第4話 魔術は「理解」で動く
八柱暦4097年1月10日、水の日。冬休みも残り数日となった午後、俺は町の中央にある図書館にいた。石造りの閲覧室はしんと冷えていて、高い格子窓から冬の白い光が差し込んでいる。子供向けの棚で見つけたのは、『はじめての魔術』という薄い革表紙の本だった。
表紙をめくると、まず基本が書いてある。魔力は人の体の中にも流れていて、魔石の中にもたまっていること。そして術式とは、その魔力に「何を、どこで、どれだけ、どう変えるか」を指示する手順であること。術式には、言葉で唱える詠唱、図形で描く魔法陣、金属の板に刻む魔術回路の3つの形がある。属性は火、土、風、水、光、闇、空、時の8つで、きちんと理解すれば誰でもどの属性も扱えるらしい。
ページの真ん中には、太い文字でこう書かれていた。
『属性の決まりを正しく理解していれば、術式はその通りに働く。理解が浅ければ、どれほど丁寧に描いても弱くしか働かないか、魔力が暴れてしまう。魔術は理解で動くのである』
思わず内心でうなった。これ、完全に仕様書じゃないか。決まった書き方で命令を渡せば、そのとおりに動く。根っこの考え方は、前世のプログラムとまったく同じだった。
次のページには、簡単な回路の図が載っていた。中心に向かって渦を巻く模様。父さんが転じ紋と呼んでいたものだ。ところが本では、同じ模様を変換式と呼んでいる。職人と学者で、同じものの呼び方が違う。言葉が共有されていないのだ。前世の職場でも、部署ごとに同じものを別の名前で呼んで、よく話がこじれていた。
さらに読み進めて、目当ての「光」の項を開いた。光の属性とは、いったい何なのか。
『光は光の大神ルクシアの恵みである。闇を払い、世界を明るく照らす清らかな力である』
……いや、そうじゃない。知りたいのは神話の賛美ではなく、光という現象がどういうものかだ。仕様書に「この機能は神の恵みによって画面を明るくします」と書かれていたら、その場で差し戻しである。なぜ明るくなるのか、熱はどこから来るのか。肝心なところがごっそり抜けている。
ため息をついて本を閉じた。それでも収穫はあった。魔術が理解で動くのなら、前世で身につけた知識は、そのまま魔術の力になるはずだ。
◇
4097年1月13日、火の日。初等学校の新学期の朝。
木造校舎にある教室の引き戸を開けると、冬の冷気を押し返すようなにぎやかな声があふれていた。足を踏み入れた途端、背中に強烈な衝撃が走る。ばちん、と平手で思い切りたたかれ、肺の空気が全部押し出されそうになった。
「テオ! 生きてた!」
せき込みながら振り返ると、満面の笑みの少女が仁王立ちしていた。
ヨゼフィーネ・バルク。みんなはフィーネと呼ぶ。隣の鍛冶屋の娘で、俺と同じ10歳だ。後ろで無造作に束ねた赤茶色の髪に、日に焼けた元気な顔。小柄なのに、ふだんから鉄の塊や金づちを運んでいるだけあって、腕の力は教室の男子の誰よりも強い。将来は冒険者になると言い張っている。
「フィーネ……痛いよ。僕の背中は鉄板じゃないんだからさ」
「鉄板なわけないじゃん! もう、大げさだなあ。おかえりのあいさつだよ」
あっけらかんと笑うフィーネの横から、襟元をきっちり整えた黒髪の少年が歩み寄ってきた。ダリオ・フェレス。衛兵の息子で、祖父の代にセレス小国家連合から移ってきた家の子だ。向こうには愛称の習慣がないそうで、みんなも本名のままダリオと呼んでいる。騎士を目指していて、10歳にしては生真面目で、少し硬い。
「おい、フィーネ。テオは年末に熱を出して倒れていたんだぞ。手加減というものを覚えろ」
「分かってるってば! でも顔色がよさそうだったから、うれしくなっちゃったんだよ」
2人とも、本気で心配してくれていたのだ。
「心配かけてごめん。もうすっかり元気だよ」
「それならいいんだけどさ……ん?」
フィーネが急に顔を近づけてきて、じっと俺の目をのぞき込んだ。鼻先が触れそうな近さに、思わず身を引く。
「な、なに?」
「うーん……テオ、なんか変わった?」
「変わったって、どこが?」
「どこって言われると困るけどさ。前より落ち着いてるっていうか。前のテオなら、今のでもっと転げ回って大騒ぎしてたのに」
子供の勘は恐ろしい。中身が30歳目前まで厳しい現場でもまれた元システムエンジニアなのだから、痛がり方も変わろうというものだ。
ダリオも腕を組んで、まじまじと俺の顔を見た。
「確かに、少し大人びた気もするな。まあ、無事なら何よりだ。今日の魔術の授業、休み明けでついてこられるか心配していたんだ」
「大丈夫だよ。図書館で予習してきたから」
「へえ、テオが予習なんて珍しいじゃん!」
からかうフィーネに、ダリオが苦笑する。他愛のないやり取りが、冷えた体を温めてくれた。
始業の鐘が鳴り、先生が入ってきた。白髪交じりの髪をきっちり束ねた、眼鏡の年配の女性だ。先生は教卓に置いた木箱から、黒い石板と白いチョークを1人ずつに配った。
「新学期最初の魔術の時間は、基本のおさらいをします。石板に灯りの陣を描きなさい。描けたら手のひらをかざして、体の中の魔力を少し流し、小さな光の玉を浮かべてごらんなさい」
先生は黒板に、なめらかな円と、その内側にいくつかの印を描いてみせた。
「焦ってはいけませんよ。光をしっかり思い浮かべなさい。光を知らなければ、光は出ません。魔術は理解で動くものですからね」
生徒たちが一斉にチョークを走らせる。隣の列のフィーネは、迷いなくがりがりと描いた。円は少しゆがんで卵形に近いが、線に迷いは一切ない。
「よーし、いっくよー!」
両手を石板に力いっぱい押し当てた瞬間、ぼっ、とまぶしい光がはじけた。教室の一角が真っ白に染まる。けれどその強い光はほんの一瞬で、次の瞬間にはぷつりと消えた。手を離した石板から、うっすら煙が立っている。
「うわっ、消えちゃった! あんなにまぶしかったのに!」
「フィーネ、魔力を込めすぎです。力任せに押し込むと、術式が受け止めきれずに熱になって逃げてしまいますよ」
「あはは、次はもう少し加減してみる!」
注意されても、フィーネはけろっと笑っている。何にでも全力でぶつかり、限界まで負荷をかけては壊してみせる。前世の職場にいたら、すご腕の負荷試験担当になっていたに違いない。
通路をはさんだダリオは、正反対に慎重だった。木の定規を当てて直線を引き、円も手首をうまく使って、見事な真円に仕上げている。
「……集中だ」
深く息を吸って右手をかざすと、陣の真ん中に、淡い黄色の光がぽっと灯った。けれどその光は、すきま風に当たるろうそくの火のように、ちろちろと落ち着きなく揺れている。明るさも弱く、今にも消えそうだ。
「くっ……なぜだ。揺れが止まらない」
ダリオは額に汗を浮かべ、悔しそうに眉を寄せた。陣は完璧なのに、光が安定しない。
俺も自分の石板に円を描き、内側に印を書き込んでいった。チョークの白い線が増えるにつれて、頭の中にふっと図面が立ち上がる。どこから魔力が入り、どう巡り、どこへ抜けていくのか。回路と同じだ。前世で図面を見慣れていたから、こういう流れが見えやすいのだろう。
ただ、手をかざす前に考えた。光を知らなければ、光は出ない。
この世界の人は、明かりといえば火を思い浮かべる。たき火も、油のランプも、燃えて熱くなったものが光る。だから光を思い描くと、知らないうちに熱までいっしょに出してしまう。フィーネの石板が熱くなったのは、魔力が熱に逃げたからだ。ダリオの光が揺れるのは、ろうそくの炎を思い浮かべて、炎の揺らぎまで忠実に写し取っているからだろう。
けれど、光を出すのに熱はいらない。前世には、熱をほとんど出さずに光だけを出す明かりが、当たり前にあった。
熱を持たないこと。明るさが一定で、揺れないこと。色は昼の光のような白。流した魔力を、余さず光に変えること。
頭の中でそう決めてから、石板に手をかざし、ほんのわずかな魔力を流した。
すうっ、と魔力が線の上をなめらかに走る。次の瞬間、石板の少し上に、小さな光の玉が浮かんだ。
静かで、澄みきった光だった。黄色でも赤でもない、透き通るような白。切り取った昼の光がそこに止まっているように、少しも揺れずに灯り続けている。手をかざしても、まったく熱くない。しかも、最初にほんの少し流しただけなのに、光は弱まる気配もなかった。
「うわ……」
隣のフィーネが、ぽかんと口を開けた。
「テオ、それ……なに? すごくきれい……」
ダリオも自分の石板から顔を上げ、目を見張っている。
「揺れていない……? それに、そんな白い光、見たことがないぞ」
教室を回っていた先生の足音が、俺の机の横でぴたりと止まった。眼鏡の奥の目が、大きく見開かれている。先生は光の玉にそっと手のひらをかざした。
「熱が……まったく出ていない。それに、この揺れのなさは……。初等学校の授業で出せる光ではありませんよ。大人の魔術師だって、余計な熱をここまで削るのは難しいのに。テオ、どうやってこの光を出したの?」
教室中の目がこちらを向いている。前世の話を口にするわけにはいかない。俺は頭をかきながら、短く答えた。
「ええと……光って何なのか、ちゃんと考えてみたんです」
「考えてみた?」
「はい。火みたいに燃えて熱いんじゃなくて、明るく照らすだけの光ってどんなものかなって。熱が出ないように、揺れないようにって思い浮かべたら、こうなりました」
嘘は言っていない。
先生はしばらくあっけにとられたように俺を見つめていたが、やがてふっと表情を緩め、穏やかに微笑んだ。
「……よくできました、テオ。それが『理解』よ。形だけをまねるのではなく、そのものの本当の姿をつかむこと」
先生の手が、そっと頭に触れた。教室のあちこちから、“おおー”と、うらやましそうな声が上がる。少し気恥ずかしい。けれど胸の奥では、確かな手応えが広がっていた。
◇
放課後、夕暮れの町を3人で並んで歩いた。空は夕焼け色から薄紫へと移り変わり、冷たい風が頬をかすめる。フィーネが俺の肩を小突いた。
「ねえテオ、さっきの光、どうやったのか教えてよ! 私だって熱を出さないようにって思ったのに、やっぱりぼっ、て燃えちゃうんだもん」
「フィーネは気合が入りすぎなんだよ。魔力を込めすぎると、どうしても熱になっちゃうんだ」
「むー、難しいなあ。力いっぱい込めたほうが強そうじゃん」
「俺も、テオの言っていることがよく分からん」
口をとがらせるフィーネに続いて、ダリオが首をかしげた。
「光を出そうとすれば、どうしてもろうそくやランプの火が浮かぶ。火から熱だけ取り除くなんて、どうやったら思いつくんだ?」
「ええと……まあ、慣れだよ、慣れ」
曖昧に笑ってごまかした。ここで前世の理科の話を始めたら、余計に怪しまれる。
いつもの四つ角に差しかかったところで、フィーネが夕空を見上げた。
「ねえ、2人はさ、大きくなったらどうするの?」
「将来のこと?」
「そう! 私はね、絶対に一流の冒険者になる! いろんな国を旅して、誰も見たことのない魔物を見つけて、世界中を回るんだ!」
拳を突き上げるフィーネ。実にフィーネらしい、迷いのない夢だ。
「俺は騎士だ」
ダリオが引き締まった声で言った。
「騎士団に入って、祖父や父さんのように、この町の人たちが安心して暮らせるように守る人間になる」
「ダリオは真面目だねえ。でも似合ってるよ。……テオは? やっぱりハンスさんの跡を継いで、修理屋になるの?」
少し歩みを緩めて、考えた。父さんの仕事を見ていると、壊れた道具を直して人に喜ばれるのは、いい仕事だと思う。ただ、それだけでは足りない気がしていた。
「修理屋……うん、物を直すのは好きだよ。でも、壊れたものを元に戻すだけじゃなくて、もっと仕組みから作れる人になりたいかな」
「仕組み?」
ダリオが眉を寄せる。
「うん。魔石がすぐ減って困ったり、無理して体を壊したりしなくていいような、みんなが楽に暮らせる仕組み」
10歳の子供が口にするには、少し大げさかもしれない。それでも、今の俺の本心だった。
「へえ、テオらしいね! じゃあ私が冒険に出て武器を壊したら、テオが最高の仕組みで直してよ!」
「それはいいな。俺の鎧も頼む」
「うん、任せてよ」
2人が笑い、俺も笑った。四つ角で手を振り合い、それぞれの家へ別れた。
家に帰って2階へ上がると、台所から野菜を煮込むスープの匂いが漂っていた。
「ただいま」
「おかえり、テオ。先に手を洗ってきて」
鍋をかき混ぜていた母さんが、ふと手を止めて、壁際の冷蔵箱の前にしゃがみ込んだ。扉を開けて、奥をじっとのぞいている。
「……おかしいね」
首をかしげながら、母さんは奥の受け皿から拳ほどの青い魔石を取り出した。
「ハンス、ちょっとこれ見て」
作業場から上がってきた父さんが、手ぬぐいで額をふきながら顔を出した。
「なんだ?」
「冷蔵箱の魔石。これ、年末に替えたやつでしょ? もうとっくに替える時期なのに、まだしっかり光ってるの」
母さんが手にした魔石は、淡い青い光を宿したままだった。冬の冷蔵箱の魔石は20日ももたない。12月29日の時点で、もう半分以上減っていたはずだ。それから10日以上たった今日になっても、まだ十分に光っている。
父さんはぴくりと眉を跳ね上げ、あからさまに視線を斜め上へそらした。
「……そ、そうか。たまたま石の質がよかったんじゃねえか?」
わざとらしいせき払いをひとつ。そして、そっと動いた視線が、台所の隅に立っていた俺とぶつかった。父さんの目がはっきり語っている。お前、母さんには絶対に言うなよ。
言っていなかったのか、父さん。
喉まで出かかった笑いを、必死にこらえた。叱ったくせに、母さんには内緒のまま、こっそり魔石のもちを見守っていたらしい。
「不思議だねえ。当たりを引いたのかな」
母さんは首をかしげながら、魔石を冷蔵箱に戻した。
父さんと目配せを交わしながら、俺は頭の中で数え始めていた。年末に替えてから、今日で何日目になるのか。部屋に戻ったら、魔石の残りと日数を紙に書き留めておこう。動かしたものは記録を取って、次の改善に生かす。前世から染みついた習性に苦笑いしながら、俺は温かい夕食のテーブルへ向かった。




