第3話 コピペだらけの回路板
神殿の鐘が、朝の澄んだ空気を震わせていた。八柱暦4096年12月30日、1年の最後の日。冬至祭の朝だ。窓のすき間から入る風は肌を刺すように冷たいのに、通りからはもう、広場へ向かう人たちの笑い声が聞こえてくる。
2階の台所で、湯気の立つ野菜スープを前に、俺は向かいの父さんに声をかけた。
「父さん、お願いがあるんだけど」
「なんだ、テオ。祭りの小遣いなら、あとでちゃんとやるぞ」
「ううん、そうじゃなくて。うちの冷蔵箱の回路板を、見せてほしいんだ」
作業着ではなく、祭り用の革の上着を着た父さんは、ぽかんと口を開けてから苦笑いした。
「ばかを言え。今日は冬至祭だぞ。店も休みだ。仕事なんざしねえよ」
思わず目を丸くしてしまった。前世では、年末年始といえば「使う人が少ない絶好のメンテナンス期間」だった。暖房の切れたオフィスで冷めた弁当をつつきながら、夜通し作業を見守るのが恒例行事だったのだ。それなのに、この世界の職人は祭りの日にきっぱり休む。驚くほど健全で、少しうらやましい。
「どうして急に回路なんか見たくなったんだ? この前、熱を出して倒れたばかりだろうが」
「手伝いがしたいんだ。僕も10歳になったし、父さんの仕事を手伝えるようになりたい。あの夜に見た回路板が、ずっと気になってて」
嘘ではない。本当の理由は「無駄な発熱を減らして魔石代を浮かせたい」なのだが、それを10歳の口から語るわけにはいかない。
ひげの伸びたあごをなでながら、父さんは視線を泳がせた。息子に仕事の話をせがまれたのが照れくさいのか、太い首筋が少し赤い。
「……店を開けたら見せてやる。1月2日の朝だ。それでいいか?」
「うん! ありがとう、父さん」
その日の冬至祭は、町中がにぎわっていた。神殿前の広場には屋台がぎっしり並び、香辛料を効かせた焼き肉や甘い焼き菓子の匂いが立ちこめる。母さんは新年の保存食を買い込み、姉さんは木彫りの髪留めに夢中になり、リリは俺の手を握ったまま、綿のようにふわふわの飴に目を輝かせていた。家族に囲まれて過ごす休みの日は、前世の俺がとうに諦めていた温かさに満ちていた。
それでも、人混みの中でふと目を閉じると、暗がりに青白い銀の線が浮かんでくるのだった。
◇
4097年1月2日の朝。作業場の薪ストーブに火が入り、ぱちぱちと薪のはぜる音が響いていた。
「よし、テオ。運ぶぞ。足元に気をつけろよ」
「うん」
2階の台所から、冷蔵箱を作業場へ運び下ろす。大人の背丈ほどある木の箱は、中に金属の板や分厚い詰め物が入っていて、ずしりと重い。階段の下側を父さんが抱え、俺は上から支えながら、一段ずつ慎重に降りた。
箱を作業台の脇に下ろすと、父さんは工具掛けから真鍮の細い棒を取り、裏板の四隅の金具を手際よく外していく。現れたのは、手のひらより一回り大きな灰色の金属板だった。表面には細い銀の線が幾重にも刻まれ、魔導灯の光を受けて青白く鈍く光っている。あの夜に見たものと、寸分違わない。
「これが冷蔵箱の心臓だ。町の連中は魔術具を魔法の箱だと思ってるが、中身は板と銀の線だけだ。魔石をはめると、銀の溝を伝って力が巡って、冷気が出る。王都の大工房が考えた回路だな。……見るだけだぞ。まだお前には触らせねえ」
父さんは黒い革手袋をはめ、板の左端の小さなくぼみを指さした。
「ここが魔石台だ。そこから出てる、いちばん太いこの線が根線。力は全部ここを通る」
根線は左端からまっすぐ板の真ん中へ伸び、そこで同じ輪をぐるぐると4回も回ってから、ようやく左上の小さな三角形へ向かっていた。蚊取り線香を平たく引き伸ばしたような、不自然な輪だ。
「この輪がならし輪。魔石から出たばかりの力は荒っぽくて波がある。だから輪を回して角を取って、穏やかにしてやるんだ。その先の三角が量り紋で、流す力の量を決める。量り紋を抜けたら、ここの枝分けで3本に分けて……」
父さんの太い指が、3本の線の先をなぞる。板の下半分に、同じ形の渦巻きが3つ、行儀よく横に並んでいた。
「それぞれの先にあるのが転じ紋だ。魔石の力を、冷たさに変える」
俺は目を細めて、3つの渦巻きを見比べた。同じ長さ、同じ幅、同じ巻き数。線の1本まで、まったく同じ形をしている。
前世の記憶が、頭の中で警報を鳴らした。
これは、あれだ。同じ処理をまとめもせず、まったく同じコードを3回コピペして貼り付けただけのプログラムだ。冷やす力を3倍にしたくて、同じ渦巻きを3つ並べたのだろう。これでは動かすたびに立ち上げの手間が3回かかって、渦巻き同士が無駄に魔力を食い合う。
王都の大工房の設計者よ、納期に追われてコピペで済ませたのか?
内心で盛大にツッコミを入れながら、俺は輪のほうを指さした。
「父さん、どうしてならし輪は4回なの? 1回じゃだめなの?」
「どうしてって……親方にそう教わったからだ。昔からならし輪は4回回すもんだ。減らしたら力が暴れて、板が割れちまうかもしれねえだろ」
「減らしてみたことはあるの?」
「あるわけねえだろ。下手にいじって壊したら弁償もんだ。動いてる回路の形を変える職人なんていねえよ」
父さんの声には、疑いのかけらもなかった。
親方から教わった形を、そのまま次の代へ写し取る。なぜその数なのか、誰も知らない。前世でも見たことがある。仕様書もないまま何年も動き続け、『理由は不明だが消すと動かなくなるので触るな』とだけ書き残された、謎の繰り返し処理。
ならし輪は、回るたびに少しずつ熱を出す。4回も回せば、冷やすための板が自分で熱を持ち、その熱を冷ますために、転じ紋がさらに魔力を使う。母さんが“20日ももたない”とこぼしていたのは、たぶんこれのせいだ。昔の質の悪い魔石なら、4回回してようやく落ち着いたのかもしれない。でも今の魔石なら、1回で足りるはずだ。
直したい。指先がうずいた。
そのとき、店の入口の鈴がからんと鳴った。
「ごめんください。ラングナーさん、いらっしゃる?」
「おっと、客だな。……テオ、絶対に触るなよ。念のため魔石は抜いてあるが、金属の角で手を切るかもしれねえからな」
「うん、分かった」
父さんが手袋を外して出ていくと、店先で新年の挨拶を交わす明るい声が聞こえてきた。
作業場に残されたのは、俺ひとり。作業台の上の回路板が、無防備に横たわっている。
心臓がどくどくと鳴った。本当にやっていいのか。確認もなしに、元に戻す用意もなく、動いている本番環境へいきなり修正を当てるようなものだ。失敗すれば、家の冷蔵箱はただの木の箱になり、母さんの保存食は全滅する。テスト環境のない世界でのぶっつけ本番に、背中を冷や汗が伝った。
でも、全部を直すわけじゃない。3つの転じ紋をまとめるような大工事は、今の俺には無理だ。
ならし輪の、1か所だけ。1周目の終わりから出口へ、短い近道の線を引く。ほんの数ミリの溝を彫って、銀を流し込むだけで済む。力は通りやすい道を選ぶはずだから、元の3周分を埋める必要もない。
壁の工具掛けから、細い刃先の鏨を取った。子供の手には少し重いが、握り心地は悪くない。作業台の端の銀ごてを引き寄せ、柄の底にある米粒ほどの魔石をひねると、先端がじわじわと赤くなっていく。
大きく息を吸って、吐いた。不思議なほど、視界が冴えていた。10歳の手なのに、指先に迷いがない。学生のころ、趣味だった電子工作ではんだごてを握っていた感覚が、この小さな手にもそのまま残っているようだった。特別なことじゃない。前世の手の記憶だろう。
左手でならし輪の縁を押さえ、鏨の刃先を当てる。音を立てないよう、木づちは使わず、手のひらの付け根に体重を乗せてぐっと押し込んだ。しゃり、と金属の削れる感触。1周目のカーブの終わりから出口の線へ、斜めにまっすぐ溝を彫り進める。深さは髪の毛1本分。浅すぎれば力が漏れ、深すぎれば板を傷める。長さは5ミリほど。
溝が通った。
溝の上に魔導銀の細いかけらを置き、赤くなったこての先を近づける。じゅっ、とかすかな音がして銀が溶け、吸い込まれるように溝へ流れ込んだ。すばやくこてを離して息を吹きかけると、銀はすぐに熱を失い、なめらかな線になって定着した。元の線とのつなぎ目には、段差ひとつない。
店先からは、まだ世間話の声がする。
隅に転がっていた魔石を手に取り、魔石台にそっと押し込んだ。かちり。
銀の線が一斉に淡く光った。青白い光が根線を駆け抜け、ならし輪に飛び込んで、1周したところで新しい近道へ滑り込む。4回回るはずだった光が、たった1回で抜けていく。そのまま量り紋を通り、枝分けで3つに分かれて、渦巻きへ流れ込んだ。
恐る恐る、板に指を当てた。いつもなら、魔石をはめて数秒で風呂の湯のように熱くなるはずの板が、ひんやりと冷たいままだった。箱の奥に手を差し入れると、むらのない、静かで均一な冷気が流れてくる。
成功だ。修正は、ちゃんと動いた。
胸の奥から安堵がこみ上げて、思わず小さく息を漏らした、そのとき。
「じゃあな、おかみさん。また何かあったら持ってきてくれ」
ずんずんと足音が近づいてくる。しまった、魔石を抜く暇も、道具を片付ける暇もない。
作業場の引き戸が開いた。
「悪いな、待たせ――」
父さんの言葉が止まった。作業台に転がった鏨と、まだ熱の残る銀ごて。青白く光ったまま冷気を出している冷蔵箱と、その前に立ち尽くす俺。
父さんの目が見開かれ、次の瞬間、太い眉がつり上がった。
「テオドール!」
本気で怒ったときにしか父さんが使わない、俺の本名だった。大きな手が伸びてきて、肩を痛いほどつかまれる。
「何をやってるんだ! 触るなと言ったのが聞こえなかったのか! 回路を素人がいじったら、熱で火を噴くか、魔石が暴れて大けがするんだぞ!」
怒鳴り声が作業場の壁を震わせた。本気で俺の体を心配しているのが伝わってきて、俺は肩を縮めて頭を下げた。
「ごめんなさい、父さん……本当にごめんなさい」
「謝って済むか! けがはねえのか!? 手を見せろ!」
俺の両手を取り、指先から手のひらまで何度も確かめる。やけども切り傷もないと分かると、父さんは大きく息を吐き、冷蔵箱のほうへ向き直った。
「まったく、早く魔石を抜かねえと、板が焼き付いて――」
回路板に触れた父さんの手が、ぴたりと止まった。
「……あ?」
手のひら全体が、板に押し当てられる。動いている回路板は、触れ続ければやけどするほど熱くなる。それがこの世界の当たり前だ。
「熱く……ねえ……? 冷気は出てるのに、板が冷たいままだ……?」
父さんは箱の奥に手を突っ込み、それから板の銀の線に目を近づけた。ならし輪のところに、真新しい銀が光っている。引き出しから丸い拡大鏡を取り出し、右目に当てて板に顔を寄せる。職人の顔だった。
「溝の深さが狂いなくそろってやがる。削りかすも残ってねえ。銀の流し込みも一回で決めてる……これ、お前がやったのか?」
「うん……」
「どうしてここをつないだ? 誰に教わった、こんなつなぎ方!」
怒りより、驚きと混乱の混じった声だった。前世のことは口が裂けても言えない。俺はできるだけ子供らしい言葉を選んだ。
「教わってないよ。さっき父さんが、この輪は力の角を取るために回すんだって言ってたでしょ?」
「ああ、言った」
「でも、同じ丸を4回もぐるぐる回ってたら、目が回って疲れちゃうんじゃないかなって。1回回ったらもう角は取れてるんだから、あとはまっすぐ出口に行けばいいのにって思ったんだ」
「目が回るって……お前……」
拡大鏡を持ったまま、父さんの口元が引きつった。
「そんなわけがあるか。昔から4回って決まってんだ。減らしたら力が暴れて……」
そこまで言って、父さんは言葉をのみ込んだ。目の前で、冷蔵箱はいつも以上に静かに、澄んだ冷気を出し続けている。板は熱を持たず、魔石の光も穏やかだ。結果が、はっきりそこにあった。
父さんはしばらく頭をかきむしりながら板をにらんでいたが、やがて長いため息をつき、俺の目の高さまでしゃがみ込んだ。
「テオ。二度と、俺のいねえところで勝手に回路をいじるな」
「……うん。ごめんなさい」
「やるなら、俺の前でやれ。約束できるか?」
思わず顔を上げた。叱り飛ばされて終わりだと思っていたのに、父さんの目には、見たことのない熱が宿っていた。
「……うん! 約束する!」
「よし」
父さんは俺の頭を乱暴になで回し、裏板をゆっくりと元に戻した。工具を片付けながら、誰に言うでもなく、口の端を持ち上げる。
「これで魔石が20日よりもつかどうか……へっ、見ものだな」




