伴天連追放令(上) 伴天連は、二十日のうちに出ていけ
一五八七年 晩夏 筑前 博多
博多の町は、縄だらけだった。
焼け跡の上に、縄が縦横に張ってある。戦で焼けた町を、兄が建て直させているのだという。縄の上を役人が歩き、竿を当てて、ここから先が一町、ここが辻、と大声で叫んでいた。焼け残った柱のあいだで、町の者たちが、その声に合わせて土を運んでいた。
俺は、佐土原から日向の山を越えて、ようやく兄の陣に追いついたところだった。高虎が、背中に小さな甕を一つ、縄でくくりつけて歩いていた。家久から預かった、あの焼酎だ。
「殿。これは、いつまで背負うておればよろしいので」
「次に家久殿に会うまでだ」
「それがしは、飲んではおりませぬぞ」
「分かっている。匂いで分かる」
辻の角に、人だかりがしていた。高札が立っている。字の読める者が声に出して読み、読めない者がそれを聞いて、顔を見合わせていた。
「伴天連は、日本の地にいてはならぬ。今日より二十日のうちに、支度をして国へ帰れ。」
俺は、高札の前で足を止めた。年表に書いた一行が、頭に浮かんだ。
1587年、夏。バテレン追放令。
前の世で読んだときは、教科書の太字の一つでしかなかった。
目の前で、魚の籠を背負った女が、高札を見上げて、首から下げた小さな十字架を、着物の襟の中へそっと押しこんだ。
◇
兄の陣は、博多の北の箱崎にあった。
陣幕に入ると、兄は床几に腰かけて、片方の腕をまくり上げていた。その手首に、坊主頭の年寄りが、指を当て、目を閉じて、口の中で何かを数えていた。
「おお、小一郎か。遅かったのう。全宗、こやつが白湯の陣の大将じゃ」
年寄りが、片目だけ開けて、俺を見た。
施薬院全宗。
兄のそばに仕える医者で、もとは比叡山の僧だったと、秀長の記憶が教えた。京で、貧しい者に薬を施す施薬院という古い役所を、兄に頼んで建て直させた男だ。兄の脈は、毎朝この男が取る。
「羽柴殿の白湯の評判は、京まで届いておりますぞ。白湯で戦に勝てるのなら、拙僧ら医者は、明日から何をすればよろしいのでござろうか」
「白湯で勝ったのではありませぬ。腹を下さなかっただけでございます」
「同じことでござる」
全宗は、兄の手首から指を離さないまま、ふん、と鼻を鳴らした。それから、兄に向き直った。
「殿下。脈が速うございます。今朝も、お腹立ちが過ぎましたな」
「これで腹が立たずにおれるものか」
兄は、まくった袖を乱暴に下ろした。
「小一郎。わしは、南蛮の坊主どもを国から追い出すことにしたぞ。高札は、見たか」
「見ました」
「このあいだ、あやつらの頭が、南蛮の船でわしを出迎えおった。小さな船じゃが、大筒を何挺も積んでおっての。わしを乗せて、博多の沖を走り回ってみせたのじゃ。南蛮には、こういう船がいくらでもある、とわしに見せびらかしておるようじゃったわ」
兄の膝が、小刻みに揺れていた。
「それに、高山右近じゃ。あやつに、南蛮の神を捨てよと申したら、捨てぬと申しおった。わしの前で、領地より神を取ると申したのじゃぞ。右近の領地は、取り上げてやったわ」
俺は、兄の手を見ていた。膝の上で、指が震えていた。大坂の屋敷で、家康の手を取ったときと、同じ震え方だった。この人は、怒っているのではない、と俺は思った。怖がっている。大筒を積んだ船と、自分より神を取る家臣とを。
全宗が、横から言った。
「南蛮の教えは、日本の神仏を焼き、寺を壊させまする。南蛮の医術とやらも、邪法の類でござる。病人の腹に刃物を入れると聞き申した」
兄の書付を後押ししたのは、この男だった。歴史の本の、小さな注に書いてあったのを、俺は思い出した。
全宗は、兄の脈を取り終えると、俺の前を通って陣幕を出ていった。すれ違うとき、全宗の指先から、嗅ぎ慣れない匂いがした。松脂に似ていて、少し甘い。この陣で焚いている香の匂いではなかった。医者が膏薬を練った指の匂いだ、と俺は思った。だが、どこの膏薬なのかは、分からなかった。
◇
その日の夕方、俺は高虎を連れて、博多の浜のほうへ歩いた。
浜に近い焼け跡に、小さな板葺きの建物があった。屋根の上に、木の十字架が掲げてある。兄が、ほんのひと月前に、南蛮の坊主たちに寺を建てる土地としてくれてやった場所だと、町の者が教えてくれた。
建物の前に、人が並んでいた。腹の膨れた子を抱いた女。足に布を巻いた漁師。目のただれた年寄り。並んでいる者たちは、誰も、首に十字架を下げてはいなかった。
中では、白髪の年寄りが、漁師の足の布をほどいていた。日本人だった。黒い南蛮の衣を着て、首から十字架を下げている。年寄りは、漁師の足のただれた傷を、小さな瓶の中身で洗った。漁師が、悲鳴を上げた。
匂いで分かった。南蛮の酒だった。
「傷を、酒で洗うのか」
思わず、声が出た。年寄りが振り返り、俺の身なりを見て、あわてて膝をついた。
「パウロと申します。豊後の府内の、南蛮の病院で、医術を習いました。傷は、酒で洗うと、膿みにくうなります。南蛮では、そう教えております」
前の世の外科なら、当たり前のことだった。それを、この時代に、この年寄りは知っていた。
漁師が、また暴れた。高虎が、黙って漁師の肩を押さえつけた。押さえながら、鼻をひくつかせて、パウロの手の瓶を見ていた。背中の焼酎の甕より、そちらの匂いのほうが気になるらしかった。
「パウロ殿。ここを出たらどこへ行く」
「平戸へ下ります。南蛮の船が出るまで、そこで待てと言われております」
パウロは、漁師の足に新しい布を巻きながら答えた。手は止めなかった。
「病人は、連れては行けませぬ。薬も、ほとんど置いてゆけませぬ。南蛮の坊主のものは、一つ残らず始末されると聞いております」
俺は、並んでいる者たちを、もう一度見た。この施療所は、パウロがいなくなれば、なくなる。ここで傷を洗ってもらっている漁師は、また傷を泥のついた手で押さえることになる。
施療所の奥の、暗い隅に、見覚えのある背中があった。杖を脇に置いて、膝を引きずって座り、何かを両手で握って、頭を垂れている。
「官兵衛殿」
官兵衛は、ゆっくりと振り返った。握っていたものを、さりげなく袖の中にしまった。小さな木の十字架の端が、ちらりと見えた。
「大将。拙者は、膝の具合を、ここの年寄りに診てもろうておっただけでござる」
「膝なら、俺も診るぞ」
「拙者の膝は、拙者の勝手でござる」
官兵衛は、そう言って、黙った。それ以上は、何も言わなかった。言わなくても、分かった。
◇
陣に戻ると、兄の使い番が待っていた。
「殿下が、お呼びでございます」
陣幕の中で、兄は全宗に脈を取らせたまま、俺を見上げた。
「小一郎。浜の南蛮寺に行っておったそうじゃな」
「病人を診ている年寄りがおりました」
「二十日たったら、あれは焼け」
兄は、事もなげに言った。
「坊主どもが去ったあと、建物を残しておけば、またあやつらが戻ってくる。おぬしは九州の大将じゃ。おぬしの手で焼くのじゃ。おぬしが焼けば、九州の大名どもも、わしの書付が本気だと分かるじゃろ」
全宗が、兄の手首から指を離して、頭を下げた。
「殿下のご英断にござる」
兄は、俺の顔をじっと見た。それから、にやりと笑った。
「おぬしは、わしの酒は断りおった。じゃが、わしの言いつけに否と言うたことは、生まれてから一度もないからのう」
兄は、祐筆に書かせた書付を一枚、俺の膝の前に置いた。
『博多の南蛮寺の始末を、羽柴小一郎に任す。』
そう書いてあった。墨は、まだ乾いていなかった。
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