第18話 手順書は、自分のためじゃない
八柱暦4100年3月9日、風の日。朝いちばんに店の戸を開けると、壁に掛けた板の前で、父さんが腕を組んで立っていた。注文の数と、作り終えた数を書く板だ。商会から戻ってきた品の直しに使う分が12枚、冒険者ギルドの出張所から、貸出品の携帯灯の替えに30枚。白い文字がずらりと並んで、作り終えた数の欄だけが、まだ空っぽだった。
「やっと来たな」
「来たね。今日から、少しずつ作っていこう」
父さんは短く笑って、自分の作業台へ向かった。こちらも椅子に手をかけたが、座るより先に、戸口から大きな声が飛びこんできた。
「テオ! 今日の地金は、この厚さで打っていいんだな?」
バルクのおじさんが、打ちたての鉄の見本を頭の上に掲げて立っていた。声が大きすぎて、棚の小さな部品まで震えている。受け取って親指と人差し指ではさみ、厚みを確かめた。
「昨日のより、ほんの少し厚くしてください。銅貨を1枚、地金の横に並べて、同じ厚さになれば十分です。型には、端をしっかり当ててから打つと、角がそろいます」
「おう、銅貨1枚だな! 分かった!」
おじさんが帰っていくのと入れ替わりに、父さんが小さな量り板を持って立ち上がった。
「テオ、量り板の三角の深さは、これでいいか」
差し出された板を、指の腹でなぞる。溝の底が、ほんの少し深い。
「中の量り板なら、もう少し浅くていいよ。銅貨1枚ぶんくらいで止めて」
「ここだな。分かった」
今度こそ座ろうと思った。台の上には、使い慣れた小さな鏨と、打ったばかりの本体の板が3枚、並べてある。ところが、腰を下ろしかけたところで、戸につけた鈴が鳴った。
毎週風の日に、ロレンツィ商会の故障品を持ってくるニナさんだ。うしろから、木箱を抱えた商会の人足がついてくる。ニナさんの脇には、いつもの帳面があった。
「おはようございます、テオさん。今週の分、10個です」
「ありがとうございます。いつもの棚に置いてください」
「それと、ギルドの30枚は、いつごろ納められますか。出張所から、私のところにも問い合わせが来ていて」
人足が木箱を棚に置いて出ていくと、ニナさんは帳面を開いて鉛筆を構えた。早く答えが欲しいらしく、少し身を乗り出している。1日に作れるのは8枚まで、修理の日もある。頭の中で数えて、答えた。
「修理の分も入れて、半月ください」
「半月ですね。日にちが分かれば、向こうも待ちやすいですから。そのとおり伝えます」
ニナさんは鉛筆を走らせ、ほっと息をついて帰っていった。
昼を過ぎると、ギルドの出張所の若い職員が、貸出品の携帯灯を1つ抱えてやってきた。
「受け金具を、うちで付けてみたいのですが、どこにどう付ければいいのでしょうか」
底の蓋を開けて、中を見せる。灯りの芯のすぐ横に、小さなくぼみが2つ並んでいる。
「この2つのくぼみに、金具の足を合わせます。向きは、爪の口が上です。強く押しこむと曲がるので、指で軽く当てて、まず鉛筆で印を付けてください」
職員は何度もうなずきながら、紙に書きつけた。途中で手が止まり、首をかしげる。
「爪の口が上、というのは、蓋を開けた側から見て、ですか。それとも底から」
「蓋を開けた側から見て、です。言葉だけだと、分かりにくいですね」
余白に携帯灯の絵を描いて、矢印を足して渡すと、職員の顔がやっと明るくなった。
それからも、声は途切れなかった。夕方近くには、父さんが銀ごての先を見せに来て、バルクのおじさんが、型の角が欠けたと戸口から怒鳴った。そのたびに椅子から立ち、答え、戻ってくる。気がつけば、テオと呼ばれた回数を、数えるのをやめていた。
日が傾いて窓の光が赤くなるころ、父さんが戸の札を『準備中』に返した。壁の板の前に立つ。作り終えた数の欄には、3と書いてある。俺が刻んだ板が2枚、父さんが1枚。8枚のつもりが、半分にもならなかった。
父さんが肩をぽんとたたいて、台所の方へ行った。台の上には、今日刻むつもりだった板が1枚、手つかずのまま残っている。
前世でも、こうだった。何でも自分に聞きに来て、自分がいないと、何も進まなかった。頼られるのはうれしい。けれどそれは、自分が倒れたら、全部が止まるということでもある。
◇
4100年3月14日、土の日。夕食のあと、2階の自分の部屋で、机の上の灯りを引き寄せた。昼間は聞かれてばかりで、量り板の図を描き直す暇がなかった。少しだけ、のつもりで、鉛筆を取った。
三角の溝を横から見た絵に、深さの目安を書き足していく。線を1本引くと次の線が気になって、また1本。下の柱時計が低い音で時を打ったのも、数えずに聞き流した。
戸が、きい、と音を立てて少し開いた。寝間着のリリが、すきまから顔だけ出している。
「テオ兄、9時すぎてる」
鉛筆が止まった。言われて初めて、さっき下から響いた音が9つだったと、遅れて気づいた。
「道具じゃないよ。鉛筆だよ」
苦しい言い訳だと、自分でも分かっていた。部屋に入ってきたリリが、机の脇から紙をのぞきこんだ。
「でもこれ、回路の絵じゃん。父さんが銀ごてを持ってなくても、夜に回路を見てたら、テオ兄、止めるでしょ」
返す言葉がなかった。9時を過ぎても図面を広げている父さんを止めてきたのは、ほかでもない俺だ。
「リリは見張り役だもん。テオ兄が夜ふかししてたら、すぐ言うって決めてるの。母さんに言いつけたら、明日は仕事なしだよ」
「待って、リリ」
あわてて鉛筆を置き、紙を裏返す。妹は腕を組んで、天井を見上げた。父さんが考えごとをするときと、そっくり同じ顔だ。やがて、ベッドの端に腰をかけて、足をぶらぶらさせながらこちらを向いた。
「今日は言わない。そのかわり、なんで夜までやるのか教えて」
ごまかそうとして、やめた。見張り役の相手に、うそは通らない。
「昼間、みんなが僕に聞きに来るんだ。父さんも、バルクのおじさんも、ギルドの人も。そのたびに手が止まって、自分の分が進まない。作り方の細かい所は、僕の頭の中にしかないから、僕がいないと、板が作れないんだ」
リリが、きょとんとした顔で首をかしげる。
「なんで?」
「なんでって、だから、僕に聞かないと分からないからだよ」
「じゃあ、テオ兄に聞かなくても作れるようにすればいいじゃん」
あまりに短く言われて、口が開いたまま止まった。足を揺らしながら、リリが続ける。
「リリ、受付票があるから、店の札のこと、テオ兄に聞かなくても分かるよ。テオ兄がいない日でも、ちゃんと回ってるし」
はっとして、裏返した紙から、リリの顔へ目を移した。受付票と仕分け板は、母さんと2人で作った仕組みだ。『まだ』『修理中』『済み』の3列に札を動かせば、品物がどこまで進んだかが、誰にでも分かる。俺が店にいなくても、毎日ちゃんと回っている。板の作り方も、同じにすればいい。みんなが聞きに来るのは、作り方が、俺の頭の中にしかないからだ。
廊下から、母さんの声が届いた。
「リリ、まだ起きてるの?」
戸の方へ顔を向けて、リリは澄ました声で答えた。
「テオ兄が、明日の昼間にやることを考えてただけ」
それから、こちらを振り向いて片目をつぶり、足音を立てずに出ていった。
戸が閉まる。灯りを消して、布団にもぐった。暗い天井を見ながら、紙に何をどの順番で書くかを、指を折って数える。明日の昼間にやることは、もう決まっていた。
◇
それから半月、昼のあいだは、紙を書くことに使った。父さんに頼んで、1日の半分だけ、注文の仕事から離れさせてもらったのだ。夜は、鉛筆にも触らない。決まりだから、書くのは昼だけだった。
書く紙は3枚。父さん向けに『線を刻む順番と、量り板の深さ』、バルクのおじさん向けに『地金の厚さと、型の当て方』、灯して確かめる係向けに『確かめ方と、だめな板の見分け方』。1枚の紙には、1つの仕事だけ。字は少なく、絵を大きく。たとえば線を刻む順番は、板の絵に1、2、3と番号を打って、その順に指でたどれば作れるようにした。
書き上げた紙は、本人に渡して、そのあとは一言もしゃべらない。決めたのは、それだけだ。手が止まったら、そこが、紙の足りない所。
ただ、黙って紙だけ押しつけたら、ただの無愛想だ。最初の紙を渡す前の日、店を閉めたあとで、父さんとバルクのおじさんとフィーネに集まってもらい、先に話しておいた。
「明日から、紙を1枚ずつ渡します。読んでも分からない所があったら、それは書いた僕が悪いんです。だから僕は横で見ているだけで、口を出しません。止まった所に印を付けて、あとで紙のほうを直します」
「聞いても、答えねえってことか」
バルクのおじさんが、太い眉を寄せた。
「はい。僕が答えたら、紙が直らないので。分からなくても、紙のとおりにやってみてください。それで間違えても、間違えたのは紙です」
父さんは腕を組んだまま、黙ってうなずいた。フィーネは“先生みたい”と笑った。
次の日の朝、店を開ける前に、父さんに紙を渡した。それから店の隅の丸椅子に座って、両手をひざの下に敷いた。口を出さないために、手まで押さえておく。父さんは紙を台に立てかけ、番号どおりに鏨と銀ごてを動かしていく。順調だった手が、量り板の所で、ぴたりと止まった。
紙には、『深さは銅貨1枚の厚さ』と書いてある。板の縁に指を当て、紙を見て、もう一度、板を見る。銅貨1枚分といっても、どこから測るのか。そこが、書いていない。“縁の面から”と言えば、1秒で終わる。口まで出かかった言葉を飲みこんで、手を出さずに、紙の端に小さく印を付けるだけにした。
独り言のような声が、ぽつりと落ちた。
「……どこから測るんだ、これは」
結局、父さんは自分の勘で刻んだ。出来は悪くなかったが、勘は勘だ。昼のうちに紙を書き直して、『板の縁の面から、銅貨1枚の厚さ』と書き足し、測る場所に矢印の絵と、銅貨を当てた絵を入れた。
次の日は、隣の鍛冶場で、バルクのおじさんに『地金の厚さと、型の当て方』を渡した。おじさんは紙を顔の前に広げて、しばらくじっと見つめ、それから、ぐるりと回した。
「おい、どっちが上だ」
こらえきれず、肩が揺れた。声は出さない。決まりだ。型の絵だけが大きく描いてあって、上も下も分からない。口を結んだまま鉛筆を出して、図の上のほうに『上』と書き足した。おじさんが腹を抱えて笑い、鍛冶場の壁がびりびりと震えた。
灯して確かめる紙は、フィーネに渡した。だめな板の絵を見くらべながら、最後まで手を止めずに進んだが、終わったところで“この絵、ちょっと薄くて見えにくいよ”と言った。その日のうちに、線を濃く引き直した。
何度か書き直すうちに、手が止まる所は、1つ、また1つと減っていった。最初の紙には、俺がつけた鉛筆の印が7つもあったのに、半月が終わるころには、どの紙にも1つも付かなくなった。
前世でも、手順書を書けと言われたことはあった。けれど、書く暇はなかったし、書いたとしても、自分が読み返すための、短い走り書きにしかならなかった。今度の紙は、自分のためじゃない。自分がいなくても、ほかの人が作れるようにするための紙だ。
仕上がった3枚は、それぞれの仕事場の壁に貼った。父さんとフィーネの紙は店の作業台の上に、おじさんの紙は鍛冶場の型の横に。窓の光を受けて、紙は白く見えた。
◇
4100年4月10日、水の日。この日、俺は朝から、町外れの畑の中にあるブラントさんの店にいた。板の仕事は、家の店にまかせてきた。壁の紙は、3枚とも貼ってある。あとは、あの紙が働いてくれるかどうかだ。
ブラントさんの店は、古い木造の平屋で、床板を踏むたびに音がする。この日の仕事は、畑の人が持ちこんだ、水を汲み上げる魔術具の直しだった。ブラントさんが歯車の軸を支え、俺が割れた止め金を新しいものに替える。
ねじ回しを握っても、手がときどき止まった。今ごろ、父さんは番号の順に刻んでいるだろうか。おじさんは、紙を上下逆に持っていないだろうか。3度目に手が止まったとき、ブラントさんが、軸を持ったまま顔を上げた。
「小僧、上の空なら帰れ。怪我をするぞ」
「帰りません。今日は、帰らないって決めたんです」
ブラントさんは、ふん、と鼻を鳴らした。それ以上は何も言わず、軸を持ち直した。止め金を締め直して、取っ手を回すと、器の中で、ごぼ、と音がして、水が上がり始めた。
夕方、日暮れ前に家へ帰ると、店の戸が開けっぱなしで、中から笑い声がした。作業台の上に、板が8枚、端をそろえて並んでいる。台の前に父さん、戸口の柱にバルクのおじさんがよりかかり、その隣にフィーネ。作業台の端では、リリがひじをついてのぞきこんでいた。
「テオ、おかえり! 全部、灯るか試したよ。振っても抜けなかった」
フィーネが元気に手を振る。バルクのおじさんも、腕を組んだまま胸を張った。
「うちの型で打った地金だ。悪いわけがねえ!」
荷物を置くのも忘れて、台に近づいた。まず、自分が作った見本の板を、試し用の携帯灯の受け金具に差す。かちり、と爪が入って、灯りがともった。その明るさを目に覚えさせてから、8枚を1枚ずつ、抜いては差していく。1枚、2枚、3枚。量り板の縁の刻みは、どれも中の数だ。灯りの色も、強さも、見本と変わらない。4枚、5枚、6枚、7枚。最後の1枚も、同じ明るさで灯った。
8枚とも、同じだった。
「紙のとおりにやっただけだ」
いつものようにぶっきらぼうに言って、父さんはそっぽを向いた。ただ、耳のあたりが少し赤い。
「テオ兄、いなくてもできたね」
リリが、わざと残念そうに言った。口の端が、持ち上がっている。
「うん。それが、いちばんうれしい」
ブラントさんの声を、思い出した。誰が組んでも同じ働き、だと? そんなうまい話があるか。その話が、目の前の台の上に、8枚並んでいる。俺のいない日に、俺の知らない手で作られた板が、見本と同じように灯った。
窓の外の空が、赤くなっていた。父さんが戸口へ行って、札を『準備中』に返す。木の札が、からりと音を立てて回った。作業台の上の8枚が、窓から入る赤い光を受けて、並んだまま静かに光っていた。




