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内科医が豊臣秀長に転生して長生きを目指したのに、史実どおりに死んだので二度目は本気で生き延びます ~俺が死ぬと豊臣家が滅ぶ~  作者: 島村 巡


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九州仕置(上) 敵に白湯を飲ませたら、毒だと言われた

一五八七年 晩春  日向



 夜が明けきると、根白坂の丘の上がよく見えた。


 島津の援軍は、夜のうちに南へ引いていった。高城を助けに来て、砦の空堀に阻まれ、助けられずに帰っていった。丘の斜面には、島津の旗が何本も倒れたままになっていた。


 空堀の底には、まだ人が残っていた。堀に落ちて這い上がれなくなった者、上から槍で突かれた者。引いていく島津の兵は、堀の底の味方までは連れて帰れなかった。底からは、うめき声が聞こえていた。


 俺は、宮部の兵に、堀の底の者を一人残らず引き上げさせた。敵も味方もだ。宮部の隊の組頭が、目を丸くした。


「大将。島津の兵もでござるか」


「堀の底に置いておけば、死ぬ。この陽気で死ねば、すぐに腐る。腐れば蠅がわく。蠅がわけば、またこの陣に、腹を下す者が出る」


 組頭は、腹を下す者、と聞いたとたんに青い顔になって、縄を取りに走っていった。宮部の隊で、その言葉はもう、島津の槍よりも効いた。


 本当のところは、腐るより先に、目の前で人が死ぬのが嫌だった。前の世で、ずっと医者をやってきた。うめいている者を、堀の底に置いていくことは、体のほうが承知しなかった。だが、それを言えば、敵を助ける大将になる。蠅の話にしておくほうが、誰も文句を言わない。


 本陣の脇の手当ての幕には、昼までに六十人ほどが運び込まれた。そのうちの十人あまりが、島津の兵だった。宮部の兵は、引き上げた島津の兵を縛ろうとして、縛る前に手を洗えと組頭に怒鳴られ、手を洗っているうちに縛るのを忘れていた。


 俺は、敵も味方も分けずに、運ばれてきた順に診た。槍で腿を突かれた者には、煮たさらしを当てて縛った。矢の刺さった者は、矢柄を短く切ってから抜いた。抜いたあとの傷は、湯冷ましで洗った。


 島津の兵たちは、洗われているあいだ、歯を食いしばって一言も口をきかなかった。手当てが終わっても、礼も言わなかった。ただ、椀を差し出すと、そろって顔をそむけた。


「飲んでくれ。ただの白湯だ」


 いちばん年かさの島津の兵が、椀を見て、低い声で言った。


「羽柴の白湯は、毒じゃっど」


 それが合図だったように、ほかの者たちも椀から目をそらした。幕の隅に、手のつけられていない椀が並んでいた。


 困った。血を失った者は、水を入れなければ、傷より先に乾いて死ぬ。だが、無理に口をこじ開けて流しこめば、それこそ毒を盛ったように見える。


 宮部が、ちぎれた袖のまま幕に入ってきた。並んだ椀と、そっぽを向いた島津の兵とを見比べると、黙っていちばん手前の椀を取り上げた。そして、島津の兵の目の前で、ひと息に飲み干した。


「ぬるうて、まずい。されど、毒ではござらぬ。拙僧が、この陣で飲み続けて、このとおり生きておる」


 剃った頭を、ぺちりと叩いてみせた。


 島津の兵たちは、顔を見合わせた。しばらくして、いちばん端に寝ていた若い兵が、そろそろと椀に手を伸ばした。まだ前髪を落としたばかりのような顔だった。ひと口すすって、眉をしかめた。


「・・・ぬるか。まずか」


 幕の中に、笑いが起きた。羽柴の傷兵も、島津の傷兵も、同じように笑った。笑うと傷に響くらしく、あちこちで、笑いながらうめいていた。年かさの兵だけが、しかめ面のまま、若い兵の飲み干した椀をにらんでいた。それから、自分の椀を取って、仕方なさそうに飲んだ。


 ◇


 傷を負った者が歩けるようになったころ、兄の使者が来た。


 また三成だった。前と同じ背筋で陣幕に入ってきて、前と同じように懐から書き付けを出した。


 三成は、咳払いをした。


「小一郎、ようやったのう。根白坂での話は、わしの陣まで届いておるぞ。義久めは、墨染めの衣で来よってな、わしの前で、頭を丸めたのじゃ。小一郎にも見せたかったぞ。して、おぬしの方の家久は、いつまで佐土原の城にこもっておるのじゃ。白湯ばかり飲ませておらんで、早う降らせよ」


 三成は、また咳払いをした。


「殿下のお言葉にございます」


 前より、少しだけ兄に似ていた。「わしの前で」のところと「小一郎にも見せたかったぞ」で、三成は胸を張ってみせた。兄なら、そこで扇を振り回すところだ。三成の手は、書き付けの端を両手で持ったまま、動かなかった。


 陣幕の隅で、高虎が、また下を向いた。官兵衛は、杖に両手を重ねたまま目を閉じていた。眠っているのかと思ったら、口の端が、ひくりと動いた。


「前より、似ていたぞ」


「大坂を発ってから、毎夜、稽古をいたしましたので」


 三成は、真顔だった。それから、書き付けをたたみながら、付け足した。


「もう一つ、書き付けにないお言葉がございます。殿下は、白湯の陣とやらを、この目で見てみたいと仰せでした。羽柴の陣では、大将が兵に白湯を配って歩いておると、肥後の陣でも噂になっておりますので」


 嫌な予感がした。・・・それ以上は、考えないことにした。



一五八七年 初夏  日向 佐土原



 島津家久が降ってきたのは、それから間もなくだった。


 佐土原の城は、日向の海に近い丘の上にあった。家久はそこの城主で、島津の当主、義久のいちばん下の弟だ。豊後の戸次川で兄の先手を打ち破り、長宗我部元親の息子を討ち取ったのも、この男だった。


 城の大広間で、家久は俺の前に座った。


 大きな男だった。日に焼けた顔に、太い眉。座ったとたんに、広間が狭くなったような気がした。頭は下げたが、背は丸めなかった。


「島津中務、家久にござる。羽柴殿に、城と兵とをお預けいたす。根白坂では、見事にやられ申した。あの堀は、深こうござった。わしの兵は、落ちたきり、這い上がれませなんだ」


 家久は、そう言って、からからと笑った。負けた戦の話を、勝った戦の話と同じ顔でする男だった。


「して、あの夜、横から突っ込んできた大男は、どなたでござるか。わしの兵が、鬼が出たと申して逃げ戻ってきた」


 家久の目が、広間の端に控えた高虎の、さらしを巻いた肩に止まった。高虎は、黙って頭を下げた。肩の矢傷は、俺が自分で縫った。縫っているあいだじゅう、高虎は、あの堀はもう一間深くてもよかったと、そればかり言っていた。


 俺は、家久の顔を見ていた。見るつもりはなかったが、内科医の目が勝手に見た。


 白目が、うっすらと黄色かった。広間の明かりのせいかと思って、もう一度見た。やはり黄色い。笑うたびに、右の脇腹のあたりを、無意識に手でかばっている。座るときにも、腹が張っているのか、少しだけ体を反らせていた。


「羽柴殿。降参の印に、薩摩の酒を持ってまいった」


 家久が手を叩くと、家来が二人がかりで、大きな甕を運んできた。蓋を取ると、強い匂いが広間に広がった。米の酒ではない。焼酎だった。


「島津の焼酎でござる。これを飲めば、白湯なぞ飲めなくなりまするぞ」


 家久は、自分で柄杓を取ると、椀になみなみと注いで、俺に差し出した。


「いただけませぬ。それがしは、酒を断っております」


「断っておる。・・・羽柴の大将が、酒を断っておると申されるか」


 家久は、しばらく椀を差し出したまま、俺の顔を見ていた。それから、椀を引っこめると、自分でひと息に飲み干した。


「なら、わしが代わりに飲んでおきまする。降参の酒を、誰も飲まぬでは、縁起が悪か」


 家久は、二杯目を注いだ。注ぐ手が、かすかに震えていた。この男は、朝から飲んでいる、と俺は思った。今朝だけではない。何年も、毎朝飲んでいる。


 その瞬間、頭の中で、歴史の本の一ページが開いた。


 島津家久。根白坂の戦いのあと、日向の佐土原で羽柴秀長に降伏する。その年の夏、急死。死因は分かっていない。降伏した相手の秀長に毒を盛られた、という噂が、当時からあった。


 手のひらが、冷たくなった。俺は、この男に毒を盛ったことになっている。


 毒など盛るつもりはない。だが、この黄色い目と、張った腹と、朝からの焼酎とが、このまま夏まで続けばどうなるか。内科医の頭は、歴史の本とは関係なく答えを出していた。毒など盛らなくても、この男は死ぬ。そして死ねば、毒を盛ったのは俺になる。


「家久殿。その焼酎は、しばらくおやめなされ。それと、脇腹を診せてくだされ」


 広間が、静まった。家久は、持っていた椀を口の前で止めた。


「羽柴殿は、医者でもあられるのか」


「医者のようなものです。目が、黄色うございます。腹も張っておられます。このままでは、夏を越せぬかもしれませぬ」


 言ってから、しまったと思った。降参してきた敵の大将に、おまえは夏までに死ぬ、と言ったのと同じだった。


 家久の後ろに控えていた、白髪まじりの家老が、すっと膝を進めた。


「羽柴殿。今、殿の命に、日限を切られましたな」


「切ったのではない。延ばしたいのだ」


 俺は、手もとの白湯の椀を取って、家久のほうへ差し出した。焼酎の代わりに、これを飲んでほしかった。


 家老が、立ち上がった。俺の手から椀を払い落とした。椀は畳の上を転がって、白湯が、家久の膝もとまで広がった。


「羽柴の出すものは、一滴たりとも、殿の口には入れさせませぬ」

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【もうひとつの戦国の物語】

敵陣へ駆ける妻・お市と、裏で勝ちを支える夫・浅井長政の物語も連載中。

https://ncode.syosetu.com/n5065ms/

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― 新着の感想 ―
まあ、敵の大将が言ってたら皮肉込みで暗殺すると言ってるようなもんだね。
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