工具箱と軍服
第26話
「工具箱と軍服」
オレクサンドルは、壊れた機器の山の前に座っていた。
通信機。
照明装置。
発電機。
車両の電装部品。
焦げた基板。
断線したケーブル。
その一つ一つから、まだ使える部品を取り出す。
「これは生きてる」
オレクサンドルは、小さな端子をつまみ上げた。
隣にいた整備兵のミコラ・クレンコがうなずく。
「そいつ、別の通信機に使えるか?」
「たぶん。完全には戻らない。でも短距離ならいける」
若い兵士のタラス・ボンダレンコが苦笑した。
「完全じゃなくてもいい。声が届けば、それで命が助かる」
年配の補給担当、セルヒー・リトヴィンは壊れた発電機を叩きながら言った。
「昔は農機具ばっかり直してたのにな。まさか戦争でこんなことするとは思わなかった」
オレクサンドルも静かに答えた。
「僕も、舞台照明を直してました」
「舞台か」
セルヒーは少し笑った。
「じゃあ今は、国中が真っ暗な舞台だな」
オレクサンドルは手を止めた。
「なら、明かりを消すわけにはいきません」
夜。
兵站拠点の空気が変わった。
遠くで、低い音。
次の瞬間、地面が揺れた。
迫撃砲だった。
「伏せろ!」
誰かが叫ぶ。
爆発音。
破片が壁を叩く。
照明が一瞬落ち、非常灯が赤くまたたいた。
オレクサンドルは工具箱を抱えたまま床に伏せた。
耳鳴り。
土埃。
誰かの怒号。
その中で、古い無線機からロシア側の声明が流れた。
投降せよ。
抵抗は無意味である。
武器を置けば命は保証する。
冷たい声だった。
そこに人間の温度はなかった。
ミコラが吐き捨てた。
「ふざけやがって」
タラスも歯を食いしばる。
「お前らこそ出ていけ」
セルヒーは無線機を睨みつけた。
「人の国に入ってきて、投降しろだと? どの口で言う」
オレクサンドルは何も言えなかった。
怒りで胸が焼ける。
だが、彼の手は工具箱を握っていた。
銃ではない。
この手は、直すための手だ。
そう思わなければ、自分が壊れそうだった。
拠点の兵士たちは、迫撃砲の発射地点を特定した。
指揮官のアンドリー・マルチェンコ大尉が短く命じる。
「反撃準備」
外では、凍てつく夜気の中、兵士たちが動いた。
ランチャーロケット砲が構えられる。
オレクサンドルは、通信機のそばで祈るように耳を澄ませていた。
次の瞬間。
轟音。
夜空を切り裂く光。
遠くで爆発が起きた。
無線機から流れていたロシア側の声が、突然途切れた。
ザザッ。
沈黙。
やがて偵察班から短い報告が入る。
「敵拠点、沈黙。無線反応なし」
誰も歓声を上げなかった。
勝ったというより、生き延びたという感覚だった。
タラスがぽつりと言う。
「これで、少しは眠れるか」
セルヒーは首を振った。
「眠れるやつから眠れ。明日も直すものは山ほどある」
夜明け前。
回収班が戻ってきた。
ロシア側の装備品の中には、まだ使えるものがあった。
通信部品。
電源ユニット。
ケーブル。
バッテリー。
車両の電装部品。
オレクサンドルたちは、それらを分解し、修理し、自分たちの装備へ組み込んでいった。
敵のものだった部品が、今度はウクライナ兵の命を守るために使われる。
皮肉だった。
だが、戦場では使えるものを使うしかない。
ミコラが部品を渡す。
「これ、生きてるか?」
オレクサンドルは確認し、うなずいた。
「使えます」
「よし。なら、こっちの通信機に入れよう」
タラスが冗談めかして言った。
「ロシア製でも、ウクライナのために働けば少しはましになるだろ」
セルヒーが低く笑う。
「部品に罪はない。罪があるのは命令を出した連中だ」
オレクサンドルは、その言葉を胸に刻んだ。
憎しみに支配されるな。
父と母が言った。
オレーナも言った。
だが、この夜ほど、それが難しいと思ったことはなかった。
作業が一段落した頃、オレクサンドルは外に出た。
空は薄く明るくなり始めている。
遠くで煙が上がっていた。
彼はポケットから、ソフィーアの小さな写真を取り出した。
まだ何も知らない娘。
母の歌に笑う娘。
小さな手で父の指を握る娘。
「父さんは、兵士になりたかったわけじゃない」
オレクサンドルは写真に向かってつぶやいた。
「ただ、お前とママを守りたいだけなんだ」
その声は、朝の冷たい空気に消えていった。
次回予告
拠点への攻撃を退けたものの、戦況はさらに激しくなる。
オレクサンドルは修理と整備に追われ、眠れない日々を過ごす。
一方、オレーナは避難先でソフィーアを守りながら、夫の無事を祈り続ける。
そして、ロシア軍の特殊部隊が補給線を断つため、オレクサンドルのいる拠点へ迫る。
次回、
第27話
「眠れない夜」
戦場で一番怖いのは、爆発音だけではない。
次の朝を信じられなくなることだ。




