第二百八十一話:的外れな処方箋
夜明けと共に、【ラーメン処 聖女の厨房】の前にできた、ささやかな食材の山。その光景は、ミーシャが即座に書き上げた瓦版によって、街の隅々にまで知れ渡った。それは、街の人々の心が、まだ死んではいないことの、何よりも雄弁な証だった。
その報せは、街の指導者たちにも、新しい、しかし少しだけ的外れな希望を与えてしまった。
「……見たか、ケイレブ」
円卓会議の議長室で、ドルフさんは窓の外、活気を失った広場を見下ろしながら、腕を組んで唸った。「街の連中は、まだ聖女様を諦めてねえ。俺たちが、このまま黙って見てるわけにはいかねえだろうが」
「ええ」ケイレブ様も、静かに頷く。その氷の仮面のような表情の奥には、莉奈を救えない自らへの不甲斐なさが、深く刻まれていた。「彼女は、我々の光だ。その光が消えかけているのを、座して見ているわけにはいかない」
二人の英雄は、莉奈を元気づけようと、それぞれが信じる最善の方法で、行動を開始した。だが、その処方箋は、彼女の心の病の、本質からは少しだけずれていた。
まず動いたのは、ドルフさんだった。彼は、持ち前の豪快さで、街の空気を一変させようと試みた。
「野郎ども、いつまで湿っぽい顔をしてやがる!聖女様が塞ぎ込んでるなら、俺たちがバカ騒ぎしてでも、その心をこじ開けてやるんだよ!」
彼は、ギルドの冒険者たちと商人たちを動かし、街を挙げての、大規模な「大師匠を元気にするための大宴会」の開催を布告した。市場には再び活気が戻り、吟遊詩人たちが陽気な歌を歌い始める。街は、莉奈を元気づけたいという、一つの善意の熱狂に包まれた。
一方、ケイレブ様は、別の方法で莉奈の心を癒そうとした。彼は、騎士団の精鋭数名だけを連れ、誰にも告げずに街を出立した。彼が向かったのは、古文書にのみ記された、幻の「月光花」が咲くという、険しい山脈の奥地。その花は、月夜にだけ、人の心を穏やかにする、優しい光を放つという。
(……あなたが我々に与えてくれた温もりを、今度はこちらが)
彼は、ただその一心で、危険な崖を登り、美しい一輪の花を、莉奈に捧げようとしていた。
街の仲間たちの、不器用で、しかしどこまでも温かい想い。
その知らせは、ミーシャを通して、部屋に閉じこもる私の耳にも届いていた。
「莉奈さん、聞いてください!ドルフさんたちが、あなたのために、街中でお祭りを…!ケイレブ様も、きっと素敵な贈り物を持って帰ってきてくださいます!」
ミーシャは、心から嬉しそうに報告してくれる。
だが、私の心は、その温かさに応えることができなかった。それどころか、仲間たちの純粋な善意が、鉛のように重く、私の心をさらに沈ませていく。
(……違う)
私は、ベッドの上で膝を抱え、首を横に振った。
(違うの。私が欲しいのは、お祭り騒ぎでも、綺麗な花でもない)
彼らは、私がただ「悲しんでいる」のだと思っている。励ませば、元気になるのだと信じている。
だが、私の心は、悲しいのではない。壊れてしまったのだ。空っぽになってしまったのだ。
その苦しみの本質を、誰にも理解してもらえない。その孤独感が、私をさらに深い闇へと引きずり込んでいく。
街は、私のために、温かい湯気を立てている。
だが、その湯気は、今の私には、届かない。
私は、ただ一人、心の厨房で、冷たくなっていく灰を、見つめているだけだった。




