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光は息をしている  作者: リンダ


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空が裂けた朝

第22話


「空が裂けた朝」


 2022年2月24日。


 その朝、世界は変わった。


 誰も望まなかった形で。



 キーウ近郊。


 地下鉄駅の構内。


 そこは本来、人々が通勤や通学のために利用する場所だった。


 だが今は違う。


 避難所だった。


 冷たいコンクリートの床。


 薄暗い照明。


 人、人、人。


 赤ん坊を抱く母親。


 高齢者を支える家族。


 毛布にくるまる子どもたち。


 駅のホームには無数の人々が身を寄せ合っていた。


 地上では爆発音が響く。


 遠くで鳴る砲撃。


 時折伝わる振動。


 そのたびに幼い子どもが泣き出す。



 ソフィーアも泣いていた。


 まだ一歳。


 何が起きているのか分からない。


 だが、大人たちの恐怖だけは伝わっていた。


「大丈夫よ」


 オレーナは娘を抱きしめる。


「ママがいるからね」


 だが、その声も震えていた。


 寒い。


 本当に寒かった。


 地下には暖房がない。


 電力インフラへの攻撃が始まり、停電も発生していた。


 燃料供給も混乱している。


 人々は持って来られるだけの毛布や衣類を重ねた。


 家族同士で肩を寄せ合う。


 見知らぬ人同士でさえ、場所を譲り合う。


 寒さは人を孤独にしなかった。


 むしろ、人を近づけた。



「どうぞ」


 年配の女性が毛布を差し出した。


 ソフィーアを見ていたのだ。


「赤ちゃんがいるでしょう」


「でも……」


 オレーナは遠慮した。


「あなたも寒いでしょう」


 女性は笑った。


「私はもう年寄りよ。若いお母さんと赤ちゃんの方が大事」


 オレーナは涙をこらえながら受け取った。


「ありがとうございます」



 食料も少なかった。


 パン。


 クラッカー。


 保存食。


 缶詰。


 わずかな水。


 人々は少しずつ分け合った。


 誰も十分ではない。


 だが、自分だけ助かろうとする人は少なかった。


 それがウクライナだった。



 一方。


 オレクサンドルは地下鉄駅の設備室にいた。


 避難してきた人々の中に電気技師がいると聞き、駅員が声をかけたのだ。


「見ていただけませんか」


 彼はうなずいた。


「やります」


 車に積んでいた工具箱。


 ペンチ。


 ドライバー。


 テスター。


 予備の配線。


 照明関係の工具。


 まさか戦争で使うことになるとは思わなかった。



 設備室の中は薄暗かった。


 非常電源だけが生きている。


 配線の一部が損傷していた。


 負荷が集中している。


 このままでは照明が落ちる。


 そうなれば地下は完全な闇になる。


「頼むぞ」


 駅員が言った。


 オレクサンドルは工具を握る。


「やってみます」



 彼は父ミハイロを思い出した。


 幼い頃。


 ネジの締め方を教わった。


 配線のつなぎ方を教わった。


 ラジオを作った。


 照明を学んだ。


 音響を学んだ。


 あの時は楽しかった。


 将来は舞台を照らす仕事をしたいと思っていた。


 まさか。


 戦争の避難所を照らすために使うことになるとは。



 作業は数時間続いた。


 手はかじかむ。


 寒い。


 眠い。


 だが止まれない。


 ホームには何百人もの避難民がいる。


 ソフィーアもいる。


 オレーナもいる。


 照明を落とすわけにはいかなかった。



 やがて。


 パチッ。


 照明が安定した。


 ホームが少し明るくなる。


 避難民たちから拍手が起きた。


 大きな拍手ではない。


 疲れ切った人々の小さな拍手。


 それでもオレクサンドルには十分だった。


「ありがとう」


「助かった」


「神様のようだ」


 そんな声が聞こえる。


 オレクサンドルは首を振った。


「違います」


 そして小さく言った。


「ただの照明屋です」



 ホームへ戻ると。


 オレーナが待っていた。


 ソフィーアは眠っている。


「おかえり」


「ただいま」


 オレクサンドルは娘の顔を見た。


 小さな寝息。


 毛布に包まれた小さな体。


 守りたいもの。


 その全てがそこにあった。



 その時。


 ラジオが流れ始める。


 雑音混じりの放送。


 政府による緊急放送だった。


「市民の皆さんへ――」


 駅全体が静かになる。


 人々は耳を傾けた。


 大規模攻撃への警戒。


 避難の呼びかけ。


 安全確保。


 冷静な行動。


 支援情報。


 次々と伝えられる。



 オレクサンドルはその声を聞いていた。


 幼い頃。


 遠くの放送を聞きたくてラジオを作った。


 今。


 そのラジオは人々の命をつなぐ声を届けている。


 不思議な気持ちだった。



 オレーナは娘を抱きながら歌い始める。


 小さな子守歌。


 周囲の子どもたちも少しずつ泣き止む。


 母親たちが耳を傾ける。


 歌は戦争を止められない。


 爆弾を防げない。


 だが。


 恐怖に震える心を少しだけ支えることはできる。



 地下鉄駅。


 寒さ。


 空腹。


 恐怖。


 不安。


 それでも人々は生きていた。


 支え合っていた。


 分け合っていた。


 希望を捨てていなかった。



 オレクサンドルはソフィーアの小さな手を握った。


 その手は温かかった。


 地下壕の寒さの中で。


 その温もりだけが、未来そのもののように感じられた。



次回予告


 ロシア軍はキーウへ迫る。


 避難民は増え続け、地下鉄駅は限界に近づいていく。


 オレクサンドルは設備修理を続け、

 オレーナは歌で人々を励ます。


 そして二人は、ブチャで何が起き始めているのかを知ることになる。


 次回、


 第23話


 「ブチャの沈黙」


 静かな街だった。


 だからこそ、その沈黙はあまりにも恐ろしかった。

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