第99話: 地竜さん、降臨
そして、地面のひびが、さらに大きく開いた。
土煙が噴き上がる。
広間の床が丸ごと持ち上がるような感覚だった。
轟音。
砕けた岩が四方に飛び、ゴブリンたちがワラワラと逃げる。
その中心から、灰色の巨体がせり上がってきた。
長い。
とにかく長い。
広間の端から端まで届きそうな胴体が、岩と鉱石の破片をまとわりつかせながらうねっている。
背中の鱗は、坑道の壁と同じ色をしていた。
まるで地面そのものが起き上がったみたいだ。
「……なんだ、あれ」
「竜っス!!」
「竜?」
「あれ、絶対に竜だと思うっス!! カッケェっス!」
説明になっているようで、なっていない。
ズズン、と最後に一段せり上がって、巨体が完全に姿を現した。
広間の天井近くまで届く頭。
黒く濁った目が、ゆっくりとこちらを見下ろす。
背後で音がした。
振り返ると、俺たちが降りてきたはずの長い階段が、崩れた岩でふさがっていた。
「階段っ」
「埋まってるっスね」
「埋まってるじゃなくて埋められてるっスよ、これ」
コハルの声が裏返っていた。
「……なあ、チアキ」
チアキが無表情のまま、スマホを見た。
<10階層のボス部屋データを再確認します>
「頼む」
<本来この座標に登録されているボスはアイアンゴーレム、体高3メートルほどの個体です>
「うん」
<現在確認できている個体は、登録データと一致しません>
「うん」
<おそらくこれはボスの上位個体、あるいは別種です。強さのデータはありません>
「つまり」
<分かりません、としか言えません>
「一番聞きたくない答えだ」
ブタオが台車の陰であたふたしていた。
「おい、これどうするんだよ、これ、これ」
「落ち着け」
「落ち着けって言われて落ち着いたことねえんだよ、俺!」
コハルも似たようなものだった。
「戦うんスか、逃げるんスか、どっちかにしてほしいっス!」
「両方だ」
俺はチアキを見た。
チアキも俺を見た。
言葉はいらなかった。
チアキが小さくうなずき、手をかざす。
空間が歪み、青梅ダンジョンの大部屋へつながるゲートが、俺たちの真横に開いた。
「うむ」
俺はゲートに向かって、ゆっくり歩き出した。
「ど、どうしよう、どうしようっス!?」
コハルがその場でぐるぐる回り始めた。
「おい、なんで回ってるんだ」
「分からないっス! とりあえず回ってるっス!」
「ゲートがあるだろ、後ろに」
「え」
「ゲート」
「……あ。あー! ゲート戻ればいいんだったっス!」
「今それ気づいたのか」
「気づいたっス! 助かったっス、ありがとうございますっス!」
「早く行こうぜ、俺怖いわ」
「だな。よし戻ろう」
俺はゴブリンたちを振り返った。
ナイトが前に出て、盾もない腕を構えている。
ファイターが盾を持ち上げ、マジシャンの手に火が灯っている。
ハイゴブリンたちが、台車を放り出して隊列を組み直していた。
大きく息を吸う。
「お前らっ! 死ぬ気で倒してこい!」
『ウラーーーーーーーーーーッ!!』
「鬼畜っス……」
広間中のゴブリンが吠えた。
地竜が、その声に応えるように低くうなる。
俺はゲートをくぐった。
チアキ、ブタオ、コハルも続く。
視界が切り替わり、青梅ダンジョンの大部屋に戻ってきた。
いつもの湿った空気。
さっきまでいた場所とは、まるで別の世界だった。
「ゴブリンたち、大丈夫っスかね」
「全滅したらその時はその時だ」
「見えないんスかね、あっちの様子」
ゲートは向こう側から戻ってくる台車や袋のためのものだ。
覗き込んでも、ただの歪んだ光の膜にしか見えない。
チアキがスマホを見て、動きを止めた。
<あ>
「あ、もチャットするんスね」
<そういえば、私、最近レベルが上がって、ゲート越しに向こう側が見えるようになっていました>
しばらく誰も喋らなかった。
「それ、もっと早く言うことじゃない?」
<すみません、忘れていました>
「忘れたならしょうがないね!うん!」
俺はぐちぐちと攻めるようなフィードバックなどはしないのだ。
どこかの前職の上司とは違ってな!
チアキがゲートに手をかざす。
歪んでいた光の膜が、水面のように静かになり、向こう側の光景が映り込んだ。
「見えたっ」
俺たちはゲートの前に集まった。
広間の中で、ゴブリンの群れと地竜がぶつかり合っていた。
地竜が尾を振るたび、ハイゴブリンの列が吹き飛ぶ。
ナイトたちが前に出ても、硬い鱗の前で弾かれている。
「押されてるっス」
「押されてるな」
「まずいんじゃないっスか、これ」
正直に言うと、まずかった。
数の暴力で押し切る作戦は、相手が桁違いに大きいと機能しにくい。
そもそも、あの図体をどこから殴ればいいのかも分からない。
「そこ、そこだ!」
「何やってんだ、右!」
「マジシャン下がれ、下がれって!」
気づけば、俺たちはゲートの前でサッカー観戦のように叫んでいた。
向こうには聞こえていないはずなのに、叫ばずにいられなかった。
『ぐああああっ!』
ハイゴブリンの列が一段、吹き飛んで消える。
チアキが表情を変えないまま、指先を握り込んでいた。
「装備っ」
ブタオが叫んだ。
「装備、送ろう! 予備、まだ大量にあるだろ!」
「予備の黒鉄装備か!」
「ゲート、荷物も通るんだよな? だったら投げ込めるはずだ!」
いい提案だった。
というより、今すぐ実行できる唯一の提案だった。
「よし、やるぞ! 予備の武器と盾、全部持ってこい!」
大部屋に控えていたメスゴブリンたちが、倉庫代わりの檻から予備の黒鉄装備を次々に運び出す。
剣、盾、槍、投げつけるように台車に積まれ、そのままゲートへ突っ込んでいった。
『武器っ! 武器来たっス!』
向こう側で歓声が上がった。
落ちてきた黒鉄の剣や盾を、後方のハイゴブリンたちが拾い、前線へ投げ渡していく。
「なんか、リレーになってるっスね」
「効率だけはいいな、こいつら」
装備が増えたことで、後方の壁になっていたハイゴブリンたちにも武器が渡り始めた。
ほんのちょっとだけ押し返し始めたようだ。
そして、戦い方が変わった。
ハイゴブリンたちが、あえて地竜の正面に群れて立つ。
命をかけた囮。
なすすべもなく吹き飛ぶハイゴブリン。
なんて儚い命なんだろうか。
普通に絵面が汚い。
その隙に、横から回り込んだナイトたちが、地竜の顔めがけて一斉に飛びかかった。
狙いは一点。
目だ。
「いっけーい!!」
「目! 目やるっス!」
黒く濁った目に、ナイトの黒鉄剣が突き刺さる。
地竜が初めて、まともな悲鳴を上げた。
「おーー! ナイスゴール!!」
「いやー、綺麗に決まったっスね!」
「これはまさかがあるな」
<現状は勝率50%といったところでしょうか>
戦いは長引いた。
地竜が暴れるたびにハイゴブリンが吹き飛び、その分だけ新しいハイゴブリンが前へ出る。
ナイトたちは繰り返し目を狙い、そのたびに何匹かが尾の一撃で沈んだ。
マジシャンたちは傷口めがけて火球を撃ち込み続けた。
ゲートの前で見ている俺たちにできることは、装備を送り続けることと、叫ぶことだけだった。
「右! 右から来てる、右!」
「危ないっス、下がってー!」
「なんか腹減ってきたなぁ」
ブタオはちょっと飽きてきたらしい。
お前のTPOはどうなってるんだ。
「よし、いいぞ、そのままそのまま!」
「いけーーっス!」
体感で三十分は経っただろうか。
地竜の動きが、目に見えて鈍くなっていた。
両目はすでに潰れ、鱗のあちこちに黒鉄の刃が突き刺さったままになっている。
最後にひときわ大きく尾を振り回し、広間の壁を砕いた。
それが、地竜の最後の抵抗だった。
巨体がぐらりと傾き、地響きを立てて地面に倒れた。
広間に静けさが戻る。
ゴブリンたちが、しばらく動かなかった。
そして、誰からともなく、勝ち鬨が上がった。
『ウラーーーーーーーーーーッ!!』
ゲートのこちら側でも、俺たちは思わず拳を突き上げていた。
「勝ったあああっス!!」
「よくやった、お前ら!」
「やっと終わったか。お腹と背中がくっついちまうよ」
<お疲れ様でした>
俺たちは、もう一度ゲートをくぐった。
広間には、地竜がそのまま横たわっていた。
息はない。
ただの、とんでもなく大きい肉塊になっている。
「魔石、あるっスよね、これ」
「ないわけないだろ」
ハイゴブリンたちが総出で鱗を剥がしにかかる。
しばらくして、台車に山盛りの魔石が運ばれてきた。
中央に、ひときわ大きな一個が乗っている。
俺は思わず声を漏らした。
「でっけぇなぁ」
ブタオの新車のタイヤよりも一回り大きかった。




