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内科医が豊臣秀長に転生して長生きを目指したのに、史実どおりに死んだので二度目は本気で生き延びます ~俺が死ぬと豊臣家が滅ぶ~  作者: 島村 巡


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伴天連追放令(下) 兄の言いつけに、否と言えるか

 ◇


 その夜、俺は年表を上から指でたどった。九州の行には、線が一本引いてある。その先には、まだ線を引けない行が並んでいた。


 1587年、夏。バテレン追放令。

 1591年、春。千利休、切腹。

 1592年、春。唐入り、始まる。

 1597年、冬。長崎で、南蛮の坊主と信者が磔。


 どの行も、兄が命じ、周りの者が止めきれなかった行だった。記憶の中の歴史の本では、そういうことになっている。いちばん上の行が、昼間に見た高札だった。十字架を襟の中へ隠した女の手を、思い出した。あの女は、明日も魚を売りに出るだろう。浜の施療所にも、足に布を巻いた者が並ぶ。


 ここで兄に「否」と言えなければ、利休のときにも、兄には背けない。だが、天下人の書付に、皆の前で弟が「否」と言えば、兄の顔は丸つぶれになる。兄の顔をつぶせば、それこそ利休のときには、兄はもう俺の言うことを聞かないだろう。


 どうしたものかと、懐から兄の書付を出して、もう一度読んだ。そこには、『始末』と書いてあった。焼け、とは書いていなかった。


 ◇


 夜更けに、高虎を連れて、浜の施療所へ行った。


 灯りが、まだついていた。戸の隙間からのぞくと、パウロのほかに、もう一人いた。坊主頭の年寄りが、板の間に南蛮の書物を広げて、顔を近づけていた。書物には、人の体を開いた絵が描いてあった。腹の中の臓物が、一つずつ、細い線で描き分けてある。年寄りは、その絵を指でなぞりながら、片方の手で、小さな壺から膏薬をすくって、自分の手の甲に塗っていた。


 全宗だった。


 俺が戸を開けると、全宗は、書物の上に袖をかぶせた。かぶせてから、隠しきれないと分かったらしく、袖をどけた。


「羽柴殿。これは、その・・・敵の手の内を知るためでござる」


 パウロが、申し訳なさそうに頭を下げた。


「全宗様は、このところ、毎晩お見えです。火傷の膏薬を、たいそうお気に召されて」


「パウロ、言うな」


 全宗の指先の匂いは、これだった。全宗は、膏薬を塗った手の甲をこすり合わせて、ごまかすように咳払いをした。


「・・・南蛮の膏薬は、火傷の治りが早うござる。腹に刃物を入れるのも、拙僧の思うておったような、むごいだけの術ではござらなんだ。この絵を見れば、どこを切ればよいかが分かり申す」


「では、なぜ兄者の書付を後押しなされました」


 全宗は、しばらく黙っていた。それから、剃った頭を撫でた。


「拙僧は、比叡山におりました。若いころ、信長公に山を焼かれ申した。寺が燃えるのを、谷の底から見ており申した。南蛮の教えに入った大名は、領内の寺を壊して、仏像を焼くと聞く。拙僧は、寺が焼けるのは、もう見とうない」


 全宗は、書物の絵に目を落とした。


「されど、医術に罪はござらぬ。教えと一緒に、医術まで追い出してしもうたのは、拙僧の手落ちでござった」


 そのとき、奥でパウロが小さく声を上げた。運び込まれた子どもの足に、釘を踏み抜いた傷があった。パウロは、空になった南蛮の酒の瓶を傾け、棚の奥にも手を伸ばした。傷を洗う酒は、もうなかった。


 俺は、高虎の背中を見た。


「殿。それは、家久殿の・・・」


「飲むのではない。洗うのだ」


 高虎は、渋々、甕を背中から下ろした。縄をほどいて蓋を取ると、強い匂いが、施療所じゅうに広がった。全宗が、鼻をひくつかせた。


「薩摩の焼酎でござるか。南蛮の酒より、よほど強い。これは、効きまするぞ」


 パウロが、焼酎で子どもの傷を洗った。子どもが泣き、高虎が押さえた。高虎は、押さえながら、甕の中身が減っていくのを、悲しそうな目で見ていた。


 傷を洗い終えたところで、俺は全宗に言った。


「全宗殿。この施療所を、施薬院で預かってはいただけませぬか」


 全宗が、目を上げた。


「伴天連は去ります。兄者の書付は、そのとおりに守られます。ですが、ここにあるものは、南蛮の坊主のものではなく、施薬院のものにいたします。ここを施薬院の博多の出店にして、全宗殿の名で、病人を診ていただきます」


「パウロは、どうなさる」


「パウロ殿は、教えを説く伴天連ではございませぬ。日本の者です。施薬院の医者として、ここに残ってもらいます。首の十字架は、着物の内に入れておいてもらいます」


 パウロは、黙って、首の十字架を襟の中へ押しこんだ。辻の高札の前で、魚売りの女がそうしていたのと、同じ手つきだった。


 全宗は、すぐには返事をしなかった。腕を組んで、俺の顔とパウロの顔を、交互に何度も見た。


「拙僧は、殿下に、南蛮のものは一つ残らず追い出せと申し上げた身でござる。その拙僧が、南蛮の薬を預かると申し出れば、殿下は何とお思いになるか」


「施薬院の名が、博多にも掲げられる、とお思いになります」


 全宗の組んだ腕が、少しゆるんだ。


「・・・博多に、施薬院の看板」


「京と、博多と。いずれ、大坂にも」


 全宗は、咳払いをした。それから、もう一度咳払いをした。剃った頭のてっぺんまで、うっすらと赤くなっていた。


「看板の字は、拙僧が書いてもよろしいか」


 ◇


 夜が明けて、箱崎の兄の陣幕に入ると、兄は、また全宗に脈を取らせていた。


「小一郎。南蛮寺は、間違いなく焼けよ」


 手のひらが、じっとりと濡れていた。前の世で、患者の家族に悪い知らせを告げる前にも、同じ汗をかいた。言う中身は、もう決めてある。決めてあっても、汗は出る。


「否」


 陣幕の中が、静まりかえった。


 兄の後ろに控えていた小姓が、持っていた扇を取り落とした。高虎が、俺の後ろで、息を止める音がした。全宗の指が、兄の手首の上で、ぴたりと止まった。


 兄は、口を半開きにしたまま、俺の顔を見ていた。それから、ゆっくりと顔が赤くなっていった。


「・・・小一郎。今、何と申した」


「否、と申しました」


 俺は、懐から、兄の書付を取り出した。


「この書付には、始末を任す、と書いてございます。焼けとは、書いてございませぬ」


 そう言って、書付のその部分を指さした。


「伴天連は、高札の通りに去らせます。兄者の書付は俺が、一字たりとも曲げさせませぬ」


 兄の目をじっと見て、続けた。


「去ったあとの建物と薬は、施薬院に預かってもらいます。そうなれば、南蛮の寺ではなく、施薬院の博多の出店になります。南蛮の坊主が戻ってきても、あそこは、もう兄者の施薬院です」


 兄は、何も言わなかった。顔の赤いまま、全宗のほうを見た。


「全宗。おぬし、わしに南蛮の医術は邪法じゃと申しておったな」


「申しました」


 全宗は、兄の手首から指を離して、手をついた。


「邪法と申したのは、教えのほうでござる。されど、膏薬は、よう効き申す。拙僧が、毎晩、確かめてまいりました」


「毎晩じゃと。わしの脈を取ったその足でか」


「その足で、でござる」


 兄は、全宗と俺とを、何度も見比べた。それから、大きく息を吐いて、床几の上でそっくり返った。


「ちょっと待て、わしの弟と、わしの医者が、二人して、わしの知らぬところで南蛮寺に通うておったのか」


 兄の顔の赤みが、少しずつ引いていった。兄は、天井を見上げたまま、ぼそりと言った。


「小一郎。わしに否と言うたのは、今日が初めてじゃな」


「はい」


「二度目は、聞かぬぞ。よう心得ておけよ」


「心得ております。ですから、次に申すときは、もっと上手に申します」


 兄は、天井を見上げたまま、鼻を鳴らした。全宗が、懐から小さな紙包みを取り出して、兄の前に差し出した。


「殿下。お腹立ちの後は、脈が速うなりまする。南蛮の者が、苦い薬を飲ませるときに添える砂糖菓子でござる。施薬院の出店で、預かることになり申した」


 兄は、紙包みを開いた。角のある、小さな白い粒が、いくつも入っていた。


「こりゃ、上様が南蛮の坊主から貰うておったやつではないか。懐かしいのう。わしは、見るだけで、食わせてはもらえなんだ」


 兄は、一粒つまんで口に入れると、目をつぶったまま、長いこと舌の上で転がしていた。


「・・・甘い」


 秀長の記憶が、一つ浮かんできた。若いころ、上様が、気まぐれに懐から白い粒を一つ出して、小一郎の手のひらに落とした。


「藤吉郎には言うなよ」


 上様の眉間には、皺が寄っていた。


 黙っておくことにした。


 兄は、二粒目をつまんだ。


「小一郎の白湯とは、大違いじゃ。全宗、これはわしが預かる。施薬院には、毎朝わしが取りに行くからの」


 ◇


 あくる朝、まだ暗いうちに、俺は博多の縄張りの町を歩きはじめた。


 佐土原でも、日向の陣でも、朝は歩いてきた。博多でも、やめるつもりはなかった。縄の張られた辻を、一町ずつ、まっすぐに歩く。家の建っていない町は、どこまでも見通しがよくて、歩きやすかった。


 やがて、高虎が追いついてきた。背中には、軽くなった焼酎の甕が揺れていた。


 いつのまにか、坊主頭が一つ増えていた。全宗だった。全宗は、黙って俺の横に並ぶと、歩きながら俺の手首を取って、指を当てた。


「羽柴殿の脈を、一度、歩きながら取ってみとうござった。白湯の大将の脈が、どれほどのものか」


「どうです」


「・・・拙僧より、遅うござる」


 全宗は、不服そうに自分の手首を取り直した。


 浜に近い辻で、黒い衣が一つ加わった。パウロだった。パウロは、歩きながら、口の中で南蛮の言葉の祈りを唱えていた。それを聞いた全宗が、負けじと経を唱えはじめた。南蛮の祈りと経とが、縄の張られた町に、交互に響いた。高虎は、どちらにも加わらず、黙って甕を揺らしていた。


 町はずれまで来たところで、杖の音が後ろから追いついてきた。官兵衛だった。膝を引きずりながら、列のいちばん後ろについた。


「官兵衛殿。膝は」


「拙者の膝の勝手でござる。膝が、歩きたいと申しておりますゆえ」


 一行が、浜の施療所の前まで来たとき、施療所の戸口に、派手な羽織の小男が座りこんでいた。肩で息をしている。手には、空になった紙包みを握っていた。


「兄者」


「・・・毎朝、取りに行くと申したじゃろう。昨日の分は、夜のうちに食うてしもうたのでな」


 パウロが、あわてて施療所の奥から新しい紙包みを持ってきた。兄は、それを受け取ると、砂糖菓子を一粒つまんで、口に放りこんだ。


「わしも箱崎から、ここまで歩いてきたのじゃ。歩いた分は、甘いものを食うてよいのじゃろう、小一郎」


「よくありませぬ」


 兄は、聞こえないふりをして、二粒目をつまんだ。全宗が、すかさず兄の手首を取った。

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