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デスマの果てに転生した俺の`ブラックシステムエンジニアの恩恵`が、異世界をホワイトに回す  作者: DAISAKA
第2章 引き継ぎと、灯りの消えない工房

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第13話 灯りの消えない大工房

 八柱暦《はっちゅうれき》4099年7月12日、闇の日(やみのひ)。朝の鐘が鳴り終わるころ、恩恵院《おんけいいん》の本院の宿舎の前に出ると、石畳には夏の光がもう白く落ちていた。闇の日は休みの日で、通りの店はどこも戸を閉め、角のパン屋の煙突から細い煙が上がっているだけだ。昨日までの2日間は、開示盤の前に座り、聞き取りに答え、記録庫で台帳をめくり続けた。頭の奥に、まだ紙のにおいが残っている。


 通りの向こうから、片手を大きく振って走ってくる人影があった。エマ姉さんだ。騎士団の制服ではなく、動きやすい麻のシャツと厚手のズボンを着て、肩までの明るい茶色の髪を後ろで束ねている。最後に家で会ったときより、顔も腕もずっと日に焼けていて、手の甲には稽古でついたらしい細かい擦り傷がいくつも見えた。


 見送りに出てきてくれたハルトマンさんが、抱えた書類の束を持ちかえて、にこやかに頭を下げた。


「テオくんは、お姉さんにお任せしますね。今日は本院も休みですから、ゆっくりしてください」


 姉さんは背すじを伸ばし、右手を胸に当てた。


「第二騎士団、見習い騎士のエマヌエラ(エマ)・ラングナーです。弟がお世話になっております。日が暮れる前に、必ず宿舎までお送りします」


 いつもより一段低い、きびきびした声だった。一息に言い切るのを横で聞いていた俺は、思わず目を丸くする。ハルトマンさんは満足そうにうなずき、“では、よい休日を”と手を上げて、書類を抱えたまま本院のほうへ戻っていった。


 その背中が角を曲がって見えなくなったとたん、姉さんの肩からすっと力が抜けた。次の瞬間、頭のてっぺんにごつん、と拳が落ちてくる。


「いたっ」

「なんだ、顔色いいじゃない。心配して損した」

「久しぶりに会って、最初がそれ?」

「久しぶりだからでしょ」


 笑いながら腰をかがめた姉さんは、今度は俺の顔をじっとのぞきこんだ。目の下、頬、首すじ。小突いた手とは別人のように、ていねいに見ている。


「ちゃんと寝てる? 調べものは、日が暮れたら終わりにしてる?」

「寝てるよ。昨日も一昨日も、日が暮れたところで切り上げた」

「母さんの手紙に書いてあったの。テオは夢中になると止まらないから、見ててやってって」

「……母さん、そんなこと書いたんだ」

「書いたの。だから今日は、私が見張り役」


 ようやく背中を起こして、姉さんが続ける。


「それで、恩恵のほうは? 何か分かった?」

「何も分からなかった。調べても、未詳のままだよ」


 言ってから少しだけ身構えたが、返ってきたのは“ふうん”とうなずく声だけで、そのあと背中をぽん、と軽く押された。


「分からないことが分かった、って書いてもらえたなら、上等じゃない。ほら、行こう。パン屋が開いてるから、朝ごはん買ってあげる」


 焼きたての丸パンを2つ買って、かじりながら坂を上った。王都の道は、宿舎のあたりを離れるほど少しずつ傾きを増し、石畳の目も細かくなっていく。両側には高い塀と木立が続き、塀の向こうから、剣を打ち合う乾いた音が聞こえてきた。やがて曲がり角に、白く塗った案内板が見えた。『王立学区』と大きく書かれ、その下に矢印が一本ついている。


「ここが、学舎《まなびや》の丘。案内板にはああ書いてあるけど、みんなそう呼ぶよ。丘、だけでも通じる」

「役所の呼び方なの?」

「そう。町の人は誰も使わない。私もここの騎士学校の寮に3年いたけど、町から帰るときは、丘に戻る、って言ってた」


 坂の途中で振り返ると、屋根の波の向こうに、川と橋と、その先の川下の煙突の列までが見えた。騎士学校の門は、灰色の石を積んだ背の高いもので、紺色の旗が風にふくらんでいる。その前に、制服姿の少年がひとり、背中に定規を入れたように、まっすぐ立っていた。


 黒い髪に、きっちり留めた襟元。4か月ぶりに見るダリオは、少し背が伸びて、首すじまで日に焼けている。こちらに気づくと、駆け寄らずに歩幅をそろえて近づいてきて、姉さんの前で足をそろえた。


「エマさん、お久しぶりです。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

「固い固い。休みの日なんだから、楽にしなよ」

「……先輩ですので」


 姉さんが吹き出し、ダリオの耳がほんのり赤くなった。咳ばらいをひとつして、今度は俺のほうへ向きなおり、頭から足先までじろりと見る。


「テオ。倒れていないな」

「倒れてないよ。約束、守ってる」

「ならいい。あんな別れぎわの言い方をした手前、気になっていた」


 口調は相変わらず硬いのに、肩の力がふっと抜けたのが分かって、思わず笑ってしまった。


 午後の鐘までは外にいられるというので、3人で丘の道を歩いた。寮の話になると、ダリオは背すじを伸ばしたまま、少し早口になる。


「朝の鐘より早く起きて、丘を2周走る。それから朝の稽古だ。……見ろ」


 差し出された右手の指のつけ根には、固い豆がいくつも並んでいた。皮が厚くなって、黄色く固まっている。ふと、冬の作業場で道具を握っていた父さんの手が頭に浮かんだ。あの手も、こんなふうに固かった。


「痛くないの?」

「最初の1か月は痛かった。今は、握らないと落ち着かない」

「父さんも、同じこと言ってたよ」

「そうか。……夏休みは8月からだ。そうしたら、ミルフェンに帰る」

「待ってる。みんな待ってるよ」


 ダリオは前を向いたまま、小さくうなずいた。


「寮は、朝が大変そうだね。洗い場とか」

「よく分かったな。1年が40人いて、洗い場は4つだ。毎朝、順番の取り合いになる」

「だったら、起きる順番を班ごとにずらして、先に走る班と先に洗う班に分ければ、全部が同じ時間にぶつからなくて……」


 言いかけたところで、ダリオが片手を上げて止めた。


「待て。お前はすぐそうなる」

「まだ最後まで言ってないよ」

「言いかけた。顔がもう言っていた。手加減というものを覚えろ」


 後ろで姉さんが声を上げて笑い、俺の背中をばしばしたたいた。


「ダリオ、相変わらずテオの止め役だね。頼もしい」

「笑いごとではありません。こいつは放っておくと、本当に倒れるまでやりますから」


 丘の上のほうへ進むと、道は広い石畳の通りに変わり、右手に白っぽい石の建物が見えてきた。塔が2本、空へ向かって細く伸びている。王立魔術学院の門だと、姉さんが教えてくれた。門は開いているが、脇に番の人が立っていて、中へ入れるのは学生と関係の人だけらしい。門柱の前で立ち止まった俺たちは、そこから先をただ眺めた。


 門の向こうでは、書物や紙の束を抱えた年上の学生たちが、足早に行き来している。ひとりは歩きながら紙をめくり、ひとりは仲間と言い合いをしながら、落とした紙の束を拾い、ひとりは石段に腰かけて、丸めた紙を広げては首をかしげていた。塔の窓や屋根の端には、細い金属の線が何本も走って、夏の日差しにきらりと光っている。あの建物の中では、どんな回路が研究されているのだろう。あの線はどこへつながって、何を動かしているのか。気がつくと、足が門の前から動かなくなっていた。


「お前なら、ここに来てもおかしくないな」


 ダリオの声で、我に返った。


「僕は修理店の見習いだよ」


 笑って返すと、ダリオは“そうか”と短く答えただけで、それ以上は何も言わなかった。入学のことなど、まだ考えられない。ただ、門の中の景色をもう一度だけ目に入れてから、視線を外した。


 丘のふもとの角まで下りたところで、ダリオが足を止めた。


「寮に戻る時刻が決まっている。ここまでだ」

「うん。会えてよかった」

「夏休みに会おう。……倒れるなよ」

「分かってるよ」


 ダリオは姉さんにきちんと敬礼をして、背すじをまっすぐ伸ばしたまま、坂を上っていった。小さくなる紺色の背中を見送り、姉さんとふたりで、丘の下の通りへ歩き出す。


 闇の日でも、丘の下の通りには屋台がいくつか出ていた。姉さんが選んだのは、炭火で腸詰めを焼いている屋台で、割ったパンに熱い腸詰めと刻んだ玉ねぎを挟み、紙に包んで渡してくれる。通りの端の石垣に並んで腰かけ、手で持ってかぶりつくと、皮がぱりっと割れて、あぶらのにおいが口いっぱいに広がった。


「おいしい! ここ、よく来るの?」

「休みの日はね。騎士団の食堂より、こっちのほうが味が濃い」


 2口目をほおばってから、姉さんはふと遠くを見て、ため息をついた。


「ねえ、ちょっと愚痴っていい?」

「いいよ。聞くよ」

「夜の見回りで腰に下げる携帯灯《けいたいとう》、あるでしょ。テオの店でも直してるやつ。あれが、ときどき急に消えるの。暗い路地のど真ん中で」

「それは危ないね」

「でしょ。で、修理に出そうとすると、届けの紙が、隊の上の人、事務の係、修理を頼む工房って順に回ってね。戻ってくるまでに、ひと月近くかかるの」

「ひと月……」

「そのあいだは、古い携帯灯を隊で貸し借りしてる。あと、合図具《あいずぐ》もね。吹けばぴいっと鳴るはずなのに、ひゅう、って息が抜けるだけのが混じってて」


 紙は、どこで止まっているのだろう。隊の上の人の机か、事務の係の棚か、それとも工房の受付か。順番に回すのなら、途中の誰かがひと晩ためるだけで、全体がひと晩遅れる。届けが重なる時期には、どうなるのか。頭がそこまで動いたところで、はっとして口を閉じた。今日は休みの日で、これは姉さんの愚痴だ。


 隣では、姉さんがにやりとこちらを見ていた。


「テオ。今、なにか考えてたでしょ」

「……ちょっとだけ」

「休みの日なんだから、それはいいの。ほら、早く食べなよ。冷めるよ」


 笑った姉さんは、話を騎士学校の食堂の、石みたいに固い黒パンの話に変えた。それを聞きながら、俺は腸詰めの最後のひと口をのみこんだ。


◇


 夕方の鐘が丘のほうから聞こえてくるころ、姉さんと俺は川のほとりへ戻ってきた。宿舎は橋を渡ってすぐの所だが、橋のたもとで姉さんが足を止め、川下のほうを指さした。


「ちょっとだけ、遠回りしていい? このあたり、私の見回りの受け持ちなの。5分だけ」

「うん、いいよ」


 川下へ折れると、通りの様子がはっきり変わった。石畳が黒ずんで、高い煙突が並び、空気に焼けた金属と油のにおいが混じっている。初日の夕方に橋の上から見た、あの一角だ。


 闇の日で、ほかの通りの店はみな戸を閉めていた。それなのにここだけは、煙突から煙が上がり、窓という窓に灯りがともっている。中からは、金属を削る細く高い音と、鏨《たがね》を打つこつこつという小さな音が、いくつも重なって聞こえてきた。


「ここは闇の日も休まないんだって。大工房の通り」

「闇の大神《たいしん》さまは、休みの神さまなのに」

「ね。でも、ここの人たちには、納めの日のほうが大事みたい」


 通りの両側には、同じような石造りの工房が肩を寄せ合っていた。戸口の脇には木箱を積んだ手押し車が何台も止まり、箱に貼られた紙の札には、『明朝納め』『至急』と太い字が並んでいる。端が反りかえるほど古い札の上から、新しい札が重ねて貼られているものもあった。


 窓の中には、作業台に並んで背中を丸めている見習いたちの姿があった。手もとの小さな灯りに顔を寄せ、細い金属の線を削り、切り、板の上でつなぎ合わせている。ひとりが、こくん、と首を落としかけて、あわてて目を開け、また手を動かし始めた。誰も、顔を上げて通りを見ようとしない。


 通りの中ほどの工房の戸口で、足が止まった。石段に、ひとりの少年が座ったまま眠っている。年は俺と同じくらいか、少し上だろう。膝の上に道具の袋を抱え、頭を戸の柱にもたせかけ、口を半分開けている。袋をつかんだ指は、削りくずと油で真っ黒だった。


 前世で、机に突っ伏して眠っていたら、耳もとで電話が鳴って、飛び起きたことがある。窓の外が、まだ暗いのか、もう明るいのかも分からなかった。灯りの消えない部屋で、一度だけ首を起こして、また次の仕事に戻る。その記憶が、石段の少年の背中に、ぴたりと重なった。そのうしろに、もうひとつ、別の姿が重なる。10歳の冬、年末の修理に追われて、作業台に突っ伏して眠っていた父さんだ。


 姉さんが、声を落とした。


「見回りのとき、こういう子、よく見かけるの。道具の袋を盗まれたら大ごとだから、声をかけて起こすこともある」

「……そうなんだ」


 返事をしながら、気づけば俺は、一歩、石段のほうへ近づいていた。何を言うつもりなのかは、自分でも分からない。ただ、肩にそっと手を置いて、もう寝ていいんだよと言ってやりたいような、そんな気がした。


 そのとき、戸ががらりと開いて、中から、袖をまくった大柄な男の人が出てきた。目が赤く、顔には疲れが張りついている。男の人は少年の肩をつかみ、乱暴ではないが遠慮なく揺すった。


「おい。いつまで寝てる。朝までに上げる分が残ってるぞ」


 怒鳴り声ではなかった。かすれて、乾ききった、疲れきった声だった。


 少年は、はじかれたように飛び起きた。


「すみません!」


 あわてて袋を抱えなおし、目をこすりながら中へ駆けこんでいく。男の人は、立ちつくす俺たちにちらりと目を向け、小さく頭を下げただけで、戸の向こうへ消えた。ぱたん、と戸が閉まり、通りには鏨の音だけが残った。


 伸ばしかけた俺の手は、行き場をなくして、宙に浮いたままだった。何を言えばよかったのか。何ができたのか。どちらも分からないまま、指先だけが、夕方の空気をつかんでいる。


「知ってる子?」

「ううん。……作業場で寝てた父さんを、思い出しただけ」


 嘘ではない。ただ、それだけではない。机の前で倒れるまで灯りを消せなかった、前の自分のことは、誰にも話せない。姉さんにも、父さんにも、母さんにも。


 姉さんは、それ以上は何も聞き返さなかった。俺の肩に、あたたかい手がそっと置かれる。


「テオ。日が暮れるよ」


 家族の決まりの言葉を、姉の口から聞いた。ブラントさんに止められた日のことが、ほんの一瞬、頭をよぎる。小さくうなずくと、肩の手が離れて、姉さんが先に歩き出した。


 橋へ戻る道は、行きより長く感じた。橋の上まで来たところで、一度だけ振り返る。川下の窓の灯りは、ひとつも欠けずに、暮れていく空の下でともっていた。


 先を行く姉さんの足音が、石の橋に、こつ、こつと響いている。橋を渡りきった先に、宿舎の門の灯りが、小さく見えていた。


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