台に、ことりと置かれる。小さな温水器の回路板だった。
見た瞬間、息をのんだ。
これまで父さんの店で見てきた、どの魔術具とも違った。無駄な回り道が、どこにもない。魔石台から伸びる根線は迷いのない直線で量り紋へ届き、そこから先の線は水の流れのようになめらかな曲線を描いて、ひとつの大きな転じ紋へ、過不足なく魔力を送り込んでいる。意味のない繰り返しも、余計な飾りもない。必要な太さの線が、必要な場所へ、少しの狂いもなく引かれている。
見ているだけで、設計した人が魔力の流れをどれほど深く理解し、板の上で熱がどう散るかまで考え抜いてこの線を刻んだのかが伝わってきた。前世で、すご腕の先輩が書いた、息をのむほど美しいプログラムを読んだときと同じ感覚だった。誰が読んでも意図が分かり、無駄が1行もなく、静かに、完璧に動く。
「……きれいだ」
気づいたときには、声がこぼれていた。ぎょっとした目が、こちらを向いた。
「あ?」
「すごく、きれいです。線に迷いがなくて、魔力がどう流れるのか、見ただけで全部分かります。こんなに無駄のない回路、初めて見ました」
大きく見開かれた目が、やがて居心地悪そうにそらされ、太い指があごをさすった。
「きれい、だと? ……ふん。回路板を見てそんな間の抜けたことを言ったやつは、王都にもいなかったな」
ぶっきらぼうな声だったが、耳の先がほんのり赤くなっていた。
この人に教わりたい。胸の奥から、熱いものがせり上がってきた。形だけを受け継ぐのではなく、本物の理屈を知っているこの人から、回路の仕組みを学びたい。俺は一歩前に出て、深く頭を下げた。
「ブラントさん。僕に、回路のことを教えてください」
「断る。弟子は取らねえと決めてるんだ。小僧のおもりをする趣味はねえ」
「教えてもらうだけでいいんです! 雑用でも何でもします。形をまねして直すんじゃなくて、どうしてこの線がここで曲がるのか、どうしてこの太さなのか、仕組みから分かりたいんです」
顔を上げ、ブラントさんの目をまっすぐに見返した。子供の気まぐれではないと伝えたくて、視線をそらさなかった。しばらく俺をにらんでいた老職人は、やがて短く息を吐き、頭をがりがりとかいた。
「……ハンス。この小僧、本当に10歳か? かわいげのかけらもありゃしねえ」
「すんません、最近妙に理屈っぽくなりまして……」
申し訳なさそうに頭をかく父さんをよそに、ブラントさんは作業台に寄りかかり、太い指で天板をこんと鳴らした。
「いいか、小僧。弟子に取るとは言わねえ。作業場の掃除と道具の手入れをさせるだけだ。その合間に、俺の仕事を見て勝手に覚えろ。質問は1日ひとつまでだ」
「はい!」
「返事はまだ早い。条件がある。来ていいのは、学校のない日の昼間と、学校が終わってから日が暮れるまでだ。空が赤くなったら道具を片付けろ。暗くなったら、さっさと帰って飯を食って寝ろ。夜に回路をいじるのは絶対に許さねえ」
ぴしゃりと言われて、目を丸くした。もっと厳しい課題でも出されるかと思っていた。
「……夜は、作業しちゃだめなんですか?」
「当たり前だ。夜中に引いた線なんざ、朝になって見直せばろくなもんじゃねえ。疲れた頭で考えた設計は、必ずどこかでほころびが出る。自分をごまかして引いた線は、最後には人を使いつぶすんだ」
一歩も譲らない声だった。
前世の記憶がよみがえる。深夜のオフィスで、限界の頭でキーボードを打ち続けた夜。徹夜で無理やり書いた応急処置が、翌朝に大騒ぎを起こした朝。……前世の自分と、当時の上司を並べて正座させて、今の言葉を一言一句聞かせてやりたい。
込み上げるおかしさと苦い納得に、吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
「分かりました。約束します、ブラントさん」
「返事だけは立派だな、小僧。明日から、学校が終わったら顔を出せ。まずは道具箱の片付けからだ」
追い払うように、太い手がひらひらと振られた。
店を出ると、冷たい冬の風が頬を打った。空はいつの間にか夕焼け色に染まり始め、畑の向こうに広がるミルフェンの町並みをやわらかく照らしている。振り返ると、古びた店の煙突から、細い煙がまっすぐ空へ昇っていた。
隣を歩く父さんが、前を向いたまま、ぽつりと口を開いた。
「……あの人はな、昔、王都の大工房でいちばんの設計屋だったんだ」
「いちばんの?」
「ああ。王宮に納めるような魔術具の回路まで引き受けて、昼も夜も工房にこもって図面を引いてたそうだ。誰よりもいいものを作ろうとして、誰よりも早く、無理な注文を片付けようとしてな」
父さんは白い息を吐き、遠くの夕日を見つめた。
「働きすぎて、倒れたんだ。体を壊して、二度と王都の工房には戻らなかった。それからずっと、この町外れで、ひとりで修理屋をやってる」
父さんの言葉が、胸の奥に染みていく。節くれだった指先の古い傷あと。引き出しの奥に大切にしまわれていた、無駄のない回路板。そして、日が暮れたら帰れ、というあの条件。無理な仕組みが人を壊す怖さを、あの人は誰よりも知っているのだ。前世の俺と同じように。
前世の俺は、倒れたところで途切れてしまった。けれどあの人は、自分の引いた美しい線を守りながら、今もこうして生きている。
町の神殿から、夕刻を告げる鐘の音が風に乗って聞こえてきた。家々の窓に、夕飯の支度の明かりがひとつ、またひとつと灯り始める。
明日、学校が終わったら、すぐにあの店へ行こう。俺は冷たい風の中で、父さんの歩幅に合わせて家路を急いだ。




