第17話 量り紋を外に出す
八柱暦4100年1月10日、水の日。昼過ぎのラングナー魔術具修理店は、窓から差しこむ冬の光が作業台の端まで届いて、ほんのり暖かかった。台の上には布が広げてあり、真ん中に小さな金属の板が1枚、ぽつんと置いてある。親指の先から付け根くらいの四角い板で、端から細い爪が2本のぞいていた。
約束の時刻ちょうどに、戸の鈴が鳴った。深い緑色の上着を着たニナさんが、帳面を胸に抱えて入ってくる。こげ茶色の三つ編みが、肩の上ではずんだ。
「こんにちは、ラングナーさん。テオさんも。今日を、ずっと楽しみにしていました」
「いらっしゃい。まあ、見てやってくれ」
奥の作業台から顔を上げた父さんが、短く言って、手のひらで台を示した。
「まず、これを見てください」
俺は腰から携帯灯を外して、ニナさんの前に置いた。筒の底のふたを開けると、中に小さな金具が付いている。
「この中に、受け金具を一度だけ付けておきます。あとは、板を差しこむだけです」
台の上の板をつまみ、爪を受け金具の口に合わせて、ゆっくり押した。ぱちん、と小さな音がして、爪の根元のくぼみに押さえのばねが掛かる。その手応えを指で確かめるうちに、魔石から魔力が流れて、白い灯りがふっとともった。
身を乗り出したニナさんは、灯りを見つめたまま、ほうっと息をついた。琥珀色の目が、灯りを映してきらきらしている。
「触ってもいいですか」
「どうぞ。爪の横のばねを指で押さえれば、抜けます」
抜いた板を、ニナさんは両手で包むように持った。裏返して光にかざし、刻まれた線を指先でなぞっていく。魔力の入口になる太い根線、光に変える渦巻きの転じ紋、そのあいだに置いた、流す量を決める三角形の量り紋。髪の毛ほどに細い身代わり線と、脇を走るもう1本の線も、ひとつずつ数えている。
「どの工房の携帯灯にも付くんですね。受け金具の形さえ、そろっていれば」
「はい。そのために、受け金具の寸法を決めました」
板を台に戻すと、ニナさんは帳面に鉛筆を走らせた。それから顔を上げて、少し早口になる。
「冬に戻ってくる品は、携帯灯より、手あぶりと温水器のほうがずっと多いんです。これは、ほかの魔術具にも使えますか」
来た、と思った。引き出しから同じ形の板を2枚出して、台に並べる。
「熱に変える転じ紋を刻んだ板です。形も大きさも爪も、さっきのと同じです。まず、手あぶりで試します」
台の端には、手のひらほどの箱形の手あぶりが置いてある。受け金具は、もう中に付けてあった。板を差しこむと、ぱちん、と爪が掛かった。しばらくして、ニナさんがおそるおそる箱の表に手を当てる。
「あ、あったかい。両側とも、ちゃんと」
「次は、温水器です」
作業場の流しの蛇口の手前には、管に挟んだ金属の筒が取り付けてある。中の受け金具に、同じ熱の板を差した。蛇口をひねると、水が勢いよく出る。ニナさんが指を伸ばし、父さんも腕を組んで待った。けれど、水はいつまでたっても、ぬるいままだった。
「……冷たくはないですけど、お湯ではありません」
「温水器は、手あぶりよりずっと多くの魔力を流さないと、水が温まらないんです。流す量を決めるのは、この三角形です」
もう1枚、引き出しから板を出す。こちらは、量り紋の三角形を、さっきの倍ほどの大きさに刻んである。差し替えて蛇口をひねると、今度は、流れる水から白い湯気が立った。
「お湯です! 本当に、お湯になりました」
ニナさんの声が弾む。ここまでは、思ったとおりだ。問題は、この先だった。
「同じ板を、手あぶりに差したらどうなるかも、見てもらいます。危ないので、少し離れてください」
大きい三角形の板を、手あぶりに差しこむ。箱の表から、みるみる強い熱が立ちのぼって、手をかざすまでもなく伝わってくる。離れていたはずのニナさんが、思わず一歩下がった。持っていられる熱ではない。そのとき、ぷつり、と小さな音がして、熱がすうっと引いていった。
父さんが箱を取り上げ、板を抜いて、灯りにかざした。
「身代わり線が溶けてる。箱は無事だ。身代わりが、きっちり仕事をしたな」
それはいい。けれど、笑っていられない。手あぶりには小さな三角形、温水器には大きな三角形。三角形を板に刻みこんだままだと、魔術具ごとに、量の違う板を何種類も用意することになる。それでは、また工房ごとにばらばらだった、元の形に逆戻りだ。
帳面に、ニナさんが手あぶり、温水器、携帯灯と書き並べた。それぞれに別の板が要るとして、種類が増えたら、在庫がどうなるか。鉛筆が数字をたどっていく途中で、眉がだんだん寄ってきた。
「手あぶりに、温水器に、携帯灯。それぞれに大きさが何通りかあると考えると……」
「量だけが違うんなら、量だけ替えりゃいいんじゃねえのか」
父さんが、焼け跡のついた手あぶりを指でひっくり返しながら、ぼそりと言った。何気ない一言だった。
その瞬間、頭の中で、板の図がほどけた。三角形だけを、板から切り離せばいい。板は1種類のまま、量り紋だけを小さな別の板にして、差し替えられるようにする。前世でも、どこでも同じものを使い、違うところだけを外に書き出しておいたのだった。あれは、設定と呼ばれていた。
「父さん、それだ。ありがとう」
「何がだ」
父さんは、そっぽを向いて、鼻の頭をかいた。
◇
4100年1月20日、土の日。隣のバルクの鍛冶屋の戸を開けると、むっとする熱が顔に当たった。外は息が白いのに、鍛冶場の中は、炉の火のおかげで、上着を脱ぎたくなるほど暑い。
懐の革袋には、10日かけて作ったものが入っている。小指の爪ほどの小さな板で、量り紋の三角形だけが刻んである。三角形は小、中、大の3種類で、見分けられるように、縁に刻みを1つ、2つ、3つと入れた。手あぶりには小、携帯灯には中、温水器には大。この量り板を、本体の板に彫ったくぼみにはめこめば、板は1種類で足りる。はずだった。
この10日、店の作業台で、毎日、本体の板を切った。去年の誕生日に父さんがくれた、鏨の出番だ。俺の手に合わせて打ってもらった小さな鏨を、薄い金属の板に当てて、槌で軽く打つ。切り口を、父さんに借りた古い金やすりでならし、物差しを当てて、長さと幅を測る。
大きければ削り、削りすぎたら、その板は捨てる。1枚ごとに測り直して、ようやくそろったと思っても、光にかざして見比べると、髪の毛1本ほどの違いが残っていた。何度やっても、そうだった。日が暮れたら道具を置く決まりなので、続きはいつも、次の朝だった。
そのわずかな違いのせいで、量り板がきつくて入らない板があり、ゆるくてかたかた鳴る板もある。ゆるい板では、くぼみの中で量り板がずれて、魔力の量が安定しない。手で切っているかぎり、そろわない。
炉の前では、赤茶色の髪を後ろでひとつに束ねたフィーネが、ふいごを力いっぱい踏んでいた。
「テオ! どうしたの、難しい顔して」
「ちょっと、バルクのおじさんに見てもらいたいものがあって」
「おう、テオか。何を持ってきた」
金床の向こうから、大柄なバルクのおじさんが、丸太のような腕を拭きながら歩いてきた。革袋から出した本体の板を3枚、手のひらに並べて見せる。おじさんは、太い指で1枚をつまんで光にかざし、続けてもう1枚、もう1枚と見比べた。目つきが、さっきまでとまるで違う。
「ふん。大きさが、1枚ずつ違うな。それで、量り板の入りが悪いんだろう」
「はい。手で切っているので、どうしても」
「これは、型で打つもんだ」
板を指で弾くように持ち替えて、おじさんはあっさり言った。
「同じ形の鉄の型を、一度作ってしまえば、あとは何枚打っても同じ大きさになる。職人の腕の差も出ねえ。型を作るのには手間がかかるが、そこを惜しむと、あとで泣くことになる」
おじさんは、鍛冶場の奥の棚から、鉄のかたまりを2つ、重そうに抱えてきた。昔、小さな金具を作るのに使った型だという。台に置いた下の型には、金具の形のくぼみが彫ってある。そこに薄い板を1枚のせ、上の型を重ねて、あいだに板を挟んだ。
太い腕で槌を振り上げ、一度だけ、ごんと打ちおろす。上の型を持ち上げると、板は金具の形に抜けて、くぼみの中に収まっていた。ふちには、型の線のとおりの、鋭い角が立っている。同じことをもう一度やって、2枚の金具を重ねて見せてくれた。端が、ぴたりとそろった。
「どうだ。一度打てば、それで形が決まる」
「型って、焼き菓子の型みたいなもの?」
ふいごを踏みながら、フィーネが首をのばして言った。おじさんが、鍛冶場じゅうに響くような声で、がははと笑う。
「そのとおりだ。ただし、こっちは鉄だから、焼くのではなく打つ。菓子よりずっと重いぞ」
「焼き菓子と同じだと思えば、分かりやすいね。何枚でも、同じ形」
「おまえの頭は、食い物のことになると、すぐ回るな」
フィーネは、むっと口をとがらせたが、すぐに笑った。俺も、つられて笑った。
「型を作るのに、何日かかりますか」
「数日だな。炉の火を落とさずに、ちゃんと仕上げてやる」
「ありがとうございます。それで、お代は」
「商会の娘さんと話をつけてこい。俺は、鉄の値段しか分からん」
おじさんは、また豪快に笑って、俺の背中をばんと押した。
5日後、おじさんが打ってくれた試しの板が届いた。作業台の上に、20枚ほどの銀色の板が、ずらりと並んでいる。どの板にも、量り板をはめこむと、かちり、と気持ちよく音がして、ぴたりとはまった。きつすぎもせず、ゆるすぎもしない。
「ねえ、見て。重ねても、端がぴったりそろうよ」
隣から来たフィーネが、板を10枚ほど重ねて、横から指でなぞった。段差がひとつもない。ひとかたまりの金属の棒みたいだ。
「すごい。1枚ずつ打ったのに、全部同じなんて」
「型のおかげだよ。それと、バルクのおじさんの腕」
「うん。父さんには、あとで言っておく。きっと、顔を真っ赤にして喜ぶから」
◇
4100年2月5日、光の日。午後の作業台には、帳面を大きく広げたニナさんが座っていた。左手には、型で打った本体の板が1枚、右手には、量り板が3枚。小声で、何かをつぶやいている。
「地金が1枚あたり……型の代は、何百枚かで割れば、1枚あたりはわずかですね。魔導銀の量は、線の長さから見て……量り板は小さいけれど、刻むのに細かい手間がかかって……」
口の中で、数字が次々に出てくる。帳面を見返しもしない。前に本人から聞いた、`商の恩恵`の力らしい。父さんは向かいの椅子で、腕を組んだまま、そのつぶやきを、難しい顔で聞いている。数のことは、俺たち親子より、ニナさんのほうがずっと速い。
やがて、ニナさんは鉛筆を置いて、顔を上げた。
「出ました。お客さまに売るときの値段は、本体の板が1枚、銀貨2枚、200ディル。量り板は1枚、大銅貨3枚、30ディルです。そのうち、作っていただくこちらのお店には、本体の板1枚につき140ディル、量り板1枚につき20ディルをお支払いします。残りは、商会が運んで売るための分です」
「受け金具を付ける手間は、どうなりますか」
「それは、付ける修理店が、お客さまから別にいただく形にします。魔術具ごとに、付ける手間が違いますから。それでも、工房へ送り返して直すより、ずっと安くて早いはずです。送り返せば、往復だけでひと月以上かかって、運び賃もかかります。これなら、ひと月もかからず、運び賃も要りません」
帳面には、びっしりと数字が並んでいる。ひと月、運び賃、手間。ニナさんは、数字の列を、ひとつずつ指でなぞって見せてくれた。
「ありがとうございます。ただ……もう少し、安くできませんか。もっと安ければ、町じゅうの修理店に広まりやすいと思うんです」
眉を寄せて、ニナさんはゆっくり首を振った。
「安すぎると、続きません」
真剣な声だった。帳面を押さえた指に、少し力が入っている。
「安い値段で数を売ろうとすれば、作る人が夜なべをすることになります。ちゃんと日暮れに仕事を終えても、作る人が暮らしていける値段でないと、いずれ誰かが倒れます。父の支店でも、無理な値引きで、職人さんが身を削っていくのを、何度も見てきました」
はっとして、言葉が出なかった。
前世の俺も、安く、早く、と求められて、夜中まで働き続けた。誰も悪気があったわけではなく、ただ、値段がそう決まっていたのだ。作る人の暮らしが入っていない値段は、どこかで、人の体を削る。値段も、人を守る仕組みの一部だった。
「ニナさんの言うとおりです。その値段でお願いします」
俺は、頭を下げた。それから、顔を上げて、まっすぐに言った。
「安く売るだけでは、続かないんですね。ニナさんの考え方は、すごいと思います。僕には、ここまで考えられませんでした」
ニナさんは、耳まで赤くなって、帳面を持ち上げ、顔を隠した。琥珀色の目だけが、帳面の上から、そっとのぞいている。
「……父の受け売りです」
帳面の向こうの声は、いつもより、少しだけうれしそうだった。
それから、ニナさんは帳面を下ろして、まじめな顔で俺たちを見た。
「ひとつ、うかがってもいいですか。1日に、日暮れまでに、何枚作れますか」
俺は父さんと顔を見合わせた。店には、ロレンツィ商会から預かる故障品の修理が、週に10個まである。冒険者ギルドの貸出品の点検も、毎日のように入る。その合間に、型で打った板へ線を刻んでいくのだ。指を折って数えてから、答えた。
「2人で、1日に8枚くらいです。それ以上は、日が暮れてしまいます」
「夜までやりゃ、もう少しいくがな。うちは、やらねえ」
父さんが、短く付け足した。ニナさんは、その数を帳面にきっちり書きとめ、線を引いて、丸で囲んだ。
「分かりました。では、それを超える注文は、お受けしないことにします。お客さまには、待っていただきます。作る人が日暮れに帰れる数だけ売るのも、続けるための値段の一部ですから」
父さんが、ひと呼吸おいて、ぼそりと言った。
「うちの家の決まりと同じだな。日が暮れたら、仕事はおしまい、ってやつだ」
窓の外では、昼の光が少しずつ傾いていく。作業台の上には、型で打った本体の板が1枚と、縁の刻みが1つ、2つ、3つと違う、3枚の量り板が、仲良く並んでいた。




