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デスマの果てに転生した俺の`ブラックシステムエンジニアの恩恵`が、異世界をホワイトに回す  作者: DAISAKA
第2章 引き継ぎと、灯りの消えない工房

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第26話 上から降ってくる納期

 八柱暦《はっちゅうれき》4101年11月14日、土の日(つちのひ)。霜の降りた朝、俺は新市街の大通りを歩いて、ロレンツィ商会ミルフェン支店の戸の前で、白い息を手のひらに吹きかけた。天秤の焼き印のある木箱が、入口の脇に積み上がっている。


 支店の奥の部屋で、ニナさんが机いっぱいに紙を広げていた。1枚だけではない。同じ題の下書きが、何枚も、書き直されては脇へ寄せられている。


「おはようございます、テオさん。まずは、これを見てください」


 いちばん上の紙には、『板の見分け方』と書いてあった。あの夜、父さんが“誰に、どう届くか”と言ったのを、俺は忘れていなかったし、ニナさんにも伝えてあった。あのあと父さんは、台所の卓で“配るなら、紙は1枚にしろ。長いと読まれねえ”と、一言だけ付け足した。


「規格の板と、根線の途中に細い所がない板の、見分け方。それから、なぜ細い所が要るのか。この2つだけにします」


 ニナさんは、鉛筆の尻で机をとんとんとつついた。唇が、わずかに尖っている。


「ただ、どう書いても、商会の売り込みに読めてしまうのです。うちの板だけが正しい、と言っているように見えます」

「写しの悪口は、書かないほうがいいと思います。見分け方と、理由だけ」

「ええ。修理店の方々が、自分の目で見て、自分で選べるように。……そのための紙ですから」


 ニナさんは、書きかけの1行に線を引いて消し、その下に書き直した。『この板には、ここに細い所があります。ここが、板と魔術具を守ります』。2度、3度と読み返し、ようやく小さくうなずく。


 配る枚数は、これまで板を置いてくれた8軒と、置いていない店を合わせて、20枚。墨紙の代金は、商会が持つ。数字の面は、ニナさんがあっという間に決めてしまった。


 俺の仕事は、図だった。強い力が流れたとき、根線の細い所が先に熱を持って切れる。その様子を、線を1本引いて、途中を細くして、切れたあとに小さなすき間を描いて見せる。3枚描いて、3枚とも、ニナさんに首を振られた。


「線が、きれいすぎます。修理店の方は、線の太さそのものを見ますから。もっと、実物の板に近い描き方でないと」


 4枚目では、実物の板の根線を、窓の光にかざして、見えるままに写した。ニナさんが、ようやくうなずいてくれる。


 墨紙に写す前の、最後の読み合わせをしながら、ニナさんが数字の話をした。写しに替えた3軒は、そのまま替えている。注文は、先週が14枚。戻ってはいないが、これ以上、減ってもいない。


「減っていないだけでも、いい知らせです」


 そう言うニナさんの声は、前より少しだけ、硬さが取れていた。数字が悪くならないと分かるだけで、人は息がしやすくなる。


 紙が出来上がったのは、昼の鐘の少し前だった。ニナさんが、墨の乾いた束を、胸に抱える。


「これを持って、回ります」


 2人で支店の前に出た。霜はもう溶けていて、大通りの石畳が、冬の日にぬれて光っている。


 そのとき、大通りから一本入った裏手へ、黒塗りの馬車が、ゆっくりと曲がっていくのが見えた。


 車体の戸に、歯車と炎を組んだ紋がある。見たことのない紋だった。


「あれは……」


 ニナさんが足を止める。


「本店に届く木箱の焼き印で、見たことがあります。王都の大工房のひとつの、紋です」


 馬車は、新市街の工房の前で停まった。黒い上着の男が降りてくる。それを待っていたように、工房の戸が開いて、太った男が走り出てきた。仕立てのよい上着の裾を乱して、馬車の前で、深く、長く、頭を下げる。


 黒い上着の男は、何も言わない。工房長らしいその人が頭を上げるのを、待ちもせずに、戸の中へ入っていく。工房長が慌ててそのあとを追い、戸は、静かに閉まった。


 夜になっても消えなかった王都の大工房の窓の灯りが、不意に頭をよぎった。


 昼の鐘が鳴ったあと、ニナさんは紙の束を抱えて、旧市街の修理店へ回りに行った。俺は手に2枚だけ、書き上がりの紙をもらって、新市街の路地を歩いた。行き先を決めていたわけではない。けれど気がつくと、足は、あの工房の裏へ向かっていた。


 ルッツには、来るな、と言われている。見つかれば、ルッツが怒鳴られる。だから、裏の路地の入口の、積まれた薪の影に身を寄せた。表の通りからも、工房の窓からも、見えない場所だ。


 黒塗りの馬車は、もう影も形もなかった。中庭からは、槌の音が聞こえる。かん、かん、かん。この間より、音の重なりが多い気がした。


 しばらくして、裏口が開いた。桶を提げて出てきたのは、ルッツだった。


 顔色が、悪かった。指には、また新しい水ぶくれができていて、目の下が黒ずみ、足取りが重い。井戸の縄に手をかけたところで、薪の影にいる俺に気づいて、動きが止まった。


「……来るなって、言ったろ」


 そう言いながら、ルッツは追い返しもしなかった。周りを見回して、誰もいないのを確かめると、井戸の縁に桶を置く。


「見つかってない?」

「大丈夫。ここは見えない」


 ルッツは、深く息を吐いた。それから、縄を引きながら、ぽつぽつと話しはじめた。


「年内に、王都の仕事が、急に来た」


 縄を引く手は止めない。声だけが、低く沈んでいる。


「今までは、夜に写しを作ってた。そこに、王都の仕事が乗る。……夜に作る分が、今までの倍になる」

「倍」

「親方は、断らねえ。断ったことが、一度もねえんだ」


 詳しいことは、ルッツは言わなかった。どんな仕事なのか、いつまでなのか、何枚なのか。俺も、聞かなかった。聞かれたくないことは、聞くものじゃない。


 桶に水が満ちる。ルッツは、水面に映った自分の顔を、ちらりと見て、すぐに目をそらした。


「一番下のやつが、熱を出した。今朝から、寝てる。……盆を持ってた、あのちびだ」


 12歳くらいの、あの子だ。赤く腫れた指を思い出す。


「そいつの分も、俺が刻む。しょうがねえ」


 しょうがない、という言葉が、胸に引っかかった。この世界では、きっと、いつもそう言われてきたのだ。


 俺はポケットから、折りたたんだ紙を出した。


「これ。町の修理店に配る紙なんだ。写しのことは、悪く書いてない。ただ、規格の板と見分ける所と、なぜ細い所が要るのか、だけ」


 ルッツは、濡れた手を前掛けでぬぐってから、紙を受け取った。広げる。目で、ゆっくりと文字を追っていく。唇が、声に出さずに動いた。


「……ここ、うちが抜いた所だ」


 図の中の、根線の途中の細い所を、ルッツは指さした。指先が、紙の上でかすかに震えている。


「分かりやすい絵だな。字も、まあ……読める」


 ルッツは、紙を折りたたんだ。そして、前掛けの胸のあたりに、そっと差し込む。


「もらっとく。親方に見つかったら、捨てるけどな」

「うん」


 それ以上、俺は何も言えなかった。言えることがなかった。手伝おうか、と言いかけた言葉は、喉の奥で形を失った。写しの板を刻む手伝いなんて、できるはずがない。できたとしても、それはルッツのためにはならない。


 ルッツは、俺の沈黙を、察したようだった。桶を持ち上げて、軽く肩をすくめる。


「お前に言っても、どうにもならねえのは分かってる。愚痴だ。忘れろ」


 それだけ言うと、重い桶を抱えて、裏口へ歩いていった。戸が開き、閉まる。戸が開いた一瞬、熱気と油の匂いが、路地へこぼれた。


 槌の音が、また、重なって聞こえはじめた。薪の影で、俺は、しばらく動けなかった。


 日が傾くころ、町外れの畑を抜けると、ブラントさんの古い平屋が見えてきた。戸を開けると、床板がぎしりと鳴る。畑のほうから、冬の土の匂いが入ってきた。


 ブラントさんは作業台の前で、虫めがねを目に当てて、回路板を見ていた。旧市街の肉屋から預かった、大型の冷蔵箱の板だという。期日は来週の末。ブラントさんは、できない仕事は受けない。だから、この店の仕事に、徹夜はない。俺が入ってきても、顔を上げない。いつものことだ。箒を取って、削りくずを集めはじめる。


 しばらく、床を掃く音と、針の先が板をつつく音だけが続いた。格子の影が、床の節目をひとつずつ越えて伸びていく。


「ブラントさん。聞いてもいいですか」

「手を動かしながらなら、聞く」


 箒を動かしたまま、俺は言った。


「新市街の工房に、王都の大工房の馬車が来ました。そのあと、知り合いの見習いが夜に作らされる分が、今までの倍になる、と言うんです。どういうことですか」


 針の音が、止まった。


 ブラントさんは、目から虫めがねを外した。それを置く手つきが、いつもより静かだった。


「その馬車の紋は」

「歯車と、炎です」

「……ああ」


 短く言って、ブラントさんは、しばらく窓の外を見ていた。畑の向こうに、新市街の煙突が、小さく並んでいる。


「それは、納期が降りてきたんだ」


 低い声だった。俺は箒を持つ手を止めた。


「大工房は、仕事を、下請けの工房に降ろす。下請けは、それを見習いに降ろす。上は、見積もりも聞かねえ。人手がいくつあるかも、聞かねえ。納期だけを書く。断れば、取引を切る。受ければ、一番下のやつが、寝る間を削る」


 ブラントさんは、ゆっくりと自分の手を見た。節くれだった、傷だらけの手だった。


「そういう書き方がある。……俺が、そう書いた」


 床板が、きしりと鳴った。外で、鳥が1羽、鋭く鳴いて飛び去った。


「20年ほど、大工房にいた。最後のほうは、設計主任だった。納期は上から降りてくる。俺は、それを下の工房へ降ろす側だった。断れねえ書き方を、俺が覚えて、俺が使った」


 話し方は、短く、ぼそぼそとしていた。言葉と言葉のあいだに、長い間があった。俺は、聞き返さなかった。


「戸口で寝てるガキが、毎晩いた。下請けの見習いだ。夜中に、それを起こして回るのが、俺の役目だった。起きろ、納期だ、とな」


 ブラントさんの喉が、一度、動いた。


「ある年の暮れだ。冬至祭の前に、納期が3つ重なった。製図台から、3晩、離れなかった。4日目の朝、気がついたら、天井を見てた」

「倒れた……んですか」

「3日、寝てたそうだ。目を覚ましたら、納期は、他の者が埋めてた」


 ブラントさんは、口の端をゆがめた。笑いではなかった。


「上は、穴は埋まった、と言った。それだけだ。納期そのものを見直した奴は、1人もいねえ。……それで、辞めた」


 俺は、箒の柄を握りなおした。冷たい机の天板が額に当たった感触を、思い出していた。夜中の事務所で、画面の光だけが白く揺れていた。誰も、その夜のことを、数えてはくれなかった。


「町外れに店を持った。数えられる仕事だけを、受けることにした。人の手で、期日までに、できる分だけだ」


 それから、ブラントさんは、俺のほうを向いた。


「小僧。下の連中が寝る間を削って、納期を守る。そうすると、上は、守れる、と知る。次は、もっと降ってくる。そういう仕組みだ。誰か1人が頑張るほど、仕組みは、頑張るのを当てにする」

「どうすれば、止まるんですか」

「止まらねえ。納期を飲む奴がいるうちはな」


 きっぱりと言われて、俺は唇をかんだ。ブラントさんは、少しだけ声を和らげた。


「納期は、数だ。人の数かける日の数が、仕事の量に足りねえなら、それは納期じゃねえ。願いだ」


 願い。


「願いを、数字の顔で降ろす奴がいる。それだけのことだ。数え直せば、ばれる」

「数え直す……」

「3つ要る。人の数。日の数。仕事1つにかかる手間。手間は、見習い本人の手で測らせろ。上が言った手間じゃねえ。測って、掛けて、足りなけりゃ、足りねえと書け」


 ブラントさんは、人差し指で、作業台をこつんと突いた。


「紙にだ。口で言うな。口は、握りつぶされる」


 俺は、懐から、折りたたんだ紙を出した。ルッツに1枚渡して、もう1枚、ニナさんにもらっておいたものだ。


「町の修理店に配る紙を、作りました。規格の板と写しの、見分け方です。父さんが、誰に、どう届くか、と言ったので」


 ブラントさんは、受け取って、目を通した。虫めがねを使わなくても、読める大きさの字だ。


「紙は使う側に届けろ。それでいい」


 読み終えて、紙を返してくる。


「紙は紙で、いい。だが、あっちが要るのは、見分け方じゃねえ。自分たちの仕事の量を数える方法だ」

「……はい」

「数えさせたきゃ、数え方を渡せ。本人にだ」


 ブラントさんは、また虫めがねを目に当てて、板に向きなおった。


「お前の得意だろう。手順書は」


 それきり、ブラントさんは何も言わなかった。針の先が、また板をつつきはじめる。俺は削りくずを集めきって、箒を壁に立てかけた。窓の外では、日がずいぶん低くなっていた。


「ブラントさん」

「……なんだ」

「ありがとうございました」


 返事はなかった。代わりに、針の音が、一度だけ止まった。


「小僧」

「はい」

「お前は、倒れるな」


 背中を向けたままの、ぶっきらぼうな声だった。虫めがねの向こうで、ブラントさんがどんな顔をしているのかは、見えない。


「約束しろ」

「はい。約束します」

「ふん」


 鼻を鳴らす音が、した。それから、いつもの調子で言った。


「日が暮れる前に帰れ」


 深く頭を下げて、店を出た。戸を閉めると、床板の鳴る音が、背中の後ろで小さく途切れた。


 町外れの畑は、夕方の冷えで、また霜を結びはじめていた。踏み固められた道を、旧市街のほうへ歩く。遠くの空に、新市街の灯りが、ぽつり、ぽつりと見えはじめている。その窓のどれかの奥で、ルッツが今、刻んでいるのかもしれなかった。


 探さない、と決めて、前を向いた。


 歩きながら、俺は指を折った。人の数。日の数。仕事1つにかかる手間。ブラントさんの言った3つだ。ルッツたちの工房の見習いは、何人いるのだろう。年内に、あと何日あるのだろう。1枚を刻むのに、本人の手では、どのくらいかかるのだろう。何も分からない。分からないから、数えられない。数えられないものは、最初から、誰にも見えない。


 手順書は、俺の得意だ。そう言われたことが、少しだけ、足を軽くしていた。


 けれど、ルッツに数え方を渡すには、ルッツに会う理由が要る。来るな、と言われた路地へ、また立ち入る理由が。


 畑の端まで来ると、夕の鐘が鳴りはじめた。旧市街の屋根が、鐘の音の下で、橙色に染まっている。


 鐘の音は、屋根の上に、ひとつずつ数を重ねていった。


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