九州仕置(下) 毒を疑われたので、大将が先に飲むことになった
◇
畳に広がった白湯を、家久は、しばらく黙って見下ろしていた。
それから、大きな手で家老の肩をつかんで、座らせた。
「爺は、心配性でな。わしが赤子のころから、こうじゃ。わしが転べば地面を叱り、わしが風邪をひけば風を叱る」
家老は、座らされても、俺から目を離さなかった。
「されど、羽柴殿。爺の言うことにも、筋はござる。わしが羽柴の薬を飲んで死ねば、島津の者は、末代まで羽柴を許さぬ。飲まずに死ねば、それはわしの寿命じゃ。降った身で、羽柴殿に迷惑はかけられん」
家久は、そう言って、また焼酎の椀を取った。
この男の言うことは、筋が通っていた。降った敵の大将として、いちばん筋の通った答えだった。だから、困った。筋の通った男ほど、筋の通ったまま死んでいく。こういう患者を、前の世の病院で、何人も見てきた。
「では、こうしましょう。それがしが家久殿にお出しするものは、すべて、それがしが先に飲みます。この家老殿の目の前で」
家老の眉が、跳ね上がった。
「大将が、毒見をなさると」
「毒など入っておらぬのだから、毒見ではない。ただ、先に飲むだけだ」
家久は、焼酎の椀を口の前で止めたまま、俺と家老とを見比べた。それから、腹をかばいながら、からからと笑った。
◇
その夜、俺は、年表の九州の行のあとに、こう書き足した。
1587年、夏。島津家久、佐土原で急死。秀長が毒を盛ったとの噂。
書いてから、しばらくその行を見ていた。自分で自分の悪い噂を書くのは、妙な気分だった。
◇
翌朝から、佐土原の城へ通う日が続いた。
持っていくものは、決めてあった。白湯。塩をほんの少しにした粥。それに、川原で摘ませた草の煎じ汁。川原によもぎに似た細い草が生えていて、黄色くなった体に飲ませる薬として、昔から使われてきた。前の世の漢方の本で、読んだことがある。名前は、茵蔯という。
家久の居間で、俺はまず、白湯をひと口飲む。家老が、俺の喉が動くのをにらんでいる。
「半刻、お待ちくだされ」
「毒は入っておらんと申したぞ」
「入っておらぬなら、半刻待っても障りはござるまい」
家老は、てこでも動かなかった。俺は、半刻のあいだ、家久の居間に座っていた。家久は、そのあいだ、戸次川の戦の話をした。根白坂の話をした。薩摩の芋の話をした。半刻たって俺が倒れないのを確かめてから、家老はようやく、椀を家久の前に置いた。
次は、粥だ。ひと口食べて、半刻。
次は、煎じ汁だ。これが、ひどく苦かった。ひと口飲んで、顔をしかめて、半刻。
家久は、自分が飲む前に俺がしかめた顔を見て、膝を叩いて笑った。
「羽柴殿。毒より、苦いのではござらぬか」
「苦いのは、効く証です」
前の世で、俺に漢方を教えた年寄りの医者の口癖だった。家久は、気にもとめずに、苦い汁を、ひと息にあおった。そして、わざと俺の何倍も顔をしかめてみせた。
朝に一度では足りなかった。家久の体には、昼も夜も、水と薬を入れたい。昼にも通い、夜にも通った。そのたびに、俺が先に飲んだ。白湯を日に十何杯も飲み、煎じ汁を日に三度もあおっていると、体のほうが黙っていなかった。
とうとう、ある日の昼、家久の居間を中座して、俺は廊下を小走りに急いだ。廊下の角で、高虎が待っていた。
「殿。川の下手、百歩でござる」
「ここは城の中だ。あの三か条は、陣でのことだ」
「殿が出された三か条でござる」
高虎は、真顔だった。俺は、本当に百歩離れた厠まで走った。戻ってくると、家久が、居間の縁側から身を乗り出して笑っていた。家老は、笑ってはいなかったが、口の端が、ほんの少しだけ動いていた。
◇
焼酎は、家久の居間から消えたはずだった。
消えたはずの焼酎の匂いが、家久の息からした。居間を見回すと、床の間に飾った兜が、少し傾いていた。兜を持ち上げると、中に、小さな徳利が隠してあった。
家久は、天井を見ていた。
ある日は、薬湯の徳利の中身が、焼酎にすり替えてあった。また別の日は、庭の松の根もとから、徳利が掘り出された。掘り出したのは、家老だった。
家老は、毎朝、俺より先に家久の居間に入り、床の間と、押し入れと、庭の松の根もとを見て回るようになっていた。
「殿。羽柴殿のお許しが出るまで、焼酎はなりませぬ」
「爺。おぬしは、どっちの家老じゃ」
「殿の命に日限を切られては、爺も、延ばしとうなり申した。殿がおらんようになったら、爺は、叱る相手がおらんごつなり申す」
家久は、ぷいと横を向いた。白目の黄色が、少しだけ薄くなっていた。
その夜、官兵衛が、杖をついて俺の宿所に来た。
「大将。毎日、佐土原の城で、厠と居間を往復なさっておるそうでござるな。陣中の噂でござる」
「陣中の噂は、たいてい俺の厠の話だな」
「悪い噂ではござらぬ。家久殿を生かして帰せば、羽柴は降った敵の大将も殺さぬ、と九州じゅうに知れまする。肥後の国人も、筑前の国人も、羽柴に降りやすうなる。兵を一人も使わぬ、いちばん安い調略でござる」
官兵衛は、そう言ってから、少し黙った。それから、ついでのように付け加えた。
「拙者の膝も、湯で温めておったら、ちと曲がるようになり申した。拙者の勝手でござるが」
一五八七年 夏 日向 佐土原
兄が来たのは、夏の盛りだった。やはり、来たか。
薩摩から筑前へ戻る途中、わざわざ道を曲げて、日向へ寄ったのだという。供を連れて佐土原の城に入ってくると、兄は、俺の顔を見るより先に、台所をのぞいた。
「小一郎。白湯の陣とやらを、見せよ」
兄は、湯気の立つ鍋をのぞきこみ、柄杓で椀に白湯を汲ませた。ひと口すすって、顔じゅうの皺を、真ん中に寄せた。
「まずい」
「郡山でも、そう仰せでした」
「郡山の汁より、まだまずいぞ。これを、十万の兵が飲んだのか」
「飲みました。ぬるうてまずいと文句を言いながら」
兄は、もうひと口すすって、また顔をしかめた。それから、居間の縁側で日に当たっている家久を見つけた。家久は、兄に向かって手をついた。家久の白目は、もう、ほとんど白かった。
兄は、家久と俺とを見比べた。家久の膝もとには、煎じ汁の椀があり、俺の膝もとにも、同じ椀があった。
「なんじゃ。わしの知らぬところで、島津の家久とも仲ようなりおって」
兄は、家来に言いつけて、持ってきた酒の樽を運び込ませた。
「家久。降参の祝いじゃ。わしと飲め」
樽の前に、二人が同時に立ちふさがった。俺と、家老だった。
「関白殿下であられても、殿の前に酒は出させませぬ」
家老は、天下人を前にして、少しも声を震わせなかった。兄は、口を半開きにしたまま、家老と俺とを見比べた。
「郡山にも、島津にも、わしの酒を取り上げる者がおるとはのう」
兄は、結局、樽を持って帰った。帰り際に、もう一杯だけ白湯を所望して、まずいと言って飲み干していった。
◇
夏が過ぎた。死ぬはずの家久は、夏が過ぎても生きていた。
1587年、夏。島津家久、佐土原で急死。秀長が毒を盛ったとの噂。
筆で一本線を引いて、この行を消した。年表に線を引いたのは、これが初めてだった。俺が毒を盛ったという噂も、一緒に消えていた。
家久が佐土原を発って、兄の義久のいる薩摩へ戻る朝、俺は城の門まで見送りに出た。
家久は、馬の横で振り返ると、家来に言いつけて、小さな甕を一つ、俺の前に置かせた。蓋の上から縄でぐるぐると縛ってある。中身は、匂いで分かった。
「羽柴殿に預けておく。次に会うときまで、わしは飲まぬ。羽柴殿も、飲んではならんぞ」
「それがしは、酒を断っておりますが」
「知っておる。じゃから、預けるのじゃ」
家久は、馬に乗った。それから、手綱を取ったまま、俺を見下ろして言った。
「羽柴の白湯は、まずか。じゃっどん、効くな」
家久は、腹をかばわずに、からからと笑った。家老が、馬の口を取って、門の外へ引いていった。
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