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光は息をしている  作者: リンダ


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逃げる道

 第24話

「逃げる道」


 地下鉄駅にも、危険が近づいていた。


 人は増え続け、物資は減り続ける。


 水。

 食料。

 薬。

 毛布。

 赤ん坊のおむつ。


 すべてが足りなかった。


 オレクサンドルとオレーナは、ソフィーアを抱えて移動を決めた。


 安全な場所など、どこにもない。


 それでも、少しでも生き延びられる可能性のある場所へ向かわなければならなかった。


 車の中には、必要最低限の荷物だけを詰め込んだ。


 水。

 保存食。

 薬。

 ソフィーアの服。

 小さな毛布。

 書類。

 オレーナの楽譜。

 オレクサンドルの工具箱。


 エンジンをかけると、車内のラジオが雑音混じりに鳴った。


 ニュースは、さらに恐ろしい言葉を運んできた。


 原発が狙われた。


 その一言で、車内の空気が凍った。


 避難する人々の列の中で、誰かが叫ぶように言った。


「原発まで狙うのか!」


 別の人が震える声でつぶやいた。


「チョルノービリを忘れたのか……」


 ウクライナは、かつてソ連時代にチョルノービリ原発事故で大きな犠牲を払った国だった。


 放射能。


 避難。


 失われた故郷。


 見えない恐怖。


 その悪夢を、ウクライナの人々は知っている。


 オレーナはソフィーアを抱きしめた。


「また、あんなことが起きるの……?」


 オレクサンドルはハンドルを握りしめた。


 答えられなかった。


 さらにラジオは、南部のザポリージャ原発がロシア軍に占拠されたことを伝えていた。


 戦争は、兵士と兵士の戦いでは済まなくなっていた。


 街を壊す。


 家を壊す。


 人を殺す。


 そして、原発まで危険にさらす。


 ひとたび制御を失えば、被害は国境など関係なく広がる。


 オレクサンドルは低く言った。


「正気じゃない」


 オレーナも、怒りと恐怖で声を震わせた。


「自分たちだけじゃなく、世界まで巻き込む気なの?」


 ソフィーアは母の胸で泣き出した。


 オレーナはすぐに声をやわらげる。


「大丈夫。大丈夫よ」


 そう言いながら、彼女自身が大丈夫ではなかった。


 道路は混乱していた。


 避難する車。

 徒歩で移動する人。

 荷物を抱えた家族。

 泣きながら犬を連れた少女。

 杖をついて歩く老人。


 誰もが、どこかへ逃げようとしていた。


 しかし、逃げる道さえ安全ではない。


 検問。


 砲撃。


 燃料不足。


 通信の途絶。


 戦争は、生きるための選択肢を一つずつ奪っていく。


 途中、オレクサンドルは車を止め、壊れかけた発電機の修理を手伝った。


 避難民が集まる小さな施設で、発電機が止まりかけていたのだ。


「少しだけ時間をくれ」


 オレーナは不安そうに彼を見た。


「危なくない?」


「すぐ戻る」


 工具箱を抱え、彼は走った。


 配線は焼けかけ、接触も悪い。


 だが、まだ完全には死んでいない。


 オレクサンドルは手をかじかませながら、必死に応急処置をした。


 やがて発電機が低く唸り、照明が戻る。


 施設の中から、疲れ切った拍手が起きた。


 オレクサンドルは息を切らしながら戻ってきた。


 オレーナは何も言わず、彼の手を握った。


「あなたの手、冷たい」


「動くから大丈夫」


「無理しないで」


「誰かが暗い場所にいるなら、放っておけない」


 オレーナは泣きそうな顔で笑った。


「昔から変わらないね」


 夜。


 避難途中の一時停車場所で、家族三人は車内で身を寄せ合った。


 外は冷え込んでいる。


 燃料を節約するため、暖房も長くは使えない。


 オレーナはソフィーアを毛布で包み、子守歌を歌った。


 オレクサンドルはラジオの音量を下げる。


 ニュースはまだ続いていた。


 原発。


 攻撃。


 占拠。


 避難。


 被害。


 世界が壊れていく音だった。


 オレクサンドルは、ソフィーアの小さな手を握った。


 この子の未来に、放射能の恐怖まで背負わせるのか。


 この子の故郷を、また奪うのか。


 怒りで胸が焼けそうだった。


 だが、父ミハイロの言葉がよみがえる。


 憎しみに支配されたら、それこそ独裁者の思う壺だ。


 彼は奥歯を噛みしめた。


 憎まないことは難しい。


 それでも、憎しみだけになってはいけない。


 ソフィーアを守るために。


 オレーナを守るために。


 自分自身が人間でいるために。


 逃げる道は続いていた。


 安全な場所へ向かっているのか。


 ただ危険から遠ざかっているだけなのか。


 それすら分からなかった。


 けれど、車内には小さな命があった。


 母の歌があった。


 父の工具箱があった。


 それだけを頼りに、三人は夜の道を進んでいった。


 次回予告


 避難の道中、オレクサンドルたちは離ればなれになりかける。


 検問、砲撃、混乱。


 家族を守るための判断が、次々と迫られる。


 そしてオレクサンドルは、ロシア兵に拘束される人々の姿を目撃する。


 次回、

 第25話

「父の選択」


 守るために逃げる。

 だが時に、守るために残らなければならない。

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