第三百二十七話:公安の急襲
日本の公安当局にとっても、私たちの存在と、「扉」の存在は、日に日に看過できない脅威となっていた。【らーめん頑徹】の異常なまでの人気、ネット上に溢れる「異世界食材」に関する真偽不明の情報、そして何より、斎藤(父)が巧妙にリークしてくる断片的な情報(それは公安を撹乱するための偽情報も含まれていたが)…。それら全てが、彼らに一つの結論を確信させていた。斎藤莉奈とその仲間たちは、日本の平和と秩序を脅かす、制御不能な存在である、と。そして、彼らはついに、実力行使を決断した。
目標は、対象者たちの確保、及び「扉」の完全な制圧。作戦名は「パンドラ」。
その日の早朝、まだ東京の大部分が深い眠りについている時間。私たちの潜伏先である安宿の周辺は、一般市民に気づかれぬよう、しかし完璧に、数十名の武装した公安警察および特殊部隊によって包囲されていた。全ての通信は遮断され、逃走経路は断たれた。
ドォン!という鈍い音と共に、ホテルの玄関と、私たちの部屋のドアが、同時に爆破された。
「対象を発見!突入せよ!」
閃光弾が炸裂し、目が眩むほどの閃光と轟音が部屋を満たす。同時に、催涙ガスが投げ込まれ、息が詰まるような刺激臭が鼻をついた。
「ぐっ…!」
ケイレブ様とゴークが、異世界の戦場では経験したことのない化学兵器と奇襲攻撃に、一瞬怯む。だが、彼らはすぐに体勢を立て直し、突入してくる黒ずくめの隊員たちに応戦した。屈強な肉体と、異世界で培われた超人的な戦闘技術は、日本の法執行機関の隊員たちを圧倒するかに見えた。
だが、相手は数と装備、そしてこの環境における地の利で勝っていた。狭いホテルの廊下や室内では、彼らの剣や斧を振るうスペースは限られ、逆に隊員たちが使うスタンガンや特殊警棒、ネットランチャーといった非殺傷兵器が効果を発揮した。
「くそっ、キリがねえ!」
ゴークが、飛びかかってくる隊員を投げ飛ばしながら叫ぶ。
「罠だ!我々は完全に包囲されている!」
ケイレブ様も、冷静さを失いかけていた。
乱戦の中、私はマヤを庇いながら、必死に出口を探していた。その時、マヤが鋭く叫んだ。
「莉奈さん、危ない!壁の向こうから、もっと大きな力が…痺れる味がします!」
マヤの神の舌は、壁一枚隔てた隣の部屋で待機していた、対異世界存在用の特殊装備(おそらくは高圧電流か音響兵器)を纏った部隊の存在を察知していたのだ。このままでは、文字通り袋の鼠だった。
「ここまでか…!」
ケイレブ様が、最後の抵抗を覚悟したように、歯を食いしばる。
だが、その瞬間、私の手の中の通信石が最後の、そして最も強い光を放った。異世界のラボから、ジロが送り込んできた、たった一言の、しかし完璧なタイミングのメッセージ。
『―――跳べ』
それは、彼が魁人と共に解析・設置した、緊急脱出用の微小次元転移の発動コードだった。転移先は、ただ一つ。あの物置の扉。
私は、仲間たちに向かって、最後の力を振り絞って叫んだ。
「みんな、扉へ!」
マヤが、煙と混乱の中で、唯一正確な方向を指し示す。私たちは、彼女の小さな手を頼りに、まるで奇跡のように敵の包囲網をすり抜け、決死の覚悟で、異世界へと繋がる【らーめん頑徹】の物置の扉へと飛び込んだ。ケイレブ様が、最後尾で追っ手を食い止めるために残ろうとしたが、私は彼の腕を掴んで無理やり引きずり込んだ。
だが、乱戦の中、全ての仲間が脱出できたわけではなかった。異変に気づき、私たちを助けようと駆けつけたドルフさんが、突入してきた特殊部隊の隊員たちに取り押さえられてしまったのだ。彼の巨体は、日本の法執行機関の連携と装備の前には、あまりにも無力だった。
「ドルフさん!」
扉が眩い光と共に閉じる寸前、私が見たのは、床に押さえつけられながらも、こちらを睨みつけ、「行け!」と、まるで魂で叫ぶかのように口を動かす、ドルフさんの鬼気迫る顔だった。
強い光と共に、扉は完全に閉ざされた。
私たちは、命からがら異世界へと逃れた。だが、その代償として、かけがえのない仲間を、最も危険な敵地に、一人残してきてしまったのだ。厨房に満ちた安堵の空気は、すぐに絶望的なまでの罪悪感と焦燥感に変わった。




