第二百九十五話:鉄の箱の静寂
「―――これは商売ではなく、戦争です!」
スーパーマーケットという名の戦場で、ミーシャが放った宣言は、私たちの短い聖地巡礼が、ただの観光では終わらないことを予感させていた。買い物カゴに詰め込んだ、色とりどりの食材のパッケージが、まるで戦利品のように鈍い光を放っている。
「さあ、みんな。いつまでもここにいると目立つわ。一度、宿に戻りましょう」
私がそう言うと、仲間たちはまだ興奮冷めやらぬ様子で頷いた。問題は、どうやって帰るかだ。徒歩では時間がかかりすぎるし、何より、ケイレブ様やゴークのあまりにも場違いな出で立ちは、人々の注目を集めすぎてしまう。
「鉄の竜(自動車)は危険だ。だが、あれに乗れば早く帰れるのでげすか?」
「いえ、ゴークさん。あれは個人が所有するものがほとんど。私たちが乗るのは、こっち」
私が指さしたのは、駅の入り口だった。地下へと続く、巨大な洞窟の入り口のような階段。その奥から、規則正しい電子音と、人々の無機質な足音が響いてくる。
駅の構内は、スーパーマーケットとはまた違う、機能美と喧騒に満ちていた。壁に埋め込まれた、行き先を示す光る板(電光掲示板)を、ミーシャは食い入るように見つめ、その情報伝達の速さと正確さに感嘆の声を漏らす。
切符を買うための自動券売機の前では、ゴークが再び格闘を演じていた。
「この魔法の箱め!俺の金貨を食わねえか!」
「だから、この世界の紙と硬貨じゃないとダメなんですってば!」
私が前世の記憶を頼りに小銭を投入し、数枚の小さな紙切れ(切符)が出てきたのを見て、ゴークは「なんと……供物を捧げたら、通行許可証が出てきたでげす……」と、独自の解釈で納得していた。
ホームに立つと、ケイレブ様の緊張が再び高まった。足元に引かれた黄色い線。その内側に、人々が寸分の狂いもなく整然と並んでいる。
「……結界か?この黄色い線が、民を守るための魔法陣の一種なのだな」
「いえ、ただの安全のための線です」
私の答えに、ケイレブ様はますます表情を険しくした。ただの線と約束だけで、これほどの群衆が統制される。やはりこの世界の「法」は、剣や王の命令よりも、ずっと強力な支配力を持っている。
ゴウッ、という地響きと共に、それは現れた。
鉄の巨体、無数の窓、そして轟音。私たちの目の前で、巨大な鉄の箱の連なりが、寸分の狂いもなく停止する。
「うおおっ!鉄の百足だ!」
ゴークが素っ頓狂な声を上げる。
プシュー、という音と共に、目の前の壁が左右にスライドして開いた。ケイレブ様は、その無機質で完璧な動きに、無意識に剣の柄に手をかけていた。
私たちは、恐る恐る、その鉄の箱――電車の中へと足を踏み入れた。
中は、外の喧騒が嘘のように静かだった。人々は、空いた席に座るか、吊り革を掴んで静かに佇んでいる。壁には、美しい女性が微笑む絵や、食欲をそそる料理の写真(広告)が、整然と並べられていた。
やがて、滑るように電車が動き出す。窓の外の景色が、信じられない速度で後ろへと流れ去っていく。
「速い……!馬や飛竜よりも、ずっと速い……!」
ゴークが、窓に顔を押し付けて興奮している。
ミーシャは、広告の一つ一つを指さし、「素晴らしい。移動時間という無駄を、購買意欲の醸成という有益な時間に変えている」と、経営者目線での分析に夢中だった。
だが、私とケイレブ様、そしてマヤは、別の異様さに気づいていた。
静かすぎるのだ。
これだけの人間が、この狭い空間に押し込められているというのに、話し声がほとんど聞こえない。誰もが、自分の手の中にある、小さな光る板に視線を落とし、その指先を滑らせているだけ。隣に誰が立っていようと、無関心。彼らは、確かにここにいるのに、その心は、この場所にはない。
「……リナ殿」ケイレブ様が、低い声で私に尋ねた。「彼らは、何をしているのだ?あの光る板は、戦況を伝える魔法の鏡か?」
「いえ……あれは、遠くの友人と話したり、物語を読んだり、世界の出来事を知ったりするための、便利な道具です。一人で、何でもできる」
「一人で……」
ケイレブ様は、その言葉を反芻した。彼の世界では、情報は吟遊詩人が歌い、物語は焚き火を囲んで語られるものだった。その全てが、この小さな板の中にあり、一人で完結してしまう。
その時、目を閉じていたマヤが、悲しそうに顔を上げた。
「大師匠。この鉄の箱の中……味が、とても薄いです」
彼女は、自分の胸にそっと手を当てた。
「みんな、ここにいるのに、どこか遠い場所にいる味がします。たくさんの人がいるのに、独りぼっちの味がする。それと……ピリピリ、チカチカする、小さな雷の味が、たくさんします」
マヤの言葉は、この空間の本質を、的確に言い当てていた。
繋がりながらも、孤独。
便利さと引き換えに失われた、人の温もり。
私がこの世界を去った時よりも、その静寂は、さらに深く、冷たくなっているように感じられた。
やがて、電車は目的の駅に到着した。私たちは、人々の流れに押し出されるように、ホームへと降り立つ。
仲間たちは、肉体的な疲労はないはずなのに、どこかぐったりとしていた。あまりにも多くの情報と、未知の文化。その全てが、彼らの魂を静かに疲れさせていた。
私たちが借りた、安宿の一室。買ってきた食材をテーブルに並べ、ようやく一息ついた、その時だった。
コン、コン。
部屋の扉が、控えめに、しかし鋭くノックされた。
私が警戒しながら扉を開けると、そこに立っていたのは、予想だにしなかった人物だった。
黒を基調とした、シンプルで機能的なこの世界の服を、まるで生まれついての自分の物であるかのように着こなしている。その表情は、いつもと変わらず冷徹で、その瞳は、すでにこの世界の全てを分析し終えたかのような、深い光を宿していた。
ジロだった。
「……ずいぶんと時間がかかったな」
彼は、部屋の中の仲間たちを一瞥すると、呆れたように、しかしどこか楽しげに、こう言った。
「感傷に浸って道に迷っている間に、私は、この文明における食料流通システムの、根本的な欠陥を三つ、すでに見つけ出したが?」




