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光は息をしている  作者: リンダ


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6/22

夏祭りの灯

 第5話

「夏祭りの灯」


 ブチャに夏が来た。


 白樺の葉は濃い緑に変わり、昼間の陽射しは強く、通りの石畳には熱が残るようになっていた。


 それでも夕方になると、街には涼しい風が流れた。


 その風に誘われるように、人々は広場へ集まっていく。


 年に一度の夏祭り。


 大きな祭りではない。

 豪華な飾りがあるわけでもない。

 けれど、ブチャの人々にとっては大切な時間だった。


 手作りの屋台。

 焼きたてのパン。

 温かいスープ。

 果物の甘い香り。

 古いアコーディオンの音。

 子どもたちの笑い声。


 新しく独立した国の暮らしは、まだ豊かではなかった。


 けれどこの夜だけは、誰もが少しだけ胸を張っていた。


 私たちはここで生きている。


 この街で、家族と、隣人と、未来を作っている。


 そんな気持ちが、灯りのように広場を包んでいた。


 ペトレンコ家も広場へ向かっていた。


 父ミハイロに手を引かれ、幼いオレクサンドルは目を輝かせている。


「パパ、あれなに?」


「屋台だ」


「あれは?」


「楽器だな。アコーディオン」


「あれ、ひかってる!」


「飾りの電球だ」


 オレクサンドルは、その言葉に強く反応した。


「でんき?」


「そうだ」


「だれがつけた?」


「たぶん、街の電気屋だな」


「パパみたい?」


「まあ、少しはな」


 オレクサンドルは広場の上に張られた電球の列を見上げた。


 赤、黄色、白。


 小さな灯りが、風に揺れる布飾りの間で輝いている。


 彼にとっては、屋台の甘い匂いより、子どもたちの遊びより、その灯りの仕組みの方が気になった。


「どうやって、ぜんぶつく?」


「線でつながっているんだ」


「ぜんぶ?」


「ああ。どこか一つが切れると、消えることもある」


 オレクサンドルは真剣な顔になった。


「じゃあ、ちゃんとつながないと」


「そうだ」


 ミハイロは笑った。


「ちゃんとつなげば、光は広がる」


 その言葉を聞いて、オレクサンドルはまた空を見上げた。


 祭りの灯りが、彼の黒い瞳に映っていた。


 一方、シェフチェンコ家も広場へ来ていた。


 母ナタリヤに手を引かれ、オレーナは音のする方へ体を向けていた。


 父ヴィクトルは、娘が人混みで迷子にならないよう、少し後ろから見守っている。


「オレーナ、走らない」


「うた!」


「ええ、音楽が聞こえるわね」


「おどる!」


「まだ始まってないわ」


「はじまる!」


 ナタリヤは苦笑した。


 広場の中央では、楽団が準備をしていた。古いアコーディオン、バイオリン、小さな太鼓。楽器は年季が入っていたが、演奏者たちの表情は明るかった。


 音合わせの短いフレーズが鳴るたび、オレーナは体を揺らす。


 その姿を見た近所の女性が声をかけた。


「あら、ナタリヤさんのところの歌う小さな星ね」


 ナタリヤは笑う。


「星というより、今日は落ち着きのない小鳥です」


 オレーナはその言葉の意味を完全には分かっていなかったが、自分が話題にされていることは分かったらしい。


 胸を張って言った。


「オレーナ、うたう!」


 周りの大人たちが笑った。


「じゃあ、あとで聴かせてね」


「うん!」


 やがて、音楽が始まった。


 最初はゆっくりとした民謡だった。


 大人たちが手拍子をし、子どもたちが輪になって踊る。


 オレーナは母の手を離し、自然にその輪へ入っていった。


「オレーナ、転ばないようにね」


「だいじょうぶ!」


 全然大丈夫ではなかった。


 曲に合わせて回りすぎ、隣の男の子にぶつかりそうになる。足元がもつれて、危うく尻もちをつきそうにもなる。


 それでも、彼女は笑っていた。


 音楽が鳴っている。


 それだけで、世界が楽しい。


 そんな顔だった。


 ナタリヤはその姿を見つめながら、胸がいっぱいになった。


 ヴィクトルが隣でつぶやく。


「あの子は、本当に音が好きなんだな」


「ええ」


「誰に似たんだろうな」


 ナタリヤは横目で夫を見る。


「あなたではないわね」


「そこは少し否定してくれてもいいだろう」


「音程を直してからね」


 ヴィクトルは黙った。


 同じ広場の反対側で、オレクサンドルは屋台の裏にある配線を見つめていた。


 ミハイロが慌てて肩をつかむ。


「そこは触るな」


「みるだけ」


「見るだけでも近すぎる」


「どうやって、あかり、つく?」


「あとで説明する。今は祭りを楽しめ」


「これがたのしい」


 ミハイロは思わず笑った。


「お前は本当に俺の子だな」


 その時、広場の中央から拍手が起きた。


 オレクサンドルは振り返る。


 子どもたちの踊りの輪。


 その中で、小さな女の子が両手を広げてくるくる回っていた。


 オレーナだった。


 もちろん、オレクサンドルは彼女の名前を知らない。


 オレーナも、彼を見てはいない。


 けれど一瞬だけ、オレクサンドルはその動きを目で追った。


 灯りの下で回る小さな影。


 音楽に合わせて揺れる白い服。


 それは、彼が普段見ているネジや線やスイッチとはまったく違うものだった。


「パパ」


「なんだ?」


「あの子、くるくるしてる」


「踊ってるんだよ」


「なんで?」


「楽しいからだろう」


 オレクサンドルは首をかしげた。


「たのしいと、くるくるする?」


「人による」


 ミハイロは笑った。


 その瞬間、オレーナは勢い余って少しよろけた。


 周りの大人が笑い、ナタリヤが慌てて手を伸ばす。


 オレーナも照れながら笑った。


 オレクサンドルは不思議そうに見つめていた。


 そしてすぐに、また電球の列へ視線を戻した。


 二人の出会いは、まだそれだけだった。


 同じ広場。


 同じ音楽。


 同じ灯り。


 けれど、言葉は交わされない。


 名前も知らない。


 それでも運命は、その瞬間を静かに記憶していた。


 夜が深まると、祭りの灯りはさらに美しく見えた。


 広場の上には小さな電球が連なり、屋台の火が揺れ、子どもたちは眠そうな目をこすりながらも帰りたがらなかった。


 オレーナは母に抱かれながら、まだ小さく歌っていた。


「まだ歌うの?」


 ナタリヤが笑う。


「うたう……」


「眠いでしょう」


「ねむくない……」


 そう言いながら、オレーナのまぶたは閉じかけていた。


 ヴィクトルがそっと抱き取る。


「今日は白鳥じゃなくて、眠たい小鳥だな」


 オレーナは父の肩に頬を乗せ、すぐに眠りに落ちた。


 一方、オレクサンドルもミハイロの腕の中でうとうとしていた。


 手には、屋台で買ってもらった小さな木製の車を握っている。


「楽しかったか?」


 ミハイロが尋ねる。


 オレクサンドルは眠そうに答えた。


「あかり……いっぱい」


「そうだな」


「ぜんぶ、つながってた」


「ああ」


「ぼくも、つなぐ」


 ミハイロは少し驚いて、息子の顔を見た。


 オレクサンドルはもう眠っていた。


 ミハイロは静かに微笑む。


「そうか。お前は、つなぐ子になるのかもしれないな」


 祭りの帰り道。


 ブチャの空には星が出ていた。


 夏の夜空は深く、ところどころに雲が流れている。


 家々の窓には明かりがともり、遠くの畑からは湿った土の匂いがした。


 この街は、まだ平和だった。


 人々は貧しさを知っていた。

 不安も知っていた。

 それでも、子どもたちが夜祭りで笑えるくらいには、世界を信じていた。


 春に生まれた少年は、灯りの仕組みに心を奪われていた。


 秋に生まれた少女は、音楽に包まれて眠っていた。


 二つの家族は、それぞれの家へ帰っていく。


 ペトレンコ家の窓に明かりがともる。


 シェフチェンコ家の暖炉に火が入る。


 まだ交わらない二つの光。


 けれど、ブチャの夏祭りの夜。


 その光は初めて、同じ広場で揺れていた。


 次回予告


 季節は巡り、子どもたちは少しずつ大きくなっていく。


 オレクサンドルは、壊れたラジオを分解し、父に叱られながらも仕組みを覚えていく。


 オレーナは、母のピアノに合わせて歌い、初めて人前で小さな拍手を受ける。


 まだ幼い二人に、世界はやさしく見えていた。


 次回、

 第6話

「小さな才能」


 才能は、最初から大きな翼ではない。

 誰かに見守られながら育つ、小さな芽である。

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