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誠実だけが取り柄の僕が、不倫した妻に家を追い出された夜。会社一冷徹な42歳の女上司に拾われたら、彼女の私生活はボロボロだった  作者: 寝不足魔王


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第15話:契約更新、あるいは揺らぎ

 休日の穏やかな日差しが差し込むリビングで、俺は静かに受話器を置いた。

 数分間に及んだ通話。耳の奥には、かつての義父母の、震えるような謝罪の声が重く残っていた。由香がしでかした不貞と、その後の惨めな現状を知った彼らは、ただただ俺に申し訳ないと泣き、十年間も誠実に自分たちの娘を、そして家を支え続けてくれた「息子」のような存在を失ったことを、心から悔やんでいた。


「……ようやく終わったかしら?」

 ソファでタブレットを眺めていた九条部長――怜奈さんが、視線を上げずに問いかけてきた。彼女はラフなTシャツ姿で、いつものように家の中だけの無防備な姿で寛いでいる。


「はい。……由香のご両親からでした。今回のこと、どうしても直接お詫びしたいと」

「誰からかと思えば。……律儀なことね。でも、相手が誰であれ、今の貴方の時間を奪うのは非効率極まりないわ」

 怜奈さんはタブレットを置き、俺を真っ直ぐに見つめた。

「でも、納得だわ。貴方のその、時として馬鹿が付くほど過剰な誠実さは、ご両親くらいの年齢の方には最高に好感度が高いでしょうからね。……どこに出しても恥ずかしくない、理想の身内。彼らが貴方を手放したことを、自分の指を噛み切るほど悔やむのは、当然の帰結よ」


 彼女はそこで一度言葉を切り、少しだけ気恥ずかしそうに視線を泳がせたかと思うと、ふいと顔をそむけた。

 そして、俺の耳にかろうじて届くか届かないかの、蚊の鳴くような小声で、絞り出すように付け加えた。

「……私の、両親にも、」


「え……? 怜奈さん、今、なんと?」

「な、何でもないわよ! 独り言に貴方の貴重なリソースを割かないでちょうだい!」

 彼女は一瞬で耳まで真っ赤にし、慌ててタブレットを顔の前に掲げた。その不自然なほどの動揺は、彼女が俺を単なる一時的な家政夫としてではなく、もっと別の……自分の家族や人生に関わる存在として意識し始めていることを物語っていた。


 ◇


 静寂がリビングを包む中、俺のスマホに神崎弁護士から短い事務連絡が入った。

 かつてのマンションの売却手続きが、すべて完了したという通知。

 これにより、俺が家を追われて始まった「仮の生活」の法的・経済的な理由は、完全に消滅したことになる。


 俺は、当初の約束を思い出し、窓の外の青空を眺めた。

『行く当てがないなら、私の家に来なさい』

 あの日、雨の中で差し出された救いの手。条件は「家が見つかるまで」の家政夫代行。

 整理がすべて終わった今、俺はこの場所から立ち去る「自由」を手に入れた。だが、その自由が、今は酷く空虚に感じられた。


「……佐藤君。神崎から連絡があったのでしょう。……あちらの整理は、すべて終わったそうね」

 怜奈さんが、タブレットを置かずに問いかけてきた。その声は平坦だったが、どこか緊張を含んでいるように聞こえた。


「はい。すべて、終わりました。……俺は今、どこへでも行ける身です」

「……そう。合理的に考えれば、貴方はこれからの自分の人生を再構築するために、最適な拠点を探すべきね。……私の家は、あくまで一時的な避難所だったのだから」


 彼女はワイングラスを揺らし、窓の外の夜景に目を向けた。

 引き止める言葉など、何一つ口にしない。それが彼女の矜持なのだろう。だが、グラスを持つ指先が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。

「生活のリソース配分を再考する必要があるわね。貴方がいなくなることで生じる私のパフォーマンス低下は、数値化すれば甚大なものになるわ。……それを補填するための新しい家事代行を探す手間も、非効率極まりない」


 彼女は必死に、自分自身の不安を「効率」という言葉で塗り潰そうとしていた。

 そんな彼女の不器用な姿を見て、俺の心は決まった。


「……怜奈さん。私は、自分の誠実さをどこに捧げるべきか、もう決めています」

「……どういう意味?」

「合理性、という言葉を借りるなら。俺が最も高いパフォーマンスを発揮できる場所は、ここ以外にありません。……ここにいさせてくれませんか。俺が整え、怜奈さんが待っていてくれる、この場所をまだ守りたいんです」


 怜奈さんは一瞬だけ目を見開き、それからゆっくりと、憑き物が落ちたように息を吐き出した。

「……貴方は、本当に非合理的な男ね。……まあ、いいわ。私の生活基盤が崩れるのは、甚だ非効率だもの。……今の貴方の提案、受理してあげる」


 彼女はそっぽを向きながらも、口角を僅かに緩めていた。

 家政夫という契約はまだ続いている。けれど、そこにはもう「同居の必然性」ではない、互いを必要とする静かな意思が混じり始めていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


誠実すぎて全てを失った佐藤と、孤独を合理性で隠していた怜奈。

二人の再生の物語を、これからも見守っていただければ幸いです。


もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

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何卒、よろしくお願いいたします!


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