届く歌
第39話
「届く歌」
ソフィーアの歌は、少しずつ人々の間に届き始めていた。
避難施設。
病院。
壊れた学校。
停電した集会所。
オレクサンドルは、できる範囲で電気設備の修理に関わるようになっていた。
完全には戻らない手で、工具を握る。
長く作業すれば痛みが出る。
大きな音がすれば、今でも体が固まる。
それでも彼は言った。
「暗い場所があるなら、少しでも明るくしたい」
オレーナは、そんな夫を見つめながら、ソフィーアに歌とダンスを教え続けた。
そしてある夜、彼女はSNSに一つの寓話を投稿した。
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ある国で、新たな王が即位しました。
その国の人々は、音楽が大好きでした。
朝には笛を吹き、昼には弦を鳴らし、夜には太鼓を叩き、家族や友人と笑いながら音を奏でていました。
ところが、新しい王は楽器の音が大嫌いでした。
「うるさい。国を乱す。すべての楽器を禁じる」
王はそう命じました。
国民は困りました。
けれど、音楽をやめることはできませんでした。
そこで人々は、家にある鍋やフライパン、箸や木のスプーンを使って音を出し始めました。
カン、カン。
トン、トン。
カラ、カラ。
台所から生まれた音楽が、また街に広がりました。
王は怒りました。
「鍋もフライパンも、箸もスプーンも、演奏に使うことを禁じる」
国民はまた困りました。
それでも人々は、手を叩きました。
足を踏み鳴らしました。
手拍子が広場に響きました。
トン。
パン。
トン。
パン。
王はさらに怒りました。
「手拍子も禁止だ。足踏みも禁止だ」
国民は深く嘆きました。
「もう、演奏するものがない」
その時、一人の子どもが言いました。
「でも、私たちには歌があるじゃないか」
人々は顔を上げました。
楽器を奪われても。
鍋を奪われても。
手拍子を禁じられても。
声までは、まだ奪われていなかったのです。
そして人々は歌いました。
小さな声で。
けれど、確かに。
ひとりが歌い、ふたりが重なり、やがて街じゅうに歌が広がりました。
王はその声を止めることができませんでした。
なぜなら、歌は人の中にあるからです。
人の心にあるものを、命令だけで消すことはできないからです。
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オレーナは、その寓話の最後にこう書いた。
楽器を壊されても、劇場を壊されても、学校を壊されても、
私たちの声までは奪わせない。
歌は抵抗です。
歌は祈りです。
歌は、私たちがまだ人間であることの証です。
娘は今日も歌っています。
苦しんでいる誰かに届くと信じて。
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投稿は、またたく間に広がった。
ウクライナ国内から、たくさんの反応が届いた。
「私たちも歌う」
「避難所で子どもたちと歌いました」
「母が泣きながらこの寓話を読んでいました」
「声まで奪わせない、という言葉に救われました」
海外からも、多くのメッセージが寄せられた。
日本からは、
「遠い国の話ではない」
「子どもたちの歌声を守りたい」
「ソフィーアの歌がいつか日本にも届いてほしい」
という声もあった。
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その夜。
ソフィーアは母に尋ねた。
「ママ、王さまは悪い人?」
オレーナは少し考えた。
「悪いことをした人ね」
「なんで歌が嫌いなの?」
「人が自由に歌うのが怖かったのかもしれない」
「歌が怖いの?」
「そう。誰かの心が自由でいることを怖がる人もいるの」
ソフィーアは首をかしげた。
「じゃあ、もっと歌ったらいいね」
オレーナは笑った。
「そうね」
オレクサンドルも、静かに言った。
「歌う場所には、明かりがいるな」
ソフィーアはぱっと顔を輝かせた。
「お父さんがつける?」
「ああ」
「ママが教える?」
「もちろん」
「私が歌う!」
その声に、部屋の空気が少し明るくなった。
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小さな声でも、必要としている人がいるなら、それは希望になる。
オレーナの寓話は、ただの物語ではなかった。
それは、戦争で声を奪われかけた人々への合図だった。
まだ歌える。
まだ祈れる。
まだ誰かに届く。
そしてその中心には、幼いソフィーアの声があった。
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次回予告
オレーナの寓話は世界へ広がり、ソフィーアの歌声にも注目が集まり始める。
避難施設や病院から、歌ってほしいという依頼が届く。
だが、幼いソフィーアを表に出すことへの不安も大きい。
オレクサンドルは、娘を守りたい気持ちと、娘の歌を必要としている人々への思いの間で揺れる。
次回、
第40話
「声は奪えない」
守るとは、閉じ込めることなのか。
それとも、羽ばたく場所を作ることなのか。




