ありのままの声
第45話
「ありのままの声」
時は流れた。
ソフィーアは18歳になっていた。
幼い頃、病院の待合室で歌っていた少女は、高校で本格的に声楽と舞台表現を学ぶまでに成長していた。
ある日、音楽の先生が言った。
「ソフィーア。東京の音楽大学へ留学してみないか」
ソフィーアは息をのんだ。
「東京……日本ですか?」
「君の声は、もっと広い場所で学ぶ価値がある。日本には、君の歌を受け止めてくれる場所があると思う」
その夜、ソフィーアは両親に相談した。
「日本に行ってみたい。でも、住むところとか、生活とか……どうしたらいいのか分からない」
オレクサンドルは黙って娘を見つめた。
遠い国。
自分たちの手の届かない場所。
心配が先に来る。
だが、オレーナは静かに微笑んだ。
「大丈夫」
「大丈夫?」
「お父さんのおばあちゃんだった人の妹さんの家族が、東京の世田谷に住んでるの」
ソフィーアは目を丸くした。
「そんな親戚いたの?」
「いるのよ。あなたが行くかもしれないことは、もう伝えてあるわ」
「えっ、早い」
オレーナは少し得意げに笑った。
「母親は準備が早いの」
オレクサンドルが横からぼそっと言った。
「少し早すぎる時もある」
「あなたは心配しすぎる時がある」
ソフィーアは思わず笑った。
オレーナは続けた。
「あなたも前に東京へ行ったことあるでしょう? あのおばちゃんの家よ」
「ああ……あの優しいおばちゃん」
「そう。その人が、しばらく面倒を見てくれるって」
ソフィーアは、胸に手を当てた。
東京。
音大。
新しい生活。
そして、いつか画面越しに見た福岡の双子。
遠かった国が、急に近づいてくる。
「行ってもいい?」
その問いに、オレクサンドルは長く沈黙した。
そして、ゆっくりうなずいた。
「行きなさい」
「お父さん……」
「怖い。正直、怖い。でも、守るっていうのは、閉じ込めることじゃないんだろう」
オレーナが、そっと夫の手を握った。
オレクサンドルは娘を見つめる。
「お前の声は、もうウクライナだけのものじゃない。行って、自分の歌を見つけてこい」
ソフィーアの目に涙が浮かんだ。
「うん」
オレーナは娘を抱きしめた。
「有名になるためじゃない。あなたがなぜ歌うのか、それを忘れないで」
ソフィーアは、母の胸の中でうなずいた。
「苦しんでいる人に届く歌を歌うため」
オレーナは微笑む。
「そう。それが、あなたのありのままの声よ」
次回予告
東京留学を決意したソフィーア。
両親は不安を抱えながらも、娘の旅立ちを支える準備を始める。
世田谷の親戚、音大の入試、言葉の壁。
そして、遠い福岡で音楽と笑いの道を進み始めた光子と優子。
まだ交わらない二つの歌声が、少しずつ同じ未来へ近づいていく。
次回、
第46話
「東京への切符」
旅立ちは別れではない。
受け継いだ光を、遠い空へ運ぶことだ。




