第97話: ブタオさん、車を買う
タワマンの朝は、静かだった。
前の部屋なら、隣の生活音とか、外の車の音とか、よく分からない配管の音とかで目が覚めた。
だが、今日は違う。
目を開けても、天井が高い。
窓の外が明るい。
部屋が広い。
寝起きなのに、すでに負けている気がする。
高級住宅、強い。
リビングへ行くと、コハルがソファで丸くなっていた。
ふわふわしたパジャマを着ている。
チアキもテーブルの前に座っていて、淡い色のパジャマ姿でスマホを見ていた。
「……落ち着いて考えたら、これって事案じゃない?」
「何がっスか?」
「男二人と女子二人が同じタワマンで朝を迎えてる」
<共同拠点です>
「言い方を変えても事実は変わらないんだよ」
「特に反対もしてなかったっスよね?」
「だから俺が一番びっくりしてる」
俺たちは昨日、勢いそのままに引っ越した。
昨日まで狭い部屋で寝ていた男が、いきなりタワマンのリビングで女子のパジャマ姿を見ている。
人生の階層が急に上がりすぎだ。
ダンジョンより怖い。
キッチンから、いい匂いがした。
見ると、ブタオが普通に料理をしていた。
エプロンまでしている。
「おはよう」
「おう。飯できるぞ」
「なんでお前が一番この部屋に馴染んでるんだよ」
「キッチンが広いからな」
「理由が主婦なんだよ」
「米も炊けてる」
「完璧じゃねぇか」
朝食は、普通にうまかった。
焼き魚。
味噌汁。
卵焼き。
サラダ。
昨日までコンビニ飯と外食で生きていた俺には、旅館の朝食に見える。
しかも場所はタワマン。
意味が分からない。
「これ、毎朝食えるんスか?」
「材料があればな」
「ブタオさん、定食屋開けそうっス」
「開かねぇよ。ダンジョンでアホほど稼げるんだからな」
「間違いないっス」
否定できない。
あと1ヶ月もゴブリン牧場が無事に稼働すればみんな大金持ちだ。
わざわざ働くことなんてしない。
でもどうなんだろうか。
お金のためじゃなくて、やりたい仕事をやるって方向性に舵を切るのも一つの選択肢なのかもしれない。
当分働く気なんて起きないが。
飯を食べ終わり、全員で駐車場へ向かった。
今日は青梅ダンジョンへ行く。
昨日も行った。
タワマンに引っ越しても、結局やることは変わらない。
魔石を売る。
ゴブリンを送る。
金を増やす。
かなり雑な生活サイクルだ。
地下駐車場へ下りた瞬間、俺たちは足を止めた。
広い。
明るい。
床がきれい。
並んでいる車が、全部高そう。
黒くて長い車。
低くて速そうな車。
見たことのないエンブレムの車。
これどこのメーカー?
その中に、ブタオの軽バンがあった。
白くて四角い無骨なデザイン。
シンプルにいうと安っぽい。
周りが高級車すぎて、軽バンだけが迷い込んだみたいになっている。
「……俺の車だけ、場違いじゃね?」
ブタオが真顔で言った。
「浮いてるな」
「めちゃくちゃ浮いてるっス」
<業者の車っぽく見えますね>
「買うか」
「何を?」
「車」
「異議なし」
ブタオに悪くてあまり言えなかったけど……
お前の車ダサすぎなんよぉぉぉぉぉ!!
やっと買うことを決意してくれたか。
一安心である。
「じゃあ、見に行くか」
「今日ダンジョンは?」
「車見てから行こうぜ」
「ゴブリンより車優先っスね」
「ゴブリンは仕事中。俺たちは社用車を買う」
「社用車って響きなんかかっこいいっス!」
正直、ゲートがあれば車っていらないんだけど、何も言わないでおく。
チアキもわかっているのか、優しい目でブタオとコハルを見ている。
お、お母さん……!
俺たちはブタオの軽バンに乗り、高級車店が集まっているエリアへ向かった。
軽バンで高級車を見に行くのも、これで最後かもしれない。
そう思うと、少しだけ寂しい。
だが、駐車場で浮いていた姿を思い出すと、やっぱり買い替えたほうがいい。
納車までは、もう少し頑張ってもらう。
最初に入ったのは、国内メーカーのトヨハだった。
ショールームは広く、ガラス張りで、床がぴかぴかしている。
中央には、大きな黒い高級ミニバンが置かれていた。
背が高い。
グリルがでかい。
ライトが細くて、顔つきだけで駐車場の空気を支配している。
最近の高級ミニバンは、家族車というより後席に偉い人を乗せる車らしい。
送迎。
会食。
空港。
そういう単語が勝手に浮かぶ。
「これ、チーム移動に良さそうっスね」
「でかいな」
「でも、後ろに座った瞬間に何かの社長みたいになるな」
「いいじゃないっスか! 後ろで足伸ばせるんスよ!」
「俺は座れればいいんだけどな」
<移動できれば問題ありません>
「チアキさん、車への熱がゼロ」
トヨハの高級ミニバンは、後部座席がすごかった。
二列目の椅子が、椅子というより一人用の部屋だった。
左右に太い肘置き。
足元にはオットマン。
天井にはエアコンや照明をいじる小さな操作パネル。
小さい机も出る。
スマホを置く場所も、飲み物を置く場所も、いちいち用意されている。
もはや移動するリビングだ。
昨日タワマンを見て驚いたばかりなのに、今日は車の椅子で驚いている。
人間の欲望はすぐ次の収納場所を探すようだ。
「これ、ほぼ移動する応接室っスね」
「後ろで肉まん食えるな」
ブタオが妙に真剣な顔で言った。
「お前もテンションの方向がおかしい」
次に見たのは、レクサムの大型SUVだった。
黒くて分厚い。
全体が四角くて、横から見ると壁みたいに長い。
フロントもリアも、やけに彫りが深い。
高級車なのに、山道も砂利道も平気で走りそうな顔をしている。
大きなタイヤと高い車高のせいで、車というより小さな建物だ。
「か、かっこいい!」
ブタオの声が一段上がった。
「正直俺にはわからん」
「分かるっス! タイヤでかい! 顔が強い! これ絶対高いやつっス!」
「感想が全部見たまんまなんだよ」
ブタオが運転席に座る。
腹も肩もハンドルも、無理をしていない。
シートが大きい。
座面も背もたれも厚い。
目線が高くて、軽バンよりずっと前が見やすそうだ。
軽バンの時は、ブタオが車内に詰め込まれている感じがあった。
レクサムのSUVだと、ブタオがちゃんと人間として座っている。
車のサイズは大事だ。
特にブタオには。
「これ、いいな」
ブタオがぼそっと言った。
その声が本気だった。
「これ、かなりいいな」
「二回言った」
「運転席が楽なんだよ。肩が当たらない」
「軽バンでは当たってたんスか?」
「ちょっとな」
「その時点で買い替え案件だろ」
次に行ったのは、外国産のベムツだった。
低いセダンと、大きい三列SUVが並んでいる。
鼻先のグリルが、遠慮なくでかい。
国産車の上品な押し出しとは違って、こっちは最初から勝つ気で来ている。
ドアを閉める音が重い。
ボン、という音がする。
金が詰まっている音だ。
「うわ、こっちもかっこいいっスね!」
「外車って感じするな」
「俺はどれがいいのか、もうよく分からなくなってきた」
「ボンさん、早いっス。まだ三軒目っス」
「全部高くて全部魅力的なんだよなぁ」
<用途に合えば、どれでもよいと思います>
「チアキも早々に降りた」
ベムツはよかった。
革も金属も画面も高そうで、乗り心地も悪くない。
ただ、ブタオが座ると少し肩まわりが窮屈そうだった。
チーム移動用にするには、後ろの荷物スペースもミニバンほど広くない。
悪くない。
悪くないけど、決め手がなかった。
アモディの店では、クーペみたいに屋根が低いSUVを見た。
SUVなのに、後ろへ向かって屋根がすっと下がっている。
ライトは薄く、後ろのランプは横一文字に光る。
内装は画面が多い。
エアコンの操作までタッチ式で、チアキが少しだけ興味を示した。
「うわ、これシュッとしてるっス!」
「屋根が下がってるな」
「だからかっこいいんスよ!」
<デザイン性を重視したSUVクーペに近い分類です>
「SUVにもクーペとかあるのか」
「あるんスね! SUVクーペ! なんか強そうっス!」
「言葉の意味より響きで喜ぶな」
奥には、赤いスポーツカーもあった。
低い。
速そう。
座ると地面が近い。
コハルは目を輝かせた。
「これ乗りたいっス!」
「誰が運転するんだよ」
「ブタオさん」
「俺、入るか?」
ブタオが運転席をのぞき込む。
店員さんの笑顔が一瞬だけ固まった。
入るかどうかではなく、出られるかどうかが問題になりそうだった。
「やめとこう」
「早いっス」
「人間の関節には限界がある」
赤いスポーツカーは、見る車だった。
乗る車ではない。
少なくともブタオの車ではない。
そのあと、メルデスの角ばったSUVも見た。
丸いヘッドライト。
四角いボディ。
横開きのバックドアに、背負ったスペアタイヤ。
新しいのに古い。
古いのに高い。
そういう不思議な存在感があった。
「これ、強そうっス」
「強そうだな」
「ダンジョンの入口に置いても違和感なさそうっス」
「それは車として褒めてるのか?」
運転席は高く、ドアの取っ手もごつい。
車内は革と画面で高級なのに、形はずっと道具っぽい。
ただ、ブタオが乗ると妙に似合いすぎた。
似合いすぎて、逆に怖い。
「これも候補じゃないっスか?」
「ブタオが乗ると、職業が変わって見える」
「何に?」
「山奥に土地を持ってる人」
「持ってねぇよ」
最後に見たのが、テフラだった。
電気自動車のメーカーだ。
店内はやけに未来っぽい。
車の内装もすっきりしていて、ボタンが少ない。
中央の大きな画面でいろいろ操作するらしい。
チアキが少しだけ前のめりになった。
<試乗できますか?>
「珍しくチアキが動いた」
「画面がでかいからっスか?」
<操作が分かりやすそうなので>
「チアキ的にはそこなんだな」
店員さんに頼むと、近くを少し走らせてもらえることになった。
運転はブタオ。
俺は助手席。
コハルとチアキは後ろに座った。
走り出した瞬間、車内が静かだった。
エンジンの音がない。
するっと前に出る。
アクセルを軽く踏んだだけなのに、体が座席に押しつけられる。
速い。
でも、うるさくない。
「うお、速っ」
ブタオが思わず声を出した。
「今、そんなに踏んだ?」
「踏んでない。ちょっと触っただけ」
「未来っス! これ未来っス!」
コハルが後ろで楽しそうに騒いでいる。
チアキは大きな画面を見ていた。
ナビ、空調、音楽、充電残量。
だいたい全部そこにまとまっている。
<表示が整理されています。迷いにくいです>
「チアキ、試乗中にUIレビューしてる」
<大事です>
信号で止まる時も変だった。
アクセルを戻すと、車がすっと減速する。
ブレーキを踏む前に、勝手に速度が落ちていく感じがある。
慣れたら楽そうだ。
慣れるまでは、俺ならちょっと戸惑う。
「なんか、運転がゲームみたいっスね」
「ゲーム感覚で高級車を動かすな」
「でも静かだな。これなら帰りに寝られる」
「ボンさん、助手席で寝る前提っス」
「車へのこだわりはないけど、寝心地へのこだわりはある」
テフラの大型SUVタイプは、チーム移動にちょうどよかった。
四人で乗っても広い。
前にも後ろにも収納がある。
荷物も入る。
静かで、加速が気持ちいい。
ダンジョン帰りに疲れていても、車内で休めそうだ。
「チーム用はこれでよくないか?」
「いいっス! 静かだし、後ろ広いし、未来っぽいっス!」
<賛成です>
「俺のは……まあ、また今度でいいか」
ブタオが少し名残惜しそうに言った。
「レクサム、かなり気に入ってたな」
「体に合ってたからな」
「車を服みたいに言うな」
「でも、今日はチーム用が先っスね」
「だな。全員で使う車からだ」
結局、チーム移動用にテフラの大型SUVタイプを買うことになった。
金額を見て、俺は一回だけ目を閉じた。
テフラが、最上級仕様とオプション込みで1620万円。
家ではない。
車だ。
タイヤがついているだけで、ほぼ家みたいな金額をしている。
「俺が払うわ」
ブタオが言った。
「いいのか?」
「俺の車がきっかけだしな。チーム用でも、昨日から俺が運転する流れになってるし」
「急に男前になるな」
「これでモテるだろ」
「動機が不純だった」
支払いはあっさり終わった。
ブタオの手が少し震えていたが、口座残高的には余裕らしい。
「本当に買ったな」
「買ったっスね」
「まだ納車されてないのに、もうテンション上がるな」
「分かるっス」
納車は少し先になる。
それでもブタオは、店を出る前にレクサムのカタログも一枚もらっていた。
コハルはテフラの後席の広さをまだ話している。
チアキはスマホで充電設備の場所を確認していた。
俺はブタオが払った金額を思い出して、一度だけ目を閉じた。
「よし、青梅ダンジョンに向かいますか」
「結局行くんスね」
「車買って終わり、とはならないだろ」
「タワマンに住んでも、高級車買っても、行き先がダンジョンなのは変わらないっスね」
「そこが一番現実だな」
俺たちはブタオの軽バンに乗り込んだ。
テフラの納車はまだ先だ。
だから今日も、いつもの軽バンで青梅へ向かう。
さっきまで最新の電気自動車に乗っていたせいで、エンジン音がやけに現実っぽく聞こえた。
タワマンに引っ越して、家電を買って、今日は車まで買った。
それでも俺たちは、青梅ダンジョンへ向かう。
生活は派手になった。
やることは変わっていない。
魔石を売って、ゴブリンを増やして、また稼ぐ。
変な人生だ。
でも、かなり楽しい。




