第21話 番号のついた依頼票
八柱暦4100年12月9日、風の日。年の瀬が近づいて、店は朝からせわしなかった。壁の仕分け板には受付票がぎっしり並び、戸口の客に急かされても、父さんは票を指でたどって“この手あぶりは、明日の昼だ。それより早くは無理だな”と落ち着いて答えている。3年前の父さんなら、ここで“明日には”と請け合ってしまっていたはずだ。
昼すぎ、ニナさんが連れてきた商会の人足が木箱を下ろして帰り、いつもの10個を数え終えた。それでも帰らずに、作業台の端で帳面を開いている。今日は、約束の日だった。夕方近く、表の戸が開いて、母さんが早めに帰ってきた。
「ただいま。やっと、台帳の締めが終わったよ」
上着も脱がずに作業台のほうへ来て、母さんは肩をぐるりと回した。目の下に、うっすら疲れが残っている。10月に相談したとき、母さんは“12月になれば動けるよ”と言った。それから秋のあいだ、毎晩のように役所の机で、税の帳面と向き合っていたのだ。
「お疲れさまです、ラングナーさん」
立ち上がって頭を下げたニナさんに、母さんは笑って手を振った。
「ラングナーさんだと、ハンスと同じになっちゃうね。マルタでいいよ」
「では、マルタさん。お時間をいただいて、ありがとうございます」
作業台の道具をよけて、母さんとニナさんの席を作った。10月に出張所で見たことを、順に話す。掲示板に、紙のないくぎ穴が7つあったこと。依頼を受けた人の名前が、紙の隅と職員の記憶にしか残っていないこと。『入口付近』の札が、前に似た依頼があったから、という記憶で決められていること。報酬は仕事のあとで依頼主から受け取る決まりで、受け付けるときには何も預かっていないこと。
「ヨナスさん……出張所の職員さんはね、毎晩、暗くなってから、その日に受けた依頼を、帳面に移してるんだって」
母さんの眉が、ぴくりと動いた。
「毎晩? 暗くなってから?」
「うん。それでも、全部は残せないって」
案なら、もう頭の中にいくつかある。けれど、先に口にするのはやめた。出張所を毎日見ているのは、俺ではない。一人で持っていけば早いけれど、一人で抱え込まないと決めたのだ。
「いちばん困ってることも聞いたんだ。紙がどこへ行ったか分からなくなること。それと、覚えてなかったら、誰にも調べられなくなること、だって」
母さんは黙って立ち上がり、壁の仕分け板から受付票を1枚外して、作業台に置いた。『修理中』の列にあった、手あぶりの票だ。右上に番号が書いてあって、同じ番号の控えは、客の手元にある。
「この紙は、品物と一緒に動くでしょ。『まだ』から『修理中』、それから『済み』へ。どこにあるかは、板を見れば分かる」
「うん」
「出張所の紙は、貼ったら動かないんだね。貼り出したあとで、受けられたのか、はがれたのか、取り下げられたのか、紙のどこにも書いてない」
鉛筆を取って、母さんは票の余白に、細長い欄をひとつ描いた。
「だったら、紙に状態の欄を作るの。『掲示中』『受注』『完了』『取り下げ』。それを、番号順にとじておく。貼ってある紙が見当たらなくなっても、番号で引けば、今どうなってるかが分かるでしょ」
7つの穴が、頭に浮かんだ。あの穴にあった紙が何だったのか、番号があれば調べられる。
「それなら、お金のほうは、私から」
帳面をめくって、ニナさんは鉛筆の先で、ある行をとんとんとたたいた。
「商会では、注文を受けるときに、手付をいただきます。品物が動く前にお金が動いていれば、払う、払わないの話になりません。出張所でも、依頼を受け付けるときに、報酬を先に預かってはどうでしょうか」
「預かる?」
聞き返す母さんに、ニナさんは大きくうなずいた。
「はい。依頼主が先にギルドへ預けて、仕事が終わったら冒険者へ渡す。買い取りのお金と混ざらないように、預かり帳を別に付けて、番号ごとに書きます」
そこでニナさんは帳面の端を指でつまんで、少し言いよどんだ。
「紙は、商会が仕入れます。代金は、あとでギルドに払っていただく形にしたいです。父にも、そう話しました。それに……うまくいけば、共和国のギルドにも見せられるかもしれません。これは、私の下心です」
最後のほうは声が小さくなって、耳がすっかり赤くなっていた。帳面が持ち上がって、顔の半分がかくれる。
「下心、いいじゃない。そのほうが、長く続くよ」
笑う母さんの声に、帳面の上から、ニナさんの目だけがこちらをのぞいた。
2人の案を、頭の中で重ねてみた。番号と状態の欄、先預かり。どちらも、紙に書く量が増える。毎晩書き写しているヨナスさんが、さらに忙しくなっては意味がない。
「書く量が増えるのが、心配なんだ。同じ内容を、依頼主用と、ギルド用と、冒険者用に、3回書くことになるから」
作業台の引き出しから、紙を3枚出して重ねる。
「間に、墨を塗った薄い紙を挟んだら、いちばん上に書くだけで、下の2枚にも写らないかな」
前世の言葉で言えば、複写式の伝票だ。はっと顔を上げたのは、ニナさんだった。
「墨紙ですね。商会の事務では、手紙の控えを取るのに使います。紙屋に言えば、すぐに仕入れられます」
「役所は、今も全部手で写してるよ」
苦笑いしながら、母さんは肩をすくめた。
「神殿から月に一度届く写しも、台帳に直すのも、ぜんぶ手。今度、窓口でも使えないか、言ってみようかな」
3人で、3枚の役目を決めた。いちばん上の1枚は冒険者用で、掲示板に貼る。2枚目はギルド用で、状態の欄を付けて、番号順にとじる。3枚目は依頼主用で、預かった印を押して渡す。
「冒険者の方が受けたら、貼ってある紙は、どうなりますか」
問われた母さんは、すぐに答えた。
「外して、受けた人が持っていく。だから、掲示板にはまた穴が空くね。でも、穴が空いても大丈夫。ギルド用のとじ込みに、同じ番号の紙が残ってて、『受注』って書いてあるから」
穴は、なくならない。けれど、その紙が何だったのかは、番号で分かる。それなら、困らない。
たたき台の清書は、母さんが引き受けてくれた。
「でも、これは私たちが考えただけだよ。使うのはヨナスさんでしょ。それと、もうひとつ、お金の話をしておくね」
母さんは、鉛筆を置いて、俺とニナさんの顔を順に見た。
「この仕事を、ただで引き受けたら、次も、その次も、ただで頼まれることになるよ。ギルドに、正式な依頼として頼んでもらいましょう。ヨナスさんの上の人にも、一緒に聞いてもらって」
「賛成です。商会も、仕事として頼まれたのでなければ、父に説明がつきません」
ニナさんが、きっぱりとうなずいた。返事をする前に、胸の奥が、ちくりとした。頼まれたことを、気持ちだけで引き受けて、気づけば自分の時間をぜんぶ差し出していた。前世で、嫌というほど覚えがある。ただで手伝うのが当たり前のように考えていた自分に、気づいたのだ。
「うん。僕も、そのほうがいいと思う」
「じゃあ、次の闇の日に、みんなで出張所へ行きましょう。ヨナスさんに、上の人も呼んでもらえるか、聞いておいてね」
「フィーネに頼んで、伝えてもらうよ」
「ハンスにも、店の名で受けていいか、話しておくね」
母さんは、いつも先に相手のことを考える。知らない所で決めたくない、とヨナスさんに言った俺の気持ちを、覚えていてくれたのだ。
◇
4100年12月12日、闇の日。朝の街道は冷えて、吐く息が白かった。母さんとニナさんと3人で、北の岩山のふもとへ歩く。ダンジョンの入口まで来るのは久しぶりだと、母さんは言っていた。柵の前に着くと、母さんは小声で“思ったより、人が多いね”とつぶやいた。
戸口では、ヨナスさんが待っていてくれた。この日に行くことと、上の人にも来てほしいことは、前もってフィーネに頼んで、伝えてもらってあった。奥の机の横には、背の高い男の人が、腕を組んで立っている。灰色の髪を短く刈った、50歳くらいの人だ。ギルドのミルフェン支部の事務長で、ケストナーさんというそうだ。中年の女の職員が、ちらりとこちらを見る。素材の買い取りをしている人だ。
「ヨナスから話は聞いている。出張所の依頼の仕組みを、外の方と見直したい、と」
ケストナーさんの声は低くて、短い。母さんが一歩前に出て、頭を下げた。
「ラングナー魔術具修理店の、マルタと申します。息子のテオが、この出張所で見たことを、私たちに話してくれました。ただ、私たちは頼まれたわけではありません。仕事として、どう扱っていただけるのか、先に聞かせてください。考えた案は、ここにあります」
母さんが差し出したたたき台を、ケストナーさんは受け取り、腕をほどいて、黙って目を通した。ヨナスさんが袖で額をぬぐう音まで聞こえる、静かな間だった。それから、ふっと息を吐いた。
「率直だな。……正直に言えば、私も困っていた。出張所は、人手が足りないまま、仕事ばかりが増えている。直す手が欲しいが、ギルドの中には回せる者がいない」
そう言って、ヨナスさんのほうをちらりと見る。ヨナスさんは、袖で額をぬぐった。
「このたたき台の分も含めて、ギルドの依頼として、正式に頼もう。依頼の仕組みの見直しだ。受ける先は、ラングナー魔術具修理店と、ロレンツィ商会。試しが終わったら、900ディルを払う。続けるかどうかは、そのとき別に決める。紙代は、実費でギルドが持つ」
「ありがとうございます。商会の名で、お受けします。父の許しも、得てあります。……お金の分け方は、あとでマルタさんと、帳面をそろえて決めます」
ニナさんが、帳面を胸に抱えて、きびきびと頭を下げた。母さんも、それに続く。
「ラングナー店の名で、お受けします。主人も承知しています。作業は、役所の休みの日にさせていただきます」
「それでいい。運用のしかたは、ヨナスに任せる。現場の仕事は、現場の人間が決めるものだ」
ケストナーさんがそう言うと、ヨナスさんは、はっとしたように背すじを伸ばした。この依頼は、仕事だ。胸の奥のちくりが、すっと消えた。
カウンターの端を空けてもらい、ケストナーさんが返してくれたたたき台を、母さんが広げた。袖で額をぬぐいながら、ヨナスさんは1枚ずつ、ゆっくり読んでいく。俺は少し離れた椅子に座って、口を出さないことにした。今日は、聞く側だ。
「ええと……まず、場所の欄が小さいです。草むしりなら、どこの庭か、書ききれません」
「広げましょう。ほかには、ありますか」
「預かり印のない票は、貼らないことにします。……僕が、そう決めていいんですよね」
「もちろんです。決めるのは、出張所の方ですから」
うなずく母さんを見て、ヨナスさんは、ほっと息をついて続けた。
「今貼ってある依頼の方にも、預けに来ていただきます。来られなければ、いったん外します。冒険者の方が受けるときは、冒険者用に受付印を押して、ギルド用の状態の欄を『受注』に変えて、名前を書きます。終わったら、依頼主の方に、冒険者用の紙へ『済』と署名をもらってきてもらいます。それを受付で渡してもらえれば、その場で報酬をお渡しできます」
「取り下げは、どうしますか」
鉛筆を構えて、ニナさんが聞いた。
「依頼主用の紙を持ってきてもらって、受けた方がまだいなければ、預かったお金は全部お返しします。受けたあとに取り下げたい、という場合は……まだ決めていません。すみません」
「正直に言っていただけて、助かります」
帳面に何かを書きこんで、ニナさんは続けた。
「決まっていない所を、決まっていないと書いておけるのが、よい帳面です」
“じゃあ、試しに1枚、書いてみましょう”と母さんが言って、3枚の紙の間に墨紙を挟んだ。いちばん上の紙に、『荷物の運び出し 風の日の午後 報酬70ディル』と書きこむ。おそるおそる、ヨナスさんが紙の端を持ち上げた。
「あ……下の紙にも、写ってます。同じ字が」
2枚目にも、3枚目にも、黒い字が、くっきりと浮かんでいた。3枚を並べて、ヨナスさんは何度も見比べた。
預かり金の扱いは、ニナさんが説明した。預かったお金は、買い取りのお金とは別の袋に入れ、預かり帳に番号ごとに書く。毎日、日が暮れる前に、袋の中身と帳面を合わせる。
「合わせるのは、一人だと、間違いに気づけません。2人で数えるのが、いちばん確かです」
そのとき、奥の机から、先輩の職員が静かに歩いてきた。
「私と2人でできます。日が暮れる前なら、買い取りの帳場も落ち着いていますから」
「いいんですか」
驚いて振り返るヨナスさんに、先輩の職員は静かに言った。
「あなた一人に、持たせたくありませんから」
それだけ言うと、先輩の職員は、また自分の机に戻っていった。しばらく、ヨナスさんの口から言葉は出なかった。
「年内は、試しの期間にしたいです。15日から、始めてみたいです」
やがてヨナスさんがそう言うと、ケストナーさんが、腕を組んだまま口を開いた。
「いいだろう。今ある紙の書き直しは、ヨナス一人に任せない。手の空いた者を付ける」
「書き直しは、私たちも手伝います。紙は、ニナさんの商会から届くのね」
「はい。14日までに、100組、お届けします。代金は、あとで請求書を出します」
ケストナーさんは、うなずいて、もうひとつ付け加えた。
「この依頼の分も、最初の票にしてくれ。ギルドが先に預ける。それが決まりなら、ギルドが先に守らなくてはな」
ヨナスさんは、深くうなずいた。
3人の相談が、あっというまにまとまっていく。そのあいだ、俺はヨナスさんの横顔を見ていた。手が空いたところで、小さく聞く。
「ヨナスさん。毎晩の書き写しは、どうなりますか」
少し黙ってから、ヨナスさんは袖で額をぬぐって、ゆっくり答えた。
「……なくなります。そう、なりますね」
◇
4100年12月24日、闇の日。冬至祭を6日後に控えた町は、どこか浮き立って見えた。試しを始めて、9日がたつ。様子を見に、出張所へ来た。フィーネも、庭の草むしりの依頼を済ませて、昼すぎに戻るはずだ。
掲示板には、番号の付いた新しい紙が貼られていた。紙のない穴は、まだ少し残っている。けれど、消えた紙があっても、番号でとじ込みを引けば分かる。
「いらっしゃい、テオくん」
カウンターの向こうから、ヨナスさんが顔を上げた。袖で額をぬぐう手が、今日は動かない。
「始めた頃は、預けにいらした方の応対と、紙の書き直しで手いっぱいでした。でも、昨日は、日が暮れる前に、机を閉められました」
そう言って、照れたように笑った。
「何年ぶりかな。外が明るいうちに、片づけが終わったのは」
その笑顔は、10月に見たときより、ずっと軽く見えた。
とじ込みの一番前にあるのは『第1号』で、ケストナーさんの依頼の分だ。報酬は、ギルドが先に預けてくれた。受ける側の1枚は、母さんが預かっている、とヨナスさんが教えてくれた。
戸口が開いて、フィーネが大きな足音で入ってきた。腕に、折りたたんだ紙を持っている。
「ヨナさん、終わったよ! 庭の草、ぜんぶ抜いてきた」
紙は、冒険者用の1枚だった。右上に『第14号』と書いてあって、いちばん下の欄に、依頼主の署名と『済』の字がある。フィーネがカウンターに置くと、ヨナスさんは奥の棚からギルド用のとじ込みを引き出し、同じ番号の控えを開いた。状態の欄を『完了』に書き換えて、預かり帳の同じ番号の行を、指でなぞる。
「確かに。90ディルです」
袋から出したお金が、フィーネの手のひらに、数えながら置かれていく。数え終わらないうちに、フィーネが声を上げた。
「もらえた! その場で!」
「はい、その場で」
「11月の市の日に、おじいさんが払ってくれたときは、何週間も待ったのにさ」
フィーネは、手のひらのお金をじっと見つめてから、ぎゅっと握りこんだ。ヨナスさんは、冒険者用の紙に『支払い済み』の印を押して、フィーネに返した。フィーネは、その紙を大事そうに2つに折って、腰の袋にしまった。
「ヨナさん、これ、いいね。気持ちいいよ」
「ありがとうございます。……僕も、そう思います」
その声が、少し震えた。
そこへ、冬の上着の襟を立てた男の人が、帽子を取りながら入ってきた。町の通りで店を開いている人らしい。
「初めて頼むんだが、屋根の雨どいの掃除は、お願いできるかい」
「ありがとうございます。では、こちらで」
3枚重ねの票を、ヨナスさんが取り出した。間に、薄い墨紙が挟んである。いちばん上に、番号と内容と報酬を書きこむ。ペンを動かすのは、一度だけだ。男の人から報酬を預かると、預かり帳に番号と金額を書いて、預かり印を押した。いちばん下の1枚は、依頼主用として渡す。男の人の手の中の控えにも、同じ字が黒くはっきり写っていた。
「これを、なくさないでくださいね。取り下げるときも、終わったときも、必要になりますから」
「ほう、ちゃんとした紙だな」
男の人は、控えを丁寧に畳んで、懐にしまった。2枚目をギルド用のとじ込みに加え、いちばん上の1枚を、ヨナスさんは掲示板の空いた穴にくぎで留める。
ふと、掲示板の隅の、日に焼けた紙が目に入った。『旧市街の溝さらい』。紙の右上には、『第3号』と番号が付いている。預かり印も押してある。旧市街の人たちが、お金を預けに来たのだ。ただ、受けた人の名前の欄は、まだ空白のままだ。
「あれは、まだですね」
紙のほうに目をやって、ヨナスさんは静かに言った。
日が傾きはじめると、先輩の職員が、お金の入った袋と預かり帳を、カウンターへ運んできた。2人は並んで座り、袋の中身を数えていく。帳面の数字と、指で押さえた硬貨の数が、ぴたりと合った。
「合いました」
先輩の職員が、そっと帳面を閉じた。頭を下げて、ヨナスさんはうなずいた。まだ外は明るかった。
窓から入る冬の光が、掲示板に貼られた番号の付いた紙を、いくつも照らしている。




