第14話 俺がいなくても回る店
八柱暦4099年7月16日、水の日。王都アルヴェンの駅は朝から人でごった返していて、荷車の車輪の音と、売り子の呼び声と、発車を知らせる鐘の音が、高い屋根の下でごちゃごちゃに混ざっていた。ハルトマンさんは切符を2枚握って乗り場の番号を確かめに行き、俺は列車が出るまでの時間に、駅の売り場をのぞいた。
リリへのお土産は、帰りの駅で買うと前から決めていた。早く買っておくと、王都にいるあいだに、自分で手を付けてしまいかねない。条件は、甘くて、長持ちして、俺が途中で食べてしまわないやつ。3つ目の条件がいちばん難しいと思いながら棚を端から見ていくと、手のひらに乗るくらいの丸い缶が目に留まった。蓋に蜂蜜色の蜂の絵が描いてあり、中身は蜂蜜の焼き菓子だという。売り子のおばさんは“ふた月は持つよ”と言って、缶の横を指でこんこんと鳴らしてみせた。
これにしよう、と決めて代金を払い、缶は鞄のいちばん下、着替えの下に押し込んだ。ここまで深く埋めておけば、道中で手が伸びることもない。自分で自分を信用していないようで少し情けないが、リリの見立ては、たぶん当たっている。
魔導列車は定刻に動き出した。がくん、と床が揺れて体が後ろへ引かれ、窓の外の乗り場がゆっくり流れていく。向かいの席にハルトマンさんが座り、俺は窓に額を寄せて、王都の屋根が小さくなるのを見ていた。丘の上の学院の塔が、最後まで見えていた。
町の外れの家並みが途切れて畑が見えてきたころ、ハルトマンさんが背すじを伸ばして、こほん、と咳ばらいをした。
「テオくん。大事なお話があります」
「はい」
改まった顔で、膝の上の鞄をぎゅっと抱え直す。
「本当は昨日のうちにお伝えしたかったのですが、聞いたのが日が暮れたあとでしたので。約束どおり、書類は閉じていました」
言い終えて、ちょっと得意そうに胸を張った。約束を守れたことが、よほどうれしいらしい。
「ありがとうございます。それで、何があったんですか?」
ハルトマンさんの目が、みるみる輝きはじめた。恩恵院の本院で何度も見た、早口になる前の顔だ。
「昨日の夕方、王立魔術学院の回路学の先生が、本院にいらしたんです。私の調査の記録を読んで、記録庫の奥にある開示盤と、写しの図を、ご自分の目で確かめられました。それで、先生の立ち会いのもとで、院の職人さんが、印の抜けていた交わりを彫り直したんです。そうしたら」
そこで言葉を切って、両手をぱっと広げる。
「光ったんです。白く、まっすぐに。何十年ぶりに、ですよ」
「本当に、ですか」
「本当です。記録庫のおじいさんは、しばらく何も言えずに、盤をなでていました」
あの薄暗い記録庫で、冷たい石のような盤に手を置いた、おじいさんの背中が目に浮かんだ。直したのは院の職人さんたちで、俺は図を見ただけだ。それでも、あの盤が光ったと聞くと、胸の奥がじんわり温かくなって、窓の外の畑の緑が、さっきより少し明るく見えた。
「それと、もうひとつあります」
声が、少し低くなった。
「帰りぎわに、先生が尋ねられたんです。これを見つけたのは誰か、と。記録に書いたとおり、ミルフェンの、12歳の男の子ですとお答えして、お名前もお伝えしました」
「僕の、名前を」
「はい。先生はそれ以上は何もおっしゃらずに、帳面に何か書きつけて、お帰りになりました」
その帳面に何が書かれたのか、聞いても分からないだろう。先生がどんな顔でそれを書いたのかも、俺には想像がつかない。自分の名前が、知らない人の帳面に残ったのだと思うと、うれしいような、背中のあたりが落ち着かないような、変な気持ちになった。
そのあとも、ハルトマンさんは彫り直しの手順を、身ぶりをまじえてうれしそうに早口で語りつづけた。俺は相づちを打ちながら、窓の外を見ていた。畑と森が、ゆっくり後ろへ流れていく。ミルフェンの店は、今ごろどうなっているだろう。仕分け板の札は、ちゃんと動いているだろうか。父さんは、日が暮れたら手を止めているだろうか。考えているうちに、列車は川の橋をごとごとと渡っていった。
◇
夕方、ミルフェンの駅に着いた。窓の外に、見慣れたれんがの乗り場と、赤みを帯びた夏の日ざしが見えてくる。列車が止まる前から、乗り場の端で小さな人影がぴょんぴょん跳ねているのが分かった。
母さんが、役所の帰りの上着のまま立っていて、その隣で、リリが両手をぶんぶん振っている。扉が開くより早く、リリは駆けてきた。
「テオ兄、お土産は?」
「おかえり、くらい言ってよ」
「おかえり。お土産は?」
鞄を下ろして、いちばん下から缶を引っぱり出す。リリは受け取るなり、蓋に鼻を近づけて、じとっと俺を見上げた。
「途中で食べてない?」
「食べてないよ」
「数えるね」
リリは蓋をぱかっと開け、焼き菓子を指でつついて数えはじめた。1個、2個と声に出して、8個まで数えると、顔を上げて満足そうにうなずいた。
「ぜんぶある。えらいよ、テオ兄」
「ほめられてる気がしないんだけど」
母さんが笑いながら、俺の頭にぽんと手を置いた。
「おかえり、テオ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝てた?」
「寝てたよ。日が暮れたらおしまい、の決まりも守った」
少し遅れて、荷物を提げたハルトマンさんが降りてきて、母さんの前でぴしっと背すじを伸ばした。
「ラングナーさん、テオくんをお返しします。約束どおり、毎日、日が暮れたら書類を閉じました」
「ありがとうございます。1週間もこの子を見ていただいて、本当に助かりました」
母さんが深く頭を下げると、ハルトマンさんはあわてて両手を振った。
「とんでもありません。テオくんには、こちらが教わってばかりでした」
ハルトマンさんは今夜、町の宿に泊まり、明日の朝の列車で王都へ戻る。駅の出口で、荷物を持ち替えながら、にこっと笑って手を振った。
「テオくん、またお会いしましょう」
「はい。ハルトマンさん、ありがとうございました。お気をつけて」
旧市街の石畳を、母さんとリリに挟まれて歩いた。リリは歩きながら、俺が留守のあいだの出来事を、順番も何もなく次々にしゃべる。隣の家の猫が屋根から落ちたこと、パン屋の釜が1日止まったこと、フィーネが薬草の束を籠からあふれるほど摘んできたこと。母さんは、その半分くらいにうなずいていた。
家が見えてくると、店の戸口に、父さんが立っていた。日はまだ沈みきっていないが、空の端が赤くなっている。父さんは、戸口に下げた札を、ゆっくり裏返しているところだった。『営業中』の面が消え、『準備中』の面が出る。
こちらに気づいて、父さんは手を止めた。
「帰ったか」
「ただいま、父さん」
「おう。……鞄、重いだろ。中に入れ」
店の中に入ると、懐かしい油と金属のにおいがした。まず目がいくのは、仕分け板だ。『済み』の列に、受付票の札がずらりと並んでいて、『まだ』の列には、両手で数えられるほどしか残っていない。受付票は番号順に束ねられて箱に立ててあり、作業台の上は、ねじ回しも、細いはさみも、小さな刃物も、全部いつもの場所に戻っていた。携帯灯の棚の脇には、赤い札を付けた1本が、別の箱によけてあった。ひびを見つけて、手順どおりに分けたのだろう。
俺は1週間、この店に一度も触らなかった。それなのに、店は何ひとつ止まらず、ちゃんと前へ進んでいる。
仕分け板の横には、出発の前の夜に書いた『ラングナー魔術具修理店 点検の手順』が、同じ場所に貼ってあった。ところが近づいてみると、絵と手順のあいだの余白に、見覚えのない太い字がある。『留め金のゆるみも見る』。その下に、『夏は魔石の受け口のくもりに注意』。どちらも、父さんの字だった。
「使ってみたら、足りねえところがあってな」
いつの間にか後ろに立っていた父さんが、頭の後ろをかきながら言った。照れくさそうに、目は紙のほうを向いたままだ。
「受け口のくもりは、僕も書き忘れてた。夏は多いもんね」
「持ち込まれる携帯灯を見てたら、そうだった。それだけだ」
胸の隅に、小さな隙間があいたような気がした。1週間ぶりの店は、俺がいなくても回っていて、ここでの俺の居場所は、ほんの少しだけ小さくなった。それが寂しくないと言えば、うそになる。
けれど、渡した紙を、受け取った人が自分で直して使っている。前世では、書く暇も、渡す相手もいなかったものだ。前世の言葉で言えば、引き継ぎ書。渡した先で書き足されて、育っていくのを見るのは、これが初めてだった。
俺がいなくても回る店。それは、最初から目指していたことだった。心の中で、一度だけそう思った。
「父さんね、毎日ちゃんと、暮れたらやめてたよ。リリが見張ってたもん」
リリが胸を張って、父さんの腰のあたりを指さした。
「道具に手を伸ばしたら、すぐ言ったんだよ。もう暮れた、って」
「……毎日、言われたな」
父さんがぼそりと言うと、母さんが吹き出した。
「役所の帰りにのぞくと、いつも札が裏返してあったよ。ね、ハンス」
「ああ」
夕食は2階の台所で、母さんの作ったスープと焼いた芋だった。食べ終わるころ、リリが缶を卓の真ん中に置き、蓋を開けて、焼き菓子を1つずつ配っていった。
「はい、父さん。母さん。それから、テオ兄の分も、ちゃんとあるよ」
「僕が買ってきたんだけどな」
「リリのお土産でしょ」
蜂蜜の甘いにおいが、台所にふわりと広がる。父さんに列車のことを聞かれて、畑があっという間に後ろへ流れていく話をした。本院の石の階段のこと、記録庫の高い棚のことも、少しだけ話した。
大工房の通りの、石段で眠っていた少年のことは、話さなかった。話してはいけないわけではない。ただ、スープの湯気と、焼き菓子をかじるリリの笑い声のなかに、うまく混ぜられる話ではなかった。焼き菓子は甘くて、蜂蜜の香りが、口の中にいつまでも残っていた。
◇
4099年7月17日、光の日。昼過ぎに、町外れの畑のあぜ道を歩いて、ブラントさんの店へ向かった。麦の穂が風に揺れて、遠くで鳥が鳴いている。1週間ぶりに見る古い木造の平屋は、畑の真ん中で、何も変わらない顔をして建っていた。
きしむ扉を押すと、機械油と削りくずのにおいが、ふわりと迎えてくれた。ブラントさんは奥の作業台で、虫めがねを片目に当てて、回路板をのぞきこんでいる。顔は上げない。
「帰ったか」
「はい。ただいま戻りました」
「声がでけえ。回路板が驚く」
返事のかわりに、ほうきを手に取った。いつもの掃除をして、棚の道具の手入れをする。ねじ回しの先を布でふき、小さな刃物に薄く油を引き、削りくずを集めて箱に入れる。手を動かしながら、王都の話をした。本院の石の階段がやたらと長かったこと、記録庫の本棚が天井まであったこと、魔導列車が思ったよりずっと速かったこと。手を止めないまま、ブラントさんは“ほう”とか“そうか”とか、短く返すだけだった。
布を持つ手が、いつのまにか止まっていた。ひと呼吸おいてから、口を開く。
「ブラントさん。休みの日に、大工房の通りを歩いたんです」
返事はなかった。虫めがねの下の手が、ほんの少し遅くなった気がする。
「休みの日なのに、どの工房にも灯りがついていて。戸口の石段で、僕と同じくらいの見習いの子が、眠っていたんです。そうしたら、中から出てきた職人さんが、朝までに上げる分が残ってるぞ、と起こして。その子は、何も言わずに、中へ戻っていきました」
手の中の布を、ぎゅっと握った。
「僕は、何もできませんでした」
作業台の上で、こと、と小さな音がした。ブラントさんの手が止まっていた。しばらく誰も口をきかず、窓の外で鳥がもう一度鳴いた。やがてブラントさんは虫めがねを外して、作業台の端に置いた。
「あの通りの灯りは、俺がいたころから消えたことがねえ」
低い声だった。いつもの、短く切って投げつけるような言い方とは、少し違う。
「戸口で寝てるガキも、毎晩いた。……起こす側にいたこともある」
それだけ言うと、ブラントさんは虫めがねを目に戻して、回路板に視線を落とした。続きは、なかった。俺は、聞きたいことを喉の奥へ押し戻して、黙って棚の道具をふきつづけた。聞いてはいけない、と分かったからだ。
しばらく、削りくずを集める音と、回路板をつつく細い針の音だけが続いた。窓の格子の影が、床の上でゆっくり位置を変えていく。
「見てきたなら、それでいい」
背中のほうから、声がした。出発の日にブラントさんが、見てこい、と言ったのを思い出して、布を持つ手に少し力が入る。
「……はい」
少しだけ空気がゆるんだ気がして、俺はもうひとつの話を切り出した。
「それと、恩恵院の古い開示盤が、何十年ぶりに光ったそうです。おととい、学院の回路学の先生が来て、写しの図の間違いを、職人さんが直したって。その先生が、これを見つけたのは誰か、と尋ねたそうで、ハルトマンさんが、僕の名前を伝えたんです」
「回路学の教授か。名前ぐらいは聞いたことがある。会ったことはねえ」
「なんていう先生なんですか」
「知らねえ奴の名前を、知ったふうに口にするもんじゃねえ」
取り合う気はないらしい。回路板に針を当てたまま、それきり何も言わなかった。
いつのまにか、窓の外の光が、黄色みを帯びていた。畑の麦の影が、長く伸びている。
「日が暮れる前に帰れ」
「はい」
道具を棚へ戻し、ほうきを壁に立てかけて、扉に手をかける。振り返ると、ブラントさんは作業台に向かったまま、片手だけをひらりと上げた。
あぜ道を抜けて、新市街の大通りに入った。夕方の石畳は、昼の熱を残してほんのり温かい。店の窓に、ぽつぽつと灯りが入りはじめている。
大通りの途中、ずっと空き家だった大きな石造りの建物の前に、荷車が何台も止まっていた。人足たちが、掛け声をかけながら、木箱を中へ運び込んでいる。通りすぎるとき、木箱の側面に押された焼き印が目に入った。天秤の形をしている。
入口の上には大きな看板が、布をかぶせたまま掲げられていて、布の端から、隅に彫られた天秤の印だけがのぞいていた。戸口には1枚の紙が貼ってある。『ルチェルナ共和国 ロレンツィ商会 ミルフェン支店 秋に開店』。西の国の商会が、この町に店を出すらしい。
荷車の脇では、俺より少し年上に見える女の子が、帳面を片手に木箱の数を数えていた。数えるそばから、鉛筆で素早く書きつけていく。人足のひとりに何か指図をして、また最初から数え直す。見落としのひとつもなさそうな、迷いのない手つきだった。
話しかける用事はない。帳面から目を離さないその横顔を、少しだけ眺めてから、石畳の道を歩きだした。
日は、もうだいぶ低くなっている。暮れる前に家へ帰ろうと、足を速めて、通りを抜けていった。




