第7話:鉄槌の会議室、暴かれる泥濘
【本話の登場人物】
佐藤 誠:主人公。被害者として同席。九条 怜奈:上司。会社側の立ち会い人。
神崎:佐藤の代理人。腕利き弁護士。
人事部長:処分の判断を下す責任者。
間宮:佐藤の部下。不倫の当事者。
本社九階。重厚な扉の向こうにある会議室は、外の晴天が皮肉に思えるほど、凍てつくような緊張感に包まれていた。
正面には人事部長が苦虫を噛み潰したような顔で座り、その隣には一糸乱れぬ姿勢の九条部長が、いつもの「氷の部長」として、一切の感情を排した眼差しで前を見据えている。
俺の隣には、チャコールグレーのスーツを完璧に着こなした神崎弁護士が、獲物を前にした獣のような不敵な笑みを浮かべて座っていた。
そして俺たちの対面に、顔面を土気色に変えた間宮が、今にも椅子の背もたれに溶け落ちそうなほど力なく座っている。
つい数日前まで、俺に「ネットカフェ難民になってなきゃいいっすけどw」と笑いかけてきた男の面影は、どこにもなかった。
「……では、聞き取りを開始します。間宮君、昨日の電話、および受任通知の内容について、弁明があるなら聞きなさい」
人事部長の重苦しい声が、静寂を切り裂いた。
間宮は震える唇を動かし、必死に言葉を探している。
「……あれは、その……。あくまで私生活のトラブルでして。仕事上で何かあったわけじゃ……」
「私生活のトラブル、ですか?」
神崎が、待ってましたと言わんばかりに、鞄から一束の資料を取り出し、卓上に滑らせた。
「では、説明してもらいましょう。間宮貴広君。君が佐藤誠さんの配偶者であった由香さんと不貞関係にあった証拠、および、佐藤さんの口座から君のために支払われたブランド品購入等の領収書一式です。これらはすべて、佐藤さんが誠実に働いて得た賃金から支払われています」
鮮明な写真と数字の羅列が、間宮の目の前に並ぶ。神崎が「毟り取って差し上げる」と言った通りの、逃げ場のない記録だ。
間宮は震える指先で資料を見つめ、掠れた声を絞り出した。
「……これ、は……。でも、彼女が『自分のお金だ』って言ってたんです! 俺は知らなかったんです!」
「いいえ。社内の規律を乱し、同僚の家庭を意図的に破壊した行為は、組織の秩序を著しく損なうものです。さらに、君のその態度は誠実さに欠けるどころか、社会人としての資質を疑わざるを得ないわね」
部長が、低く、体温の感じられない声で断じた。その冷徹な響きに、間宮の肩が大きく跳ねる。
「それだけではないわ」
部長はさらに、手元のプロジェクト資料を突きつけた。
「貴方が放置して逃げ出した案件を確認したけれど、内容があまりに杜撰よ。ライバル企業のデータも、顧客のニーズも、すべて表面的な調査で終わっている。……貴方の本質は、そうやって他人の成果や、他人の家庭に寄生して楽をすること。それが今回の件で、明確に露呈したわね」
逃げ場を失った間宮は、ガタガタと膝を震わせながら、突然、隣にいる俺を指差して叫んだ。
「ち、違うんです! 全部、由香さんにやれって言われたんです! あいつを追い出せば、マンションも給料も全部俺たちのものになるからって、彼女にそそがされただけで……俺は被害者なんです! あいつが『誠実すぎて退屈だ』って言ったのも彼女で、俺はただ誘いに乗っただけなんです!」
あまりの醜態に、俺の心の中にあった怒りは、冷ややかな落胆へと変わっていった。
『あんたの誠実さって、ただの退屈なのよ』
妻が俺を捨てた時に放ったあの言葉。その彼女が選んだ「刺激」の正体が、窮地に陥れば愛した相手を平然と売る、この無様な男だったのか。
「見苦しいわよ、間宮君。責任転嫁をする暇があるなら、自分のしでかした不誠実を噛み締めなさい」
部長の言葉が、会議室に鋭く突き刺さる。
神崎が不敵な笑みを深くした。
「法的にも社会的にも、君に逃げ場はありません。さて、慰謝料と賠償金、どう工面するか。じっくり話し合いましょうか」
間宮の喉から、ひゅっ、という短い悲鳴が漏れた。
「……間宮君。君には本日付で無期限の自宅待機を命じる。……以上だ。退出したまえ」
人事部長の最後通告に、間宮はついに椅子から崩れ落ちた。
俺は、無様に這いつくばるかつての部下から視線を外し、隣で凛として座る部長を見た。
会議室を出る際、彼女が俺の隣に並び、周囲に聞こえないほどの小さな声で囁いた。
「……お疲れ様。まずは一つ目ね、佐藤君」
彼女の僅かな微笑みが、俺の強張っていた心を、優しく解き放ってくれた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
誠実すぎて全てを失った佐藤と、孤独を合理性で隠していた怜奈。
二人の再生の物語を、これからも見守っていただければ幸いです。
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