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デスマの果てに転生した俺の`ブラックシステムエンジニアの恩恵`が、異世界をホワイトに回す  作者: DAISAKA
第2章 引き継ぎと、灯りの消えない工房

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第24話 名前の載らない報告書

 八柱暦《はっちゅうれき》4101年7月18日、闇の日(やみのひ)。朝の鐘から半刻ほどたって、夏草の匂いのする街道を上り、出張所に着いた。父さんとは、行くのは奥の部屋までで、ダンジョンには近づかず、日暮れ前に帰る、と約束してある。闇の日は役所が休みなので、母さんも一緒だった。


 奥の部屋には長い机が1つあって、紙の束が積んであった。先に来ていたニナさんが、机の端で帳面を開いている。ヨナスさんは、袖で額をぬぐいながら、束を机の真ん中へ押し出した。


「下書きです。ええと、まだ、直したい所だらけなんですが」


 いちばん上の紙に、『依頼のあつかいの改め方 ミルフェン支部の報告』と大きく書いてある。丸みのある、ヨナスさんの字だ。この束は、夜に書いたものではない。ケストナーさんが、勤めの時間のうちにやる仕事として、ヨナスさんに割り当てた。母さんが台帳の書き方を、ニナさんが数字を、俺が読む側の目を受け持つ。その分も、6月に出た正式な依頼になっている。報酬は800ディル、預かり印はもう押してある。


「じゃあ、読もうか」


 母さんが束の端をそろえる。俺は手を挙げた。


「ほかの土地の、何も知らない人になったつもりで読んでみます」


 ページをめくる。最初は『困りごと』だった。掲示板に穴があいたように抜ける依頼、払われない報酬、戻らない冒険者。あの秋から俺たちが見てきたものが、短い文で並んでいる。次の『改めたもの』には、依頼票、危険度の札、場所の帳面、貸出品の係、戻りの予定の板が、1つずつ、絵と一緒に出てくる。板の絵には、白墨の行まで丁寧に写してあって、名前の欄はない。その次が、ニナさんの作った表だった。罫線は定規で引いたように整っていて、12月から6月までの数が、縦に並ぶ。


 依頼票は、280枚あまり。報酬の揉め事は、月に数件からなし。受け手のない依頼は、月5件前後から1件。戻りの予定を過ぎたのは9組で、探しに出たのは1組だけ。貸出品の修理は、係を決める前の半年は月に6個ほどだったのが、5月に2個、6月に1個。試す前の数は、ヨナスさんの覚えをたどって拾ったもので、表の端に『目安』と書き添えてある。


「ここ、いい表ですね」


 そう言うと、ニナさんは帳面で顔を半分隠した。


「数字は、嘘をつきませんから。……見やすいなら、よかったです」


 読み進めて、俺は2か所で手を止めた。1つは、札のところだ。


「『場1・深1・魔1・季0で、合計3』とあります。でも、どの場所なら場が1になるのか、例が1つもありません。初めて見る人は、どう数えるのか分からないと思います」


 ヨナスさんが、あ、と声を出した。母さんが“たしかに、私も最初は数え間違えたね”と、横から鉛筆で丸をつける。もう1つは、貸出品のところだ。


「『係』と『当番』が、別の役だと、どこにも書いてありません。名前が似ているので、同じ人の呼び方が2つあるように読めてしまいます」


 しばらく紙を見つめてから、ヨナスさんは鉛筆の尻でこめかみを押さえた。


「僕たちには、当たり前になってしまっていて。5月12日の、あの横穴の1行を、例に使いませんか。名前は伏せて、札の数え方を最初から追う形で」

「お願いします」


 頭を下げた俺の前で、ヨナスさんは新しい紙を引き寄せて、鉛筆を走らせた。札の4つの項目を1行ずつ書き、なぜその数になったのかを、横に一言ずつ添えていく。書きながら、ときどき母さんの顔を見て確かめる。母さんは“そう、それで合ってる”とうなずいた。字は丸いまま、行の頭がそろっていく。見ていた俺は、最初に出張所の机を見た日のことを思い出した。あのころは、依頼が全部、ヨナスさんの頭の中にあった。


 書き終えるのを待って、俺は聞いた。


「ほかの支部の人が、ヨナスさんに聞かないで、始められますか」


 鉛筆を動かしていた手が止まる。少し黙ってから、ヨナスさんは困ったように笑った。


「……聞かれたら、僕、答えてしまいますね。それじゃ、だめなんですね。紙が答えるようにしないと」


 母さんが、写しの書式を台帳の書き方に整えていく。ニナさんは、表の数字を清書しながら、ふと顔を上げた。


「商会の便は、月末に出ます。まだ10日以上ありますから、間に合います」


 昼の鐘が鳴って、半刻ほどたったころ、ケストナーさんが奥の部屋に入ってきた。背の高い人が戸口をくぐると、部屋が少し狭くなる。書き直しは、ちょうど終わったところだった。両手で差し出された束を、事務長は受け取って、立ったまま読みはじめた。


 誰も、口をきかなかった。紙をめくる音だけが、規則正しく続く。窓の外では、冒険者たちの足音と荷車の車輪の音が行き来していた。ヨナスさんは、額に汗が浮いているのに、袖でぬぐおうとしてやめ、その手を膝の上で握りしめている。ニナさんは帳面を閉じたまま、母さんは机の上で指を組んでいた。俺は、自分が書いたわけでもないのに、息をひそめていた。


 ケストナーさんの指が、1枚の上で止まった。ヨナスさんが、さっき書き足した例の頁だ。名前を伏せた、5月12日の横穴の1行が、札の数え方と一緒に並んでいる。


「この例は、いい。誰の考えだ」

「テオくんが、読む人の側から見て、足りないと」


 事務長の目が、一瞬だけ俺に向いた。何も言わずに、頁をめくる。


 最後の1枚を読み終えて、ケストナーさんは束を机に置いた。


「3つ聞く」

「はい」


 声が裏返りかけたヨナスさんに、事務長は低い声で続けた。


「まず。ヨナスのいない日でも、回るか」

「先月、僕が1日休んだ日も、回りました。ブルーノさんと先輩だけで、板も帳面も、いつもどおりに」


 言ってから、ヨナスさんは自分でも驚いたように瞬きをした。休めた、という話を、こんなふうにさらりと言えるようになったのだ。ケストナーさんは、そうか、とだけ答えた。


「次。費用は」


 ニナさんが立ち上がって、帳面を開いた。


「仕組みづくりの依頼の報酬は、4件で合わせて3,000ディルです。紙代と板の代金は、実費でかかりました。板の代金は、修理の約束の額より、少なく済みます」

「分かった。最後だ。本部に出して、何を望む」


 ヨナスさんは、天井を見上げて答えを探した。


「ほかの支部に、同じ困りごとがあれば、と思います。僕たちは、ここまで来るのに、3年近くかかりました。ほかの所は、半年で始められるように」


 ケストナーさんは、すぐには答えなかった。窓の外の足音が、1つ、2つと通り過ぎる。やがて、短く言った。


「本部へ出す。支部の正式な書類として、私が署名する」


 息を飲む音が、ヨナスさんの喉で鳴った。


「……えっ」

「君の書いたものだ。驚くことはない」


 ヨナスさんの肩から力が抜けた。母さんが小さく笑い、ニナさんは、そっと帳面を持ち直した。


「あの」


 ニナさんが手を挙げる。


「共和国へは、商会の荷便が月末に出ます。本店のある町を通りますし、ギルド本部の近くまで行く荷もあります。私が言い出していいのか、迷ったのですが」

「頼もう」


 ケストナーさんは、指を折るようにして決めていった。


「書類は、支部の封をして、私の署名で出す。商会には、運ぶことだけを頼む。運び賃は、ギルドが票を切って払う。本部に着いたら、受け取りの控えを持ち帰ってくれ。書類の写しは、支部に残す」


 ニナさんが頭を下げた。


「商会の名で、お受けします」


 最後の頁をめくって、ヨナスさんが確かめるように読み上げる。


「末尾は、こうなっています。『作成 ミルフェン支部 ヨナス・ケラー 確認 事務長』。その下に、『協力 ラングナー魔術具修理店 ロレンツィ商会ミルフェン支店』」


 ニナさんの耳が、みるみる赤くなった。帳面で顔を半分隠して、早口で言う。


「……仕事の記録として、当然のことです」


 母さんが、うれしそうに目を細めた。うちの店の名前も、ここに載るのだ。父さんに話したら、何と言うだろう。


 そのとき、ヨナスさんが、俺のほうを向いた。


「テオくんの名前を、書かせてください。この仕組みは、テオくんがいなければ、できなかったんです」

「書かなくていいです」


 自分でも、はっきりした声が出た。


「名前が書いてあると、僕がいないとできない仕組みに見えます。ほかの支部の人たちには、自分たちの仕組みとして始めてほしいんです」


 前世の俺の仕事には、いつも俺の名前が付いていた。あれは、誰も代わってくれない、という印でもあった。


 ケストナーさんが、俺をまっすぐに見た。


「それでいいのか」

「はい。店の名前は載ります。それで、足ります」


 事務長は、ゆっくりとうなずいた。ヨナスさんは何か言いかけて、結局、唇を結んだまま、鉛筆の尻を握りなおした。


 それから、ケストナーさんは墨を含ませた筆を取り、末尾の空いた所に自分の名前を書いた。太くて、角ばった字だ。続けて、懐から支部の印を出し、束のとじ目に押す。朱の跡が、紙にくっきりと残った。ヨナスさんは、それを食い入るように見つめている。3年近くかけて、頭の中から紙の上へ出てきたものが、今ここで、ギルドの書類になった。


 日が傾きはじめるまでには、まだ間があった。直した束を封筒に収めて、母さんとニナさんが帳面を片づけていると、受付のほうで、戸の開く音がした。


 奥の部屋の戸口から、そっとのぞく。入ってきたのは、灰色の前掛けをした30代くらいの男の人だった。あの人だ、と思った。去年の夏、うちの店の窓の外から、見本の板を長いあいだ見ていた人。値段だけ聞いて、帰っていった人だ。


「貸出品の修理を、引き取りに参りました」


 丁寧な、よく通る声だった。月の半ばの闇の日は、新市街の工房から使いが来る日だと、ヨナスさんから聞いたことがある。町が休む日にも、あの工房の人は動いているらしい。


 ヨナスさんが、貸出品のかごを、カウンターの上へ持ってきた。あの秋、同じかごには、壊れかけの灯りが山になって投げこまれていた。今、かごの底には、筒が1つだけ転がっている。外板に細いひびが走った、合図具(あいずぐ)だった。


「今月は、これだけです」


 男は、かごの中を見たまま、動かなかった。しばらくして、ヨナスさんが底の蓋を開けてみせる。根線の脇に二重の線が走り、その奥に、見慣れた板が収まっていた。外板が割れても、中は無傷のままだ。男の目が、その板の上で、一度だけ止まった。


 それから、男の顔が、ゆっくりとこちらへ向いた。俺と目が合う。男は何も言わなかった。丁寧な顔のまま、目だけが、笑っていない。


「少し、話がある」


 奥から出てきたケストナーさんが、男に声をかけた。


「外で話そう」


 2人は出張所の戸口を出ていった。奥の部屋の戸口から、俺は外の様子だけを見ていた。明るい日射しの下、詰め所との間の砂地に、背の高い事務長と、灰色の前掛けの男が向かい合って立っている。ケストナーさんは、腕を組んだまま、短く話した。長い言葉ではないようだった。男の背中が、ゆっくりと固くなる。それでも、うなずくのが見えた。1度、2度。


 話は、茶を1杯飲むほども続かなかった。男は軽く頭を下げて、割れた合図具の筒を受け取ると、坂を下りていった。灰色の前掛けが、夏の道の向こうで、小さくなる。


 ケストナーさんは、奥の部屋へ戻ってきた。そして、ヨナスさんに告げた。


「貸出品の修理の年の約束は、7月で終わりにする。壊れた分は、その都度、票で頼む。報告書の修理の数を見て、決めたことだ。使っていない約束に、決まった額は払えない。使いの者には、先にそれだけ伝えた。正式には、近いうちに私が工房へ出向いて、工房長に書面で告げる。工房が票を受けるかは、あちら次第だ」


 ヨナスさんは、はい、と答えて、袖で額をぬぐった。ほっとしているようにも、気の毒がっているようにも見えた。


 筋は通っている。誰も悪いことはしていない。けれど、胸の奥に、小さな重いものが沈んだ。壊れない灯りは、誰かの仕事を減らす。


 あの秋、灯りが消えて、相棒を割れ目の手前に残してきた少年の顔を、思い出した。あの子のような目に遭う人を減らしたくて入れた線が、今日、誰かの仕事を減らした。それでも、元に戻す気には、どうしてもならなかった。


 母さんが、後ろでそっと俺の肩に手を置いた。何も言わずに、小さくうなずく。俺はうなずき返して、戸口の向こうの坂道を、もう一度見た。


 日が傾く前に出張所を出て、母さんと並んで坂を下りた。家に着いたのは、夕の鐘が鳴り終わるころだった。2階の台所に、夏野菜のスープの匂いが広がっていた。父さんは先に卓についていて、リリが皿を運んでいる。


 スープを半分ほど食べたところで、母さんが、報告書の話をした。ケストナーさんが署名したこと。共和国のギルド本部へ送られること。末尾の協力先に、ラングナー魔術具修理店の名が書いてあること。


 父さんは、スプーンを持ったまま、しばらく黙っていた。それから、低い声で言った。


「……そうか」


 湯のみを持ち上げて、ゆっくりと茶をすする。ひと口、ふた口。湯のみを置いたとき、耳の先が少し赤くなっているのを、俺は見てしまった。


「うちの名前が、本部の紙にか」

「そう。商会の名前と並んでね」

「ブラントさんにも、言っとかねえと」


 父さんはそれきり、黙々とパンをちぎった。口の端が、わずかに上がっている。母さんが、俺と目を合わせて笑った。


 リリが、スプーンをくわえたまま、首をかしげた。


「ねえ。テオ兄の名前は?」

「載らない」

「なんで?」


 リリの「なんで?」は、ごまかしがきかない。俺は、皿の縁を指でなぞってから、答えた。


「名前がなくても、誰でも使える形にしたいから。僕の名前が書いてあると、僕がいないとできないみたいだろ」


 リリは、スープの中の豆をつつきながら、しばらく考えていた。それから、顔を上げた。


「でも、テオ兄が作ったのは、変わらないよね」

「……うん。それは、変わらない」

「じゃあ、リリが覚えとく」


 当たり前のように言って、リリは豆を口に入れた。母さんが吹き出し、父さんが咳をするふりをして、湯のみで顔を隠した。俺は、スープを飲むふりをして、しばらく顔を上げられなかった。


 窓の外は、夏の長い夕焼けの色をしていた。卓の上の灯りは、いつもの明るさで、ちらつきもせずに、4人の影を壁に映している。


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