第28話 徹夜しない納品
八柱暦4101年12月5日、光の日。ブラントさんの店からの帰りに、霜のとけかけた畑の道を抜けて、父さんと2人でロレンツィ商会の支店へ寄った。懐には、昨日数えた紙が入っている。その裏には、ブラントさんの店の作業台を借りて書き足した表を重ねてある。
支店の奥の机で、ニナさんが帳面を広げて待っていた。戸口に立った俺たちを見ると、鉛筆を置いて立ち上がる。
「おはようございます、ラングナーさん、テオさん。依頼票の写しは、ヨナスさんから受け取っています。お返事をうかがってから動く、と申し上げたとおりです」
「朝からすまないな。足りない分の話を、持ってきた」
父さんが帽子を取って頭を下げると、ニナさんは机の端を空けて、椅子を2つ引いてくれた。俺は紙を広げる。
「昨日数えたのは、父さんと僕の2人が、刻むのも組むのも全部やる場合です。19日で152個、足りないのは48個でした。夜に働けば埋まる、という数え方は、やめました。1個の仕事を、2つに分けます」
紙の上に線を引いて、左に『刻む』、右に『組んで確かめる』と書く。
「板を刻むのが1時間、筒に組んで点灯を確かめるのが半時間です。200個なら、刻みが200時間、組みが100時間。刻むほうは、うちの店とブラントさんの店でやります。組んで確かめるほうは、町の修理店に頼みたいんです」
「刻みの200時間は、うちだけじゃ持ちきれない」
父さんが、横から指で紙を押さえた。
「俺が70個、ブラントさんが40個。これなら、年末の店の修理を続けながらでも、日が暮れるまでに収まる。ブラントさんの40個は、さっき店で、本人に聞いてきた。あとの90個ぶんは、板を刻める職人に、頼むしかない」
「分かりました」
ニナさんは頭の中で何かを組み立てるように、少しのあいだ天井を見た。それから、帳面の新しい頁に、すらすらと数字を並べはじめる。
「1個1,000ディルを、分けて考えます。筒と魔石の材料で、350ディル。バルクさんの鍛冶屋の、地金と量り板の型打ちが70ディル。刻んだ人への出来高が250ディル。組んで確かめる人に100ディル。運びと商会の分が80ディル。ラングナー店の取りまとめが、100ディル。残りの50ディルは、だめな板が出たときの予備です」
数分で、表ができあがった。合計は、ちょうど1,000ディルだ。
「この内訳なら、採算は合います。ただ、組みの100ディルは、修理店の方々には安く見えるはずです。予備の50ディルのうち、30ディルを先に回して、130ディルにしませんか。だめな板が少なければ、余った分は店に戻します」
「それで、頼む」
父さんが即答すると、ニナさんは、ほんの少しだけ口の端を上げた。こういうとき、ニナさんの数字は、人が納得できる額に着地する。
「運びも、お話しします。冬の街道は、雪のせいで荷車が遅れます。ですから、毎日昼に、商会の便を1本出します。できあがった物と、それぞれの店の数を書いた札を、その便で動かします。筒と魔石は、倉にある分と、今日出す便の分で揃います」
それから、名簿の紙を机に出した。
「組んで確かめていただける修理店は、板を置いてくださっていた8軒のうち、よその板に替えた3軒を除いた、5軒です。旧市街のオットーさんの店、市場通りのヴェルナーさんの店、そしてあと3軒」
名前を指でたどる。写しに替えた3軒を、ニナさんは名簿から外していた。誰も責めない。ただ、数に入れない。
昼の鐘の前に、父さんと2人でギルド出張所へ向かった。ヨナスさんが、カウンターの向こうで待っていた。居合わせたフェレスさんが、静かに会釈する。
「お返事を、うかがえますか」
ヨナスさんが袖で額をぬぐう。俺は、紙を机に置いた。
「昨日お伝えした、152個で足りないのは48個、というのは、父さんと僕が全部を作る場合の数です。今回は、仕事を分けます。刻むほうは、父さんが70個、ブラントさんが40個で、110個ぶんを受け持てます。どちらも、日が暮れるまでの仕事に収まる数です。残りの刻み90個ぶんと、組んで確かめるほうは、町の修理店に頼みます。まだ引き受けてもらう前なので、数えられません。引き受けてもらえれば、200個に届く見込みです。確定の数は、7日の火の日にお返しします」
「刻みは110個ぶん、残りの刻みと組みは修理店しだい、ですね」
ヨナスさんは、書き取りながら繰り返した。足りないと言うのは、言いにくいことだ。それでも、嘘の数よりは、ずっといい。ヨナスさんは奥へ入り、すぐに戻ってきた。
「事務長からです。“7日の返事を待つ。それでよい”と」
フェレスさんが、小さくうなずいた。
4101年12月7日、火の日。昨日の闇の日は、店も役所も休みだった。新しい紙は、5日の午後のうちに1枚書き上げてある。『筒への組み方』。板を差す向きと、底の留め金を回す順番を、絵を大きくして並べた紙だ。
朝から、店の作業台を片づけて、椅子を並べた。町の修理店の主人たち5人が、霜を踏んで集まってくる。オットーさんが一番に来て、白い太い眉を寄せたまま、戸口の近くに座った。続いて、ヴェルナーさん。あとの3軒の主人たちは、並んで入ってきて、隅の席についた。バルクのおじさんは、とっくに来ていて、店の奥で父さんと型の話をしている。ブラントさんも、腕を組んで壁にもたれていた。
俺は立って、紙を持った。大人ばかりの席で、少しだけ喉が渇く。
「集まっていただいて、ありがとうございます。携帯灯を200個、12月27日の夕の鐘までに、ギルドへ納めます。夜に作る人は、1人も出しません。そのために、仕事を分けます」
作業台に、紙を4枚並べる。
「刻みは、父さんが70個、ブラントさんが40個、オットーさんが40個、ヴェルナーさんが30個。あとの3軒の方に、10個ずつお願いします。合わせて210枚で、予備の10枚が入っています。僕は補欠です。数は持たずに、遅れが出た所へ回ります。組んで確かめるのは、5軒で、1軒40個です。バルクのおじさんが、板と量り板の地金を、210組、型で打ってくれます」
「量り板の地金も、前の型でそのまま打てる。厚さは、紙のとおり、銅貨1枚を横に並べて比べてくれ」
バルクのおじさんの声が、狭い店に響いた。
「紙は、4枚です。『線を刻む順番と、量り板の深さ』と、『確かめ方と、だめな板の見分け方』と、『板の見分け方』は、前にお渡ししたものと同じです。新しい1枚が、『筒への組み方』です」
オットーさんが、渋い顔で紙の束を手に取った。
「親方の形じゃねえ板を、俺が刻んで、組むのか。今まで俺は、買った板で直してきただけだ」
「はい。ただ、勘で刻むのではなく、順番を紙に書きました。見ていただけますか」
オットーさんは節の太い指で、紙の絵をたどった。線を刻む順番、板の向き、留め金の回す順番、点灯を確かめるときの量り板の差し方。指が、一つひとつの絵の上で止まる。やがて、低い声が落ちた。
「……勘で刻むなら断るが、順番が書いてあるなら、できる」
ヴェルナーさんが、あからさまにほっと息をついた。
それから、俺は壁の板を指さした。父さんとブラントさんが、今朝のうちに、作業場の壁に大きな板を掛けてくれている。行は、地金、刻み、組んで確かめる、材料、納め。列は、12月5日から27日までの日付だ。
「これが、進み具合の板です。白の数字が予定、赤の数字が実際です。毎日、日が暮れる前に、その日にできた個数を木札に書いて、商会の昼の便に付けてください。母さんとリリが、夕方に板へ書き写します」
「札を、毎日、ですか」
ヴェルナーさんが、少し困った顔で聞き返した。
「はい。数だけで構いません。長い言葉は、要りません」
「札の数と、板の数が、合ってるかどうか、リリが見張るからね」
リリが胸を張る。母さんが、隣で笑った。
「最後に、お願いがあります」
俺は、全員の顔を順に見た。
「日が暮れたら、そこまでにしてください。夜になっても終わらなかった分は、板に赤く書いてください。僕が、昼に数え直します」
誰も、すぐには返事をしなかった。けれど、ブラントさんが壁から体を起こして、一言だけ言った。
「数は、嘘をつかねえ。書く奴が、嘘をつかなきゃな」
5人の主人たちは、順に、うなずいた。昼には、父さんと俺が出張所へ走った。父さんが“200個、お受けします”と告げると、ヨナスさんがそれを書き取り、奥で聞いた事務長は短く“頼む”と言った。
4101年12月16日、水の日。あれから9日がたって、壁の板は、白と赤の数字でほとんど埋まっている。地金は、バルクのおじさんの鍛冶屋から、予定の日に、予定の数が届いた。ニナさんの材料も、街道が凍る前に着いた。白の予定に、赤の実際が、おおむね重なっている。
朝の鐘のあと、作業場に降りて、板の前に立った。昨日の夕方、リリが書いた数字を、端から目で追う。刻みの行で、ひとつだけ、赤い数字が白に届いていない所があった。ヴェルナーさんの店だ。白が16、赤が5。11個、遅れている。
「遅れてるのは、ヴェルナーさんの所?」
母さんが、後ろから板をのぞきこんだ。
「うん。……責めたって、数は増えないよね。昼に、行ってみる」
「そうしなさい。聞いてから、考えればいいから」
そのとき、戸が鳴った。こつ、こつ、と遠慮がちな音だった。母さんが開けると、冷たい空気と一緒に、ルッツが立っていた。
肩に、小さな包みを背負っている。右手の甲の古いやけどの痕の上に、指の水ぶくれが、ほとんどつぶれかけていた。
「……いきなり悪い」
ルッツは、俺の顔を見ずに言った。
「工房、辞めてきた」
父さんが、奥から出てきた。ルッツの手を、黙って見た。
「王都の仕事で、夜に作る分が倍になったって、前に言ったろ。一番下の、あのちびがいるだろ。11月に熱を出してから、咳が抜けねえんだ。親方は寝かせねえから、あいつの分は、この何日か、俺が夜に代わりに刻んでた。それなのに昨日の夜、親方が言ったんだ。これからも、そいつの分まで夜に刻め、って。寝かせてやってくれ、って頭を下げた。そしたら、嫌なら出ていけ、だと」
ルッツは、そこで一度、息を吐いた。
「出てきたんだ。……置いてきたのは、本当だ。でも、俺が残って、夜に倍刻んだって、あいつは寝かせてもらえねえ。何も変わらねえ。お前に紙をもらったろ。数え直せ、って書いてあった。夜に触らねえで間に合うやり方が、本当にあるなら、見てえと思った」
ぶっきらぼうな声の奥が、少し震えていた。
「……行く所は、ねえ」
誰も何も言わないうちに、俺が母さんと父さんに言った。
「新市街の工房の見習いの、ルッツだよ。前に話した、夜なべをしてた子」
父さんが、うなずく。
「下の子は、どうしてる」
「……まだ、親方の所だ。咳もしてた。置いてきた。分かってる」
赤く腫れた小さな指を、思い出す。今の俺には、まだ何もできない。それが、胃のあたりに重く沈んだ。
それでも、目の前のルッツには、できることがある。
「ルッツ。仕事がある。携帯灯の板を刻む仕事で、1個ごとに出来高で払う。ただ、日が暮れたら終わりで、夜9時を過ぎたら道具には触らない。うちの決まりだ」
「夜に、触らねえ? ……変な店だな」
ルッツは、眉をひそめた。その目の前に、俺は壁の板を示した。
「これは、進み具合の板だ。白が予定、赤が実際。誰がどれだけ遅れてるかが、数で見える」
ルッツは黙って、板をじっと見ていた。白と赤の、細かな数字の列。指が、遅れの出ている行へ、すっと伸びる。
「これ、数で見てんのか」
「うん」
「うちの親方は、遅れてるかなんか見てねえ。朝に積んである板の山の数を、見るだけだ」
戸口から、ブラントさんが入ってきたのは、そのときだった。木札を届けがてら、板を見に来たのだ。ルッツの手をちらりと見て、鼻を鳴らした。
「新市街の工房の見習いか。寝る場所は、あるのか」
「……ねえ」
「うちの納戸が空いてる。寝る場所だけだ。飯は自分で稼げ」
ルッツが目を丸くして、それから、深く頭を下げた。
「それと、その下の子だ」
ブラントさんは、ルッツの顔を見たまま続けた。
「熱が下がらねえ子を夜に働かせてるのは、どう見ても、まともじゃねえ。そいつが倒れそうになったら、うちへ連れてこい。納戸は、2人でも寝られる」
「……いいのか」
「寝る場所だけだ、と言ったろう」
ルッツは、何か言いかけて、結局、もう一度だけ頭を下げた。
昼の鐘のあと、俺は市場通りの、ヴェルナーさんの店を訪ねた。店先には、暖房の魔導灯と、温水器の筒が、ずらりと積まれていた。ヴェルナーさんは、奥の作業台で、背中を丸めている。
「ヴェルナーさん。板を見ました。刻みが、予定より遅れています」
「……すまない、テオくん」
ヴェルナーさんは、小さな声で言った。
「冬は、温水器の修理が、どっと来る。断れなくてな。携帯灯も引き受けた手前、言い出せなくて」
「板に、赤で書いていただければ、僕が数え直します。それが、約束でした。遅れるのは、悪いことではありません。黙っているのが、困るんです」
ヴェルナーさんの肩から、すうっと力が抜けた。
「残りの刻み25個のうち、20個を、別の人に回します。組んで確かめる40個は、このままお願いします」
「……ありがたい。そうしてもらえると、本当に」
店へ戻ると、ルッツが作業台の端に座っていた。俺は隣の椅子を引いて、一枚の板を置いた。規格の板だ。
「身代わり線は、ここ。根線の途中の、細くしてある所。力が強すぎたとき、ここが先に切れて、板を守る。大事な所なんだ。そこだけ、少しの間、息を止めるつもりで引く」
銀ごてを持たせる。ルッツは、赤くなった先をじっと見て、地金に当てた。根線が、すうっと走る。細くする所に来ると、手がぴたりと止まった。
「それで合ってる」
ルッツは、止まった手を見つめた。
「……これが、俺たちが、役に立たねえって言って、抜いてた線か」
それ以上は、何も言わなかった。夕の鐘が鳴ると、ルッツは銀ごてを置いた。
「まだやれるのに」
口ではそう言いながら、道具を置く指に、迷いはなかった。
「ルッツ。あの子に、ブラントさんの話を伝えに行っていい。夜9時までには戻って」
「……行っていいのか」
「うん。納戸は、2人で寝られるから」
ルッツは、俺の顔をまじまじと見て、それから上着をつかんで、戸の外へ駆け出していった。
4101年12月27日、風の日。朝の鐘のころ、店の作業台に、携帯灯が並んでいた。200個。1つずつ筒に収まって、冬の光を鈍く返している。最後の1個は、昨日の夕の鐘の前に、組み上がった。今日は、数えて運ぶだけだ。壁の板は、白と赤の数字が、最後の列まで重なっていた。だめな板は、7個出た。予備の分で、足りた。
あの小さな見習いは、17日の朝には、ブラントさんの納戸にいた。ルッツが前の夕のうちに話を伝えに行き、背負って連れてきたのだという。熱は3日で下がり、母さんが届けたスープを、その子は両手で持って、最後まで飲んだそうだ。
22日の夕方に、一度だけ、父さんが作業台で次の板に手を伸ばして、“あと1個”と言いかけたことがあった。そのとき、母さんが何も言わずに、壁の板を指さした。白の予定より、赤の実際が、2個も先に進んでいる。父さんは苦笑して、銀ごてを炉から離した。
父さんと母さん、リリ、ルッツ、ニナさんが机を囲んで、1個ずつ布で包んだ。ニナさんが木箱に詰め、商会の荷車に積む。霜の道を、荷車の車輪が、ごとごとと鳴らして出張所へ向かった。
出張所では、ヨナスさんが机に1個ずつ並べて、数えた。袖で額をぬぐいながら、指で数をたどる。
「198、199、200。200個、揃っています」
奥から、ケストナー事務長が出てきた。依頼票に判を押して、短く言う。
「受け取った」
フェレスさんが、衛兵の分の木箱を持ち上げた。
「冬至祭の夜から、見回りに使います。助かります」
事務長が、俺のほうに顔を向けた。
「誰も、夜に働かなかったのか」
「はい。日が暮れてからは、誰も」
事務長は、何も言わずにうなずいた。
帰り道、ルッツがふと足を止めた。新市街のほうの、煙突の群れを、じっと見ている。
「俺の親方は、まだ作ってんだろうな」
「あの子は?」
「今朝は、粥を2杯食った。……あとの奴らは、まだあそこだ」
それきり、ルッツは黙った。俺も何も言わずに、隣を歩いた。
夕食の食卓で、リリが父さんの顔を、じっと見た。
「父さん、今年は作業台で寝てないね」
父さんは、答えなかった。黙って、スープの匙を口へ運ぶ。母さんが、横を向いて、小さく笑った。
夜9時の鐘が鳴って、作業場の灯りが消えた。俺も寝床に入ると、壁の向こうから、父さんの寝息が聞こえてきた。階下の店では、柱時計が、こち、こち、と静かに時を刻んでいる。




