土の中の戦争
第54話
「土の中の戦争」
事故から一週間ほどが過ぎた。
ミハイロとカテリーナは、まだ重い治療のただ中にいた。
けれど、意識は戻り、短い会話ができるようになっていた。
ソフィーアは病室の前で深く息を吸った。
隣には、光子と優子がいる。
「大丈夫?」
優子が小さく聞いた。
ソフィーアは頷いた。
「うん。紹介したい。私の大事な友達だから」
光子は少し背筋を伸ばした。
「よし。ちゃんと挨拶する」
優子も真剣な顔で頷いた。
「今日はボケ封印やね」
光子が小声で返す。
「五分だけね」
「短いな」
ソフィーアは、少しだけ笑った。
⸻
病室に入ると、ミハイロがベッドの上でゆっくり顔を向けた。
左腕はもうなかった。
カテリーナの右脚も、膝から下が失われていた。
それでも二人は、生きていた。
「ソフィーア……」
カテリーナがかすれた声で呼ぶ。
ソフィーアは駆け寄り、そっと手を握った。
「おばあちゃん……」
ミハイロも、弱い声で言った。
「遠いところを、よく帰ってきたな」
「うん」
ソフィーアは涙をこらえた。
「会いたかった」
⸻
そして彼女は、後ろに立つ二人を見た。
「紹介するね」
光子と優子が一歩前へ出た。
「この二人が、東京の音大で私を支えてくれている友達」
ソフィーアは、ゆっくり言った。
「光子と優子」
光子と優子は、ウクライナ語で覚えてきた短い挨拶を、少し緊張しながら口にした。
「はじめまして。光子です」
「はじめまして。優子です」
発音は完璧ではなかった。
けれど、その気持ちは十分に伝わった。
カテリーナの目に涙が浮かぶ。
「あなたたちが……」
ミハイロも静かに頷いた。
「ソフィーアを、支えてくれている子たちか」
光子は頭を下げた。
「はい。ソフィーアちゃんは、大事な友達です」
優子も続けた。
「一人にしたくなくて、一緒に来ました」
ミハイロは、しばらく二人を見つめていた。
そして、かすかに笑った。
「ありがとう」
その一言で、光子と優子の目にも涙が浮かんだ。
⸻
カテリーナは、ソフィーアの手を握ったまま言った。
「アレンは……守ろうとしたのね」
ソフィーアは唇を噛んだ。
「うん」
ミハイロは目を閉じる。
「賢い犬だった。最後まで家族だった」
病室に沈黙が落ちた。
光子も優子も、何も言えなかった。
戦争は終わったのに。
地雷は、土の中でまだ命を待っていた。
⸻
ミハイロは、やがて光子と優子に向き直った。
「君たちは、日本から来たのだね」
「はい」
「遠かっただろう」
優子は静かに答えた。
「でも、来たかったです」
光子も言った。
「ソフィーアちゃんの悲しみを、遠くから見てるだけにはできませんでした」
カテリーナは涙を流した。
「優しい子たちね」
ソフィーアが少しだけ笑う。
「すごく優しい。でも、普段はすごくうるさい」
光子が小さく抗議する。
「そこ紹介せんでよかろうもん」
優子が即座に突っ込む。
「五分もたんかったね」
病室に、ほんの小さな笑いが生まれた。
ミハイロも、痛みに耐えながら少しだけ笑った。
「その笑いも、ソフィーアを支えてくれているのだな」
光子と優子は、静かに頷いた。
⸻
ソフィーアは祖父母を見つめた。
「私、また歌うね」
カテリーナは微笑んだ。
「無理はしなくていいのよ」
「無理じゃない」
ソフィーアは涙を拭いた。
「おじいちゃんとおばあちゃんに届く歌を歌いたい」
ミハイロは静かに言った。
「なら、歌ってくれ」
病室の中で、ソフィーアは小さく息を吸った。
光子と優子は、そっと後ろに立つ。
オレクサンドルとオレーナも、扉のそばで見守っていた。
ソフィーアの声が、静かに響く。
悲しみを消す歌ではない。
失われた手足を戻す歌でもない。
アレンを生き返らせる歌でもない。
それでも、生きている人の心にそっと手を置くような歌だった。
⸻
歌い終わると、カテリーナは涙を流していた。
ミハイロも、目を閉じたまま言った。
「届いたよ」
ソフィーアは震える声で答えた。
「うん」
その隣で、光子と優子も涙をこらえていた。
ウクライナの土の中に残された戦争。
それを初めて、自分たちの目で見た。
そして同時に、人がそれでも支え合おうとする姿も見た。
⸻
次回予告
祖父母と言葉を交わしたソフィーア。
光子と優子は、ウクライナに残る地雷被害の現実を深く受け止める。
そして三人は、日本へ戻ったあと、地雷被害を伝えるためのチャリティー公演を企画することを決意する。
次回、
第55話
「失われた手足、残された声」
奪われたものを戻すことはできない。
それでも、残された声で伝えることはできる。




