第16話 どれにでも付く部品
八柱暦4099年11月15日、風の日。朝の鐘が鳴り終わるころ、店の前で荷車の止まる音がして、戸の鈴がちりんと鳴った。入ってきたのは、深い緑色の上着を着たニナさんと、木箱をかかえた商会の人足さんが2人。こげ茶色の三つ編みが、外の冷たい風にあおられて少しほつれている。
「おはようございます。今週の分を持ってまいりました」
「おはようございます、ニナさん。そこの台にお願いします」
返事をしながら、受付票の束を引き寄せた。木箱が台に並ぶと、父さんも作業場から手をふきながら出てきて、いちばん上の箱の蓋を開ける。
この手順にも、ひと月でもうすっかり慣れた。箱から品物が出るたびに、俺が受付票へ番号を書いて札を結び、父さんが回路板の形と魔石台の大きさを見て、急ぎの品から順に、仕分け板の『まだ』の列へ札を差していく。携帯灯、手あぶり、温水器の筒、冷蔵箱の回路板。10個目の札を差し終えたところで、父さんが腰を伸ばした。
「今週も10個、ちょうどだな」
「うん。番号も全部、受付票と合ってる」
『済み』の列の前へ行って、ニナさんは帳面を開いた。前の週に直った品の札を、鉛筆の先で1つずつたどっていく。確かめ終えると、ほっと息をついて、帳面の端の数字を指さした。
「この1か月の分を、まとめてみました。お預けしたのが40個で、そのうち36個は直して売り直せました。工房に送り返したのは、4個だけです」
「へえ。4個か」
父さんが、感心したように鼻を鳴らした。うなずいて、ニナさんが続ける。
「はい。父の支店の帳面も、返品の欄がずいぶん短くなりました。昨日、父が帳面を見ながら、久しぶりに笑ったんです」
そう話すニナさんの肩から、すっと力が抜けたのが見えた。琥珀色の目が、やわらかく細くなる。
「テオさんと、ラングナーさんのおかげです。本当に、ありがとうございます」
きちんと頭を下げられて、父さんが“よせよせ”と頭をかいた。胸のあたりがじんわり温かくなり、こちらもあわてて頭を下げ返す。
ただ、うれしい数字の裏で、気になっていることがある。作業台の端へ目をやった。そこには、この1か月で外した回路板が、工房の数だけ並べてある。かなづちの印の工房のものは細長く、葉の印のものはひし形に近い。波の印のものは角が丸くて、厚さまで違う。携帯灯を光らせるという同じ働きのために刻まれたのに、並べると、籠に盛った木の実みたいにばらばらだ。
「ニナさん。直せているのは、本当にうれしいです。でも、手間のほとんどは、直すことにかかっていないんです」
「直すことに、ですか?」
ニナさんが、鉛筆を止めて首をかしげる。
「はい。壊れている所は、たいてい小さいです。線が1本切れている、とか。でもその前に、この板はどこの工房のものか、魔石台はどの大きさか、つなぎ口はどの形か、と1つずつ確かめて、合う部品を探します。その時間のほうが、直す時間よりずっと長いんです」
「先月、見せていただいた、あの3つの携帯灯と同じことですね」
「そうです。同じ携帯灯なのに、品物が来るたびに、あれをやっています」
腕を組んだ父さんが、台の端の板を見下ろして言う。
「まあ、昔からそうだ。親方に教わった形を刻み直すのが、この商売だからな」
「うん。だから、ちょっと考えてみたんだ」
そう言って、作業台の引き出しに手をかけた。ここ数日の昼間、店番の合間に描きためた図面が入っている。紙の束の端を引き出しかけたところで、ニナさんが身を乗り出した。
「それは、何ですか」
琥珀色の目が、まっすぐこちらを向いている。見せたい気持ちは、もちろんある。けれど、これはまだ、頭の中の線を紙に写しただけの物だ。壊れるかどうかを知っている人に先に見てもらわないと、紙の上では、どんな線もきれいに見えてしまう。
「まだ、人にお見せできる物じゃないんです」
引き出しを、そっと押し戻した。
「すみません。先にブラントさんと父さんに見てもらって、使えるかどうかを確かめてからにさせてください。形になったら、ニナさんにもお見せします」
ほんの少し、ニナさんの肩が落ちた。それから、帳面の新しい頁を開いて、口元だけで笑う。
「そうですか。残念ですけれど、お待ちします。形になったら、声をかけてください。帳面に、そう書いておきますね」
鉛筆が紙の上を走り、『テオさんの図面』と書きこむのが見えた。人足さんが空の木箱を台から下ろし、ニナさんはもう一度頭を下げて戸口へ向かう。戸の鈴が鳴って閉まるまで、その目は、ちらちらと引き出しのほうを見ていた。
「あの子、気になって仕方ねえって顔だったな」
父さんが、小さく笑って言う。
「だから、早くブラントさんに見てもらうよ」
「ああ。ただし、夜9時を過ぎたら道具には触るなよ」
「分かってる。父さんもね」
◇
4099年11月17日、光の日。昼過ぎ、畑の中の細い道を歩いて、ブラントさんの店に着いた。刈り入れの終わった畑は広く、風がそのまま顔に当たる。古い木造の平屋の戸を押すと、きしむ音とともに、機械油と削りくずのにおいが迎えてくれた。
奥の作業台で、ブラントさんが古い手あぶりの底板をはずしていた。顔も上げずに“ん”とだけ言う。そのとなりへ道具入れを置き、中から小さな板を3枚取り出して、横一列に並べた。
「何だ、小僧。ままごとの道具か」
「見てもらいたい物です、ブラントさん」
どれも、同じ形、同じ大きさだ。親指の先から付け根までくらいの、四角い金属の板で、片方の端から細い爪が2本、並んで出ている。表には、魔力を光に変える小さな渦巻き、転じ紋が1つ。魔石から魔力を受け取る太い入口の線、根線が1本。その途中には、髪の毛ほどに細くした身代わり線。根線の脇には、同じ向きに走る線がもう1本ある。必要な線は、どれも最初から刻んである。
次に、預かっていた携帯灯を3つ、板の前に並べた。かなづち、葉、波。作った工房の印が、それぞれ違う。
「この3つの筒の中に、僕が受け金具を付けてきました。受け金具は、一度付けたらそのままにしておく小さな金具です。板の爪を差しこむと、魔石の魔力が板へ通ります。形さえそろえれば、どの工房の携帯灯にも、同じ板が付きます」
言いながら、かなづちの印の筒を開けて、板を差しこんだ。爪が受け金具に、かちりと収まる。底のつまみを回すと、白い光がぱっと点いた。続けて板を抜き、葉の印の筒へ。さらに、波の印の筒へ。どれも同じ明るさで、同じように灯る。3つの光が並ぶと、昼過ぎの作業台の上が、少し白くなった。
前世では、どこの店で買っても、同じ太さのねじは同じ穴に入った。ねじ回しが1本あれば、どこの品でも回せた。当たり前に見えたあれは、誰かが先に大きさを決めてくれていたから、そうなっていたのだ。
「壊れたら、どうする」
ブラントさんが、ようやく手を止めて言った。
「板ごと抜いて、新しい板に差し替えます。回路を刻み直さなくていいんです」
ブラントさんは懐から虫めがねを出して、板を1枚つまみ上げた。ひっくり返して裏を見て、爪を指先でつまみ、ぐらぐらしないかを確かめた。そのまま、長い間、何も言わない。畑を渡る風が、戸板をことりと鳴らした。
「工房ごとに回路が違うのには、それぞれ理由がある。熱に強い形、安く刻める形、昔からの形だ。それを全部1枚の板で済ませて、誰が組んでも同じ働き、だと? そんなうまい話があるか。職人の腕は、どこへ行く」
責める声ではなかった。むしろ、本気で案じている声だ。だから、言葉を選んで答えた。
「板を組むのは、誰でもいいと思います。でも、その板を考えて刻むのは、職人の仕事です。腕がいらなくなるわけじゃないです。板を考えるところに、いちばん腕が要ります」
ブラントさんは、虫めがねを下ろして、しばらく黙った。それから、昔、王都の大工房にいた人の目で、もう一度板を見る。
「……形はいい。線もいい。身代わり線を最初から入れたのも、いい。根線の脇に、もう1本引いたのもな」
指先で板の縁を、とんとんと軽くつついた。
「だがな、小僧。道具を使うのは、職人じゃねえ。客だ。客は落とすし、振り回すし、雨にも当てる。作業台の上で灯ったって、そんなのは、半分しか試してねえ」
「はい。僕も、そこが心配でした。試す方法が、まだなくて」
そのとき、きしむ戸が勢いよく開いた。
「こんにちは! ブラントさん、帰り道だから寄ってみた。あ、テオじゃん。何してるの?」
背中に籠を背負ったフィーネが、赤茶色の束ね髪を揺らして飛びこんでくる。ダンジョンの入口からの帰りらしく、上着の裾に草の葉がついていた。
これ見よがしに、ブラントさんが顔をしかめる。
「うるさいのが来た」
「ひどいなあ。私、静かに入ったじゃん」
「どこがだ」
言い返してから、ブラントさんは、ふと口を止めた。あごを上げて、フィーネをさす。
「……ちょうどいい。小僧、その鍛冶屋の娘に使わせてみろ」
「え? 何を?」
フィーネは目をぱちぱちさせて、3つの携帯灯と3枚の板を見比べた。説明を聞くあいだ、“へえ”“ふうん”と何度も言い、聞き終わると“面白そう!”と手を打った。
波の印の携帯灯に板を差しこんで、フィーネに渡す。
「いつもどおり使ってみて。ダンジョンの帰り道で使うみたいに」
「いつもどおりでいいの? 壊れても知らないよ」
「うん。いつもどおりで」
フィーネは、腰の革帯に携帯灯を下げ、つまみを回して灯りを点けた。目がきらきらしている。
「よーし、行ってくる!」
戸を飛び出して、店の前のあぜ道を走り出した。`力の恩恵`を持つ足は速く、背の籠がはずむたびに、腰の携帯灯が革帯に当たって、ごつんごつんと揺れる。戸口に出て、ブラントさんと並んで見守った。
「あいつ、いつもああか」
「はい。たいていあんな感じです」
フィーネはあぜ道の端から端まで走り、溝をひょいと跳び越えて、着地の勢いで体をひねった。腰の灯りが大きく振られ、光の輪が土の上を飛ぶ。次は、籠をおろす番だ。どすん、と置くとき、腰の携帯灯が石ころにごつんと当たった。思わず息をのんだけれど、フィーネは“へいき、へいき!”と手を上げ、灯したまま、腕をぶんぶん振りながら戻ってくる。
何度目かの跳び越えのあと、腰の灯りが、ちらりと揺れた。次の瞬間、ふっと消えた。
「あれ?」
フィーネが携帯灯をつかんで、振る。点いた。もう一度振ると、消えた。さらに振ると、点いては消え、消えては点く。
「テオ、ごめん、なんか変!」
店に戻って、作業台の上で筒を開けた。板を抜き、ブラントさんの虫めがねを借りて、まず根線を見る。切れていない。髪の毛ほどに細い身代わり線も、つながったままだ。根線の脇の線も、転じ紋も、傷ひとつない。板そのものは、何ともなかった。
弱かったのは、そのすぐ下だった。差しこんだ2本の爪が、わずかに内側へ曲がっている。受け金具に入れ直してみると、片方が浅く浮いて、金具との間に、紙1枚ぶんのすき間ができた。ゆすると、すき間が開いたり閉じたりして、そのたびに魔力が途切れる。灯りがちらついたのは、これのせいだ。
「ごめん! 壊しちゃった」
フィーネが手を合わせて、勢いよく頭を下げた。束ね髪が前へ落ちる。
首を横にふった。自分でも驚くくらい、声が明るくなる。
「ありがとう、フィーネ。そこが知りたかったんだ」
「え、怒らないの?」
「怒らないよ。灯りが消えたのは、爪が曲がったから。板の線は、どれも無事だった。弱い所が、1か所だけ、はっきり見つかったんだ」
「そっか。……役に立ったなら、よかった」
フィーネが、ほっとしたように笑う。
心から、そう思っていた。作業台の上で灯っただけで満足して、そのまま客に渡していたら、この爪は、客の手の中で曲がっていた。前世では、試しを省いた品が売り場に並んでから壊れて、夜中に呼び出されたことが何度もある。冷たい床に座りこんで、朝まで直した夜の長さを、今でも覚えている。あんな思いを、あとから誰かにさせるくらいなら、先にフィーネの手で壊してもらうほうが、ずっといい。
ブラントさんは、曲がった爪を虫めがねでしばらく見ていた。そして、ふん、と鼻を鳴らす。
「客の手に渡る前に壊れたなら、上出来だ」
それだけ言って、また手あぶりの底板に向き直った。この人の口から出る褒め言葉としては、いちばん大きい。胸の奥が、じんと熱くなった。
いつのまにか、窓の外が赤くなっている。
「日が暮れる前に帰れ。小僧も、鍛冶屋の娘もだ」
「はい。ありがとうございました、ブラントさん」
曲がった爪の板を、リリが縫ってくれた道具入れにしまった。渦巻きのししゅうが入った布の口を、ゆっくりと閉じる。空の籠を背負い直したフィーネが、戸の前で待っていた。
並んで、あぜ道を歩き出す。刈り入れのあとの畑に、2人の影が長く伸びていた。
「次は、もっと強く振ってあげるね」
「次は、振られても抜けないようにするよ」
フィーネは“できるの?”と笑い、少し考えてから、“できるよね”と言い直した。風が冷たくなってきて、遠くの町の屋根に、ぽつぽつと灯りが入り始めている。




