第27話 二百個の携帯灯
八柱暦4101年12月1日、火の日。朝の鐘が鳴ったとき、店の窓には霜の花が咲いていた。作業台の脇の小さな炉に魔石を足して、父さんと2人で手をあぶっていると、戸がこつこつと鳴った。
入ってきたのは、ヨナスさんとフェレスさんだった。ヨナスさんの手には、布に包んだ筒形の物がある。外の冷たい空気と一緒に、焦げた匂いが、ふっと流れこんできた。
「朝早くにすみません。テオくんに、見てもらいたい物があって」
ヨナスさんが布を開く。中から出てきたのは、携帯灯だった。外板が熱で茶色に変わり、底のあたりが少し膨らんでいる。
「昨日の夕方、出張所のカウンターで、冒険者の方の携帯灯が煙を出したんです」
そう言ったのは、フェレスさんだった。
「持ち主の方は、手を火傷する前に落としました。けが人は出ていません。ただ、カウンターの板が少し焦げました」
ヨナスさんが、袖で額をぬぐいながらあとを継いだ。
「貸出品が冬に足りなくなって、自分で安い携帯灯を買う冒険者が増えているんです。この方も、新市街の市で買ったそうで。冬は夜が長いので、灯りが長くもつように、大きめの魔石に替えて使っていたそうです。市の売り子さんに、大きい魔石のほうが明るくて長くもつ、量り板はそのままでいい、と勧められたとか」
俺は、携帯灯を受け取った。焦げた匂いが、まだ残っている。底の蓋を開けると、中の板が、黒く焼けていた。魔石の脇に、見慣れた量り板が差さっている。
父さんが、俺の肩越しにのぞきこんだ。
「大きめの魔石に、元のままの量り板か」
「うん。大きい魔石用の量り板に替えてなかったんだと思う」
焼けた板の根線を、指でたどる。途中で、ぴたりと指が止まった。細くなっている所が、ない。のっぺりとした太さのまま、黒く焦げた線が続いている。
「写しの板です。規格の板には、根線の途中に、わざと細くした所があります。身代わり線といって、板を守る線です。これには、それがありません」
「やっぱりか」
父さんは短く言って、腕を組んだ。
「安い物は、大きい魔石を入れる日が来るまでは、何ともない。付いてきた魔石のまま使うぶんには、ちゃんと点くからな。だから、買った本人は、危ない物を持ってるって気づけない。それが、いちばん悪い」
父さんがそう言うと、ヨナスさんが首をかしげた。
「でも、冬に大きい魔石へ替える方は、前からいたはずです。今まで、こんなことは一度も」
「昔の携帯灯には、ならし輪が付いてたからな」
父さんが答える。
「力が強すぎても、ならし輪が勢いを落としてくれた。熱くなるだけで、燃えはしない。その代わり、魔石を食う、無駄の多い作りだった。規格の板は、その無駄を削ってある。削ったぶん、身代わり線が頼りなんだ」
「ええと、その身代わり線というものが、写しには付いていなかった、ということですか」
フェレスさんが静かに尋ねると、父さんは短くうなずいた。
「ああ。形は真似てあっても、肝心の細い所を作ってない。だから、今年の冬に、初めて燃えかけた」
ヨナスさんが、納得したように小さくうなずいた。
「ちなみに、おいくらだったんですか」
俺が聞くと、ヨナスさんは聞き取りの紙をめくった。
「400ディルだった、と聞いています」
400ディル。うちの携帯灯の、半分もしない。冬を越すために少しでも安く、と選んだ人を、責める気にはならなかった。
俺は少し考えてから、作業台の下の棚を開けた。うちの修理で使う携帯灯が、1つしまってある。板は、うちで刻んだ規格の板だ。
「ヨナスさん、フェレスさん。同じ大きめの魔石を、規格の板に入れたらどうなるか、見てもらえますか」
持ち主の携帯灯から取り出した大きめの魔石を、棚の携帯灯に入れる。量り板は、元のまま。蓋を閉めて、底のつまみを回す。
灯りは、ほんの一瞬ついた。そして、ふっと消えた。
「消えました」
ヨナスさんが、目を丸くした。
「壊れたんですか」
「いいえ。開けます」
蓋を外して、板を取り出す。根線の細い所に、髪の毛ほどの、小さなすき間が開いていた。大きめの魔石の強すぎる力が、ここで止まったのだ。
「力が強すぎると、ここが先に溶けて、切れるようにしてあるんです。こうなっても、板も魔術具も、焼けません」
銀ごてを炉で熱し、切れた所に、細い線を引き直す。数分で、線はつながった。それから、棚の隅から大きい魔石用の量り板を出して、差し替える。蓋を閉めて、つまみを回した。
今度は、灯りが、まっすぐに点いた。普段より、明るいくらいだ。
フェレスさんは、しばらく黙ってそれを見つめ、やがて低い声で言った。
「止まるのは、壊れたのではなく、守った、ということですね」
「はい。切れたところを引き直せば、また使えます」
ヨナスさんが、ほっとしたように息を吐いた。
「貸出品の携帯灯は、係が魔石の大きさをそろえて渡しています。それで、今まで事故が出なかったんですね。ただ、貸出品が足りなければ、自分で買う方は増えます。事務長に、お伝えします」
4101年12月4日、水の日。3日前と同じ顔ぶれが、また店の戸をくぐった。ただし今日、ヨナスさんが両手で持っているのは、焦げた携帯灯ではなく、封をした1通の紙だった。
「ケストナー事務長からの、依頼票です。ラングナー魔術具修理店さんと、ロレンツィ商会さんの、両方に宛てたものです。商会さんには、先に同じ紙をお届けしました。ニナさんは、月末の帳簿の締めで手が離せないそうで、こちらの返事を聞いてから動く、と」
ヨナスさんが封を切り、作業台の上に紙を広げた。右上に番号があり、下の隅には、ギルドが先に預けたしるしの判が押してある。
父さんは、手を拭いてから、紙をのぞきこんだ。俺も横から読む。事務長らしい、短い文だった。
『携帯灯が200個、要る。冬至祭の前、12月27日の夕の鐘までに、何個まで出せるか。足りない分をどうするか、相談したい。』
「衛兵の見回りと、ギルドの貸出品の、両方に使います」
フェレスさんが、横から補った。
「冬至祭の夜から、ダンジョン入口の見回りを強めます。夜が長いので、灯りが足りないのです。先日のような事故を、これ以上増やしたくありません」
その下に、金額が書いてあった。1個1,000ディル。200個で、20万ディル。半分は、預かり印のとおり、もう預けてある。
「衛兵の分の代金は、詰め所からギルドに預けてあります。依頼は、ギルドが取りまとめます」
フェレスさんが、そう付け足した。
「200個」
父さんは、低くつぶやいた。事務長は、できる数を聞いてくれている。降ろされた数ではなく、相談として届いた数だ。だからこそ、軽く返事はできない、という顔だった。
「ヨナスさん。返事は、数えてからにさせてくれ。うちは昔、数えないで受けて、年の暮れに痛い目を見たからな」
「はい。もちろんです」
父さんは、母さんが使っていた帳面の裏紙を引き寄せ、俺の前に置いた。
「テオ。数えてくれ」
鉛筆を握って、ブラントさんに教わった数え方を思い出す。数えるのは、3つ。人の数、日の数、仕事1つにかかる手間だ。
「人は、父さんと僕の、2人です」
紙に『2人』と書く。
「日は、明日の12月5日から27日まで。闇の日が、6日、12日、18日、24日の4日あるので、それを引いて、19日です」
『19日』。
「仕事1つの手間は、携帯灯1個に、1時間半です。板を刻むのに1時間、筒に組んで点灯を確かめるのに半時間。日が暮れたらおしまいなので、1日の仕事は、6時間までです」
「ってことは、1人で1日、4個か」
「うん。2人で、1日8個。19日で、152個」
『152』と書いて、その下に『200』と書く。引き算をした。ヨナスさんたちにも聞こえるように、声を張る。
「足りないのは、48個です」
ヨナスさんとフェレスさんが、息をのんだのが分かった。48。数字にすると、言い逃れのしようがない。
父さんは、腕を組んで、紙をじっと見つめていた。
「断るか、分けるか、だな」
やがて、ヨナスさんとフェレスさんに向きなおる。
「どちらにするか、今はまだ決められない。返事は、明日の昼まで待ってもらえないか。商会にも、昼までに話しに行く」
「もちろんです。事務長も、足りない分をどうするか相談したい、と書いていますから」
ヨナスさんは、深くうなずいた。フェレスさんも、静かに頭を下げる。
2人が帰り支度をするあいだ、俺は紙の『48』を見ていた。48。うちの2人で足りないのは、たったこれだけだ。そのとき、不意に、ある考えが頭に浮かんだ。夜に、俺が。
戸口で、ヨナスさんが、俺のほうをふり返った。声を落として言う。
「僕たちが頼むには、多すぎる数ですよね」
「いえ、そんなことは。僕が、夜にやれば……」
そこまで言いかけて、はっとして、口をつぐんだ。ヨナスさんが、不思議そうに首をかしげる。
「夜に?」
「……いえ。数え直して、父さんと相談します」
笑ってごまかして、2人を見送った。心臓が、いつもより少し速く打っていた。
その夜、夕食のあとで、父さんが母さんに、紙を見せた。母さんは食器を片づける手を止めて、48という数字を指でなぞった。
「ハンスの腕と、テオの腕で、152個。あとの48個を、誰かに分けて作ってもらうか、断るか。……どっちにしても、明日の昼までには決めないとね」
「ああ。今夜は、頭を冷やして寝る。数字は、朝にも変わらねえからな」
夜9時の鐘が鳴り、作業場の灯りが消えた。階段の下から、家じゅうが静まっていく気配が伝わってくる。
俺は寝床に横になって、天井を見つめていた。眠気が、まったく来ない。朝から働きづめだったのに、体は軽い。頭の中では、48という数字が、ぐるぐると回っていた。
夜に、俺が。
俺は、眠くならない。眠らなくても、手は止まらない。毎晩3個ずつ、夜に作れば、19日で57個。足りない48個を、ちょうど埋められてしまう。そう思ってしまった。
頼まれると、断れない。前世からの、悪い癖だ。分かっている。分かっているのに、足りないという数字を、そのままにしておけなかった。
ブラントさんの声が、耳の奥でよみがえった。お前は、倒れるな。そして、自分の声。はい。約束します。
ほんの3週間前のことだ。
それでも、起き上がった。階段が、一段ごとに、小さくきしむ。息を止めて、壁に手をついて降りた。隣の鍛冶屋の槌の音も、今は聞こえない。窓の外では、霜の降りた屋根の上に、細い月が出ていた。
作業場に入り、冷え切った隅で、小さな灯りをひとつだけともした。板の山から、地金を3枚。銀ごてを炉にかざすと、先が、ほのかに赤く染まった。
1枚目を刻みはじめたとたん、世界が細くなった。
線が、思うとおりの場所を走っていく。根線、転じ紋、身代わり線。手が覚えていて、頭が先回りして、考える前に銀が流れる。時間の音が、消えた。炉の火が小さくなったのも、指先が冷えたのも、気にならなかった。
3枚目の最後の線を引き終えて、ようやく息をついた。板を並べる。きれいにそろった、3枚の板。
そのとき、戸の向こうで、かすかな物音がした。
「……テオ兄?」
戸が細く開いて、寝間着のリリが顔を出した。片手に水の入った湯のみを持っている。喉が渇いて、水を飲みに降りてきたらしい。
「戸の下から、灯りが漏れてた」
リリは、作業台の上の3枚の板と、俺の手の銀ごてを見て、口を閉じた。それから、何も言わずに、くるりと背を向けて、階段を駆け上がっていった。
まずい、と思ったが、体が動かなかった。
しばらくして、足音が降りてきた。父さんと、母さんと、リリの3人だった。父さんは寝巻きの上に上着を羽織っている。
「何枚、刻んだ」
「3枚」
「眠いか」
「全然」
父さんは、大きく息を吐いた。
「それが、問題なんだ」
作業台に手をついて、俺の目を見る。
「眠くねえから、止まらねえ。止まらねえから、倒れるまでやる。お前は、自分じゃ止まれねえ。だから、夜9時には道具に触らねえ、って決めたんだろう」
「……ごめん。48個、と数えたら、僕がやればいい、と思ったんだ」
母さんが、俺の手から、そっと銀ごてを取った。
「無理して倒れたら、お祭りどころじゃないでしょ」
5年前の年の暮れ、作業場へ戻ろうとする父さんに、母さんが言った言葉だった。同じ言葉が、今度は、俺に向けられている。
「リリ、見張り役だもん」
湯のみを抱えたまま、リリがぽつりと言った。
「テオ兄が夜中に起きてたら、父さんに言うって決めたの。だから、言った」
「うん。ありがとう」
父さんは、俺の頭に大きな手を置いた。
「寝ろ」
俺は、うなずいた。母さんが、肩に毛布をかけてくれる。ずっしりと重くて、あたたかい毛布だった。
寝床に戻っても、朝の鐘が鳴るまで、眠気は一度も来なかった。
4101年12月5日、光の日。朝、父さんと2人で、霜の降りた畑の道を抜けて、ブラントさんの店に着いた。昨日数えた紙を、懐に入れてある。
床板を鳴らして入ると、ブラントさんは、作業台の前で茶をすすっていた。
「朝から、親子で何の用だ」
「ブラントさん。先に、謝らなければいけないことがあります」
俺は、昨夜のことを話した。数えて48個足りなかったこと。夜に1人で作業場に降りたこと。3枚の板を刻んだところで、リリに見つかったこと。夜に回路をいじってはいけない、と言われていたのに。
ブラントさんは、黙って聞いていた。話し終えると、湯のみを置いて、俺の顔をじっと見た。
「寝てねえのに、顔色がいい」
「はい」
「俺が倒れた朝も、そうだった。周りの奴らに、お前はまだやれる、と言われたもんだ」
ぶっきらぼうな声だったが、その奥に、怒りだけではないものがあった。
「約束したな」
「はい。すみません」
「謝るのは、あとでいい。紙を出せ」
俺は、懐から数えた紙を出して、作業台に広げた。ブラントさんは、虫めがねを使わずに、数字を目で追っていく。2人、19日、1個1時間半、152個。足りないのは、48個。
「ほう。ちゃんと、数えてあるじゃねえか」
鼻を鳴らして、指で『48』をとんと突く。
「足りねえなら、足りねえと書け。紙にな。口で言うな、と言ったろう。それを持って、ギルドへ行け」
「事務長は、足りない分をどうするか、相談したい、と書いてくれました」
「だったら、なおさらだ。聞いてる相手に、嘘の数を返すな」
ブラントさんは、俺の目をまっすぐに見た。
「お前1人で、埋める穴じゃねえ。分けろ」
「分ける……」
「何を、誰に、いつまでに。それは、お前らで考えろ。俺は、数えられる分なら受ける」
最後の一言に、顔を上げた。ブラントさんは、虫めがねを目に当てて、また作業台に向きなおる。
それから、ブラントさんは、父さんのほうを向いた。
「ハンス。お前もだ」
「はい」
「夜に息子が働かなきゃ間に合わねえ数を、受けるな。お前が作業台で寝てたころの話を、俺は聞いてる。同じ道を、息子に歩かせるんじゃねえ」
「……はい。肝に銘じます」
父さんが頭を下げると、ブラントさんは、そこで話を切った。
帰り道、父さんは、しばらく口をきかない。畑の霜が、足の下でさくさくと鳴る。
「分ける」
やがて、父さんが言った。
「やり方は、一緒に考えよう。俺も、母さんも、お前1人には背負わせねえ」
「うん」
「それと、昨夜の3枚だが。ちゃんとできてたぞ。きれいな線だった」
褒められたのか、念を押されたのか、分からなかった。けれど、隣を歩く父さんの歩幅が、昨日より少し、ゆっくりに感じられた。
霜を踏む音が、2人分、畑の道に続いていた。




